fbce5f51.jpg  この写真は木曜日の朝に撮ったものだ。

 朝焼けで鮭桃色、かっこつけて言うならサーモンピンクに染まった雪まみれの山々である。
 マンションの窓からのこの眺めは、1階に朝刊を取りに行くのを躊躇させるに十分だが、めんどくさいので上半身は半袖Tシャツのまま部屋を出た。幸い、思ったほど寒くなかったので助かった。まっ、外に出るわけじゃないからね。これがゴミだしだったら、ちゃんと長い袖のあるものを羽織ります、私だって。

 この地でも、そして札幌でも、郊外の山が初冠雪したときの風景は毎年変わり映えしないのに、なんとなく新鮮に感じる。良い意味で、ではあまりないが……

 朝の通勤時はまだコートを着るほどではないが、かといってコートを着てても周りから大笑いされるような気温でもないが、にしてもオープンカーが走っていたのには驚いた。本来なら指差しして大笑いしたいところだが、運転手にやっつけられたらいやだし、なにか想像もつかない深い事情があって寒風の中オープンカーに乗っているのかもしれないから(運転しているのが氷男とか……)、私は無気力な通行人のままをとおした。

 氷男のことご存じない?
 村上春樹の短編小説である。「レキシントンの幽霊」(文春文庫)に収められている。

 それはともかく、山々というか、谷の曲。

 鉄琴の最初の音から最後の1打まで一気に聴かせてしまう。
 4楽章・40分があっという間に過ぎ、聴き終わったあと、私は40分ぶん歳を重ねてしまっている。
 ショルティ/シカゴ響によるショスタコの交響曲第15番の演奏のことだ。

 ところがこちらは冒頭の鐘の音から、曲の最後の鐘の音までがやったら長く感じる。
 いや、冒頭の鐘の音が鳴るまでも長くがまんしなければならない。

5172cb3d.jpg  同じショルティ/シカゴ響によるショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第13番変ロ短調Op.113「バビ・ヤール(Babi Yar)」。
 作品についてはこちらでやや詳しく書いているが、エフトゥシェンコの詩によるバス独唱、バス合唱が加わる交響曲。バビ・ヤール(バービ・ヤール)とはウクライナのキエフ地方にある峡谷の名で、ここでナチスによるユダヤ人虐殺が行なわれたのだった。

 曲は5つの楽章からなり、それぞれのタイトルは「バビ・ヤール」「ユーモア」「商店で」「恐怖」「出世」。第1楽章のタイトルがこの交響曲の通称となっている。

 で、この録音がなぜ長く感じるのか?
 実際長いからだ。私に言わせるなら、“余計な物”のせいで。

 第1楽章と第2楽章と第3楽章の前に詩が朗読されるのだ。朗読の時間はそれぞれ3'47",1'57",5'24"。
 第3楽章から第5楽章までは切れ目なく演奏されるので、第3楽章の前で3~5楽章の3つの詩が朗読される。だから意識がもうろうとなるくらい長く感じる。

 演奏自体はショルティには珍しく硬質ではなくしっとりした食感。肌触りのよいタオルケットのよう。ショルティは室内楽的な響きとすることを強く意識してオーケストラをコントロールしている感じだ。

 朗読しているのはA.ホプキンス。
 でも、ホプキンスだろうと金襴緞子だろうと、朗読は要らない。どうしても朗読をサービスしたいなら、曲の演奏とは分けて収録すべきだ。めんどうだが、朗読をとばして聴くようにプレイヤーの再生トラックの指定しなきゃならない(秘技・プログラム演奏)。

 しかし、その手間をかけてでも聴く価値十分の演奏ではある。悲惨さを強調するような演奏ではないが、さりげなさにジーンとさせられる。

 バス独唱はアレクサーシキン、男声合唱はシカゴ交響合唱団。
 1995録音。デッカ(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION No.10)。

そういえば、昔NHK-FMで“朗読の時間”って番組があったな。
 クラシック音楽の番組-“家庭音楽鑑賞”だったか?-が終わって、暗い声の「朗読の時間です」っていうアナウンサーの声で始まっていたと思う。
 なんで朗読をFMで流してたのか、いまだによくわからん。

 今日は土曜日。しかし私は朝から朗読、いや、労働しなくてはならない。
 仕事である。
 行ってくるである。