ちょっと前の話だが、芸能情報にはとんと疎い私は、ネットで“カエラ妊娠”というタイトルを観て、なんのこっちゃ?どこぞの有名なカエルが妊娠したんかい?と不思議に思ったのだが、不思議なのは、もっとはっきり言えば変なのは、この私であった。
自分のなかで解決できて幸いなり、であった。
不思議といえば、米澤穂信の「ボトルネック」(新潮文庫)は不思議な話だ。
亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した……はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。
SF小説チックにストーリーが進み始める。
面白いかといえばそうでもないし、じゃあつまらないとも言い切れない。
青春ミステリと書かれているが、ミステリーの様相は強くない。
ボトルネック……タイトルが示しているのは、主人公の少年がネックになっているということで、それはちょいとかわいそう。
私としては、なぜ別世界に行ってしまったのか、そしてまた帰ってこれたのかどうももやもやしたままだし、2つの世界の対比が意味があるようなないような……。なんか納得いかないんだけど、作り話に目くじらたてるここともないのかな。
内容深き小説かっていうと、ハテナだった。
この小説に漂う厭世観は、しかし、「大地の歌」の世界を思わせる。
小説の主人公の少年は、絶望的に暗いけど。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。
今日はライナー/シカゴ響の演奏。
ライナーといっても、よく知られている1959録音のもの-この録音は私にとっても非常に大きな影響を与えられた演奏-ではなく、あまり知られていない1958年2月のライヴ。
1959年録音でのメゾ・ソプラノ独唱はフォレスターだが、58年ライヴではルートヴィッヒがアルト独唱を務めている。テノールは両方ともルイス。
モノラル録音で、まぁこんなものだろうという音質だが、演奏自体はなかなかよい。
こういう場を経て59年の録音がなされたわけで、アプローチは同じだ。
ということは、59年盤があればわざわざモノラル録音の58年盤を買うこともないってことになるんだけど……(モノラル録音の貧乏ったらしい音を聴いてると、厭世観が強まる感じはするが)。
あらためて書くと、ルートヴィッヒのアルト、ルイスのテノール、ライナー指揮シカゴ交響楽団。
ARCHIPEL。
上に書いたようにライナーの「大地の歌」(59年録音)は、忘れることのできない1枚。
近くあらためて取り上げる。
話は全然替わるが、私は肉体的に疲れたとき、というか、筋肉痛のようなものが起こっている状態のとき、何かの拍子で異様な震えに襲われることがある。
土曜日の日中、庭仕事をした。主に雑草取りである。
夕方には股関節、ふくらはぎ、背中から腰が痛くなった。中腰でいる時間が長かったからだ。同時に、草取りでカニ用フォークを大きくしたような道具をずっと使っていたため、右の手のひらも、手首も、腕も痛くなった。
そんなとき、ちょっと用があって外に出た。
そんなに寒かったわけではなかったが、風がふゅーと吹いた瞬間、猛烈な震え-悪寒-に襲われた。全身ガタガタ。歯もガチガチ。人が見たら志村けん演じるばあさんの真似をしてふざけていると思うかもしれないくらいだ。
厚着をして-服を重ね着するのも難儀するくらいの震えなのだ-30分ほどで治まったが、これって何なんだろう?
筋肉中に乳酸過多?
で、これが日曜日時点でのシダレザクラの状態である。

昨日は暑かったです。寒暖の差が極端すぎます。
たまたまですが、数日前から学生時代に読んだカフカの「審判」をまた読み始めました。