373b7e2c.jpg  木曜日、2か月前に支社の近くにオープンした店で昼食を食べた。

 ヤマダ課長と阿古屋係長と3人で、「さて、今日はどこに行こうか?」と当てもなく外へ出たのだが、はっきり言って本当に当てがなかった。
 係長が「長寿庵かざくろはどうですか?」と提案したが、長寿庵は魅力的なもののこの日の天狗がウチワを扇いだような強風では到着が大幅に遅れる恐れがあった。

 で、すごく前向きな気持ちではないものの“ざくろ”に向かい始めたのだが、そうだそこに店があるではないか!と行き先を変更したのだった。

 なぜ最初から目指さなかったのかというと、ヤマダ課長がオープン直後にそこに一度行っており、メニューが実に充実していなかったという苦い経験をしていたからだ。係長も行ったことがあるそうだが、そのときの印象がまったく残っていないようであった。

 が、「そこは未体験なの」という私に配慮してくれて、“ざくろ”ではなく、その店“ジェロ”(偽名)に決めた。

 “ざくろ”というのは居酒屋だが、ランチもやっている。なぜか夜利用したことはない。
 昼は、空気の缶詰のようにいつもすいている。
 昼のメニューは1種類しかない。そのものずばり“日替わり定食”だけ。しかも内容は一切開示されていない。出てくるまで秘密のベールに隠されている。

 「1つ」(1人の場合)とか「4つ」(4人の場合)とおばちゃんに言う。あとはどんなものが運ばれてくるかドキドキしながら待つしかない。大嫌いなおかずかもしれないし、そうでないかもしれない。が、大好物が出てくる予感がまったくしないのが不思議だ。

 数週間前に行ったときは、焼いた鮭の切り身にあんがかかったものだった。他にはホウレンソウのおひたし、大根の煮物など、畜肉は一切なし。
 私にとっては不満だったが、健康的なメニューであることは確か。
 寺に修行に来た気分でよく噛んで味わった。

 あのとき私は、なぜ“ざくろ”の母さんがその日のメニューをオープンにしていないのかのヒントを得た。あとから来店した3人組の客。彼らに日替わりが運ばれてきたとき、私が目撃したもの。それは、魚が私たちと同じ鮭ではなく、白身魚を焼いたものだったからだ。
 つまり前夜の食材の在庫一掃セールってわけね。

 さて、“ジェロ”に入る。
 客は1組(2人)のみ。
 
 「お好きなところにどうぞ」と女性店員(店員はその人1人。察するに店の奥さんだろう)に言われ、とはいっても3人バラバラでお好みの場所に座るのも変なので、4人掛けテーブルにまとまって座る。

 メニューを見る。
 パスタ3種類に牛すじカレーしかFOODはない。しかもいずれもなかなか上質なお値段。

 私は「ランチメニューはここにあるだけですか?」と一応問う?もしかすると日替わりランチなるものがあるかもしれないからだ。

 「えぇ、ウチはカフェですので」
 微笑みながらその店員が答えるが、目には「何か不満かい?」という威圧感があった。
 団扇加平?店主の名が?
 なんて、おちゃらける雰囲気は皆無だった。

 3人とも牛すじカレーにした。
 というか、育ち盛りの男の子にとって、これ以外の選択肢はなかった。

 味はまあまあだったが、コストパフォーマンスはよろしくない。インデアンカレーだったら2皿食べてもお釣りがくる。
 価格的に、そしてカフェと主張している点から、コーヒーもセットになっているんじゃないかと前向きに考えたが、その考えは無駄に終わった。

 店を出たあと、私たちは満たされない気持ちで社に戻った。
 特に私は、「あんたたちの来るようなとこじゃないのよ」という意味が込められているような、「ウチはカフェですので」という言葉に憤りを感じていた。しつこくも……

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「ミケランジェロの詩による組曲(Suite on Verses by Michelangelo Buonarrotti)」Op.145a(1975)。バス独唱とオーケストラのための作品だが、前年の1974年に書かれたバス独唱とピアノのための同名作品Op.145の編曲版である。

 ミケランジェロは、ご存知のとおりルネサンス期の彫刻家だが、数多くの詩も残している。
 ショスタコーヴィチが用いたテキストは、A.エフロスがロシア語に訳したものである。

 次の11曲からなる。

  1. 真理
  2. 朝
  3. 愛
  4. 別れ
  5. 憤り
  6. ダンテ
  7. 放逐(追放)された者
  8. 創造
  9. 夜(対話)
 10. 死
 11. 不滅(不死)

 ショスタコ―ヴィチらしい暗さ、怖さ、もの悲しさ、屈折感といった気分に満ちた作品。そしてオーケストラはしばしばハッとするような美しさを放つ。
 最晩年の作ながらさほどポピュラーではないが、ショスタコのすべてが凝縮している。

 コチェルガのバス独唱、ユロフスキ指揮ケルンWDR交響楽団の演奏を。
 1996録音。ブリリアント・クラシックス(原盤カプリッチォ)。

 この日の夜。
 本社から2名の方が出張で来ていたので、夜をお供した。
 痔の手術の話やミセスロイドの話に花が咲いた(←さっぱり事情がわからないだろうが、今後それがネックになる危険性はまったくない。わからないままにしておいてよい)。

 場所は“夢想”(仮名)という居酒屋。料理も美味しく満足したが、トイレが男女共用で、しかも1つしかないのがネック。だって、一度行き出したら何度も行きたくなるうえ、すぐに切羽詰まるほどの状態になる私だから……

 ジェロ……もう行かない。