汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう―中国清朝末期、貧しき糞拾いの少年・春児(チユンル)は、占い師の予言を信じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀(ウエンシウ)に従って都へ上った。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に歩み始めた2人を待ち受ける宿命の覇道。万人の魂をうつベストセラー大作!
浅田次郎の「蒼穹の昴」(講談社文庫)の第1巻。
「シェエラザード」のあとは、ちょこちょこ小檜山さんのエッセイをつまみ読みしながら、こちらに取りかかった。本を読むぐらいで「取りかかった」はオーバーか……
私はもともと歴史小説は好きではない。ましてや中国の歴史にはさして関心がない。
が、これが「マンチュリアン・リポート」に至るシリーズの第1作となれば、弥勒丸は沈んだが、ここは乗りかかった船。私としては読まなければならない。
コースチャーのことを覚えていらっしゃるだろうか?
違う違うっ!コップの下に敷くやつじゃなくて、コースチャー!
ターじゃなくてチャー!
つまりだ、コンスタンチン君のことだ。大やけどしてサハリンから札幌医大に運ばれて、懸命の治療のかいがあった男のことだ。
あの母さん、タリーナさんは美人だった。
が、10年ほどあとに放送された“コースチャー君のその後”みたいな番組に映ったタリーナさんは、かつての美人母さんじゃなかった。いや、最初からその顔しか知らなかったら、そこそこの美人だと思っただろう。けど、私は比較してしまった。
お母様の顔はひと回り大きくなっていて、私をがっかりさせた。勝手な言い分だけど。
以上を踏まえて、コンスタンチン・シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団によるリムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の交響組曲「シェエラザード(Scheherazade)」Op.35(1888)。
この演奏も、セラフィムの廉価シリーズのLPで親しんだもの。
札響の演奏会でこの曲を初めて聴き、魅了され、大好きなコーラを長らく我慢し、レコードショップに行ったのだった。
今回気づいてしまった。
私にとっての「シェエラザード」の標準演奏はこれだったのだ。この演奏が私の体のどこかにがっちりと刷り込まれているわけで、なるほど、だからその後いろいろな演奏を聴いてもどこか物足りなく感じたわけだ。疑問氷解!
シルヴェストリは爆演型指揮者と評されるが、爆演の一言だけで位置づけるのは間違いだろう。爆演というよりはオーバーヒート型だと私は思う。なに?違いがわからない?じゃあ、ここは流せ。
いや、開き直ってすまん。
爆だけじゃない。メリハリの付け方がすごいのだ。爆演というと激しいばかりが強調されるようだが、いやいや、じっくりひっそりこっそり歌い回すところも実に見事なのだ。う~ん、じゃあなんて例えれば良いのだろう?安易に「人間だもの」型……
第1楽章のバーンとストレートに音をぶつけてくる出だし。これが平方根を習っていたころの若き私の心を捉えないはずがない。対照的に繊細で美しいソロ・ヴァイオリン。乱暴にうねる波。初めて怪獣映画を観たときのようにワクワク、ドキドキ。
第2楽章の静と動の対比。トロンボーンの叫び。いけ好かない社会の先生に思い悩む若き私が、これでどれだけストレスを発散できたことか!
第3楽章はあまり印象にない。というのも、成長期まっただ中の私にとって、この楽章自体が国語で習った徒然草なみにあまりお気に入りでなかったから。
終楽章。
まさにオーケストラの爆発!この演奏が刷り込まれていたんだから、どーりでその後出くわしたフェドセーエフの演奏でもたいして血が騒がなかったわけだ。
ほうら、コンスタンチンのせいで岩に激突して船は木端微塵だぁ~!フネは波平の嫁さんだぁ~!
こんなに褒めちゃって、もしかしたらあばたもえくぼかもしれないけど、とってもこうふんできます。
1966録音。EMI。

そうなんですってね。ドラマ化されていたなんてちっとも知らなかったです。