4c0837da.jpg  ワーグナーの熱狂的ファンのことをワグネリアンという。
 村上春樹の短編小説「パン屋再襲撃」の中にもワグネリアンという言葉が出てくるものがある。

 でも、残念なことがある。私にはワグネリアンの気持ちがわからないのだ。
 実は、ワーグナーの作品をそれほど聴くことがない。それは、私の好きな音楽ジャンルにがオペラや楽劇が入っていないためだろう。だから、私にとって知っているワーグナーの作品となると、歌劇や楽劇の序曲や前奏曲が主だったものだ。

 ブルックナーは交響曲第3番にワーグナーの楽曲を引用し散りばめたが、アンダーソンは散りばめるどころか、モロに用いた。

 アンダーソンの「クラシックのジュークボックス(The Classical JukeBox)」(1950)。
 タイプライターのキーを軽快に打ち続ける様子を音楽にしたのと同じように、アンダーソンがジュークボックスを音楽で描いた作品。
 ただ、今やタイプライターもジュークボックスも過去の遺物。まったく知らない世代が増えてきているのが憂慮される昨今である。

 大学生のころ、まだゼミの研究室にはタイプライター、そして和文タイプライターがあった。特に目的はなかったが、卒業して就職したら個人でタイプライターを持てたらいいな、欲しいな、と思ったものだ。が、そんなときに急速にパソコンが普及しだした。英語の文を書くことなんかないのに、おもちゃ代わりにタイプライターなんて買わなくて、ホントよかった。

 卒業後、私はパソコンを買った。
 PC9800シリーズである。パソコン本体とディスプレイ、プリンターに第2水準の漢字のROMカード、マウス(なんと20000円!)、メモリ増設で100万円近くになった。
 それを4年ローンにしたわけだが、払い終わったときには完璧なる過去の遺物。つまり化石になっていた。あのころは、パソコンにとっての4年は40年に匹敵した。

 ジュークボックスは、私の前、あるいはさらにその前の世代の“自動販売機”だ。子どものころにどこかで実物を見たことがあるような気もするが、記憶は定かでない。

d260c05a.jpg  機械のなかにレコードがたくさん入っていて、お金を入れて好きなレコードをかけるというものだ。1950年代が人気のピークだったそうだが、日本では1970年代まで飲食店などに置かれていたという。

 しかしすごいよな。
 レコードをかける機械なんだから。考えるだけでもメカニック・トラブルが多発しそうだ。

 実際のジュークボックスにはクラシック音楽のLPが収まっていたとは考えにくいが(きっと演奏時間が3~4分の流行歌などのEP盤だったんじゃないだろうか?とにかく、知らない時代の話なので、よくわからない)、「クラシックのジュークボックス」はいきなりワーグナーの歌劇「タンホイザー」のなかの、有名な祝祭行進曲「歌の殿堂をたたえよう」のファンファーレで始まる。

 そしてグノーの歌劇「ファウスト」のバレエ音楽から「ヌビアの踊り」、リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」のメロディーが登場し、お祭り騒ぎのように終る。
 ネット上で、この部分の原曲がグノー「ファウスト」の「ヌビアの踊り」ではなく、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」の「妖精の踊り」と書かれているものがあるが、それは誤り。

 そういえば、先週の金曜の夜、21時からのNHK「ニュースウォッチ9」に小澤征爾が生出演していたが、映った顔を見て、一瞬ベルリオーズかと思っちまったわい。

 さて、話を戻すと、傑作なのはレコードが傷で針飛びを起こす様も盛り込まれていること。
 つーことは、実際のジュークボックスでもこういうことがあったんだろう。
 「ヌビアの踊り」の一部分が何度も繰り返される。針飛びで先に進まなくなったわけだ。アンダーソンのユーモアセンスに脱帽である。
 この針飛び現象についても、近ごろの若いもんにはわからないかも。とはいえ、CDでもまれにひどい傷などで起こることがあるが……

  ピアノ・コンチェルトのときにも紹介したスラットキン指揮BBCコンサート・オーケストラの演奏を。
 2006録音。ナクソス。

 火曜日に人間ドックを受けたわけだが、その報告がないのを不思議に思っている方もいるだろう。まぁ、待ってほしい。落ち着いたら(気持ちが)オーバーに報告するから。