8e69296d.jpg  ぼくは起き抜けの浴衣姿のまま、下駄をつっかけて玄関を出た。印税の皮算用でもしながら歩けば、たちまちベートーヴェンみたいに気難しい顔になる自身はあった。

 浅田次郎の「プリズンホテル 1 夏」(集英社文庫)のなかの一節だ。

 ときおり会議で利用する、南北で言えば札幌駅と大通りの途中にある某ホテル(全日空ホテルではないことはお伝えしておこう)。
 そこの1階には北海道生まれのコンビニが入っているが、ここは経営者夫婦と思われる中年の男女が店員を務めている。それ以外の、バイトらしき店員はあまり見かけない。きっと人件費をけちっているのだろう。家族経営のこんびに……

 そしてこのオヤジ、見るたびにコンビニの店員とは思えないほど気難しい顔をしている。きっと本日の売り上げのことを考えているか、おにぎりが万引きされないか監視の目を緩めないのだろう。それにしたってきょうび、偏屈物のすし屋のおやじだってもう少し愛想がある(そして、奥さんと思われる店員は、全般に機敏さに欠け、どこか貧相だ)。

 オヤジの気難しそうな顔は、絶えず世の中に不満を持っている感じだ。
 愛想はないが手際が良いかというと否だ。ぱっぱとやろうという姿勢が感じられない。
 何より、まず挨拶できない、する気がない。
 
 私は平静を装いながらも、心の中でつぶやく。「挨拶する、すれ、しろ、せよ……」

8599297a.jpg  ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の弦楽四重奏曲第2番ト長調Op.18-2「挨拶する(Komplimentier)」(1799-1800)。

 この通称、ちょいと変ですね。
 「挨拶」じゃなくて「挨拶する」だもの。なんか落ち着きが悪い。
 マーラーの第2交響曲が「復活」じゃなくて「復活する」だったり、チャイコフスキーの第6交響曲が「悲愴っちゃう」、ハイドンの第103番が「太鼓連打する」とかだったらヤでしょ?

 そういう違和感を覚えちゃったりスルのだ。
 そんなこと申し立てたところでどうなるものでもないが。
 はい、ガマンします。

 この通称は第1楽章第1主題が挨拶を交わすような感じがするためにつけられた。
 確かにそういわれればそんな風にも聴こえるが、それはともかく爽やかな雰囲気をたたえていて、少なくとも気難しくはない。
 
 なお、Op.18という作品は、6曲の弦楽四重奏曲から成る曲集である。

 アルバン・ベルク四重奏団の演奏で。
 1981録音。EMI。

 さて、続く「プリズンホテル 2 秋」に入った。
 入ったというのは、つまり、私の読書が。

 花沢支配人は青ざめた。なんの因果か、今宵、我らが「プリズンホテル」に投宿するのは、おなじみ任侠大曽根一家御一行様と警視庁青山警察署の酒グセ最悪の慰安旅行団御一行様。そして、いわくありげな旅まわり元アイドル歌手とその愛人。これは何が起きてもおかしくない……。仲蔵親分の秘めた恋物語も明かされる一泊二日の大騒動。愛憎ぶつかる温泉宿の夜は笑えて、泣けて、眠れない。

 花沢……
 最近とんとサザエさんを観なくなったな……