c46041c1.jpg  今日が出張の最終日。
 午前中で仕事が終わるので、昼過ぎの便で帰る予定だ。
 幸い羽田が雪で閉鎖というような事態にはならなそうだし。

 今回3連泊したホテルは快適だったが、唯一の不満はトイレの水を流したあと、タンクの水が再び満水になり水の音が止まると同時に、グギューというカエルを踏んだような音がすることだ。

 カエルといえば、小学生低学年のときのこと。
 私は浦河に住んでいたが、学校の裏山でエゾサンショウウオを捕まえたことがあった。エゾサンショウウオ自体は、すっごく珍しいというものではなかったが、それでもカエルなんかよりははるかに発見するのが難しかった。

 そのとき一緒にサンショウウオ捕りに来ていたU君はなかなかサンショウウオを目的の獲物を見つけられなかった。そのかわりにずいぶんと大きなカエルを捕まえた。

 山を下りたときにU君は言った。
 「お願いだからさ、このカエルとエゾサンショウウオをばくってくんない?こんな大きなカエルってそうそういないだろう?それにM君はまたサンショウウオを絶対に捕まえれるって!」
 「ばくる」というのは交換するという意味の北海道弁だ。

 私は、確かにかなりな大きさのカエルだと思ったが、そうそうサンショウウオが捕まえられる自信がなかった。でも、ちょっと躊躇したあとで「いいよ!」と答えた。

 このように見え透いたうそとわかっていても申し出を断ることができない。最後のところでNo!と言えない。自分の人生シナリオに書かれていることが、このリハーサルで証明されたわけだ。ここから現在に至るまで、私は強く主張されると嫌気が差して黙り込んでしまうことが多い。あるいは、スーパーで試食でもしようもんなら、そのあと絶対に断れずその商品を買ってしまう。

 私はそのカエルを水槽に入れて学校に持って行った。
 教室ではすでに別な子が捕獲したサンショウウオも買われていた。その水槽にゼンマイの株を入れていたのだが、サンショウウオがその株元に上手に穴を開けてねぐらにしているのを見たときにはひどく感心したものだった。

カエルの水槽は教室の後ろのサンショウウオの水槽の隣に置かれ、休み時間には子供たちがそれを眺めたりした。みんな大きなカエルをかわいがってくれた。が、なぜかこのカエルに名前をつけようという動きはなかった。やっぱりみんなどーでも良かったのだろうか?

 ある日事件が起きた。
 いつもは口元を呼吸でヒコヒコさせているだけなのに、よりによってこの日、授業の父兄参観の時間にしつこくゲロゲロゲロゲロゲロ……と鳴き続けたのだ。
 父も兄もいない。来ているのはお母さま方。その失笑……。いや、HK君のお母さんなんてオホホホと爆笑していた。

 先生は私に目配せした。
 私は立ち上がって教室の後ろに行き、水槽を外に持ち出した。
 なんだか自分が授業参観を妨害したような気分になった。
 このように子供のころの出来事は、その後の人生に暗い記憶を刻み込むことが多いのだ。
 そして、私の人生シナリオに書かれていた「学校になんかカエルを持って行くもんじゃない」という証明がなされた。だからそれ以降、中学校にも、高校にも、大学にも、職場にも私はカエルを持っていったことはない。

 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の「二重小協奏曲(Duett-Concertino)」ヘ長調AV.147(1947)。

 この曲のあまりにも美しく透明な出だしの弦の音は、騒動が起こる前の私の穏やかな気持ちだ。独奏クラリネットはそんな私の気持ちを受け継いでくれる。が、そのあとに出てくる独奏ファゴットは騒動の主を思わせる。
 どん底に落とされた私の切ない気持ちと、なにをトチ狂ったのか鳴くのをやめない水槽の中のカエル。そのときの情景を思い出さずにはいられない、そんな雰囲気の作品である。

 独奏楽器はクラリネットとファゴット。オケは弦楽。
 スイス=イタリア放送局の前身であるルガーノ放送局の委嘱で書かれた。このころのR.シュトラウスの他の作品と同じく古典回帰のような作風だ。
 私のカエルの話は忘れて、この美しくもドラマティックな協奏曲を味わっていただきたい。

 コムズのクラリネット、マクギルのファゴット、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団の演奏で。
 1998録音。apex(原盤テルデック)。

 校舎の外の裏手に水槽を置き教室に戻った私を、みんなは拍手で迎えてくれた、わけがあるはずなく、私用で席をはずした児童のように静かに私は席についた。
 目に入ったU君が申し訳なさそうにこっちを見ていたのが、せめてもの救いであった。