2ceeea99.jpg  人がなに食べたかなんて興味ないだろうが、今回の東京滞在における私の食事について報告したい。このことがみなさんの食生活の向上ならびに健康への関心につながれば、私としてもうれしいことこの上ない。

 今回の出張の目的は機密保持の点から教えてあげないが、わが支社からは私を含め2名(私とSさん)。わが支社と密接な協力関係にあるN社から2名(XさんとZさん)。そして双方にとって大切な取引先である2つの会社の社長(A社長とB社長)、計6名というメンバー構成だった。
 
 月曜日の夕方に羽田に着いたが、私は他の人よりも1時間ほど早い便に乗り、一行が到着するのを待った。
 その間、トイレに行った。黒い肩掛けのかばんが不法投棄された熊のぬいぐるみのように洗面台のところに置かれていた。
 なんとなく気になる。
 もしかしたら5000万円が入っているのを置き忘れたのかもしれない。あるいは不審な荷物かもしれない。

 10分後、再びトイレに観察しに戻った。
 そのかばんは10分分劣化していたが、そのままの位置にそのままの格好でたたずんでいた。

 トイレから出たらちょうど警備員が歩いてきたので、私は「忘れ物があるようです」といって、市民の義務を果たした。
 「ありがとうございます」と警備員は警戒する様子もなく(もし中に大量の爆竹が仕込まれていたらどうしたことだろう?)、それをどこかへ持って行った。
 私がどこの誰か聞かなかったのは、ちょっと残念であった。
 中身が札束だったら、礼金がもらえたかもしれないのに……

 みんな-といっても3人(Xさん、A社長とB社長)。他の2人、SさんとZさんは翌日に合流-が着いて、そのまま千代田区のホテルに。
 すぐにあてもなく食事をする店を探す。
 ちょいとしゃれた構えの店があって、ふぐとか何とか書いてあり、A社長が「ここがいいんでないか?」と言った。もちろん歯向かう理由は何もない。
 が、戸口には「本日は予約のお客様でいっぱいです」という張り紙が……

 すっかり戦意喪失し、その先の住所でいえば紀尾井町の居酒屋チャーンの店に入る。看板が目に入ったのだ。
 一応海産物を売りにしている店だが、カツとじがあったのでそれも頼む。A社長もB社長も「若い人はさすがだな。オレらはとてもそういうのは重くて」と、私の若さをうらやましがった。そう、私は若い。社長さんたちよりは。
 そして社長さんたちは、ざる豆腐やさつま揚げを頼んだ。

 が、あつあつのカツとじが来たとき、まずはB社長が「うまそうだな……」とつぶやいた。
 もちろん私は「どーぞどーぞ。みんなでつまみましょう」と言葉を返す。
 1口口にした(「いちろろにした」ではなく「ひとくちくちにした」)B社長は、「こりゃうまい!」とすっかりお気に入り。A社長も「どれどれ」、そして他の人たちも「どれどれ」。私は「ミファミファ」とはいわずに食べてみると、ちょいとしょっぱいし、別段ふつうの惣菜カツのようなのに、でもウマイ。そして、あっという間に皿は犬がなめたようにきれいになり、B社長が「もっと食べられるくらいだね」というので、私は「もっと食べたい」と頭の中で変換し、追加注文した。2皿目の皿も布でから拭きしたようにきれいに食された。
  このように、目をつけたメニューが皆さんに評判良くて、私は店主のようにうれしくなった。

 そのあとも、ちょっと狭い空間だったが、リラックスして4人は旅の疲れを癒したのだった(着いたばっかりだったけど)。
 チャーン居酒屋ながらも大いに満足し、途中ファミマで水を買い、私は朝食も調達し、ホテルに戻った。

 次の日の朝。
 私はおにぎり1個とカップ麺のタンタン麺。
 朝から若々しい食事だ。ビタミンはおにぎりの海苔とタンタン麺に入っていたチンゲンサイの破片のみ。

 今回の出張用務はすべてみな揃っての行動。
 昼は永田町の黒澤に行った。有名なそば屋である(昼はとんかつもメニューにある)。
 少し待たされたが、黒豚せいろそばは実に美味しかった。実はこの店、私も東京勤務時代から接待などで昼も夜も利用させてもらっている。そばはもちろん、他の料理も間違いないし、接客がきちんとしている。

 食事を終えて国会議事堂の方に向かう。
 あの坂を歩いて上るのは、食後の運動にしてはハードだ。
 上り終えたときに、すでにおなかが空いたような気がした私だった(続く)。

 4人でカツとじを食べた思い出に、今日は四重奏曲。共通するのは“4”と“じ”だけだが。
 そこでちょっとひねって、弦楽四重奏ではなく、管楽器のためのものを。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のオーボエ四重奏曲ヘ長調K.370(368b)(1781)。

 オーボエと弦楽のための四重奏曲というのは珍しい存在。
 モーツァルトがマンハイムに滞在していた1777年、マンハイム宮廷楽団のオーボエ奏者だったフリードリヒ・ラムと知り合い親交を結んだ。
 ラムはその後ミュンヘンへと活動の地を移したが、歌劇「イドメネオ」の上演のために1780年11月にミュンヘンを訪れたモーツァルトは、ここでラムと再会する。
 そして彼のために書かれたのがこの四重奏曲である。

 幸福な温かい気分に満ちた第1楽章、憂いた表情の第2楽章、華麗で躍動的な第3楽章と、モーツァルトの魅力が凝縮された作品だ。
 もしこの音楽をレストランで流せば(特に第1楽章)、それだけで雰囲気が1ランク良くなるだろう。

 ゴーディエ・アンサンブルの、まるで当時の雰囲気が伝わってくるような演奏を(もちろん勝手なイメージだけど。んっ、ジャケットの絵に影響されたか?、私……)。
 2001録音。Helios。