f38a2b37.jpg アントン・ブルックナーは、日本でもっとも人気がある作曲家のひとりである。「深い森の中にたたずむような」と言われるように、神秘的で静謐な美しさが特徴的である。と同時に、オーケストラを大きく鳴らす豪快な音響も登場する。こちらは「アルプスの巨峰」だの何だのと形容される。いずれにせよ、静かな部分と、盛り上がった部分の対比が著しい。そして、曲の最後ではすさまじいクライマックスがやってくる。

 こう書いているのは許光俊である(「生きていくためのクラシック」:光文社新書)。

 一方で、都響のヴィオラ奏者(当時)の中山良夫は、金子建志編「オーケストラの秘密」(立風書房)のなかで、次のように書いている。

 一般に作曲家という人種はブルックナーをあまり高く評価しないそうである。作曲法、管弦楽法など、とにかくどの点から見てもダサいのだそうだ。まあ演奏する側からみてもおよそプレーヤーの生理に反することをしばしばやらされるのでウンザリということはよくある。例えばシンコペーション。ある旋律と同時にそれを8分音符や16分音符1個分遅れた形で別のパートが追いかけるというのはブルックナーがよく使う手なのだが、ご想像のとおりテンポが速いほどこれは難しい。油断しているとほかのパートにつられていっしょになってしまう。

 聴く側とやる側のギャップ……

 そして、交響曲第3番の終楽章について、こう続ける。

 たとえばこの交響曲第3番終楽章で第1、第2主題提示後の強烈なフォルティッシモの部分を聴いていただきたい。アレグロ、2分の2拍子で中音域以上の楽器が4分音符だけの旋律をひき、低音域の楽器が同じことを8分音符1個分遅れて追いかける。その効果は正に圧倒的で、大伽藍におけるものすごい残響をともなうオルガンのユニゾンといったところだろうか。

8acc371c.jpg  そのブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第3番ニ短調WAB.103(1872-73/第2稿1876-77/第3稿1888-89)を、ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンの演奏で。

 弦も管も咆えまくる。とにかく雄弁。かつ切れ味抜群。
 終楽章は高音域がちょっとキンキンしていてヒステリックかなとも思うが、迫力は満点。
 若々しい粗さが聴き手を熱風で攻撃してくる。

 1889年第3稿ノヴァーク版を使用。
 1977録音。ワーナークラシックス。

 この第3番の第2楽章にドヴォルザークの「新世界交響曲」の第2楽章、あの「家路」そっくりの、というか「家路」そのものの断片というべきメロディーが登場する。
 でも、どうしてみんなそのことには特に触れないのだろう?

 そんなことを考えながら、冷蔵庫の中でいつの間にか熟しすぎてしまっていたアボカドを食べた。

 で、昨年失敗した水栽培に再びトライすることにした。
 それにしても、私としてはやっぱり“アボガド”と呼びたい……