63c35015.jpg  別にユダヤ・シリーズじゃないんだけど、関連しておととい昨日に続き、今日はアシュケナージ指揮の演奏を。

 よく、会議とか講演会の終わりでの質疑の際に、「大方の人たちはもう早くやめようぜ、弁当も届いてるんだし」と集中力放棄の気もそぞろ状態に堕落してしまっているにも関わらず、空気を読まずに挙手する人がいる。
 それはまあいいのだが、それに便乗して「いまの〇〇さんの質問に関連してお聞きしたいのですが……」とダメ押しをする人もいる。
 会場の空気は音のないため息で二酸化炭素過多状態だ。ミドリムシが入った水槽があったら、一挙に繁殖して水が真緑になりそうだ。

 が、さらに「同じく関連して……」とやられたら、もうぶっ倒れそうになる。

 こうなると、回答する人の技量が実に重要になる。最初の質問はこうで、次の質問はあーで、えっと最後の質問はなんでしたっけ?というのは誠実すぎるいけないお答え。
 お三方の質問についてある程度まとめて、場合によっては途中でも弁当を配らせるのが上手いやりかたである。
 いえいえ、もちろん冗談ですよ。半分は。
 半分は本気の願望です。

 といいながら、関連する、それもかなり弱々しいつながりの記事をこれから書こうとしている私。せめてもの罪滅ぼしで、挨拶は、いや本文は短くいたしたい。

 アシュケナージはソヴィエトのゴーリキ生まれ。父方がユダヤ系である。
 アシュケナージという言葉自体が、ディアスポラ(離散した集団)のユダヤ人の中で主として東欧に定住した人たちとその子孫であるアシュケナジムの単数形なのである。

 そのアシュケナージがロイヤル・フィルを振ったボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の交響曲を。
 ここからはユダヤから離れることになる。

 収録作品は交響曲第1番変ホ長調(1862-67)と交響曲第2番ロ短調(1869-76/改訂'79)。それに加えて、交響詩「中央アジアの草原にて(Dans les steppe de l'Asie centrale)」(1880)。

 これらの演奏に共通するのは、アシュケナージの“優しさ”みたいなもの。
 じんわりと音楽のもつパワーが、幸福感が伝わってくる。

 重厚ではないが軽薄でもない。こういうのを一般的にバランスが良いと言う。
 濃厚な民族色や、ちょっと乱暴なんだからぁというのが好きな人(私はこっちのグループに属する)には物足りないが、模範的で立派だと素直に認めたい。
 そういう点で、よりヨーロッパ的な第1交響曲の方が成功していると思う。

 交響曲第2番の録音は1991。他は1992。DECCA。


 今日はひな祭りか……
 さくら餅、食わにゃあならんかな……