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 そう、それからつい今しがた思いついたことなのですが、あなたのこよなく愛したヴァイオリニスト、「赤毛のアントニオ」の楽譜を同封しようと思います。
 覚えていらっしゃるでしょう。ヴェネツィアの孤児院で司祭をつとめるかたわら、サン・マルコ大聖堂のオーケストラで魔法のようなヴァイオリンを弾いていた、あの赤毛のアントニオのことですよ。
 あのころは彼もまだ若く、孤児たちにヴァイオリンを教える風変りな司祭でしたが、そのうちくろうとはだしのシンフォニアやオペラを作曲しはじめ、とうとう全ヨーロッパを走り回るような大音楽家になってしまいました。
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 さて、おびただしい彼の作品のうち、いったいどれをお送りしようかと考えた末、私の大好きな、かつ彼の代表作とされているところの協奏曲「四季」を同封します。
 これはボヘミアのフォン・モルツィン伯爵に捧げられた名曲で、1725年、つまりあなたがヴェネツィアを去られてから10年後に、アムステルダムで出版されたものです。発表したとたんにたいへんな評判をとり、ルイ15世の御前でも称賛をうけたということです。
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 残念なことに、アントニオ・ヴィヴァルディは1741年にウィーンで客死しました。
 生涯に500曲に余る作曲をなし、5万ドゥカートを稼いだといわれる型破りの天才は、どういうわけか名声にかまけて聖職者であることも忘れ。浪費と放蕩三昧の末に無一文で死んでしまったそうです。
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 これは浅田次郎の「蒼穹の昴第2巻のなかにある、ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロがジュゼッペ・カスチリョーネに送った手紙の一部分である。
 ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロとジュゼッペ・カスチリョーネが誰であるかは、まあ、今んとこは気にしないでいて欲しい。

 赤毛のアントニオというのは、アントニオ古賀でもアントニオ猪木でもなく、もちろんアントニーン・Dでもなく、すでに書かれてはいるが、アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)である。そして、「四季(Le quattro stagioni)」である。

 この曲はヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み(Il cimento dell'armonia e dell'inventione)」Op.8(1725出版)の第1番から第4番の曲だが、「和声と創意の試み」は2部、全12曲から成る。

 いまさらながら、「四季」は次の4曲。

 1. ホ長調「春(La primavera)」RV.269
 2. ト短調「夏(L'estate)」RV.315
 3. ヘ長調「秋(L'autunno)」RV.293
 4. ヘ短調「冬(L'inverno)」RV.297
 
 ヴィヴァルディの最期がさびしいものだったのは事実だったようである。
 ヴェネツィアでの人気が陰りはじめ、彼はウィーンへと向かった。が、その途中にパトロンのカール6世が亡くなる。この死によってオーストリアは1年間の喪に入り興業禁止となってしまう。オペラ公演を準備していたヴィヴァルディは、これで多額の負債を抱えることになったようだ。さらに、マリア・テレジアがカール6世の帝位を継承することで勃発したオーストリア継承戦争が勃発してしまった。
 結局、ヴィヴァルディはこの地ウィーンで亡くなった。貧民墓地に埋葬されたが、実際すっからかんの身ではあったものの、それは外国人で身寄りがなかったためだと言われる。

 今日はピノック指揮イングリッシュ・コンサート(vn独奏スタンデイジ)の1978録音のものを。

 ピノックといえば、針状結晶のようにトゲがある、それが関節にたまったら痛タタタタっていうような激しいアプローチのイメージがあるが、この78年盤「四季」は、ソフトタッチである。
 まあ、あんまりお痛な演奏だと、「四季」には向かないのかもしれないが、美人だけど中身がカラッポの女性がいきなり知的になったような面白さがある。

 ブリリアント・クラシックス。原盤CRD。