d45d2e95.jpg  とはいえ、みさきが運転する車の助手席に座っている家福が聴く可能性があるのは、バロックではなくベートーヴェンの弦楽四重奏曲なんだそうだ。

 村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」のことである。

 帰り道はだいたいベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた。彼がベートーヴェンの弦楽四重奏曲を好むのは、それが基本的に聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適しているからだった。

 そうなんですかね?ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のクワルテットって?

 じゃあ、あえて彼の弦楽四重奏曲の中でも、おそらく最も“聴きながら考え事をしたりmまったく何も考えないことに”適していない曲を取り上げちゃおう。←なに、かわい子ぶってんだか……

 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op.95「セリオーソ(Serioso)」(1810)。

 そういえば、今年は庭のボーダーに使っている枕木にケミソートを1度も塗らなかったな。まずいな……

 「セリオーソ」というのは、その言葉通りにとれば、“厳粛な”、“まじめな”ということになる。が、そーゆーんじゃなくて、何かをヴァーっと吐き出したかったんじゃないか、ベートーヴェンは。不機嫌なストレス発散みたいに。

 セリオーソの表記が付けられているのは第3楽章。ふつうなら第3楽章にはスケルツォがくるのだが、ベートーヴェンは天邪鬼(あまのじゃく)のように、あるいは偏屈者のように、ここに厳粛な音楽を据えたのだった。
 また、当初はこの曲全体にセリオーソという表示を与えようとしたらしいが、出版の際には削られていた。

 弦楽四重奏曲の前作、第10番変ホ長調Op.74「ハープ(Harfe)」(1809)-この曲は第1楽章のピッツィカートからこの名で呼ばれる-は緊張から解放された優しいものだが、ベートーヴェンはすぐに扱いにくいおっさんに戻ってしまったわけだ。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中では最もコンパクトだが、そのコンパクトさはブラックホールに引き込まれて押しつぶされ凝縮してしまったたぐいのもの。しょっぱなから非常事態宣言されるのだ。
 楽器がメロディーを歌い回すといった場面は少なく、最初から最後まで気を抜けない。疲れる音楽なのだ。そっか、緊急自動車の中でかけるには合っているかも。

 アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏によるディスクを。
 いや、私はこの曲におかれましては、このCDしか持っていないだけだ。
 
 1978録音。EMI。

 木曜日。
 出張でべリンスキー侯とアルフレッド氏(両名については私の札幌勤務時代の取引であることは、知っている人なら知っている)、ならびに私は初めて会う渋柿さんが当地に来た。

 夜は一緒に食事をした。

 久しぶりの再会に話は盛り上がったが、はて、いざここで報告しようと思ったら、なんにも書くことがない。たぶんまったく中身がなかったのか、あったとしてもあまりに軽薄だったので昇華しちゃったのだろう。

 ただ、牛のもも肉を使った料理が出て来たときに、べリンスキー侯が横目で店員の女性の反応をうかがいながら自分の太ももを手のひらでパンパンと打ち、しかも「太もも、太もも」と口に出していたところは、「ベリ侯さんも変わってないな、何よりだな」、訳せば「進歩してないな」と、私には実に印象的であった。

 そうそう、べリンスキー侯は来春で定年を迎えるそうだ。
 そうしたら神奈川に帰るわけだが、そうなると好物の崎陽軒のシウマイを毎日でも食べられることになる。
 一冬の辛抱だ。