3月18日19:00~、札幌コンサートホールKitara。
指揮は高関健。
曲目はマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調(1904-05。その後も管弦楽配置を変更)。このプログラムは今年がマーラーの没後100年にあたることにちなんでいる。
私がこの曲を生で聴くのは2回目。前回は2007年12月にインバル指揮の東京都響の定期演奏会においてであった。札響も何年か(いや、何年も)前に秋山和慶指揮で定期で演奏しているが、そのときには私は聴きに行けなかった。
高関は先月、自身のツイッターのなかで、今回の演奏にあたってはクビーク(Kubik)校訂版(というスコアにおける)変更をすべて反映させるため最新版による演奏になる、と書いていた。
私にそれらの変更点が、どこでどのようなものなのか、わかる自信ははっきり言ってあまりないが、非常に期待してコンサートに臨んだ。
マーラーの前に、3月11日に起こった東日本太平洋沖地震で犠牲になられた方々をしのび、チャイコフスキーの「モーツァルティアーナ」(組曲第4番Op.61)の第3曲「祈り」を演奏。
この曲の原曲となっているのはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618であるが、照明がいつもより落とされたステージ上で、それは神秘的ともいえる美しさで敬虔に響き渡った。
以前、高関/札響は、今回被害に遭った東北のいくつかの町に“音楽教室”として演奏旅行している。ステージ上の一人一人が思いを込めて、まさに祈りを捧げた。
短い休憩をはさんだあとのマーラーの第7番はとても面白かった。
この曲、私は十分知っているつもりでいたが、「おや、ここはこんな風に響いていたんだっけ?」というような箇所がいくつもあった。
これが、高関がこれまで、そして今回さらに変更を加えた箇所なのだろうか?あるいはそこは演奏ミスなのだろうか?正直なところ、よく区別できないところもあった。
それは今日のB日程公演で再度確認するつもり。
細かいミスはともかく(と言って終わりにするにはあまりにも、というのもあったが)、演奏は大熱演。ただし、名演とまではいかない。特に、第2、第3楽章では、アンサンブルの雑な感じが痛かった(その点、都響は見事だった)。これまた2日目の今日のB日程に期待したい。
世の中が不安で沈滞したムードになっている中(それは自粛とはまた別な面の現象だ)、ホールはかなり空いているのではないかと思ったが、客の入りが良いとは言えないものの、そこそこに入っていて、安心した気持ちになった。
コンサート
先週のことである。
わが社に商談に来た“どら猫酔狂堂(DSD)”のアルフレッド氏が帰り際に、私の席に寄って来て、もっのすごぉ~く申し訳なさそうに言った。
「あのぅ、アイゼンから電話が来まして、来週の札響なんですけど、MUUSAN閣下がせっかく手配してくれたチケットなのに、行けなくなったって……」
「えっ?どうしたの?苦労して良い席を確保したのに……」
「旅行に行くことにしたって……」
「すぐにチケットを送り返してもらいなさい!」
間髪いれず、私は明確な指示を出した。
アイゼンシュタイン氏とは彼が身勝手にDSDを退社し、その後何度か会った。氏は、自由人風ファッションで現われ、自由人風に酒を飲み、自由人風に金を払わないでねぐらに帰った。
でも、過去のお付き合いの関係から、私は12月、2月、そして来るべき3月定期の札響のチケットを手配してプレゼントして差し上げたのだ。
12月は来た(ような気がする)。
2月はドタキャンされた。
でも、それは親戚に不幸があったということなので、やむを得ないことだ。
でも、今度は旅行だって?
自由人だから旅行に行くことだって簡単にできるだろう。しかも、かなり前に渡された演奏会のチケット、それも2時間弱のために、その後に企画した旅行を断念することはできなかったのだろう。それは私が責めるようなことではない。
問題は、なぜ私に直接「行けなくなった」と伝えて来ないのか、ということだ。
メールでも構わないのに、これをアルフレッド氏に伝言させるのは、アルフレッド氏もかわいそうだ。事実、アルフレッド氏はそのとき、涙目だった(口元はなぜか緩んでいた。人間、あまりにも呆れたことに遭遇するとにやけてしまうのだろうか?)。
犬だって3日面倒を見れば、メールの1本くらい送って来る今日昨今だ。
ということは、私はアイゼン氏にけっこう失礼なことをされているということだ。
それとも、アイゼンシュタイン氏よ、本当は私のことが嫌いなのかい?
