903a613f.jpg  グラズノフは若きストラヴィンスキーの作品にダメ出ししてしまった。頭の固い、見る目のないじいさんだ。
 まぁ、「恋愛合戦」を、あるいは彼の交響曲を聴いてもわかるように、グラズノフの作風からすればストラヴィンスキーは耳になじまなかったのも無理はない。

 一方で、ディアギレフはたいしたものだ。

 H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社/亀井旭・玉木裕訳)のなかで、次のように書いている。

 1908年にストラヴィンスキーは「花火」という管弦楽曲を作曲したが、これが才能を発見することにかけては天才的眼力を備えていたセルゲイ・ディアギレフの目にとまった。ディアギレフが存在していなければ、20世紀第1・四半期の音楽史は、はるかに貧弱なものになっていたであろう。インテリでどえらい企画を考える人であり、また、賭けをいとわない興行主で、あらゆる領域の芸術に強烈な関心を持っていたディアギレフは、パリで活躍し、1906年には同地でロシア美術展を開いた。翌年はオペラ座で、5回にわたるロシア音楽の演奏会を開催し、1908年にはフェオドル・シャリアピンの主演で、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドノフ」を上演した。
 1909年にディアギレフがロシア・バレエをパリに紹介したところ、大成功を収め、その結果、ロシア・バレエ団を恒久的に組織した。この芸術団体から、幾つかの20世紀の傑作が生まれた。ディアギレフはロシア・バレエ団をアヴァン・ギャルドの中枢とし、ドビュッシー、ファリャ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラヴェルら、当時の最大で最も進歩的な作曲家が一座のために作曲した。ピカソ、バクスト、その他の大物画家が、背景やコスチュームを作るのに動員された。ニジンスキーとカルサヴィナを頂点とする一座の舞踊手たちは、伝説的存在であった。ロシア・バレエ団はスタイル、華やかさ、趣味、想像力の豊かな劇団であり、一座の中心は強力な力を持った、無口で貴族的なディアギレフだった。
 1910年のシーズンのためにディアギレフは、ミシェル・フォーキンの振り付けによる、火の鳥の伝説に基づいた脚本のためのロシア・バレエ音楽を必要としていた。アナトール・リャードフに話が持ちかけられ、彼は作曲の仕事を承諾した。ところが遅延につぐ遅延で、絶望したディアギレフは、ストラヴィンスキーの「花火」が彼に感銘を与えたことを思い出して、この若い作曲家に救援を請うた。ストラヴィンスキーは、たちまちのうちに総譜を仕上げ、パリにおもむいてリハーサルに出席した。ストラヴィンスキーが死ぬまで残念がったことだが、「火の鳥」は彼の作品中一番ポピュラーなものとなった。その後、続々と彼は偉大な作品を作ったのだが、ストラヴィンスキーの全作品のうち1年当たりの公演回数が最高なのは、依然「火の鳥」の管弦楽組曲である(バレエ用全曲版はめったに演奏されない)。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「火の鳥(L'oiseau de feu)」(1909-10)。
 のちに残念がろうとも、とにかく、1910年6月25日の初演によって、ストラヴィンスキーは一夜にして有名になったのだった。

 ドビュッシーは「火の鳥」について、「音楽が舞踊の従順な召し使いになっていない」と指摘したが、まったくそうなのである(ドビュッシーに向かって、何言ってんのかしら、アタシったら)。
 だからこそストラヴィンスキーのバレエ音楽は、オーケストラの演奏会で全曲が取り上げられてもまったく違和感がなく、弛緩したところもない(ショーンバーグは「バレエ用全曲版はめったに演奏されない」と書いているが、これが書かれた1970年代はそうだったろう。しかし、近年は全曲版がコンサートで取り上げられることも多く、録音も増えている)。
 たとえばチャイコフスキーの3つのバレエがどんなに傑作だろうと、オーケストラのコンサートで全曲版が演目にのることは考えにくいし、聴く側はかなり気分が緩むだろう(私は「くるみ割り人形」だけは全曲版を好んで聴いているが)。
 
 今日はラトル指揮バーミンガム市交響楽団の演奏をご紹介(もちろん全曲版)。
 シャープだが好感が持てる演奏。アンサンブルもきれい。ただし、凶暴さを発揮してほしいところにはやや物足りなさを感じる。
 1987録音。EMI。
 ところで、鳥に関する個人的な報告を。

 お盆前にかもめちくわを食べてみる
 これが私の今夏の目標だった。

 しかし、先日ある人と話していたら、「かもめちくわ?フツーの竹輪ですよ」とあっさり言われた。
 「で、でも、札幌ドームの外野フェンスにでっかく書かれてるじゃない?」
 「フツーの竹輪です」

 ひゅるひゅるひゅるひゅる……

 どんなに美味しいんだろう?
 ちくわの概念が変わるかもしれない。
 今年の夏はかもめでルンルン!

 そんな夢は頭の中で気の抜けた効果音とともに消失した。
 フツーか……
 いや、フツーってことも大切なんだけどね……

 今朝は雨の音で目覚めた。
 なかなか元気な雨足である。
 でも、これじゃあ、ボウボウに伸びた芝生刈りや、魔女の頭のように乱れたバラの枝の剪定など、ガーデニング作業ができない。休みも減って来たというのに、焦る。
 雨で遠足が中止になって絶望的になった小学生のように、ふとんの中でふて寝していたい気分だが、墓参りには行って来なきゃ。