読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

健康・病気

100グラムの凍り豆腐。調理したら何グラム?

 河野友美著「『食べる健康』早わかり事典」(三笠書房)。

82df73cd.jpg  たまにこういう本を読みたくなる。そして内容に文句をつけたりなんかするいけないアタシ……

 勝手な思い込みで、それは私が悪いが、著者の名前からいい感じの女性を連想。でも、1929年生まれだって。そんなことで悲しくなった私。

 こういう内容の本って、やっぱりある程度旬な年齢の人が書かないと最新情報が載っていないような気がしちゃうのだ。もっともこの本の第1刷は1996年だというから、定評あるロングセラーなのかもしれない。何しろ著者は河野食品研究所所長で著書多数なのである。
 偏見をもつ私がどうかしている?
 そうよ、どうかしているのよ、ワタシ。

 でも、ハテ?と感じるところもあったのは事実。
 例えばタンニンに関するところ。
 《したがって食事をしながらコーヒーや茶の類を飲むことは、鉄分の吸収によくない影響を与えるのである。……では、コーヒーや茶の類は絶対よくないのかというと決してそうではない。タンニンを含んでいても、食後に飲めば鉄の吸収を妨害することはない。それは食べてしまった食物と、食後の飲料が混ざることはないからである。 胃の中に入った食物は、胃壁から層状にたまっていく。そして、それが順次消化されていく。したがって、はじめに食べたものと、後に食べたものとが、均一に混合してしまうことはない。そのため、食後に飲むコーヒーや茶の類は影響を与えないのである》

 そうなの?均一に混合しないまでも、後から飲んだコーヒーはその前に食べて溜まっている食物に浸み込んでいかないの?そんなにぎっちりと溜まってるの?
 ゲロを吐いた時に、それが地層状になっているって経験はないけど……私には。

 “類(たぐい)”っていう言い回しも、すっごく久々って感じ。

 でも、漬物についての文では、こんな風な記述がある。
 《漬物などの強い乳酸が胃に入るとペプシンが活性化して、消化液の働きがよくなるのだ。とくに、ペプシンはタンパク質の消化をするから、タンパク質の多い食事の後で食べる漬物は有用である。……なお、漬物は食塩を多く含むから、よい食品だからといってとりすぎはよくない。食事の最後に食べて、気分をさっぱりする程度が適当である》

 おやおや?
 さっきの話からすれば、最後に食べた漬物はずっと胃袋の中の食物のいちばん上に鎮座したままのはずだ。なのに胃の中のペプシンを活性化しちゃうのかしら?
 どんな楯をも貫く矛と、どんな矛にも貫かれない楯のお話を思い出しちゃう私はいけないペプシン小僧?←極端に意味不明。

 そんな意地悪な読み方をすれば、ほかにも眉にツバ的なものが。

 《凍り豆腐(高野豆腐、しみ豆腐)には乾燥した状態のもので100グラム中に50グラムものタンパク質が含まれる。見かけの量が少なくても、これだけたくさんのタンパク質がとれる食品は少ない。しかも凍り豆腐に含まれる大豆タンパク質は、植物性タンパク質の中でも栄養的に優れている。動物性タンパク質のようにしつこくないのもいい》

 見かけの量が少ないって、乾燥重量100グラムの凍り豆腐を調理したらいったいどれくらいの量になるだろう?たぶん、食えない。それに、水で戻したところでタンパク質そのものの量は変わらないから、結局タンパク質は50グラムである。これだけたくさんのタンパク質、じゃあないっすよ。それに、そんだけ食えばしつこいっすよ。

 バターのところで、《バターのコレステロールは100グラム当たり210ミリグラムと、大変多いように思われる。しかし、実際に100グラムものバターを1日に食べる人はいない》と書いているが、まったくそのとおり!
 でも、あなたは凍り豆腐は乾燥重量レベルで100グラムを食べなさいっておっしゃるのね……