それならそれでいいけどさ……
私はかつての氏との楽しいかった(ような気がたまにした)タコ的日々を回想してしまった。
回想……
ショスタコーヴィチ(Dmirty Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第7番ハ長調Op.60「レニングラード(Leningrad)」(1941)。ショスタコーヴィチがこの曲の作曲を進める際、最初は1つ1つの楽章に当てはまる名前を頭に描いていたという。
第1楽章は「戦争」、第2楽章は「回想」、第3楽章は「祖国の広野」、そして第4楽章は「勝利」である(第7交響曲の作品自体についての以前に詳しく取り上げている)。
そっ、つまり「回想」つながりなわけ。強引だけど。
その第7交響曲。ヤンソンス/サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団による演奏のCDを聴いてみた(1988録音。EMI)。
過度に感情的にならない整った演奏だ。
第3楽章の美しさは特筆もの。
この演奏を聴くと、偽書と言われているものの、「ショスタコーヴィチの証言」に書かれているショスタコーヴィチの言葉、第7交響曲に込められた本当の意図についての言葉が理解できるような気がする。
そうそう、アイゼンシュタイン氏殿。
でも、私は感謝いたします。
この一件のせいかどうかはわからないけど、いつの間にか頭痛というか首筋の痛みが消失したから(おそらく、たぶん、間違いなく関係ないだろうな)。
3月3日、ひな祭りの日の北海道新聞夕刊に、その投稿は載っていた。
↓
“親切心を拒絶されびっくり”
買い物に行く途中、両手に大きな荷物を持った70代ぐらいの小柄な女性が前を歩いているのを見かけました。大変そうに見えたので「荷物持ちましょうか」と声掛けしたら「いらない。ほっといてくれ」と逆に怒鳴られました。親切心からの声掛けのつもりでしたが、思わぬ反応にびっくりして女性から離れました。少し悲しくなりましたが、きっと親切を装った人に荷物を持ち逃げされた経験があるのだろうと善意に解釈して、胸に納めました。
この文を読んでみなさんはどのように思うだろうか?
「荷物を持ち逃げされた……」という発想の飛躍にとまどいを感じなくもないが、それでも「この小柄な女性、なんてひどいやつだ」と思う人が大半ではないだろうか?私はこの見も知らぬ70代ぐらいの女に怒りを感じた。
しかし、である。
もう感づいているかたもいらっしゃると思うが、これ、「皆さんの体験談を紹介する」という道新夕刊の名物(迷物)コーナー“はいはい道新”の掲載記事なのである。
一筋縄ではいかない。
というのも、この投稿人、“苫小牧市・無職 女84”なのである。
いかがであろう。
ここに書かれているのが事実だとしたら、70代小柄女の態度はひどいものの、でも、自分よりもおばあさんなる女性にそんなこと言われたら、驚き、うろたえ、馬鹿にしてんのか?と受け取るのも不自然ではない(あなたが10kg入りのコメ袋を持っていた時に、小学2年生の女の子に「持ちましょうか」と言われた場面を想像してみると理解しやすいだろう)。
それに、70代小柄女は本当に「ほっといてくれ」と言ったのだろうか?
私は疑念を禁じ得ない。
なぜなら、これじゃ爺さんの口調だ。
あるいは、実は爺さんだったのに84歳無職女には小柄な女性に見えたのかもしれない。
話を変える。
3月1日にサントリーホールで行なわれた札響の東京公演。
そのアンコール曲は、コンサートの感想記事のときにも書いたが、シベリウス(Jan Sibelius 1865-1957 フィンランド)の「祝祭アンダンテ(Andante festivo)」(1924)であった。編成は弦楽で、ティンパニは任意。
コンサート終演後、出口には「本日のアンコール曲についてはサントリーホールのホームページをご覧ください」といった内容の紙が掲示されていたが、なんでそんな回りくどく、手間がかかることをするのか、さっぱりわけわからん。
あの場で「本日のアンコール曲はシベリウスの『アンダンテ・フェスティーヴォ』です」って掲示してくれたら、ロビーで売っていた札響のCDの売り上げももう少し上がったかもしれないのに、と思う。
というのも、前に紹介した尾高/札響によるCDに収録されているからだ。
もちろん、当日、会場でも販売されていた。
北欧音楽シリーズ第2弾となるこのCDには、グリーグの作品としては「抒情組曲」「2つの悲しい旋律」「2つの荘重な旋律」が、シベリウスの作品としては「ポヒョラの娘」「夜の騎行と日の出」「祝祭アンダンテ」が収められている。
このCD、なかなかすばらしい演奏ばかりである(レコ芸でも絶賛されていた)。
2006年以来、久々のサントリーホールでの札響東京公演(2007年は東京芸術劇場、'08~'09年はオペラシティコンサートホール)。
また、2010年は東京公演が行なわれなかったように見えるが(実際この年はなかった)、年度で区切っているため、ちゃんと毎年度開催されているのである(2009年度は2009年11月)。空白の年度があったわけではない。
2006年のサントリーホールでの演奏は、メイン・プログラムがマーラーの交響曲第5番であったが、今回は同じ尾高忠明の指揮でショスタコーヴィチの交響曲第5番。プログラムとしては、第536回定期と同じである。
札幌での定期演奏会では、私が聴いて、ちょっぴり不満を感じた金曜日のA日程の演奏に比較して、私が自宅で昼寝していた土曜日の昼間に行われたB日程を聴いた人の賞賛の声をいくつか耳に(目に)したが(かまど姫さんなど)、東京公演での演奏もおそらくB日程の演奏に近かったのではないかと思った。
