37a7fbb9.jpg  先週、札幌に出張した際に買おうと思ったものがある。
 しかも切羽詰まって。

 耳あてである。
 モダーンな人はイヤーウォーマーとかイヤーマフラーというらしい。

 1週間前。先週の月曜日。
 出勤するに当たり、私の愛らしい耳を大切にカバーしようと耳あてを手に取ろうとしたが、いつもの場所にない。
 限られた時間の中、家じゅう探したが、ない。

 その結果として、私は凍てつく空気の中、耳を露出したままで歩くはめになった。
 しかもその日は特に寒く、私の耳はウサギの目のように赤くなってしまった。ウサギの耳のように長くならなかったのがせめてもの救いである。

 が、どこに行ったのだろう?私の耳あては。

 その前の金曜日の夜。
 私は阿古屋係長やヤマダ課長、ついでに日向山課長その他数名と中華料理店でかに玉や何とか菜の炒め物やギョーザを食べ、ビールやハイボールを飲んだのだった。
 考えてみればその店に忘れてきたと判断するのが妥当である。

 そこで火曜日の昼に、その店に行ってみた(月曜日は定休日なのだ)。
 担担麺が美味しかったのは言うまでもないが、お店のお兄さんは「お忘れ物はなかったですよ」と私を悲しませる通告をあっけらかんとしてくれた。

 こうなると、もう探すあてがない。

 ということで、水曜日の夕方に札幌に着き、まず向かった先がステラプレイスの無印良品だった。
 なぜ無印良品なのか?

 失くしてしまった耳あてを買ったのが無印だったことと、ほかにどんなところで売っているのか思い浮かばなかったからだ。

 まずどこに陳列されているのかわからない。
 そこで品出しをしていた店員さんに聞く。
 「あの、耳あてっていうんですか……、耳を覆うやつ。それ、ありますか?」
 「はい、ご案内いたします」

 あぁ、よかった“耳あて”で良かったんだ。日本語が通じてウレシイ。

 で、売り場に行くと、そこにはの耳あてが6つ掛けられていた。
 全部同じ柄だった。赤いチェックの……
 「申し訳ありませんが、もう残っているのはこの柄だけです」
 ちょっとねぇ~。
 「そうですか。ありがとうございます」

 失意の中、私は店を後にした。

 続けて連絡通路を渡ってESTAのLOFTへ。
 毛むくじゃらとかネコ科猛獣柄の耳あてばかりで、どう考えてもサラリーマン・男・B型みずがめ座・眼鏡使用・趣味音楽鑑賞の私にはそぐわない。

 やるせない思いで店を後にして、別なフロアのユニクロへ。
 が、どこにあるかさっぱりわからず、さらにそもそもユニクロで耳あてを扱っているのかどうかもわからないので店員に尋ねる勇気もなく、退散。

 電話番号を調べ、札幌PARCOに入っている無印ショップに問い合わせたものの、「耳あては完売です」という非情な答え。

 そこで、面倒だが会員登録をし、無印のネットショップで注文。
 でも、すごい。
 木曜日の夜に注文したのに、もう土曜日に着いた。

 月曜からはおニューのウォーマーでウキウキ出勤だ。
 うんと寒くなぁれ!←ウソです。

 にしても、私は忘れ物をするとか持っていたものを失くすということはほとんどなかったのだが、最近少しばかりそういうことが起こっている。

 同じ先週の月曜の夜。けっこうな人数での宴会があったが料理がたいそう余ってしまった。持ち帰られるようにと、店の人が残った揚げ物をいくつにも分けてパックに詰めてくれた。私も持たされたが、コートを着るうちにそのまま忘れてしまった。
 齢のせい?いや、違う。気合が足りないだけだ(と信じたい)。

 メシアン(Oliver Messian 1908-92 フランス)の「忘れられた捧げ物(Les Offrandes oubliees)」(1930)。
 揚げ物じゃですよ。捧げ物ですよ。紛らわしいけど間違わないように。

 「管弦楽のための交響的瞑想(Meditation Symphonique pour orchestre)」という副題が添えられており、緩-急-緩の3つの部分は、「十字架」「罪」「聖体」というタイトルが付けられている。

 メシアンの管弦楽作品の中で実際に演奏された最初のもので、その初演は1931年2月であった。なお、ピアノ編曲版も作られている。

 コンスタント指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏を私は聴いている。
 1971録音。apex(原盤エラート)

 紛らわしいといえば、こんなメールが来ていた。

 ※メ-ル確認《無-料》
 福山雅台様から新-着メ--ルです。
 --タイトル--
 福山雅台です。突然の_連絡すいませんでした。
 --本文-内容《無・料》--
 http://ph7kv.gyyhggsfbg.biz/6mq0m23tgkw***************


 やれやれ。