43cd32bf.jpg  本当は2月に歯医者に行かなければならなかったのだけれど、行けてない。
 かかりつけの歯科医院は札幌にあり、義理堅いことにもう20年近くそこに通っている。

 最初は下の前歯がぐらぐらして、当時住んでいた場所のそばにあったその歯科医院に行ったのだった。かなり焦り慌てて。
 結論としては要するに歯肉炎とか歯周病によるもので、歯磨きの仕方が悪いといったことが原因。ぐらぐらしたのは歯の根元の骨が弱くなっているためだった。若くして(当時)やれやれである。

 それ以降、数か月に1度のペースで通院し、ちゃんと歯磨きができているかを点検され、刺繍ポケットだったら手洗いの方が安全かもしれないが、私の場合は歯周ポケットなのでジェット水流みたいなものでクリーニングされるのである。

 現在の私が置かれている状況では、出張で札幌に行ったときの空き時間にしか通えない。出張が決まった段階で予約を入れようとしても、もう入らないのである。

 きっと担当の歯科衛生士さんは私がなぜ来ないのか心配してくれて……いないだろうな。寂しいけど。

 そんなわけで、通院の間隔が予定よりあくわけで、せめてもの対処法として薬用歯磨き粉を使うことにした。
 にしても、もはや粉の歯磨き剤なんてほとんどないのに、なぜ歯磨きペーストという語句は定着しないのだろう?
 言いにくいからだな……
 間違いない!
 練り歯磨きってのは何だか気持ち悪いし……。この際“歯磨き粉”で貫こう。

 いま使っている歯磨き粉はしょっぱい。つまりはソルトのしょっぱさである。
 英語で塩はsaltだが、この綴りでサルトじゃなくてソルトと発音しなければならないことに私はどこか納得できないが、世の中の決まりだからしょうがない。

 で、Solti。ソルティじゃなくてショルティである。

 ショルティ/シカゴ響によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」を久しぶりに聴いた。1970年録音のものだ(デッカ)。

 このブログでは一度取り上げたCDを再び取り上げることはこれまであまりなかった。
 が、待てよ……
 これまでの人生の中で大いに感動したり、クラシック音楽を聴く喜びを与えてくれた大好きな演奏に対し、一度だけであとは放置したまま触れないのはいけないことのように思えてきた。それじゃ聴き捨てみたいだ。もっと1つ1つを大事に聴かなきゃ。大切に扱わなきゃ。
 加えて、過去にここで取り上げたことなんて、みんなまったく覚えてないこと間違いなしだし。

 このショルティの演奏は、私にとってマラ7との出会いのもの(FMをエアチェックしたものを聴いていた)。
 いま聴くと、ショルティの持ち味である、ズンズンサクサクと割り切って進んでいく演奏。
 その後ほかの多くの録音を聴いてきて、ショルティのこれは今となっては昔風ではあるものの、その魅力は褪せていない。

 とにかくカッコイイ!
 この指揮者、このオケはどんなフレーズもお茶の子さいさいとやってしまう。
 この絢爛豪華なサウンドにどれだけ酔いしれたことか!ティンパニの鋭い音にどれだけ快感を覚えたことか!
 終楽章なんて、聴いてる私は躁病状態。

 ちなみにずっとずっと参考にしてきた私のバイブル ―最新レコード名鑑「交響曲編」(門馬直美編著)― には、ショルティのこの演奏について以下のように書かれている(この冊子はレコード芸術の付録で、昭和49年のものだ。なにせ、裏表紙のエンジェルレコードの広告には、「詳しいパンフレットをご希望の方は郵便切手35円分を同封の上……」って書かれている)。

 オーケストラを存分に色彩的にダイナミックに鳴らし、主要な主題や動機を明快に示し、はっきりした輪郭をみせながら音楽をすすめる。あまりに現実的で夢がないといえそうな演奏でもあるが、無理な表情をみせてはいない。ただ、全体のひびきにもう一歩の洗練性がほしいところでもある。しかし、ショルティの卓絶した設計は、この長大な曲を一気にきかせてしまうのである。

 この冊子は、主要な交響曲について、お薦め盤をそれぞれ3種類ずつ紹介しているもの。
 この時代にマーラーの全交響曲が主要な交響曲の扱いをされていることは、ある種驚きである。そして、第7番においてはショルティ盤は第2位の位置づけとなっている。

 私が次に聴いたマラ7の録音はクーベリック盤だった。
 これはLPを買った。グラモフォンのやや廉価のものだったような気がする。 
 丸井今井のレコードショップで買った。いまでは想像できないだろうが、丸井デパートのなかにもレコードショップがあったのだ。

 クーベリック盤は「最新レコード名鑑」ではショルティに次ぐ第3位となっていたので選んだのだった。

 が、その演奏は全然物足りなかった。情感という点ではショルティよりも上だったのだろうが、若くてピチピチしていて脳のしわが少なかった私には、だんぜんショルティの方がよかった。

 門馬氏はクーベリック盤についてこう書いている。

 ダイナミックであり、しかも配慮のゆきとどいた表情ですすめられている。マーラーらしい透明感のある明るいひびきもあるし、対位法的な処理のうまさもある。第2楽章と第4楽章は、夜の気分のロマン性と落ちついた抒情性をおき、しかもデリケートさもみせる。第5楽章は、オーケストラの処理のうまさと対位法の扱いの巧妙さで、華麗さを一段と強調している。

 この文章でまだ声変わりしたてのうぶな私が学んだことは、この曲の第2楽章と第4楽章はデリケート・ゾーンだということだった。

 にしても、久しぶりに聴いても引き込まれたわい、ショルティに。
 私の音楽鑑賞人生の中で欠かせない1枚である。

 なお門馬氏がここで選んだ第1位はクレンペラー盤。
 そう、あのクレンペラー盤である。

 私はなぜか、というよりも、数々のジャケットに写っているクレンペラーの顔がすっごく昔の人っぽくて、そしてまた怖い顔なので、この指揮者を避けてきた。
 私は初恋はカルピスの味ってころに、この7番を聴かなかったのは良かったのか、悪かったのか?
 ずっとのちにこの演奏を聴くことになったが、これは超名演。でも、アブノーマル。

 その後私は、少なくともアブノーマルな人生を歩むことにならなかったから、若くして聴かなくてきっと良かったんだろうな……

 なお、しょっぱい歯磨き粉は美味しくない。そう思う私である。