1曲目、武満徹の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」。
札響のサウンドがサントリーホールに美しく響き渡る。が、金曜日の定期演奏会のときに比べ、やや粗造りな印象(それでも、美しい好演)。
東京の聴衆の反応も、「1曲目だもんね」という、前座に対する拍手のようなものにとどまった。
2曲目はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番。
私はこの曲の第1楽章で武骨に大太鼓が鳴り渡る箇所にゾクゾクするし、第2楽章以降繰り返し現れる「買ってくださいブーブリキ」に基づくメロディーを聴くと、そのときのショスタコーヴィチの母親の心情や幼いショスタコーヴィチの切ない思い出に胸を打たれてしまう。さらに、終楽章の第15交響曲に通ずる打楽器のリズムに、作曲者の死への覚悟がこのときすでに出来上がっていたように思えてくる。
定期A日程では全体を通してどこか手探り状態のように感じた演奏は、この日、すっばらしい演奏。これは語り継がれるべき名演。
ソリストのミクローシュ・ペレーニ。
金曜の定期では、手袋をしないまま雪だるま造りをして、そのあとに「なんか指が思うように動かないんだよね」みたいな、どうも本領発揮とは言えない感じのペレーニ氏だったが、当夜の演奏はすばらしく、私は第3楽章あたりでちょっぴり目頭が熱くなったくらい。
ホルン2本も定期には及ばなかったと思うが、見事な演奏。
“客演”の立場で出演していた、真貝さんによる“無骨な”大太鼓も、そしてブーブリキのときの“ムチ”も最高。
そして、交響曲第5番。
聴衆はものすごい興奮に包まれた。
「ブラボー」の嵐だった。
札響のレベルの高さを、完璧に聴衆に「どんなもんだい!」とぶつけることができたと言えるだろう。終演後のロビーでも、そのような会話があちこちでされていたのが耳に入ってきた。
ただし、この演奏、札響の最上級クラスの演奏だったかというと、そうではなかった。
少なからずの箇所で管(トップ奏者)の“変な音”や“つかえ”が聞かれたし、弦でも乱れがあった。
ただ、そのような細かなことを、尾高/札響が放つ“オーラ”が見事にカバーし、ほぼ満席となったホールの聴衆を熱狂させたのであった。
アンコールはシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
私には、この日の演奏の中で、このシベリウスがいちばん札響らしい美しい響きだな、と思った。
それにしても、案外と東京の聴衆(という一くくりの言い方は適切ではないんだろうけど)は、演奏中に音をたてるものだ。しつこい咳、パンフか何かを落とす音、時計のアラーム音。ずいぶんと地味に、でも点滴が落ちる音のように連続して治まることがなかった。
サントリーホールの音って、自分の記憶以上に音がキンキンと響いてびっくりしたが、音が硬いのは大理石を多く使っているせいだろうか?
やっぱり、Kitaraってすばらしいホールだ。
2月25日19:00~、Kitara。
指揮は尾高忠明。チェロ独奏はミクローシュ・ペレーニ。
プログラムは、武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番と交響曲第5番。
あまり生で聴ける機会がないチェロ協奏曲第2番と、ショスタコーヴィチの作品ではいちばんよく知られている交響曲第5番ということで、楽しみにしていたコンサートである。
1曲目の武満の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド(How slow the wind)」(1991)は、札響としては初めて演奏する作品だそう。
武満徹(1930-96)は世界中に名が知られている日本を代表する作曲家であり、札響との縁も深かったが、私には彼の音楽の“魅力”がよくわからない(尾高/札響の演奏でシャンドスから出ているCDの「波の盆」はとても美しく感動的な曲だとは思う)。
この日初めて耳にした「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」も、どこも”つかめない”まま終わってしまった。私は武満作品とよっぽど相性が悪いのだろう。
ただ、私が知っている武満作品のなかでは、この曲はまだ友好の兆しがあった。
西洋的な響きの中に日本的な響きが交わっていくような音楽。演奏もすばらしかったのではないかと思う。
チェロ協奏曲第2番は、どこか深みに欠ける演奏。オーケストラが悪いのではなく、これが尾高の解釈なのか?切なさ不足という感じか?独奏のチェロも音が鳴りきっていない印象があった。
なお、この曲はスコアでは、作曲者の指示として「ハープは最低2本」とされているが、この日は1台であった。
交響曲第5番は、オーケストラも非常に良く鳴っており、札響サウンドを堪能できた興奮ものの演奏。
不思議なことにショスタコーヴィチの交響曲第5番は録音の場合、評判の良い演奏(CD)でも、聴いてみるとオーケストラの響きが薄くてがっかりさせられることが少なくないのだが、生で聴くとそんなことは全然ない“厚い”作品である。当夜の札響の響きはとても密度が高いもので、まさに鳴りきっていた。
ただ、興奮させられたし、好演だったが(これは3月1日の東京公演でも、東京の聴衆に満足してもらえるだろう)、終わってみると「良かったね……」の一言で済ませられるようなものでもあった。
尾高の演奏は全体に速め。それは悪くはない。が、強弱やメリハリがあっても、あっさりと音楽が進んでいく。
尾高がこの曲をどのようにしたかったのか?鳴り渡らせて興奮を呼び起こすように調理したかったのか?
