50a7e4e4.jpg  ネゼ=セガンの「春の祭典」。
 すっかりとりこになってしまって、飽きもせずここ数日何回も繰り返して聴いてしまった。

 少し心を穏やかにさせなくては。
 となれば、アマデウスだろう。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491(1756)。

 心に平安をってときに、なにもモーツァルトのピアノ・コンチェルトのなかでも最も特異な、息詰まるような作品を聴かなくてもいいだろうに、と思う方も多いだろうが、かといって、ハルサイで高ぶった気持ちのあとにあまりに健康的で天真爛漫な曲を聴いても、しっくりこないものだ。カツカレーを食べた後に、果たしてあなたはチロルチョコを食べたくなるだろうか?えっ?なる?そうですか……、……、……そうですか。

 実は第24番のコンチェルトは、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で私がはじめてきちんと知った曲なのだ。中村紘子の独奏によるNHK響の演奏。それをエアチェックしたものを何度も聴いた。

 今日は総じて評価が高いペライアが弾き振りをした演奏を(管弦楽はイギリス室内管弦楽団)。

9094ff27.jpg  ただでさえ渋い曲なのに、このペライアの演奏は激しさに満ちた熱のこもった演奏だ。
 ペライアのモーツァルトは清潔感が漂う、繊細な傾向のあるものだが、この24番はけっこう骨太な面もある。ただ、この曲を優しげにやられると私としてはつまんないわけで、やるせない感情を吐露ようなこの表現は好きである。
 「ぼく、悲しいの、つらいの、めそめそ」というのが好きな人には、ということで、ちょいと不向きかも。「なーに、この子。きっかなくて生意気ねぇ」みたいに。

 私はペライアが札響定期のステージに現われこの曲を弾いたのを聴いている。
 1976年のことだ。
 そのときのプロフィールには、“CBSレコードの専属となり日本でも録音を通してファンが激増。今回が初来日で札響とも初共演である”と書かれている。

 今日紹介している録音は1975年。
 つまり、CBS(ソニー)からのLPが発売され、それを引っさげて来日公演に臨んだわけだ。

 でも、そんなに印象に残っていない。
 演奏中に涙が出たけど、それはあくびのせいだ。
 演奏が良くなかったのか?
 いや、まだ子どもだったのね、ボク。