7bf17917.jpg  「オレのフィンガー・テクでひぃひぃ言わせてやるぜっ!」と豪語する、独りよがりで自信過剰な恥知らずの品の無い男も、いまだこの世には存在するんだろうな。

 そんなことはともかく、奥泉光の「シューマンの指」(講談社文庫)。

 音大のピアノ科を目指していた私は、後輩の天才ピアニスト永嶺修人(まさと)が語るシューマンの音楽に傾倒していく。浪人が決まった春休みの夜、高校の音楽室で修人が演奏する「幻想曲」を偶然耳にした直後、プールで女子高生が殺された。その後、指を切断したはずの修人が海外でピアノを弾いていたという噂が……。

 当然のことながら、シューマンの作品についての説明や、登場人物による楽曲に対する解釈や感想などが、これまたけっこうしつこいくらい満載で、クラシック音楽が好きな人ならまだしも、そうでない人にとってはかなり飽き飽きするのではないかと心配になってくる。
 私はクラシック音楽のファンだが(「えっ!?そうだったの?今まで知らなかった」と驚いた方がいないことを祈る)、それでもウンチクの連続攻勢に少々うんざりさせられた。もっとも、それは私自身がシューマンにあまり思い入れがないせいもあるのだろう。これがマーラーとかショスタコーヴィチについてなら、むしろ joy しちゃったかもしれない。身勝手でごめんね。

 そんなわけで、音楽に必要以上に関心がない方や、シューマンよりはシャーマンに興味がるある人には、「おいおい、ちょっとくどくね?」と、巫女さんの美しい指を夢想する方に気持ちが動くかもしれない。とはいえ、世の巫女さんの指が美しいという保証はない……

 さて、感化されやすく、かつ負けず嫌いの私は、悔しいがこれを機に少しシューマン(Robert Alexander Schumann 1797-1828 ドイツ)のピアノ曲を聴きこんでみようと思っている。

 まずは、ピアノ協奏曲イ短調Op.54(1841/'45)。

 この曲はとやかく言われる筋合いなく、もともと私が好きなピアノ・コンチェルトの1つだが(だからこそ、最初に取り上げることにした)、良いイメージとなったかどうかはともかく、ウルトラマン・シリーズの人気番組「ウルトラセブン」の最終回で、モロボシ・ダンがいろっぽいアンヌ隊員に衝撃の告白をしたときに流れた曲だ。「実はオイラ、ウルトラセブンなんだ」と……(ドラマで使われた演奏は、リパッティの独奏、カラヤン指揮のLPだそうだ)。

 ずいぶん昔の番組で、幼き私がそれがシューマンの曲だと知る由もなく(シューマン自体、マイナス100%知らなかった。そもそも、シューマイだって口にしたことがなかった)、さらに再放送の時点でもそれが誰のなんたる曲か知らないままで、のちのちになってようやっとそうだったと知ったわけだ(それにしても、モノクロで、しかもノイズでチラチラした画像の玉屋のしゅうまい揚げのコマーシャルはよく目にしたものだった)。

 「シューマンの指」に出てくる記述。

eed8d3b5.jpg  アルフレッド・コルトーは、シューマンのコンチェルトの冒頭をきわめて遅いテンポで弾く。はじめてFM放送で聴いたときには驚いた。全体にゆったりした、斬りつけるようなところが一つもない。肌理(きめ)細かく配慮の行き届いた演奏に、魅力を感じなかったのではないけれど、高校生の私は、再デビューしたマウリツィオ・ポリーニの正確無比な演奏ぶりに度肝を抜かれていたこともあり、コルトーはなんだか甘たるくて、ミスタッチが多いことも含め、感心できなかったと、永嶺修人に向かって感想を述べたのを覚えている。(24p)

 残念ながら、コルトーの演奏によるこの曲を聴いたことが、私にはない。
 が、ここに書かれていることを鵜呑みにするとしたら、私にとって別に聴いてみなくてもいいやって感じではある。コルトーがこのコンチェルトを何度録音しているのか知らないし、いくつかあるとしてそのどれもが同じように遅いのかもわからないが、いずれにしろモノラル録音時代のものだから、いいです。私は。

 さて、現在、世界のピアニストの中でも最高峰に位置すると言うべきポリーニだが、1960年にショパン・コンクールで優勝したあとはどこかにお籠りして、1968年まで公の場で演奏活動することはなかった。小説の中で“再デビュー”と書かれているのは、そのことを指している。

 私が持っているポリーニのシューマンのコンチェルトのディスクは、アバド指揮ベルリン・フィルの管弦楽による1989年の録音のものだ。つまり、同じポリーニによる演奏でも、小説で描かれている1970年代という時代よりもはるかにあとの録音ってことになる。

 ってことは、小説のなかの正確無比な演奏というのは、どの録音のことを言うのだろう?
 今回調べてみたが、そのころポリーニが弾くシューマンのコンチェルトのレコードがあったかどうかは確認できなかった。

 で、私が聴いている89年録音のものだが、これも正確無比と言える、はっきり言って完璧なる演奏。しかし、それがテクニックばかりが強調されるのではまったくなく、深い味わいを湛えている。さすがポリーニである。

 さて「シューマンの指」だが、最後の最後で話は予期しなかった方向に進み、終わる。
 そういうことだったのか!
 これなら、しつこいまでのウンチクが主人公と永嶺修人によって語られるのも納得できなくはない。
 途中、虚数の話が出て来たことも、意味ありげに思えてくる。

 私は最後のページを読み終えたときに、作者のストーリーの組み立ての巧みさに遅ればせながら感服のため息をつき、評価を一変させた。
 途中、読み続けるのに根気が要るかもしれないが、読み終えたときの感心度は非常に高かった。