0f72d312.jpg  札響の演奏には、ここ数年、少なくとも私が行くコンサートでは高水準のものを聴かせていただいている。

 が、今回はただ大好きな伊福部作品ということを超えて(いや、それならむしろ厳しい聴き方になる)、酔うような時間を過ごさせてもらえた。

 5月31日14:00~、札幌コンサートホールKitara。
 指揮・高関健、ヴァイオリン独奏・加藤知子。

 「伊福部昭生誕100年記念」ということで、プログラムは

 1. 日本狂詩曲(1935)
 2. ヴァイオイン協奏曲第2番(1978)
 3. 土俗的三連画(1938)
 4. シンフォニア・タプカーラ(1954/改訂'79)

 このうち前半の2曲は、私も今回初めて生で聴くこととなった。

 まず「日本狂詩曲」。
 第1楽章はしっとりとした夜想曲であり、第2楽章は打楽器が主役となる野蛮とも言える音楽だが、特に私は第2楽章を騒々しいだけに終わらせないよう処理するのか期待していた。

 テンポはややゆっくりめで落ち着いて進む。ふっくらした音響だが、各楽器各パートの音はよく聴こえてきて塊にならない。そのため、ここはこの楽器がこんなメロディーを奏でていたんだと新たな発見もあった。
 その透明感は大音響が炸裂する第2楽章でも変わらず、ガンガン激しさばかりが強調されるわけではなく、うまくコントロールされた上品かつ熱い響きが堪能できた。

 ヴァイオリン協奏曲第2番は、独奏でフニャララと音程が揺らぐような箇所がいくつかあった。これは慣れ親しんでいる小林武史盤にはない、あたかも音程が外れているようなところがあった。
 ただ、終演後の加藤知子も、指揮者も、そしてオーケストラのメンバーもうまくいったって表情をしていたので、ミスではないのだろう。聴衆も熱い拍手を贈っていたし……(もっとも、初めて聴く人も多かったのではないかと思う)。また、この音程の外れのようなものは、「日本狂詩曲」の第1楽章終り近くのヴァイオリン・ソロ(この日は大平まゆみ)にもあった。
 ということは、このようなズレ、西洋音階にはない微妙なズレを、伊福部は狙っているのかもしれない。
 以前「しゃっきとしない」という感想を持ち、その後聴いていない緒方恵盤を再確認してみる必要がありそうだ。しゃきっとしてなく思えたのは、計算されたズレの可能性がでてきたから。

 「土俗的三連画」は、少人数のオーケストラでいかに多彩な表現をするかという伊福部の工夫が良く伝わって来る演奏だった。そしてまた、静と動のコントラストが巧みに表現された好演。正直、次の「タプカーラ」の前座のような感覚でいたのだが、かなり演奏に引き込まれた。

 そして「シンフォニア・タプカーラ」。
 感動を通り越して放心状態になってしまうような、みごとな演奏。
 初めて「ラウダ・コンチェルタータ」を聴いた日のことを思い出してしまった。言葉にできない満足感を得た。
 すでに出ている録音としては井上道義型の激しくパワフルなものだが、井上ほど粗くなく、ここでも高関の絶妙なバランス感覚が光った。

 にしても、「土俗的三連画」と「シンフォニア・タプカーラ」は過去に一度札響で聴いているが(指揮は偶然にも両曲とも小松一彦)、伊福部ファンの私であっても、「土俗的三連画」がこれほど面白い曲とは感じなかったし、「タプカーラ」は「生だとこういう感じなんだぁ」というぐらいの感想しか持たなかったのはなぜだろう?
 やっぱ演奏のせいとしか考えられない。

 アンコールはなし。これは好ましい配慮。
 というのもこの4曲の並びは終わってみるとうまく考えられてるなぁって感じであり、「タプカーラ」の超名演のあとに、例えばゴジラの音楽なんてやられたら、それはせっかくの感動を壊してしまうから。ゴジラなどの特撮音楽は、今回の場にはふさわしくない。これまた指揮者に感謝だ。

 この日のコンサートはCD用の録音をしていた。
 とにかく優れた演奏だったので、みなさんもCD化を首をキリンにしてお待ちいただきたい。
 ただ、演奏中、パンフを落とす音やセキミ(咳ともくしゃみともつかない、奇妙な音)がしばしば聞こえた。それがあまり影響していないことを願っている。