305708bc.jpg  少し前の話になってしまうが、忌まわしいA定食売り切れ事件があった翌日のこと。
 その日の私たちの昼食は、近所の寿司屋に決まった(私が昼を食べそびるハメになる2日前のことである)。

 昼から寿司屋とはずいぶんと羽振りがいいじゃないかと、いわれのないイヤミの1つも言われそうだ。しかし、この寿司屋、毎週その曜日は生ちらしが27%引きになるのだ。

 なぜ27%なのか、その根拠がよくわからないが、とにかくお得な価格になるわけで(ふだんよりは)、私はそんなに生ちらしは好きな男の子じゃないんだけど(むしろやや苦手)、きっぱり「私は皆さんと行動を別にして、独りラーメンを食べに行きます」ともやっぱり言えず(その曜日は、発作的にラーメンが食べたくなっていたが、ほぼ決めていた店は定休日だということを思い出したこともある)同行した。

 A定食のときに書いたが、社員食堂とか職員食堂ってどうしてあんなに幸福感がないのだろう。殺伐としているほどだ。

 その点、この日行った寿司屋は、社食とはやはりまったく違う、とはまったく言えないほど、けっこう幸福感がなかった。

 12時過ぎに行ったのに、まだ客を受け入れる準備が整っていない(なんと、今まさに暖簾を出すところだった)。店内は薄暗く、しかもうすら寒い。

 なんかなぁ~。
 なまものを扱っているわけですけど、そこんとこは大丈夫なんでしょうね、と心の中で思ったりする。
 つまりだ。店の戸を開けた瞬間に「あぁ、ここに来たかったの!」って気分にさせてもらえないわけだ。

 これなら、特急列車の車内販売の雰囲気と弁当を買って広げるときの気分の方が、はるかに幸福かつ充実しているように思える。

 生ちらしの出来上がりを待っている間(生ちらしの日と銘打っているくせに、出てくるのが遅い!しかも基本的に火を使わない料理だから、「今やってまっせ」みたいな、調理音がまったく聞こえてこない。だから進捗状況がわからない)、われわれは会話するのにも飽き、窓の外をぼーっと眺めたり、私は私で爪楊枝入れのなかの爪楊枝の数を数えたりしていた。16本だった。

 にしても、いかに前向きに考えようとしても、照度も雰囲気も暗い寿司屋だ。
 せめて、熱帯魚でも飼って欲しい。
 そして、いっそのこと店内を真っ暗にして、水槽の青白い光に照らされたグッピーでも眺めながら寿司を食うっていうのはどうだ?

 シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856 ドイツ)の「クライスレリアーナ(Kreisleriana)」Op.16(1838)。8つの幻想曲から成るピアノ曲でシューマンの代表作でもある。ショパンに献呈された。

 クライスレリアーナという名は、“クライスラーのこと”といった意味。
 E.T.A.ホフマンが書いた「牡猫ムルの人生観」に登場する楽長の名前がクライスラーで、またホフマンは、自身のペンネームとしても使っていたらしい。
 ホフマンに傾倒していたシューマンだったが、ここでクライスラーを描いたわけではない。当時クララとの結婚に反対されて苦しんでいたが、そのクララのことを想いながら作曲したという。やるぅ~!
 標題的要素はなく絶対音楽であり、悩める時期であると同時に最もノリにノッていた時期に生み出されたシューマンのピアノ曲を代表する傑作だ。

 ポリーニの演奏で。2001録音。 

 寿司屋の翌日の昼。
 この日私は皆とつるむこともなく、単独行動をとった。なぜならば、出張などでみんなそれぞれ不在だったからだ。

 私はデパ地下に行き弁当を買った。
 おにぎり弁当である。
 これはウソではないのだが、昔ならこれにミニサイズのカップ麺をつけなければ2時間後には腹ペコになっていたのだが、今はこれだけでも十分である。痩せる予感……うふっ!

 食べながら本を読んだが、もちろん揚げ物(この日はイカリングフライだった)の衣の微粒子が本のページに飛ばないよう細心の注意を払った。
 醤油は、袋の切り方が不十分なために水鉄砲のようにネクタイに飛んでくることがないよう、深めに切れ目を入れた。
 ミートボールは箸でつかみ損なって机の上を転がることがないよう、中心部に向かって慎重に箸を刺して食べた。

 完璧かつ上品な食べ方だったというのが私の自己評価。
 おかげで食後30分間の自由時間を創出できたことをご報告申し上げる。