少なくとも私には、深遠という言葉はあまり当てはまらないアプローチに思えたし、そのとき興奮はしたが感動は残らなかった。
男って終わってしまうと冷たいのね……
オーケストラは非常に良い演奏をした。
特にショスタコの2曲では、ホルンとフルートの見事な演奏に熱い拍手をおくりたい。 いま、ヤンソンス/ウィーン・フィルによる第5番を聴いているが、昨晩の演奏はこんな感じの演奏だったような気がする(だったら良い演奏じゃないかって?そう、良い演奏なんだけど……)
演奏後、今回で定年となるパーカッションの真貝さんの挨拶が。
カスタネットの演奏でパフォーマンス。
常々書いているが、こういう儀式を一連のコンサートの流れに組み込むことに私は反対である。
ただ、この好演だが名演かどうかわからなくて困惑していた私には、これで気持ちを切り替えられて良かった(困惑する必要はないんだけど……)。
出張で3月の東京公演も聴くことができる。
もう一度、期待をこめてコンサートに臨みたい。
ヤンソンスのショスタコーヴィチ交響曲全集のなかで、第5番は1997録音(写真上がボックスの写真。下が第5番のジャケット写真)。EMI。 第4楽章はゆっくりした歩みで始まるが、すぐに急加速するところが面白い。
私の誕生日であった2月18日の話である。
この日は朝から私のところに宿泊、じゃなかった、祝福メールが殺到した。
ANAマイレージクラブから。JALから。OCNから。楽天から。YAHOOから。登録してあるホテルから。登録したことも覚えていない焼き鳥屋から……。
これを殺到と言わずに何といったらよいのか?たぶん「卒倒」ではないだろう。
でも、ちょいと心に引っ掛かるものがある。
個人対応がない……
そうなのだ。
歳を重ねるごとに、誕生日を祝ってくれる人など、例え義理であっても、3次関数グラフの下降カーヴのように急激に減少していくものなのだ。
話は変わる。
あの日の晩はすごかった。
すっごく興奮した。
トムったら激しいんだから、もう……。
2009年7月のこと。
M.T.トーマスが指揮するPMFオーケストラによる、マーラーの交響曲第5番の演奏のことである。
そのときの感動については、このように私も熱く語っているが、そのライヴ・レコーディングCDを手にすることができた。こういうの作ってんのね……。早く教えてよ!
このCD、私は仕事関係の方から頂いたのだが、たぶん関係者のみに配られる非売品だろう(企画・制作は(財)PMF実行委員会)。CDのタイトルは「ハーモニー・オブ・ピース」で、解説によるとこれが19作目だという。毎年作っているわけか……
このマーラーのCDは、2009年7月25日~29日のコンサートのライヴと書かれている。
つまり、札幌のKitaraで私が聴いた演奏の他に、東京公演、大阪公演のものが編集されて1曲まとめあげられているわけだ。どこの部分(楽章)が札幌のものなのかはわからないが、これを聴いてみると、あのときのコンサートとはずいぶんと印象が違うな、というものだった。
まだ1度しか聴いていないのであまり偉そうなことは書けないが(いや、私はいつも謙虚である)、私がコンサートで聴いたものはズンズンと重量級かつスピードある演奏に感じたのが、録音を聴くと前半などはけっこうねちっこい。
もう、トーマスったらぁ~。
後半もさほどエネルギッシュに感じない。
生では、特に終楽章のパワーはすごかったのに、そうではない。
少なくとも終楽章は札幌での演奏ではないと思われる。だいいち、拍手喝采、ブラボーの声の盛り上がり方が違う(CDではおとなしめ)。
よくわからないが、あの晩の感動がよみがえりはしなかったのは事実だ(繰り返し書くが、まだ1度しか聴いてない。しかも通勤中に。印象が変わったらまた取り上げたいと思う)。
ただし、全体的に演奏自体はなかなか良いものである。
休日の前夜の10日は、夕方の6時前からプライベートで軽くビールを飲んだ。
7時前には解散し、「こりゃまだタワレコが開いてるわい」と、久々に寄ってみた。
ちょっぴり酔った勢いもあって(800mlのジョッキで3杯飲んだが、このぐらいが気が大きくなる最も危険な分量だ)、当初の軽い買い物のつもりが、南極探検に行く前のような“しっかり買い物モード”になってしまった。
幸いにも、グルグル店内を回っているうちに急な、かつ強い尿意を催したので、そこそこの数のCDを持ってやや内股気味にレジに行き会計を済ませた後、そのままトイレに行き(会計を済ませる前にトイレに行っては行けないという常識を私は備えている)、幸福なため息をついたが、買い過ぎへの警告ともいえる尿意がなかったら、南極生活でも2週間は退屈しないくらいのCDを買ってしまっていただろう。逆に言えば、タワーレコードにとってみれば、私が大人用ムーニーマンを着用していなかったばっかりに、売り上げが伸び悩んだということになる。 さて、ここで買ったCDから、今日は札響528回定期演奏会のライヴCDを。
指揮はR.エリシュカ。私は2日にわたって開かれたコンサートうちの初日(A日程)の前半を聴いた。
