caa9d69d.jpg  最近書いた記事に対し、コメントの形でいくつかお問い合わせがあった。

 まず、“ブラック・アイス”って何ですか?というもの。

 コメント欄にも書いたが、ブラック・アイス、つまりブラック・アイスバーンというのは、アスファルトの路面が薄い氷の膜で覆われている状態。
 突如そういう路面に入りこむと、運転していて、あるいは、歩いていて、突然滑ってしまう危険大である。ウェット路面と見分けがつきにくいのだ。
 だから冬場は、アスファルトが黒く色づいていたら、それは路面が濡れているのではなく、凍っているのだと警戒した方がいいわけ。
 それじゃないと、運転中に車が流されたり、あるいは歩いていてスッテンコロリンと転んでしまう。

 次に、冬用ワイパーについて。
6b80fab2.jpg  アメリカにはそういうのがないというので、わかりにくい写真だが、載せておこう。

 そんなこんなで、山口恭子(Yamaguchi Yasuko 1969-  長崎)の「だるまさんがころんだ(Das Stehaufmannchen ist umgefallen)」(1999)。

 この曲は1999年にドイツはデュッセルドルフのヨハンネス教会で初演されたそうだが、その後2003年にオーケストラ・アンサンブル金沢で演奏された。その際のプログラムに、作曲者は次のように寄せている。

 楽譜に書かれている音が聴衆にどれだけ明確に聴取されるか、という点は私にとってとても重要である。この曲を作曲する前に指揮者と打ち合わせをした際、初演される場所(教会)はとても残響が長いという情報を得た。更にその後自身でもその場所に赴き、曲によっては個々の楽器の音が全体の音響の中に埋もれてしまい結果として茫漠とした響きにしか聞こえ12c82cdf.jpgてこないという事実を確認した。この曲を書く少し前から「遅いテンポを持つ速い曲」を書くことに興味を持ち実際に試していたので、今回もこのアイディアを使い、更に初演の空間の持つ長すぎる残響を逆に生かすことを考えることから作曲の作業は始まった。
 「だるまさんがころんだ」という遊びでは、鬼は捕虜を救う子供によって中断をされない限り「だるまさんがころんだ」という一文をテンポや強弱の変化をつけながら何度も繰り返す。他の子供たちはこの一文が叫ばれる短い間に素早く動かなければならず、この一文の終了と同時に静止することを強いられる。そしてその微細な動きを鬼に悟られれば捕虜になってしまうのである。私はこの遊びに於ける鬼とその他の子供の関係、そしてこの遊びの進行に非常な緊張感と幾ばくかの退屈さを見出す。この二つの矛盾する感覚の共存は「遅いテンポを持つ速い曲」のアイディアに通ずるものがあり、静止の中に微細な動きを見つける鬼の緊張は、長い残響の中に微細な音の動きや音色の変化を聴取する聴衆の行為に重ね合わせることが出来ると考える。作曲者である私は二つの矛盾する感覚の中に身を置きながら、この遊びに於いて生じ得る様々な関係性や状況を想像しつつ音を書き記していったのである。


 ということなのである。

 5分ほどの作品。
 いかにも岩城宏之氏が好みそうなゲンダイオンガクである。
 岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏で。
 2003録音。ワーナークラシックス。

 私が幼少期に過ごした浦河の地では、この遊び、「だるまさんがころんだ」ではなく「いのじのくろんぼ」と言っていた。かなり危ない文だと思うが。

 にしても、遅いテンポを持つ速い曲、ねぇ……
 こむずかしい臭いがプンプンしますでしょ。
 そうなんです、実際聴いていても。
 曲自体は、上の解説を打っている間に終わっちゃうのに……