cee37f49.jpg  死が忍び寄って来て、最後は息を引き取る……

 こういう内容の歌のなかで有名なのはシューベルトの「魔王」だ。
 先日とある居酒屋において、“お品書き(お飲物)”を開いたときに“魔王”の文字を目にしてそんなことを思った。
 私、飲みながらも物思いにふける危ない人では決してないのだが……。その証拠に、私はハイボールを頼んだ。証拠になってないか……

 だが、「魔王」(もちろん焼酎じゃなく歌曲の方)に勝るとも劣らない怖~い内容の歌をムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839-81 ロシア)が書いている。
 4曲からなる歌曲集「死の歌と踊り(Songs and Dances of Death)」(1882出版)だ。

 作曲されたのは1875年。ただし第4曲のみ完成は1877年。

 晩年のムソルグスキーは酒浸りだった。ボロディンはそれを大いに嘆いていた。
 ムソルグスキーの友人で画家のレーピンはこう書いている。

 氏素性に恵まれ、美しく、洗練されたマナーの近衛将校、淑女らとの機知に飛んだ会話を得意とする紳士、際限のない駄洒落屋……が、突然、持ち物を、エレガントな衣服さえも売り払って、安っぽいサロンに入りこむと、たちまち周囲のありきたりの連中と同化し、赤いジャガイモのような鼻を持った、子供のように幸せな人物が周囲と区別がつかなくなるのは、全く信じがたいほどである。……本当にこれが彼なのだろうか?かつては一点の非の打ち所もない服装をし、上流社交界の一員だった人物、香水をつけ、食物に凝り、潔癖そのものだった男性なのだろうか?外出のたびに、V・V(スターノフ)は、地下の安酒場で、ボロを着て酒びたりになっている彼を連れ出そうと試みた。
   (「H.C.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」:共同通信社)

 「死の歌と踊り」の歌詞は、1873年から同居していた遠縁にあたる若い伯爵ゴレニシチェフ=クトゥゾフによる。ムソルグスキーには女性にまつわるエピソードが不自然なほど残っていないが、ホモだったかというと、その根拠もないという。
 しかし、この若い伯爵とどのような関係にあったのかは、ふつうに考えるとチョメチョメだったように思われる。

 各曲は、

 1. 子守歌
 2. セレナード
 3. トレパーク
 4. 司令官

で、このタイトルだけを見る分にはなんにも怖いことはないが、歌詞の内容はゾゾゾのジェジェジェだ。

 第1曲「子守歌」は、病気の幼な児のもとに“死”がやって来て死の子守歌を歌う。母親が払いのけようとするが、子供の命は奪われる、というもの。

 第2曲「セレナード」では、病気の若い女性に“死”が忍び寄り、セレナードを歌って誘うという内容。

 第3曲「トレパーク」は、吹雪の夜に死神が酒に酔った老いた農夫とトレパーク(ウクライナの農民舞曲)を踊る、というもの。農夫は、夏が来て花が咲き、畑に太陽の光が降り注ぎ、鳩が飛ぶ夢をみて死んでゆく。

 第4曲「司令官」では、激戦あとの夜の戦場に“死”が現われ勝利宣言をし、戦死者たちに死者を讃える宴に誘うもの。最後に「もはや誰もよみがえらない」と歌われる。

 今日は伴奏部分をショスタコーヴィチが管弦楽編曲(1962)した版による演奏を。
 当然のことながら、ショスタコーヴィチ作のオリジナルの曲を聴いているかのような響きだ。

 アレクサーシキンのバス独唱、ショルティ指揮シカゴ交響楽団による、1997録音のもの。
 DECCA。