b05b7814.jpg  今日は仕事を終えたあと、自宅へと帰る。

 すでにみなさんご承知のとおり、タイヤも冬タイヤに換えてあるので、急に雪が降っても-それはまったく歓迎しないが-大丈夫だろう。
 一方で、ずっとドライの路面だとタイヤが減りそうで、ちょっと損した気分になる(実際にはそんなに心配するようなことではないらしいが)。
 なお、天気予報によると本日はどしゃ降りのようである。

 実は今週の火曜日の午後から水曜日の午前にかけて、札幌に出張に行った。
 なに?帰って来てすぐにまた行くのかい?って感じだが、出張では移動して、泊まって、会議に出て、帰って来たってわけで、庭の様子も一瞥する程度しかできなかった。

 今回は、明日ちゃんとこさとこやさんに髪を切りに行き(←読みづらかったでしょう?)、バラの冬囲いを順次進めていきたいと考えている。
 問題は天候だ。
 台風の影響が心配される。予報通りだったら作業を行うことは絶望的だが、その翌週の連休もしつこく帰るつもりでいる。

 にしても、前回の台風26号の影響はすごかった。
 朝は雨。それがみぞれに変わったと思ったら、昼には雪になり、あたりは雪景色になってしまった。劇的な変化だった。

 ということで、レスピーギ(Ottrino Respighi 1879-1936 イタリア)の「劇的交響曲(Sinfonia drammatica)」(1913-14)。

 3楽章から成り、60分を要する大曲である。

 レスピーギというと、色鮮やかなオーケストレーションと、中世、ルネサンス、バロック時代のイタリア音楽の要素を取り入れた作風が特徴だが、以前にも書いたように、この曲はちょっと趣きが違う。

 作曲が始められた1913年は、レスピーギがローマのサンタ・チェチーリア音楽院で教鞭をとり始めた年。
 彼の傑作である「ローマ三部作」のうち、最初に書かれた「ローマの噴水」の作曲に着手したのは1914年のことなので、「劇的交響曲」のときには、まだイタリアというものに強くこだわっていなかったのかもしれない。
 あるいは、1908年から翌年にかけてベルリンに滞在し、イタリア以外の国の音楽にも関心を持ったというので、この曲にはドイツ音楽の影響が出ているのかもしれない。

 とにかく渋い。レスピーギの特徴である流麗さ、華麗さは、ここにはあまりない。
 仰々しい響きだが、見かけ倒しって感じもしないではない。
 最後も、めいっぱい石が詰め込まれたリュックを背負ったまま三叉路にぶつかり、どっちへ行けばいいもんだか解決しないまま、あとはお好きなようにって見捨てられたように終わる。
 ただ「劇的」っていう看板に偽りなしなのは、私が保証する(保証書がないと保証の対象にはなりません)。

 この重苦しさって、第1次世界大戦につながる当時の危うい世情を反映しているのかもしれない。

 ラ・ヴェッキア指揮ローマ交響楽団の演奏を。
 ローマのオケがやっても、やっぱりイタリアっぽくない曲だ。

 2011録音。ブリリアント・クラシックス。

 その火曜~水曜の出張は、今話題に事欠かないのJR北海道を利用。
 で、帰りの列車のこと。
 札幌駅ですでに入線していた“スーパーとかち”に乗りこむと、車内は客がまばらなのに、私の持っている指定席(窓側)の隣、つまり通路側のC席にはすでにおじさんが座っているではないか!
 よりによって、なぜこんな状況で局部攻撃のごとく密着させられなきゃならないんだ?

 時おり思うのだが、みどりの窓口の人というのは、“顧客サービスとはいったい何か?”ということをまじめに考えていないんじゃないかと思う。
 混んでいるときはしかたない。でも、「ガラガラぁ!」と言って「正解です」と答えが返ってくるような状況なのだ。

 しかも、そのおじさん、飛行機なら機内持ち込みぎりぎりアウトかセーフというスーツケースを両足の間に挟んで置いている。つまり、私は自分の陣地であるD席に座るために、そこをタカアシガニのようにまたぐか、そのおじさんに一度退避してもらわなくてはならない。

 私は、いまいましいと思いながらも、でもそのおじさんに責任はないし、そのおじさんだって隣に人が来るのは歓迎していないだろうから、丁重に「すいません」と言った。言わなければ、つまり近づいただけでは微動だにしなかったからだ、おじさんは。

 そのおじさんは立ち上がり、よっこいしょとばかり荷物を通路にずらした。私は不安定な体勢で自分の席に座ったが、心配していたとおり、すでにおじさんのひざあたりが、すでに私の領地に入り込んでいる。そりゃそうだ。あんな大きなものを股にぶら下げて、いや挟んでいるのだ。もし、この人がうとうとし始めたら、絶対に私の足に足を押しつけて来るに違いない。ズボンの生地ごしに伝わってくる、ヒトの温もり……

 私は考えた。
 そして言った。
 「すいません。もう一度出させてください」
 おじさんは、厄介そうにまた立ち上がった。

 私は隣の自由席車両に行ってみた。

 6人しか乗っていなかった。

 そこでバッグを空いているシートに置き(ほとんど空いているのだが)、再びおじさんのところへ戻った。

 「自由席が空いてますので、私はそちらに座ります。どうぞ、隣の席は自由にお使いください」
 おじさんは声を出すわけでもなく、わけがわかったのかわかってないのかわからないような顔をしていた(←重ねて読みづらかったでしょう?)。

 いったん自分の席に戻り-まさに自由を得た感じだ。これでトイレにだっていつでも行ける-、ホームのキオスクに水を買いに行った。
 窓越しに、あのおじさんが窓側に、本来は私の席であるD席に座っているのが見えた。
 なんだ、ちゃっかりしてるじゃないか!
 ぼわーんとした顔をしていたが、心の中ではしめしめと思ったに違いない。
 だったら、すいませんとかありがとうの一言くらい言って欲しかった。