CDには、前半の2曲目に演奏されたヤナーチェクの「シンフォニエッタ」と、メイン・プログラムのドヴォルザークの交響曲第5番が収められている(つまり、私はドヴォルザークの交響曲第5番は聴いていない)
このときの「シンフォニエッタ」についての私の感想は、演奏がコンパクトな感じというものだったが、今回CDであらためて聴くと、コンパクトというよりは上品な演奏だ。響きもとても美しい。
とはいえ、整然とまとめ上げられているわけではなく、そこそこわんぱく。けっこう大胆に音が飛び交っているし、乱れ寸前のところもある。
CDに使われた演奏が、A日程とB日程のどちらのものか、あるいは両日の良いところの組み合わせかはわからないが、「シンフォニエッタ」の第3楽章について言えば、これは私が生で聴いたA日程のものではない。というのもA日程のときは、楽章が始まってほどなくの、コーラングレに続いてオーボエが吹く部分で、当日は音が“つまって”しまったからだ。CDではきちんと奏されている。
この「シンフォニエッタ」の演奏、“レコード芸術”の今年1月号月評で、宇野功芳氏は絶賛、金子建志氏は「苦戦気味」と評している。
札響ファンとして宇野氏がべた褒めしてくれているのは嬉しいが、ちょっと褒めすぎの感があると、個人的には感じている。
それでも、良い演奏であることは間違いない。
ところで、このCDには日本野鳥の、ではなくて、日本ヤナーチェク友の会代表の山根英之氏による解説がついている。
私は知らなかったのだが、それによると、「シンフォニエッタ」の各楽章には当初、次のようなブルノの街にまつわる標題がついていたそうだ。
第1楽章 ファンファーレ
第2楽章 シュピルベルク城
第3楽章 王妃の修道院
第4楽章 街頭
第5楽章 市庁舎
また、札響の演奏では第4楽章で通常用いられる鐘がグロッケンシュピールに変えられている。
コンサートのときに、私はこれに違和感を覚えたが、エリシュカはヤナーチェクの弟子だったバカラから、ヤナーチェクの指示としてグロッケンシュピールを使うようにと指示されたそうである。
1991年3月、札幌交響楽団と仙台フィルハーモニー管弦楽団のジョイントコンサートが北海道厚生年金会館で行なわれた(指揮は田中良和)。
北海道厚生年金会館は現在、“ニトリ文化ホール”だかという愛称がついている。
なんとなく、やれやれって感じである。
それはどうでもいいことだが(でも、やれやれって感じである)、これは“ホーム企画センター”というハウスメーカーの、“20周年記念”という冠コンサートでもあった。
出し物はマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06。その後もたびたび変更を加えている)。
20周年記念コンサートなのに「悲劇的」(このタイトルは通称だけど)というのも、縁起が悪そうな感じがするが、スポンサーといえども曲目にまでは口出しできなかったのだろう。
私が第6交響曲を生で聴くのはこのときが初めて(というか、今のところこれが唯一の経験)で、それまで“ホーム企画センター”なんて会社は知らなかったが、こんなすばらしい機会を作ってくれた会社なんだから、将来自分がマイホームを建てるときにはこの会社を最有力候補にしようと、けっこう真剣に思った。
それから数年後。
私も家を建てることに決め、市内・近郊の分譲地を見て回ったが、あるとき下の息子が「おしっこしたい」と車の中で唐突に言いだしたことがあった。
そのときにいたのは分譲が開始され始めたばかりのところで、ほとんど家も立っておらず、「そのへんの空き地でしてこい」ということも全然平気だったが、偶然にもすぐそばに“ホーム企画センター”の現地案内所があり、そこでトイレを借りることにした。
当然のことながら、「土地をお探しですか?」、「ええ、まあ」、「まあ、お茶でも……。ウチはこのあたりたくさんの土地を持っているんです。モデルハウスを見ていきませんか?」、「そうですね」という話になり、ジョイントコンサートの時に抱いた私のこの会社に対する敬意が、実現化に向けて急速に動き出したのであった。
モデルハウスっていうのは、たいていが「これはいいっ!」て思うように作られており、私もこれはいいって思ったが、3軒見たすべてが、押し入れを開けると半分が階段によってデッドスペースになっていることが唯一気に入らなかった。
しかし、ざっと計算してもらっても価格も大手ハウスメーカーよりも安い。
で、候補地を決め、モデルハウスと同じものを建てた場合にどうなるか、ざっと見積もりを出してもらうことにした。
数日後。
見積もりを見ると、現地でざっと計算してもらったものよりもけっこう跳ね上がっている。
「あのとき言っていた価格よりも300万もアップしてますが?」
「いえ、そんな額、私言ってませんよ」
「でも妻も私と同じ額を聞いていますし、上の子は覚えてないでしょうが耳にしていますし、下の子はおしっこをしました」
「そんな価格では建てられないですよ」
プチっ!
