bb9cafdc.jpg  あのそば屋が昼も営業していたなんて知らなかった。
 思い込みで、夜だけの営業と思っていたのだ。

 昨年紹介した、“すたみな”そばがある店のことだ。

 そば粉がどうだのとか、手打ちであーだのという威圧的な能書きが一切ない、そして値段もバカ高くない、ごくフツーのそば屋だが、このフツーのそばって突然食べたい衝動に駆られるものだ。だから、こういうそば屋って、貴重だ。そばは庶民の食べ物であるはずだもん。
 すっごくこだわっていて、味もすばらしいとなればそりゃ魅力だけど、ざるそばで1000円近くもして、量も少ないとなれば、年に数回しか食べられない。庶民の味方じゃない。
 だから、こういうそば屋さんにがんばってもらわねば。

 この店は会社から歩いて5~6分のところにある。

 “すたみな”がどれほど豪華なそばだったかは、はっきり覚えていない。目撃したときは酔っていたし、時も経過してしまった。去るそばは日々に疎し。
 でも、あのとき私は確かに「すごい!」とおったまげた。
 この店のメニューにある品のありとあらゆる具材がトッピングされていたような記憶がある。

 そしてまた、それにふさわしく、価格も最高峰に位置している(でも1100円)。

 そばはカロリーが少なくてヘルシーということで、私を含むおっさんがたに人気があるが、この“すたみな”はその名の通りスタミナがつくに違いない。つまりヘルシーではない。

 ということで、スメタナ。なんかスタミナと似てるから。

 スメタナ(Bedrich Smetana 1824-84 ボヘミア)の6曲からなる連作交響詩「わが祖国(Ma vlast)」(1872-79)。

 この曲の演奏で定番というか定評のある盤となると、ノイマンとかアンチェルってことになるのだろう。いわゆるお国ものの演奏。
 が、そういう演奏ばかりだと印象が偏ってしまう。いえ、偏っても全然いいんですけど。

 ここでは、ドラティ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団というハンガリー&オランダ勢による演奏をご紹介。

 第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」の冒頭。
 ここはハープのソロで始まるが、その音が非常に美しい。私のように美しすぎる。そう、この演奏、しょっぱなのハープで私をとろけさせる。
 もう数秒で「参りました!」。
 
 全曲を通して響きが清く透明。
 郷土愛はこの曲の命。が、そこを控え目にしたスッキリしたこの演奏は、スメタナの曲ってこんなに美しかったんだぁ、とあらためて認識させてくれる。
 1986録音。デッカ。

 昨日のドヴォルザークに続き、チェコの作品をチェコっぽくなく演奏しているCDを紹介してしまったが、ここ数日チェコに嫌な印象を持ったとか、千恵子に意地悪されたとかいうのではない。偶然である。千恵子って誰か知らないけど……

 で、あのそば屋に昼に行ってみた。ヤマダ課長と。

 私はかしわそばを頼んだ。600円。
 ふつうに美味しかった。

 かしわそばといえば、小学校3年生のとき、私は夕食を1人で食べなければならないことがあった。ママは夕方からお出かけだったのだ。弟を連れて。
 出かける前に母親は私に、近くの“更科”というそば屋に行って食べるようお金を置いて行った。かしわそば代120円である。
 くどくど書く必要はないだろうが、当時かしわそばは、少なくとも“更科”では120円だったのだ。

 “更科”へは何度か親と行ったことがあったし、出前をとることもあった。
 だからそこのおばさんのことは知っていたし、おばさんもかわいらしい私のことを知っていた。

 その日の夕方、私はのれんをくぐり引き戸を開け、店の中に入った。
 客は他に誰もいなかった。
 「かしわそばクダサイ」と私はおばさんに行った。
 そのあと、ポケットに入っている有り金全部をテーブルに出した。10円玉12枚。……のはずが、11枚しかない。どうしてだろう?どれだけポケットの中で手を動かしても、残りの玉の感触はない。それ以上やると、別の玉をまさぐってしまいそうだったので、あきらめる。

 メニューを見る。
 110円で食べられるのは月見だ。
 「す、すいません。やっぱり月見にしてください」
 おばさんは、実は私がかしわ好きなのを知っていた。そして、「どうしたの?」と言いながら、テーブルの上の小銭を見た。そして11枚しかないのを知った。
 「いいよいいよ。かしわを作ってあげる」
 こんなに優しくされて、もし私が成人男性だったなら「お、おくさんっ!」って抱きついたかもしれない。

 おばさんは奥へ引っ込み、やがてかしわそばを持ってきた。

 感動のあまり泣いてしまった、というのはウソだけど、いまでも忘れない私の“一杯のかしわそば”物語である。
 でも、考えてみれば、110円あるからといって110円の月見に変更した私も愚かだった。だって、生卵は苦手だから。
 そういう意味では、おばさんには二重に感謝だ。