968891d8.jpg  本日は仏滅。にもかかわらず、こどもの日である。

 私が子どものころ、家には鯉のぼりがなかった。

 小学校5年生で父の転勤で札幌に引っ越し、祖父母と同居するまでは社宅住まいだったので、鯉のぼりがあっても上げる場所がなかったのが、その主たる要因だと思う。そうだと気づくまで、もしかしたら私は女の子なんじゃないかと夜な夜な悩んだ、なんてことはもちろんない。

 しかし、かわりに五月人形がひと揃えあった。
 けっこう大がかりなものだったが、そんなの飾っても私には興味がなく、刀だの何だのの小物をいじくっては紛失させていたような気がする。

 そんな子どものころの私の夢。それは、小さいうちにありがちなお決まりのコースとも言えるが、バスの運転手さんになることだった。そしてかわいい車掌さんと結婚することだった。もちろん想定していた車掌さんは女性である。

 でも、人気TV番組“チャコちゃんケンちゃん”のケンちゃんになるのも悪くないな、とも思った。が、私には姉がいないという、この夢を成就させるには致命的な欠陥があった。

 それが、小学校3年ころになると鉄道関係の仕事がいいと思うようになった。友だちの1人がたいした立派な鉄道模型を持っていたからだ。
 数年後、初めて時刻表というものを目にしたとき、その夢は巨大な妄想と化し、北海道有鉄道を経営したいというワケのわからないものに膨らんだ(その代償行為として、のちに一時期Nゲージにはまった。しかし、お金とスペースの問題でやめてしまった)。

 やがて化学者になりたいと思うようになった。図鑑で硫酸銅などの結晶の写真を見たのがきっかけだった。

 それが、高校に進むと化学より生物学の方がおもしろいと思うようになってしまい、大学受験のときには、そのころ愛犬が死んだのために獣医になろうとも思ったが、学力不足だし、私立だと金銭不足なのであきらめて、農学系の大学に行った。大人になってふつうのサラリーマンになった。サラリーマンになって洗濯屋ケンちゃんを観ても、洗濯屋になるのも悪くないなとは思わなかった。出演していた女性が好みでなかったからだ。

 このように夢なんてはかないものである。
 はかなく終わったことには、常に“不足”が関わっている。

 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の組曲第2番ハ長調Op.53(1883)。
 次の5曲からなる。

 1. 音の遊び
 2. ワルツ
 3. ユーモラスなスケルツォ
 4. 子どもの夢
 5. 野性的な踊り(ダルゴムィシスキー風に)

 チャイコフスキーは管弦楽のための組曲(Suite)を4曲書いている。
 このなかでは第4番「モーツァルティアーナ」が有名である。

 第2番はチャイコフスキーの特徴がはっきりしている楽曲ながら、ほとんど聴かれることがない。初演された当時はけっこう人気があったそうだが、何か決定的なものが不足しているのだろう。
 が、放っておくにはもったいない作品だ。心地よいメロディーが散りばめられているのだから……

f79c6ce2.jpg スヴェトラーノフ指揮USSR交響楽団の演奏で。
 1985録音。メロディア。

 昨日の朝。
 起きると無風だった。
 で、コンクリートの補修をした。

 補修前の状況はご覧のように悲惨である。
 なんか汚いなと思うかもしれないが、これは先日、ガードラックという防腐剤をやけくそで注ぎ入れた痕跡だ。支柱の下の方が腐りかけていたからだ。

9e31f476.jpg セメントを溶いてプラスチック製のスプーンでひび割れたところやすき間に入れていく。生来、図工が苦手なので私にとっては難しい作業である。

 風がないのはいいが、前日枕木に塗ったクレオソートの臭いがあたりに漂う。
 いかにも虫が寄って来なさそうな刺激臭だ。

 作業を終えたあとの状態がこれだ。 
 私としては良くできた方だ。これで強度が増したかどうかはまったくわからないが、とにかくやるべきことはやった。達成感がある。
 ゴールデン・ウィーク中に催されている子供向けの何かのイベントで、いきなりテレビの取材を受けた子供が「よかったです」と答えるかのように、私はいま感想をインタヴューされたら「よかったです」と答えるだろう。

 にしても、細かいひび割れにはどうやってセメントを入れ込むのだろう?
 私には不可能なことだった。どう考えても、その方策が見つからなかったからだ。