7f83af78.jpg  クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106(1879-81)。

 昨日の記事がエンペラーだったから今日はクレンペラー、なのではない。
 グーゼンってやつだ。

 さて、今回札幌の会議で一緒になった某支社の某さんが、「これからの人生、もうペラペラな薄っぺらいものになってしまった」と、ボロボロに落ち込んでいた。

 ドックで膵管拡張が見つかったことは2週間ほど前に聞いていた。そのとき、「私も4年前に引っかかり、おまけに継続特典のように翌年の3年前にも引っかかったけど、再検査でなんとか大丈夫だったよ」と心から大丈夫に違いないと勇気づけたのだったが、再検のCTの結果は慢性膵炎。今後は1滴たりともお酒を飲んではいけないと宣告されたということだ。
 さらに受けたMRIの検査結果はまだ出てないというが、私の場合は音波内視鏡検査もしたというと、自分はそれを言われていないと不安そうな表情になってしまって、余計なことを言ってしまったかなと、ちょっぴり思った。
 で、「あれは麻酔のせいで検査後もけっこう長い時間棒に振るから、お医者さんも段階を踏んでるんでるのかも……」と、慰めてんだか追い込んでるのかわからないようなことも言ってしまった。が、いずれにしろやっぱりなんでもなかったという結果になることを祈ってる。

fcd95625.jpg  今回の出張では久しぶりに自宅に宿泊したが(って言い方は実に妙だ)、玄関前アプローチの雪はすっかりなくなっていたものの、庭にはまだけっこう雪が残っていた。熟語でいうと残雪ってやつだ。熟女でいうと、はて?
 ということで、バラたちの幹は雪ノ下。ノネズミの被害に遭っていないかどうかは不明のままだ。

 また、積雪の影響で端正な容姿が崩れつつあったコニファーは(加齢の影響で端正な容姿が崩れつつある自分の姿とオーバーラップする)、地際からの幹が開脚状態。下部の枝は雪で折れてボロボロだ。

 にしても、2月の雪かき中に手を滑らせて雪の中に見失ってしまったミネラルウォーターの
ペットボトルが、雪解けが進んだ今もまだ発見されていない。実に不思議だ。

 ところで、フィルハーモニア管弦楽団とニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いはご存知?
 「ニューがついてるのと、ついてないの」
 はいはい、そのとおりですよ、おじょうちゃん。
 でもね、これからは“・”のことも見落とさないようにようにね。

 では、大人向けの箇条書き説明。

 1945 フィルハーモニア管弦楽団がEMIのディレクターだったレッグによって創設。
 1964 財政難からレッグが解散を宣言
     名称をニュー・フィルハーモニア管弦楽団として自主運営オケとして再スタート。
     終身指揮者はクレンペラー。
 1977 “ニュー”をとり、再びフィルハーモニア管弦楽団の名称に戻る。

 ということなのである。

d587a035.jpg  初代フィルハーモニア管は当初、カラヤンの指揮で多くのレコーディングを行なった。しかし、途中でベルリン・フィルの常任指揮者になったため、カラヤンとの関係は疎遠となった。そのカラヤンののあとに招かれたのがクレンペラーで、1959年から終身指揮者となっていた。
 またニュー・フィルハーモニア管は1972年に客演したムーティをすぐさま首席指揮者にした。

 さて、ブルックナーの第6交響曲は彼の他のシンフォニーに比べ、ちょっと女性的である。女っぽいんじゃないですよ。女性的なんです。その存在はベートーヴェンの第6交響曲に似ているように私は思う。

 が、クレンペラーの演奏を聴くと、やっぱこれ、ブルックナー以外の何物でもないじゃんってものになる。

 この曲がこれほど大きなスケールで鳴り響く演奏は、なかなかほかにない。
 風格を感じる。
 岩でできた要塞のようにガッシリしている。
 重量感抜群。そのさま、体当たりしてもびくともしない女性力士のごとく……
 金管の響きもうれしいくらいビンビンで伸びやか。

 1964録音。1881年稿ハース版。



a63028e7.jpg  時おり胃にキリキリとした痛みが走る。
 気のせいではない。間違いなく。
 カメラで委縮性胃炎が発見されたのだから当然だが、その判定が痛みを喚起しているような気がしないではない。
 日々委縮した生活をしていると胃炎ですら委縮性のものになるのだろうか?

 まあ、とにかく今日は出張から戻るが、朝から雨かよ……
 気持ちが縮む……