d2488ba3.jpg  その列車の中で、私は中川右介の「未完成 大作曲家たちの「謎」を読み解く」(角川SSC新書)を読んだ。

 中川は、ここ数年の間でクラシック音楽関係の新書を次々と出している。
 私も何冊か買って読んできたが、氏の本はもういいかなって思っていた。
 が、新聞に紹介記事が載っていたので買ってしまった。すごいわね、新聞の効果って。

 で、読んだ感想だが、「まぁ、こんなもんかな」ってもの。
 すごく収穫があったわけでもないが、かといって、買って大損したってものでもない。この内容の割にお値段お高めって感じ。

 ここで紹介されている“未完成作品”は、シューベルトの有名な交響曲第7番(旧第8番)、ブルックナーの交響曲第9番、マーラーの交響曲第10番、ショスタコーヴィチの「オランゴ」、プッチーニの「トゥーランドット」、モーツァルトのレクイエム。えっと、1,2,3…、全部で6作品。

 まぁ、世の中、未完のまま終わった音楽作品っていうのはけっこう多い。作曲家の数だけ未完成作品があるわけではないが、元気なうちに作曲活動を止めたならともかく、生涯現役、死ぬまでシコシコ音符を書いているとなると、そりゃ死と同時に書きかけのままの作品が残ることになる。

b6f56e71.jpg  で、ちょっぴりひねくれ者の私は、シューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828 オーストリア)の未完の交響曲でも、あの有名な第7番ロ短調(1822)じゃないものを取り上げちゃう。
 ちなみに、ロ短調の交響曲は、シューベルトの死によって絶筆となった作品ではない。第2楽章まで完成させたあと放置プレイされてしまったのだ。
 あぁ、かまって欲しかったのにぃ……

 その点、番号なし(第10番とナンバリングされることもある)の交響曲ニ長調D.936Aは彼の死の年、1828年の作品とされ、3つの楽章のスケッチだけが残された絶筆作品である。

 このスケッチを補筆し“完成”にした人に、ギュルケ、バルトロメ、ニューボールトがいる。

 私はいずれの補筆完成版も全曲を耳にしたことがないが、第2楽章のアンダンテについてはギーレン指揮SWR(南西ドイツ放送)交響楽団の演奏によるCDを持っている(1999録音。ヘンスラー)。これはニューボールト版による。

 出だしはシューベルトって感じがしないのだが、聴き進むと「グレイト」(交響曲第8(旧9)番の第2楽章っぽい雰囲気も感じられ、「あぁ、やっぱりシューベルトなのね」って納得する。

a8851a3d.jpg  上記3人以外に、この未完の交響曲を、本人曰く“修復”したのがベリオ(Luciano Berio 1925-2003 イタリア)だ。曲の名は「レンダリング(Rendering)」(1989-90)。

 これも“補筆完成版”ではあるが、ベリオは完全にシューベルトの様式を守って完成させることはできないとして、自分のキャラを発揮して3楽章から成る曲に“修復”したのだった。

 そんなこともあり、ここはもうベリオの世界。でも、シューベルトっぽさはしっかり残っている。音響もチェレスタなどが入っているため色彩的。いわば、20世紀のシューベルト。

 彼がボッケリーニの「マドリードの帰営ラッパ」を実に緻密にオーケストレーションした曲は私の大のお気に入りの作品だが、このシューベルトも匠の技だ。

 ベリオ自身の指揮、ロンドン交響楽団の演奏で。
 1995録音。BMG。
 「マドリードの帰営ラッパ」のオーケストレーションも収録されている。