7fd410f1.jpg  ……僕は幸いなことに生まれてから一度も肩凝りを経験したことがないのだが、それでもなんとなく身体がいびつになったような気がしたものだ。そういうときには毎日体操をしたが、体操くらいでは間に合わないときには、ピアノに向かってバッハの「二声のためのインヴェンション」を弾くことにしていた。とはいっても僕はピアノを弾けるというほどは弾けない。その昔習っていたときのことを思い出しながら、ちょぼちょぼと楽譜を辿るだけである。でも、それは効いた。もし同じような症状に悩んでおられる方がいらっしゃったら試してみられるといいと思う。これは効きます。
 バッハのインヴェンションというのは、ご存じのように、左手と右手とをまったく均等に動かすように設定されている。その点にかけては本当にもう異様なくらい徹底している。だから僕は……


 村上春樹の「雑文集」(新潮社)のなかの「バッハとオースターの効用」の一部である。

 「試してみられるといい」って書いてるけど、そしてほんとに効くのかもしれないけど、私のこ9afceb26.jpg とを言うならば、この肩凝り対処法を実行に移す前に、何年にもわたってピアノ教室に通わなくてはならないだろう。
 簡単に、さらっと言ってくれるが、バッハのインヴェンションを弾くのと、サロンパスを貼るのとはわけが違うんだから。
 いやいや、サロンパスだって角が丸まってくっつき合っちゃっうっていうトラブルが起こりがちであって、4つの角をきれいままに、また途中にしわが寄らないようにするのはけっこう難易度が高い作業だ。
 これだって、あーだこーだやってるうちに、肩凝りをさらに悪化させる恐れがある。

 あーよかった。私、肩凝り持ちでなくて。

 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「2声のインヴェンション(Inventione a 2)」BWV.772-786(1723)は、バッハの長男であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのクラヴィーアの練習用に作られた15曲から成る練習曲である。
 練習曲といっても、鑑賞するに十分に値する作品。私がバッハ好きになるきっかけとなった曲の1つである。

 この曲のLPレコードも私の音楽鑑賞歴のごく初期に購入したが、近所のいわゆる“街のレコード・ショップ”にもこの曲のLPがあったのは、ピアノを習うご令嬢を持つ母親を意識していたせいだろう。
 実際、そのLPは音楽愛好者向けののものではなく、演奏見本としてのもので、ピアノを弾いていたのは田村宏。解説には楽譜がいくつも載っていて、鑑賞の手引きではなく、轢き方のポイントが書かれてあった。

 村上春樹が「左手と右手をまったく均等に動かすように設定されている」と書いているように、2声というのは2つの声部(旋律線)が同時に進行していくわけで、まったく均等かどうかは私にはわからないが、右手と左手が主と従の関係にないのは間違いない。

 この作品の次のステップアップ版練習曲として、同じく長男のために作られた「3声のためのインヴェンション(シンフォニア)」BWV.787-801(1723)があるが、これは3つの声部が同時に進行する。手が2本しかないのに3つのメロディーラインを弾くわけで、右手左手ではなく、10本の指が3つの声部のどこかに割り振られながら進むわけだ。
 が、10を3つに分けるには端数がでる。割り切れない。ってことは、「3声のインヴェンション」を弾くと、バランスを崩して肩凝りが悪化してしまうんじゃなかろうか?と素人の私は考えてしまう。

 チェンバロのために書かれた曲は、できるだけチェンバロによる演奏で聴きたいというのが私の基本方針。
 だから、インヴェンションもピアノではなくチェンバロのものを選ぶ(私がこの曲を初めて聴いたときのエアチェックした演奏はチェンバロによるもので、だから田村宏のLPはほとんど聴かなかった)。

 今日はこの曲の王道的演奏とも言うべきレオンハルトのものを。もちろんチェンバロによるもの。
 1974録音。SEON。

 ところで、なぜ“インヴェンション”という名前がついているのか?
 バッハの言葉によれば、2声と3声を合せた30曲は単なる練習曲ではなく、そのための創意を養い、歌う力をつけ、作曲への関心を喚起する効用を持つのだという。
 いずれにしろ、聴く者に対して鑑賞意欲を喚起する作品だ。