472b9281.jpg  北海道のいくつかの町に出店している地場のCDショップに玉光堂というのがある。

 札幌市のど真ん中、4丁目交差点の一角にもショップがあるが(四丁目店)、そこでは中古CDも取り扱っている。

 正直なところ、私は中古品は好きではない。
 それは本でも同じことだ。CDではそんなことはないが、本だとかび臭かったり、書き込みがしてあったりするのが嫌だ。謎のウィルスが付着している可能性だって否定できない。

 が、現役盤としてすでに手に入らないものや、正規の価格で買うほどの欲がわかないものなどは中古でもいいかなと、最近思うようになった。どうやら加齢とともに、寛容になったようだ。あるいは、多少ならどうでもいいと思うようになった感じだ。
 そんなんで、札幌に出張に出かけた折に時間があるときには、ここに立ち寄る機会が微増した。

 先日は、アイヒホルンが指揮したブルックナーの交響曲第6番のCDが“新入荷”していて、買おうかどうか迷った(オーケストラはリンツ・ブルックナー管弦楽団)。

 そんなとき、その数日前に送り付けられてきたスパム・メールを思い出した。
 内容はこうだ。

 私よ!!
 何をいつまで迷っているのよ。それが後返しもつかない事になるわよ。今よりもどん底の不幸になるわ。恋愛は愚かお金は一切手にする事はできないわ。私は全てが見えたわ。あなたにとってこれが最後のチャンスになるから教えてあげるわ。よく聞きなさい。…


 “私”が誰か知らないし(少なくとも妻ではない)、たかがCDのことで、今後どん底の不幸とやらになるのはオーバーだとは思うが、まあ買わないとずっと気になるような気がしたので、買ってしまった。
 ところで「後返し」って、あんまり目にしない言葉だな……

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106(1879-81)は、これまでしつこく訴えているように、ブルックナーの交響曲中でも私が特に好きなものである。それがどうしたと反論されると、再反論する手札を持ち合わせていないが……

 交響曲第6番はブルックナーとしては珍しく完成後にほとんど手が加えられず、現在あるハース版とノヴァーク版のどちらの楽譜も、実質的には同じだということである。
 なお、この曲の初演は、手を加えられた形ではあったが、マーラー指揮のウィーン・フィルによって行われている。

 アイヒホルンのCDについては、過去にブルックナーの交響曲第5番を取り上げたことがあるが、私としてもそれ以外聴いたことがなかった。ブルックナーで良い演奏をするということは知っていたが、国内盤で3000円も出すほどの興味はなかったのである(ついでに言うと、だったら輸入盤を、という発展も心の中には起こらなかった)。
 そんなときに中古CDを見つけ、脅しともとれるメールに後押しされて購入したのだった。

 この曲、最近、ネゼ=セガンケーゲルと取り上げているが、そのように続いているたのは単なる偶然。そしてまた、今日アイヒホルンとなったのも、天使の気まぐれである。
 私よ!!天使は。

 アイヒホルンの演奏は、ネゼ=セガンのように精緻ではない。だが、“古き良き時代”的な大らかで温かみのある演奏だ。もちろんケーゲルのように殺気立っていない。
 アンサンブルの怪しさがどうとか細かいことは言いっこなし。指揮者の作曲家に対する敬愛が伝わってくる。そんなちっぽけなことなど吹っ飛ぶような演奏だ。 

 アイヒホルンがこれを録音したのは1994年3月のこと。
 そして、3か月後の6月に、この指揮者は天のブルックナーのもとへ行った。

 レーベルはカメラータ。