 こうやって読んでいくと、ウソは書いてはいないんだろうし、有益な情報の方がもちろん多いのだろうけど、何でもかんでも鵜呑みにするのは危険って感じがしてくる。

 まっ、何でもバランスよく摂取するってことなのね。
 それができている人は、そもそもこういう“類”の本は買わないんだろうけど……

人間ドックを受診してきた……

 今日、人間ドックを受けてきた。
 くどいようだが、人間ドッグではなく、人間ドックである。

 会社が指定する検診センターは総合病院のなかにある。
 私は一番乗りをめざすために6時45分に病院の正面玄関に着いた。
 まだ施錠されていたが、他に人影はない。間違いなく私が一番乗りだ。

 一番乗りしたからといって何かメリットがあるわけではない。X線写真プリント増量サービスとか、視力検査1ポイント成績アップとか、そういう特典はない。まあ、スタートが早ければ早いほど終了も早いということと、バリウム検査も早くに済むのでバリウムによって空腹を満たすことが出来る程度である。あとは妙な男のこだわり、意地というべきか。

 6時50分にガードマンが来てドアを開錠した。
 やはり他に人影はない。
 私は余裕のよっちゃんで検診センターに向う。
 廊下の角を折れ検診センターまであと15mというところで、私は脳溢血で倒れるかと思った。
 薄暗い廊下に、すでに10名ほどのうだつのあがらない(ように見えた)連中どもが、検診センターのドアが開くのを待って列を成しているではないか!
 どいつもこいつもロシアン・ルーレットの順番を待っているように陰気臭い。

 それにしても、いったいどういうことだ?
 私は玄関から一番乗りしたのだ。
 こいつらはどこから湧き出してきたのだ?
 誰だ、いや、謎だ。
 もしかすると裏口はもっと早くに開くのかもしれない。
 フェアじゃない!
 これがバーゲンか何かだったら不公平に思ったやからが暴徒化するだろう。

 私の予感はぴったりで、私の順番は10番だった。野球なら補欠だ。

 検査の中身は別に何も言うべきことはない。
 今年からX線検査の時には大きく息を吸う替わりに大笑いするように指示されたとか、エコー検査にオイルマッサージがセットになったとか、そういう変化もなかった。

 昼食も変化がなかった。私は3種類用意されているうちの「豚生姜焼き弁当」にしたのだが、去年と同じく「豚生姜焼き弁当」と名乗るわりに豚肉は2枚だった。去年と同じものを選んで同じ文句を言っている私は進歩がないと思われるかも知れないが、それ以上に「豚生姜焼き弁当」の方がまったく進歩していないと断言できる。

 さて結果である。
 異例の事態が起こった。
 現在通院治療中のもの、つまり高中性脂肪血症、高尿酸血症、高血圧は別として、さらに毎年指摘されるγ-GTPがやや高めであるということと、fatty Liver の傾向にあるというおまけはついたが、3年ぶりに再検査なしの快挙だったのだ!
 幸せすぎて、わたし、なんだか怖い……

 ちょっとばかり予感はしていた。
 エコー検査はすんなり終わった。「なんだか今日ぉ、いけるかもしんないぃぃぃ~」と思った。
 バリウム検査もしつこく指示されなかった。「やっぱり今日ぉ、いけるかもしんないぃぃぃぃ~」と感じた。どこかビミョーなところがあると、時間をかけられるからだ。
 ただ楽観するとどん底に落とされるという経験を何度もつんでいる私は、そのことを胸に秘めたままでいたのだ。もっとも、こんな予想に誰も耳を傾けてなんてくれやしない。みんなどいつが自分よりどのぐらい不幸かを値踏みしているのだ。

 ただ、「食道につかえる感じがある」と問診票に書いたことについては、「今日の検診では異常がなかったですが、続くようなら内視鏡検査をしてください」と、バリウム検査の限界を露呈するかのような回答。それに胃にしたって、私はこの2週間、胃のキリキリする痛みでガスターを飲み続けていたのだ。それがアブノーマル・サインがないなんて、世の中わからないものだ。
 さらには、同じく「残尿感がある」という乙女なら恥じらいで気絶しそうな申告についてはまったく無視されてしまった。

