bb416db6.jpg  みなさんはいつごろになったら来年の手帳を購入するのだろうか?

 私はもう買った。2014年の手帳を。
 いや、決して自慢しているのではない。ベンツを買ったとかなら自慢の一つもしたいところだが、私が買ったのはテチョーである。ただただ、ちょっと言いたくてしょうがなかっただけだ。

 去年はもっとあとになってから買った。
 というのも、システム手帳というものに替えるかどうか迷っていたからだ。
 
 手帳はあくまで内ポケットに入れて持ち歩きたい私としては、システム手帳を選ぶならスリムタイプということになるが、スリムタイプでも、厚みはそこそこある。
 スーツの内ポケットに収まることは収まるが、この歳になるまで経験したことのない肩こりというものに襲われそうだし、チョコレートを万引して隠しているかのようにがさばる。

 今回も一応は悩んでみたが、スリムタイプの商品は1年前よりもさらに減り、また交換用リフィルもどこにでもは置いていないという事実を知ってしまった。スリムタイプは今後廃れてしまうような気がする。

 そもそも手帳というのは手の帳面だ。システムだのなんだのとは相容れないのではないか?
 ということで、またまた長年愛用している博文館新社のサジェスにした。これだって手に余るサイズだ。手に収まるサイズだったら、一般的には豆本サイズってことになるんだろうけどさ。

 来年2014年は、昨日の記事を書いていて大発見してしまったのだが、大バッハの次男である小バッハ、じゃなかった、C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の生誕300年に当たる。C.P.E.バッハは伊福部昭より200歳年長である。つまり、1914年生れの伊福部昭は来年生誕100周年ということになってしまうわけだ。

 ところで来月、十勝は音更町-ここは伊福部が子供のころ住んでいた土地だ-で高田みどり&川上敦子のコンサートがある。「ラウダ・コンチェルタータ」のピアノ・リダクション版のCDをリリースしたコンビだ。このCDはこのブログでも紹介した

 行こうかどうか迷っているところだが、問題は肝心の演目が記載されていないことである。チラシに「ラウダ」のことを書いといて「ラウダ・コンチェルタータ」をやらないなんてことはないと思うが不安である。自由席というのも、土曜の夜というのも、そういういくつもの試練の中でわざわざ音更に出向くというのも、私の腰を重くしている。

 「プログラムを問い合わせてみれば?」って。ごもっとも。
 でも、なんか躊躇してしまう。問い合わせ先の横の川上さんの写真。その異様なまでにばっちりしたお目目に吸い込まれそうで、私は音更町文化センターに電話する勇気がないままだ。

d88872b2.jpg  さて、C.P.E.バッハだが、今日取り上げる作品は前にも紹介している4つの管弦楽のシンフォニア(Orchester Sinfonien)」Wq.183(1780刊)。この生気みなぎる音楽を、コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏で。

 この曲、なぜもっと人気が出ないのか、私としてはまったくもって謎だ。

 礒山雅氏はこの作品について、次のように書いているが、まったくの同感である。

 この(C.P.E.バッハにとって)最後のシンフォニアにおいてエマヌエルは前作(Wq.182)をさらに凌駕し、全古典派シンフォニアの芸術的頂点ともいうべき金字塔を築きあげた。Wq.182が弦合奏と通奏低音のみによって編成されていたのに対し、このWq.183では管楽器グループが加えられ、その活躍によって、表現の世界はいちだんと多彩かつスケールの大きなものとなっている。その一方では、テクスチュアの整理と明確化が進み、形式の完成度が高められた。なお吹きやまぬ疾風怒濤の嵐の中にぽっかりと古典主義の青空がのぞいている、と言えば、このシンフォニアの世界の一端をお伝えすることができるであろうか。

 お伝えされちゃいます。

 この文は、大昔、“レコード芸術”誌の付録の小冊子に書かれていた文章だ。
 あれから現在に至り、C.P.E.バッハの位置づけは、しかし大きくは変わっていないように思われる。
 にしても、ぽっかりと古典主義の青空がのぞいている、なんてワタシには全く思いつかない表現だ。なお、今朝の当地は雨である。

 このシンフォニア集が出版された1780年。
 モーツァルトは交響曲34番を書いた。ベートーヴェンはまだ10歳だったが、ハイドンは第70番あたりまで交響曲を書いていた。
 そう考えると、C.P.E.バッハの作品の異端さがよりはっきりしてくる。

 コープマンの演奏は、彼のいつものスタイルとは違う。意外なことに、刺激的なところが少なく、疾風も怒涛も縁のない世界。実に穏やかで、良い子の振る舞いだ。
 なんでかね?
 リヒターやコッホの方が、かなりドドドドドッという爽快な激しさがある。
 1985録音。エラート。

 にしても、私が持っているディスクがことごとく廃盤になっていて中古でしか入手できないってのが、エマヌエルの停滞した評価を物語っているんだろうな。