4f1d9ab3.jpg  昨日のタコ天に続き、今日はタコ酢。じゃなくて、タコし。

 すなわち、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第4番ハ短調Op.43(1935-36)。

 発売後すぐにお褒めの声がほうぼうから湧き上っている、ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルによる演奏について、今日は書かせていただく。

 タコ之友とも言っても文句を言われる筋合いはないくらいショスタコ好きの私だが、彼の交響曲の中で、第4番は深くフレンドリーな関係には至っていない。
 あの捉えがたい混沌の世界、人なつこさのない冷たさが、私に距離を置かせているのだ。

 だが、ペトレンコの演奏はカオスを巧みに整理してくれている。
 優秀で美人でちょっとHっぽい家庭教師のお姉さんに三角関数の難題の解法を教わったときのように、モンモンとしたものが氷解するのだ(イメージ表現にほかなりません)。
 コフマンの演奏も整然としていたが、ペトレンコのはそれに加えて張り詰めた緊張感が緩むことはないし、皮肉めいた箇所も真剣に皮肉っている。へらへらして皮肉ることはしないのだ。おやっ?じゃあHっぽいお姉さんは違うな……

8ae934d3.jpg  プラウダ批判で身の危険まで感じたショスタコーヴィチは、初演直前でこの曲をお蔵入りさせてしまった。もしこのときに初演を強行していれば、党のお偉いさんがたは「なんだ、この騒音みたいなモノは」と怒り、それこそショスタコはどこかに連れて行かれちゃったに違いない。

 この実験的、冒険的な音楽を、ペトレンコは錯綜した情報をわかりやすく図示して理解させてくれるように聴かせてくれる。

 野蛮な表現はない。淡泊ではないが上品。上品に激しい。

 岩下志麻ににらまれたら怖い。逃げ場のない緊張感にさらされるに違いない。でも、吉永小百合ににらまれてもあまり怖くない(だろう)。
 ペトレンコの演奏は岩下風だ。
 コフマンのは吉永風に思う。どこかほんわかしたところが残っているという点で。
 ちなみに私は、岩下志麻の方が好きである。

 音を潜める箇所が、これまた精緻。
 とにかくハイ・レベルな演奏。個々の奏者も巧いが(特に木管)、オケとしての集合体のレベルも高い。
 とにかく、この難解なシンフォニーを長く感じさせないのがすごい!

 2013録音。ナクソス。写真下のスリーヴ入り。

 にしても、もしショスタコが何の妨害、障害もなく作曲活動ができたとしたら、第5番以降の交響曲は残されたものとはまったく異なった作品になったんだろうな……