8fd67070.jpg  すでにご承知のとおり、月曜日は朝イチバンで病院に行った。
 2か月ごとに行なっている採血のためだ。
 私の日常生活が褒められるものであったかどうかの裁決が採血でわかるわけだ。

 悪いことをしてるわけじゃないのに(かといって、自慢できるようなことでもない)、気分軽やかってふうにはならない。

 チャイコフスキーの“運命の動機”がどこかから聴こえてくる錯覚にとらわれる。
 “運命の動機”といっても、交響曲第4番冒頭のファンファーレではなく、第5番冒頭の重い歩みのような“運命の動機”の方だ。

 いつもと違い、病院の待合室には他に1人も患者がいなかった。だからすぐに検査室に呼ばれた。

 血圧……前回と変わらず。
 体重……前回と変わらず。

 うん、良い兆候のような気がしないでもない。

 そして、いつもは左腕なのに、この日は血管が恥らって姿を見せず、困惑した看護師さんのために替わりに右腕を差し出し、それに感謝する看護師にお注射針を打たれ、注射器2本分の血を捧げた。

 結果と診察は午後。
 その間に会議。

 結果を聞きに行くのは、当然のことながら血抜きのときより足取りが重くなる。

 牛歩しながら、私は最近の食生活を今さらながら振り返ってみる。

 確かにお酒を飲み過ぎた日々が続いた。
 しかし、このところ、朝はご飯茶碗1杯のご飯にとどめてきた。おかわりはしなかった。
 とろろこんぶを積極的に摂取した。
 野菜ジュースも毎朝飲んだ。

 昼だって、ラーメンライスはずっとやめている。
 かしわそばや小さいサイズの弁当を選択することも多かった。そのせいで午後2時半には空腹になることも1回や2回でなかった。
 夜の席でも食べすぎないようにした。
 肝臓に良いかもと、ヘパリーゼも飲んでいる。

 が、このところおなかを壊していないということは気がかりだ。
 つまりきっちりと消化吸収されているということだから……。消化効率が高まっている可能性がある。肉牛なら喜ばしいことだが、私は肉用種ではない。

 そして、運命の時がきた。
 医者が検査結果表を取り出す。

 中性脂肪の値は前回より上がっているが、それ以外の数値、つまり肝臓に関するものは軒並み下がった。ヘパリーゼ効果か?
 そうそう、ネットで「ヘパリーゼを飲み続けると血中の尿酸値が上がる」というのを見かけたが、今回の私の結果を見ると、尿酸値も下がっており、ヘパリーゼで尿酸値が上がるという傾向はみられなかった。もっとも、私は1日に2錠しか飲んでないが(本来は2錠×1日3回ということだ)。

 値が下がったのは良いことだが、肝心の中性脂肪が上がったのはいただけない。何年にもわたり上がったり下がったりを繰り返しているのだが、なかなか低位安定しない。
 医者は薬の増量もしくは薬の変更を考えていたが、結局現状通りでいくことにした。

 病院のドアから外に出ると、同じ5番の“運命の動機”でも、終楽章の輝かしいものが鳴り響くような気分だった。

 マゼール/ウィーン・フィルによるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)。1963年の録音。このころはマゼールもまだ若かった。1930年生まれだもん。

 ふつうに良い演奏だ。
 スラヴ舞曲で見せたような狂気の世界はここにはない。それがちょっと残念だが。

 第1楽章は陰鬱すぎない始まり。提示部に入っても足取りは重すぎず、かといって軽々しくもない絶妙なバランス。適度なパワーもある。ロシアっぽさはあまりないが、逆に洗練された美しさがある。
 第2楽章は慰めに満ちている。これまた、とても美しい。
 第3楽章ではワルツを伸びやかに歌い上げる。
 終楽章は堂々としている。ロシアのオケのようなどんちゃん騒ぎに陥らず、さわやかな後味が残る。
 デッカ。

 話は変わるが、自宅に帰っていた火曜日の朝のこと。

 目覚めて、メガネをかけると、正面の壁の上の方にグレーゴル・ザムザ、じゃなかった、ゲジがへばりついているではないか!

 なぜ、神聖なわが家に?

 私は忍び足で、でも迅速に階下に行き、掃除機を携え戻り、そいつの近くに慎重にホースを近づけ、吸い込んだ。
 そのあとはしばらく掃除機のスイッチを入れたままにし-そうすればゴミパックの中で、あいつは強風によって体力を消耗すると思ったからだ-、そのあと外に持っていき、外でゴミパックを取り出し、ゴミ袋のなかに入れた(考えてみれば、パックの吸い込み口の穴をガムテープでふさぐべきだったかもしれない)。そのゴミ袋は、物置の中にある。

 にしても、こんなことが起きたからには、せっかく自宅に帰っても安眠できない。
 困った。