どうも信用できないと思い、ここのメーカーは結局やめることにした。
会社が悪いんじゃなくて、その営業マンの資質なのかもしれないが、でもそこの営業所長って名刺にかいてあったからなぁ……
これが私の悲劇……ってほどでもないか。 さて、サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団を振った、マーラーの交響曲第6番。
この演奏については、私がブックマークしているライムンドさんのブログで先日詳しく紹介されていたので、ぜひ読んでいただきたいと思う。
……で終わってしまったら、スカスカのおせち料理と一緒じゃないかとクレームが来そうなので、ちょいと書く。
ラトルの演奏は、他のマーラーの演奏同様、オーケストラの響きが透明で美しく、またしばしば「おぉっ!びっくり」という過度とも言える誇張もある(つまりデフォルメね)。
落ちついた歩みで始まるが、ブラック・アイスバーンだからアクセルを踏み込み過ぎないようにしましょうみたいな進み方は全曲を通じてであり、まるで不幸せのなかにどっぷりと浸かっていたいかのようでもある(実タイムはひどく遅いわけではない)。
第1楽章では「アルマのテーマ」があっさりと奏されるのが面白い。また11分50秒あたりの、右奥でなってるトランペットのピーララピーララという音(第10交響曲の第1楽章でも登場する音型)がなんとなく快感。
第2楽章としてはアンダンテ楽章が演奏される。多くの場合は第2楽章でスケルツォが演奏されるが、ラトルは先にアンダンテを持ってきた。聴く側にとって、これは慣れの問題。私としては第2楽章=スケルツォ楽章で慣れ切ってしまっているのだが、ラトルの演奏を聴いていてもさほど違和感はない。
第3楽章(スケルツォ)では、終わり近くの盛り上がりでの、“うぅぅぅぅぅ~ばぁぁぁぁん”というデフォルメが面白い(どこを指しているのかちっともわかってもらえないだろうけど)。
終楽章も過度に感情的にならずに進んでいく。
第6交響曲においても、ラトルの演奏はじつにすばらしい。整っている。
とはいえ、私が知っているこの曲の数あるCDのなかで、聴く頻度が高いものになるかというと、おそらくそうならないと思う。(恐らくは純音楽としてのアプローチの仕方に)何か物足りなさを感じてしまう。
なんせ私にはこの曲に対する個人的な思い出がたくさん詰まっているもので……
おととしのPMF。
この年のKitaraでの最終公演となったPMFオーケストラ演奏会。この時のマーラーの交響曲第5番の演奏は圧巻だった。指揮はM.T.トーマス。
この曲はトランペットのソロによる葬送行進曲で始まるが(気を緩めていると、この出だし部分、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」の始まり始まりぃ~と錯覚してしまう)、そのトランペットも巧かったし、第3楽章のオブリガート・ホルンも見事だった。
曲が終わるか終らないかのうちに、会場内は感動の叫び声がサッカー場のように沸き起こったが、その盛り上がり方も外国風(外国と言っても中南米ではなく欧米)。
つまりは関係者(指導者や参加していた学生)がけっこう聴きに来ていたわけで、この体育会系的な音楽を好演した仲間たち、教え子たちを称えようという文科系サークル的な空気で、とにかく熱気ムンムンになったのだった。
私も感動した。
感動というよりは興奮か……
でも、その興奮、余韻、自分でも不思議なくらいスゥーっと数日で引いてしまった。
PMFよりもずっとずっと前の話。
札響が初めてマーラーの第5交響曲を演奏したのは1987年6月18日のこと。第282回定期においてであった。指揮はデヴィット・シャローン。彼は2000年9月、都響への客演のために来日中、気管支喘息のために若くして急逝してしまった。1950年10月生まれだったから50歳まであと1ヵ月だったということか……惜しい人をなくした。
このときも、最後の音が鳴りやむか止まないかのうちに地底から湧き上がるように拍手と、ブラボーともブラジャーとも聞こえる叫び声が上がったが、あれは「札響よ、よくぞここまでやってくれた」という、演奏を讃える以上のファンの感謝の気持ちが爆発していた。
私も動悸・息切れ寸前状態になった。
こういうまるで示し合わせたかのような、会場全体が一体となった拍手の自然発生的フライングは、私は嫌ではない。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02。ただしその後もたびたびオーケストレーションを変更)は、確かに聴いていて盛り上がらずにはいられない曲である。
この曲が作曲されたころ、1901年11月にマーラーはアルマと出会っている。翌'02年3月には早くも結婚した。
第5番はマーラーの交響曲の中でも人気が高く、コンサートで取り上げられる機会も多い。
それは非常に聴き映えがするから。暗から明へという前向きな流れは、“愛の喜び”が反映してるせいのかしらん?(そう単純な作りではないそうだけど)
おまけに弦楽のみで演奏される第4楽章「アダージェット」が、その昔映画「ヴェニスに死す」に使われたのも人気がある理由である。
でも、なぜ、ライヴの興奮が数日ですぅーっと引いてしまうのだろう。
私のせいか?
