44ab3471.jpg  先日、ある活気のないセルフサービスの某社の社員食堂で昼ご飯を食べたときのこと。

 その日の日替わり定食は“チャーハン”と書いてあり、なかなかのチャーハン好きな私としてはちょっと心を動かされたが、投げやりな態度ですでに食べている客(2人だけだったが)のそれを見ると、急性腸炎の人の顔色のようにひどく色が悪くてまったく食欲をそそるようなものでなかったのでやめた。

 あらためてカウンターを見ると、村はずれの孤独な地蔵のように炊飯ジャー(一般家庭にあるようなサイズ)が置いてあり、そこから好きなだけチャーハンを盛るようになっていたが(相撲力士ならこれだけじゃ足りないだろう)、つまりは炒めているんじゃなくて炊いたもの、あるいは、炒めたあとジャーに入れたもので、どうりで薄味の山菜おこわみたいな色をしていたわけだと納得した。

 キュウリの漬物(キューちゃんだな、あれは)と紅ショウガも取り放題だったが、食べている人の全員が(繰り返すが2人だ)キュウリとショウガをかなり盛りつけていたところからすると、きっとチャーハンのまずさをそれでごまかしているのだろうと推測した。だいたいにして、誰もが(しつこいようだが2人だ)不幸せそうな表情で食べていたもの。

 3人目の客となる私はというと、かしわそばを頼んだ。
 おばちゃんがお盆にそばの入った丼をのせてくれたのはいいが、威勢よく汁をぶっかけたのか、お盆に汁がこぼれていた。

 で、私がそれを持った瞬間、雪質に合ったワックスを塗ったスキーのため好スタートをきった高梨沙羅のように、丼がツーっとお盆の上で滑走して、危ない危ない、危うくキュウリの漬物のタッパーにぶちまけてしまうところだった。
 皆さんも、お盆またはトレイにのった汁ものを運搬するときは気をつけた方がいい。

 そんなわけで、アックスが弾き振りをした、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のピアノ協奏曲集(1992録音。ソニークラシカル)。

 収録されているのは、

 チェンバロ(またはオルガン)協奏曲ヘ長調Hob.ⅩⅧ-3(1765頃)
 チェンバロ(またはフォルテピアノ)協奏曲ト長調Hob.ⅩⅧ-4(1770頃?)
 チェンバロ(またはフォルテピアノ)協奏曲ニ長調Op.21,Hob.ⅩⅧ-11(1782以前,1784刊)

の3曲。

 弾き振りっていうぐらいだから、アックスが弾いてるのはピアノで、振ってるのは腕。ピアノを振ってるんじゃなくて何よりだ。
 オーケストラはフランツ・リスト室内管弦楽団。

 アックスは「知・情・意のバランスがとれ、職人的な腕の確かさを身に付けたまさにプロフェッショナルなピアニスト。明るくクリアーで、しかも温かい音色、卓越した演奏技巧にささえられたヒューマンで健康的な表現が特徴」(音楽之友社「ピアノとピアニスト2003」:ONTOMO MOOK)のピアニストとして、評価が高い。

 収録されている3曲のうち、ニ長調の協奏曲は、終楽章が「ハンガリー風ロンド」として有名で、演奏される機会も多い(彼のピアノ三重奏曲第25番(ランドンによるドーブリンガー版では第39番)の終楽章も「ハンガリー風ロンド」だ)。一方、ヘ長調とト長調の協奏曲はあまり聴かれることはない。

 が、ニ長調の曲だけでなく、ほかの2曲もなかなか耳に心地よい。
 それはアックスの美しくも端正な演奏が曲の魅力を引き出しているからだろう。
 弾いて振って引き出しちゃったってわけ。
 これを聴いていると、「ハイドンって退屈」なんて言えなくなる。

 ちなみに販売元のセールス・コメントは以下の通り。

 詩的な美しい音、そして見事なテクニックが持ち味の、世界でも指折りの実力派ピアニスト、エマニュエル・アックスによる、ハイドンのピアノ・ソナタと協奏曲録音を集大成。チェンバロやフォルテピアノで演奏するのが通常になった現在、モダン・ピアノの機能をフルに駆使したアックスのハイドンは、創意工夫がつぎ込まれたこれらの作品を内面から掘り起こし、絶妙で繊細なタッチによって、躍動感、優美さ、そして機知とユーモアが次々に湧き出してくる演奏と言えるでしょう。

 1992録音。ソニークラシカル。
 ピアノ・ソナタ集のセットのなかの1枚。

 私が喜怒哀楽を押し殺したままかしわそばを食べ終わったころ、若い男性4人組の客が来た。
 この人たちは全員が日替わりであるチャーハンを頼んだ(ジャーのふたを開けた瞬間、一瞬たじろいだように見えた)。
 あのままならけっこう余っただろうに、この4人が来てくれたおかげで店のおばさんも助かったに違いない。

 今日は昼から東京に行って来る。
 替えのソックスは2足持った。