モーツァルトの後期6大交響曲と呼ばれている塊がある。
最後の交響曲となった第41番「ジュピター」をトリとする、第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、第39番、「大ト短調」と通ぶった人が呼ぶ第40番の6曲である。
おんや?
37番はどうなっちまったんだい?
わかります。あなたの怒りと戸惑い……
実は私もモーツァルトの交響曲第37番は聴いたことがないのである。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第37番ト長調K.444(425a)は1783年の作曲。3つの楽章からなるらしい。
それの何に問題があるっていうのです?
なぜ除け者にするんです?
結論。
だって、ウォルフガングの作品じゃないんだもの。ちょっとだけしか。
実はこの曲、第1楽章の序奏のみがモーツァルトの作で、他はM.ハイドン(Michael Haydn 1737-1806 オーストリア)の手による。つまり、M.ハイドンの交響曲ト長調P.16がモーツァルトの作と誤認されていたわけだ。
というよりも、M.ハイドンの交響曲に、モーツァルトが敬意を表して(かどうかはわからないが)序奏をつけたのである。
ミヒャエル・ハイドンはわれわれがふつうハイドンと呼んでいるフランツ・ヨゼフ・ハイドンの弟。
ということでモーツァルトの交響曲第37番は不当に仲間外れにされているのではなく、完全なるモーツァルトの作品ではないわけで、むしろ欠番といってもよい。だから仲間外れになってもしょうがないわけだ。
さて、モーツァルトの後期6大交響曲のなかでも、最後の3曲はさらなる高位なる位置づけで“3大交響曲”と言う。例えば“3大テノール”という呼び名にはどこか小ばかにしているようなニュアンスもあるが、“3大交響曲”は純粋な意味での賞賛の呼び名であり、実際、疑いなく円熟した偉大なる傑作である。
この3曲のうち、通称を持っているのは第41番「ジュピター」1曲である。。
ただ40番の方は、上に書いたようにモーツァルトの交響曲中たった2曲しかない短調の作品で(2曲ともト短調)、その1つは映画「アマデウス」のオープニングで使われた第25番。25番が「小ト短調」と呼ばれるのに対し、「大ト短調」の40番は、あのタララー、タララー、タラランランと、書いてもさっぱりわからんだろうけど、そこらへんのカラスでも知っているかもしれないほど有名な曲だ。
となると、銅メダルは第39番となってしまう(銅メダルってドゥダメルに似ているな。響きが)。
実際、40番と41番の組み合わせのCDは多いが、39番はどことなく地味な存在。
さて、交響曲第39番変ホ長調K.543(1788)。
明るく快活で優美。まさにモーツァルトらしい曲だが、時折、不意に陰りのある表情を見せるところが、また素敵。
この曲は、40番、41番とともにモーツァルトが自分で耳にすることができなかったと伝えられてきたが、筆写譜がいくつか発見されたことから、現在ではどうやら生前に演奏された可能性が高いと考えられている。
音楽之友社のベーレンライター版スコアには次のように書かれている。
モーツァルトがなにか特別の動機から、この3つの交響曲を作曲したのかどうかということも、いつ初演されたのかということも、ともに分かっていない。これに反して、19世紀の空想による理論は、これらの交響曲がモーツァルトの生前には演奏されなかったというが、これは真実に一致しない。 あくまで、モーツァルト自身の指揮で演奏されたことがあったという証拠がないだけである。
この曲の楽器編成はフルート1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部。
つまりオーボエを欠いているが、これは例外的とも言える編成。
これによって、オーケストラそのものの音色がふくよかなものへと変わっている。
第1楽章には、のちに作曲されるヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」のような伸びやかでおおらかなメロディーが出てくる。また、第3楽章のメヌエットはしばしばCMなどでも使われるが、モーツァルトが書いた数あるメヌエットのなかでも最高峰に位置する傑作だ。
今回はサラステ指揮スコティッシュ室内管弦楽団による演奏を。
モダン演奏による響き豊かな、焼き立てのお餅のような伸びのある歌いまわしが、聴いていて心地良い。
1990録音。バージン・クラシックス。
1986年のこと。
今ではすっかりご立派になられたようだが、若き日の飯森範親の指揮でこの曲を聴いたことがある。
指揮台の彼は、ずいぶんと緊張していた。
今の彼が、果たして指揮者としてどれほどのものなのか私にはわからないけど、とにかくあれからずいぶんと時が経ったものよ。
「おんや?」にはまっていただきありがとうございます。
実は私、40番よりも25番の方が好きです。映画「アマデウス」ですっかり有名になりましたね。