いや、この曲そのものに原因がありそうだ。
なぜこの曲が頻繁に演奏されるのか、理解に苦しむ。技術的にきわめて高度なくせに、短何ルドンチャン騒ぎの盛り上がり以上の成果を出すのが難しい。珍しくここではマーラーはあまり言うべきことを持っていないのではないかという印象すら受ける。彼の他の交響曲に比べて、書かずにはおれないという衝動の強さを感じられないのだ。
と書いているのは許光俊。「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)のなかでだ。
一方、この本のもう1人の著者(許の対決者)である鈴木淳史は、
この作品があったからこそ、第6番や第7番という傑作が生まれ、そして第9番につながったのだ。ただ、この第5番はまだまだ実験段階の作品だ。第3番で急激に高みに達したマーラーが、次の段階に向けてアウトラインを描いているだけにも見える。第2番のように単刀直入なメッセージで客寄せすることもなければ、第6番のようにパロディとして完成しているわけでもない。屋台骨組みだけのスタイリッシュな作品だと思う。作曲者のうめきを無理にほじくり出そうとする演奏はすべて失敗しているように。
と書いている。
ねっ?決して私が冷めやすいタイプだというわけじゃないのだ。
ここで許氏が推しているのは、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏(1973録音)。鈴木氏が推しているのはショルティ/シカゴ響(1970録音)。
カラヤンがお好きでない私は、カラヤンが振るマーラーを耳にしたことがない(たぶん)。これからも聴くことはないと思う(変なところで頑固なのだ)。
一方、ショルティ盤は、LP時代からの私の愛聴盤である。
では、ラトルの演奏(オーケストラはベルリン・フィル)はどんなんかいな?
とても整った美しい演奏である。でも、インバル盤のような物足りなさは感じない。
変な言い方だがこの交響曲が“音楽”としてきちんと鳴っている。
へぇ、この曲ってイケイケ・ゴーゴーなだけじゃなく、こんなに美しい音楽だったんだと……
各パートがよく聴こえてくるが、終楽章の弦の対話というか絡みは妖艶ですらある。CDパッケージのラトルの舌をついつい思い出してしまうほどだ。
この演奏、じっくりとメロディーを味わうには最適な感じ。
すばらしい……
でもショルティの、マッスルマンに全身を乱暴に攻められているような演奏に、もはや抵抗するどころか悦んで「もっといじめてぇ~」と、慣らされてマゾのようになってしまった私には、「あなたは上手。とっても上手よ。でも、こんなになってしまった私には上品すぎるの。大太鼓が歪んでようと、音響バランスが変なところがあっても、そんな怪しい誘惑に満ちている強引な彼の棒が忘れられないの」って気分になる。
あるいは、ドゥダメルのように、「おゃ、こんな演奏の仕方があるのか」という、初体験の喜びのようなものにもやや欠ける。
いや、ラトルの演奏はすばらしいのだ。
調教されてしまった私が悪いのね……
マーラーの5番は、PMFや札響第282回定期以外でも何回か生で聴いているが、この2回以外はあんまり感動も興奮もしなかった。
ポピュラーな曲のくせに、聴き映えするように演奏するのが難しい曲のようだ。
ただ鳴ればいいってもんじゃないのだ。
ラトルのCDは2002録音。EMI。
ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「ペトルーシュカ(Petrouchka)」(1910-11/改訂'46-'47)は私にとってAクラス並に好きな作品の1つだ。
そうしょっちゅう聴くわけではないが、けっこう頻繁に頭の中にメロディーが浮かんできて、“独り恍惚”なる危ない人になってしまう。あの、絢爛豪華な色彩感あふれる響きと、お祭りの楽しい雰囲気が伝わってくる音楽による描写(バレエの主人公たちはそれどころじゃないんだけど)は私の心をワクワクさせる。
といっても、誤解して欲しくないのだが、私は祭りなるものが決して好きな人間ではない。猿でもないけど……
金魚すくいなる遊戯においては金魚をすくえたためしがないし、目がちかちかするぐらい美しいがゆえに購買意欲をそそられて買ってしまったカラーひよ子は自宅にお持ち帰り後数十日で脱色してしまうし、乙女が赤らむような(?)チョコバナナは、食べている途中で地面に落してしまうし、「食の安全・安心」の対極にあるような焼きそばには長い白髪が2本混入している。珍しい色合いのスーパーボールは、翌日遊んでいてすぐに紛失してしまう。
