23704c9f.jpg  「『ブランデンブルク』ね?」と彼女は言った。
 「好きなの?」
 「ええ、大好きよ。いつも聴いてるわ。カール・リヒターのものがいちばん良いと思うけど、これはわりに新しい録音ね。えーと、誰かしら?」
 「トレヴァー・ピノック」と私は言った。
 「ピノックが好きなの?」
 「いや、べつに」と私は言った。「目についたから買ったんだ。でも悪くないよ」
 「パブロ・カザルスの『ブランデンブルク』は聴いたことある?」
 「ない」
 「あれは一度聴いてみるべきね。正統的とは言えないにしてもなかなかの凄味があるわよ」
 「今度聴いてみる」と言ったが、そんな暇があるものかどうか私にはわからなかった。

 前にも取り上げたことがあるが、これは村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(新潮文庫)の第35章。
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 “私”が借りたレンタカーに“彼女”が乗ったときの会話である。

 チェロの巨匠カザルス(1876-1973)が指揮をしたJ.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のブランデンブルク協奏曲(全6曲)。
 結論から言えば、彼女の言うとおり正統的とは言えないし、なかなかどころかかなり凄味がある。

 ちなみにここに出てくるピノックのブランデンブルクは1982年の録音。昭和でいうと57年。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が最初に出版されたのは昭和60年である。

 カザルスのブランデンブルクはブランデンブルクじゃないみたいだ。大きな編成(だと思われる)から出てくる厚ぼったい響き。ひどく速いかと思えば、鈍い足取りになったりするテンポ。第1番第4楽章で突然出てくる酔っ払いのゲップのような声-たぶんカザルスのものだろうが-にも驚かされる。

 そして、第1、第4、第5番ではチェンバロではなくピアノを用いている(ピアノには意外とそれほど違和感がないチェンバロにこしたことないけど。ペライアもピアノで第5番を弾いていた)。これも、はっきり言って、正統的ではない。

 ちなみにこのCDの帯に書かれている文は、「カザルスはバッハ演奏にひときわ身を捧げてきました。(ここには)偉大な音楽家カザルスの人間味に溢れた無上の世界観が示されています。『スタイル』や『様式』といったものにしばられることがなく、いままさに音楽が創造され、その喜びに満ち溢れた演奏として聴き手を魅了します」というもの。
 うん。
 つまりは、好き勝手しているんですよ、と読み取れなくもない。

 私はこの演奏、好きかと言われると好きではない。数多い大絶賛の声もわかるが、全面的には共感できない。
 が、だからといって見捨てられるかと言うと、見捨てられない。自分の鑑賞リストから削除するにはもったいなさすぎる演奏だ。
 すっごく人間臭い。明るいか暗いか別として、そして決して足取りは軽くはないが生命力が溢れている。
 最高のキワモノ・ブランデンブルク。もう化石かもしれないが、かなり価値ある化石である。

 でも、録音に入っている声って、けっこう私、好きである。
5bd564c3.jpg  冬眠中とは事情が違うのだ。

 昨夜の都内での泊まりは、シングルルームどころか、そしてシングルのツイン・ユースなんて冗談を言ってるどころえはなく、ツインノシングル・ユースだった。
 そして、ロビーにはこの日を含む都内でのヴェルディのオペラ公演のポスターが貼られており、その横にはこんなんが。

 常識的に考えれば、ドゥダメルがここに泊まっているということだろう。
 まさか、こんな手の込んだ宣伝をするとは思えない。公演当日だし。

 日本語しか話せないのが(もちろん私が)残念だった。
 待ち伏せするほどの根性は生来ないし……