そんな悲しい思い出しかない。
同じお祭りでも、中学の学校祭では、1学年上のかわいいうえにちょいと大人びた感じのお姉さんとあと3人というところでフォークダンスの音楽は終わってしまった。
そんな苦い経験から、高校のときの学校祭ではすごく好きな1学年下の女の子がいてフォークダンスで手をつなげる可能性があったにも関わらず、もしそうでなかったときの最悪の事態=ひざまずいて動けなくなるくらいの悲しみを考えてしまうと勇気が出なくて、最初から参加しなかったくらいだ。
それゆえに、自分が入りきれなかった祭りの楽しい雰囲気と同時に、主人公の悲しい思いが交錯するこの曲に、自分を重ね合わせてしまうのかもしれない。ムーア人が怖い……(ペトルーシュカのバレエの筋については→こちら)。
“ペトルーシュカ”という字面(じづら)を見て思い浮かべたことがある、なう。
“ルージュ”である。
昔、新藤恵美が日活の“ルージュ”という映画に出ていた。日活のポルノである。
まだHな本を売ってもらえない中学生の頃なんかは、ポルノってどんなにすごいんだろうと自分勝手にワクワク・モンモンしていたが、高校生になっても大学生になってからも映画館にポルノを観に行く勇気はなく、気がつくと世はアダルト・ビデオの時代になっていた。
日活ロマン・ポルノもそんなころになってからビデオをレンタルして観たが、アダルト物に比べたら肩透かしを食らった以上におとなしい。ポルノたって、一応はちゃんとしたストーリーがある人間ドラマあだから、ただアヘアヘが続くのとは違うのが当たり前なのかもしれない。
で、“ルージュ”はレンタル・ビデオ・ショップで借りたわけだが、同じころ“女帝”も借りた。この三越事件を扱った映画にも新藤恵美が出ていたのだ。
私は新藤恵美の顔が好きだったのだ。
きっとものすごく小さいころに観た、ボウリングのドラマの影響があったのだろう。
「ペトルーシュカ」のルーシュから“ルージュ”を思い浮かべた事情についての説明を、以上のように簡潔明瞭に終わる。
ストラヴィンスキーの傑作バレエ、「ペトルーシュカ」では、札幌交響楽団の定期演奏会で印象的な思い出がある。
1979年6月18日の第194回定期。
指揮は井上道義。あのころはちょい悪サラリーマン風の髪型だった。
メインで「ペトルーシュカ」が演奏され、拍手喝采。
アンコールでも「ペトルーシュカ」の第4場の一部が演奏されたが、井上道義は指揮を続けたまま、交互に足を高く上げながらバレエを踊るようにステージの袖に下がって行った。こういうセンス、なかなか日本人指揮者でもっている人は少なかったから、ひどく面白かった。
小松一彦なんかだったら絶対やらんだろうな……
今日紹介するのは、名盤と言われたコリン・デイヴィズ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏によるCD。1947年改訂版。1977録音フィリップス。
「ペトルーシュカ」の演奏には、これ以降に録音された優れた演奏も少なくないが、C.デイヴィスの演奏はトータル・バランスがとても良くとれていると思う(「春の祭典」とのカップリング)。
ところがぎっちょん。この名盤が今では廃盤。
ところで「のだめカンタービレ」のなかで、のだめがコンクールで弾いていた「ペトルーシュカからの3楽章(Trois Mouvements de Petrouchka)」は、バレエ「ペトルーシュカ」からストラヴィンスキー自身によってピアノ用に編曲された曲である。A.ルービンシュタインの依頼によって1914年に書かれたが、演奏するには相当高度な技術を要するという。
第1楽章は第1場の「ロシアの踊り」、第2楽章は第2場の「ペトルーシュカの部屋」、そして第3楽章は第3場の「謝肉祭」が使われている。
のだめはこの曲の練習ができておらず、コンクール直前まで譜読みをしているのだが、会場へ向かうバスのなかで他の客の着メロを耳にしてしまう。それが「きょうの料理」のテーマ音楽。
そして、コンクールでこの曲を弾いている途中で、「きょうの料理」が頭の中に介入してきてそれを弾いてしまう。のだめの笑撃のハプニングの箇所、確かに「ペトルーシュカ」と「今日の料理」、似てなくもない。
ちなみに「きょうの料理」の作曲者は冨田勲である。
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