 最後の保健師との対話では「ビールを減らせば、いま問題となっている点はすべて解決すると思いますよ。でも生活習慣を直すのはなかなかたいへんですよね」と言われた。私は「だからこそ生活習慣病って言うんですね」と答え、2人でハハハッと友好的な雰囲気の中、別れを告げてきた。

 ということで、星占いでは今日は12位だったが、星占いは当たらないことも同時にわかった。


若かりし頃の危い好奇心。ガンの不安。

7d760c84.jpg  このところ舌の縁に少し痛みがある。右側である。
 鏡で見ても大きな変化は発見できない。
 鏡でじっと観察していると、決して気持ちの良い光景ではない。
 でも明らかにどこかが荒れているに違いない。だって痛いんだもの。

 私の上の前歯の裏側はかなりガタガタである。
 歯医者で相談しても、寝ている間にかなり力を入れて歯を食いしばっているせいで、そのせいで裏側が削れてすり減っているという。そのために夜間はマウスピースを装着するように言われている。

 しかし、ついつい装着を忘れてしまう。
 ますます上前歯の裏側はゆっくりゆっくり減り、同時に下の前歯もおかしくなり、ついでに全体の歯ぐきが不健康になっている。実際、歯ぐきの治療でずっとずっと通院しているのだ。
 もしかすると、夜中に歯を食いしばっているときに、稀に舌を噛んでいるのかもしれない。

 さらに、日中は歯の裏側のガタガタが気になってしょっちゅう舌で触る。それで舌が傷つくのかもしれない。でも、だとしたら舌の先端が荒れるはずだ。しかし、私の場合は舌の右側の縁だ。
 右側の奥歯に何か問題があるのかも知れない。
 かぶせた冠のどこかが鋭利な刃物のようになっているのかもしれない。

 いずれにしろ、こういうのをずっと放っておくと舌ガンになることがあるということだ。
 どうしてこう私には不安材料ばかりが集まってくるのだろう。
 どうしていつも星占いで下位をさまよっているのだろう。

 それにしても、舌の痛みというのは明らかに腫れていたり変色していない限り問題箇所が発見しにくい。あっ、別に舌に限ったことじゃないか……
 良く見ようと鏡や顔を動かすと、逆に視覚に入ってしまい見たくもない鼻の穴の中を見てしまうハメになる。その際、鼻毛に白髪が混じっているとけっこうショックである。

 歯医者に相談してもなかなかピンとした答えが返ってこない。
 そうだ。彼におかれましては歯の医者であって舌の医者じゃないのだし、やはりなかなか問題箇所を発見できないのだろう。

 どうしたらいいのですか、ボクは。
 舌のニヤチクした痛みと(ニヤニヤするようなでも鋭角的な傷み)、和室のふすまの問題、どうしたらいいですか、ボクは。
 とりあえず舌には、あてずっぽで“ケナログ”を塗ったくろうか?

 私は小学生のときに、学研の図鑑セットのなかの「理科の実験」という巻を読んで、その中に載っていた物質の結晶の美しさに強く惹かれた。
 そこに載っていたのは、ミョウバンやホウ酸、塩化ナトリウムに硫酸銅、重クロム酸カリウム、赤血塩(フェリシアン化カリウム)などであった。
 私は思い立って薬局に行き、これらの薬品を注文した。
 ミョウバンとホウ酸と塩化ナトリウム(つまり食塩)はすぐに売ってくれた。
 もっとも、もし薬局のオヤジに何か疑念を抱かれたなら、きちんと答える用意はしてあった。
 ホウ酸の場合は「母が目を洗うのに使う」でよいし、ミョウバンの場合は「父がナスの漬物を漬けるのに必要だと言っている」と言えばよいのだ。だが、もちろん何も言わずに売ってくれた。
 硫酸銅は劇物だからダメと言われた。
 フェリシアン化カリウムは値段を聞いてあきらめた。
 で、重クロム酸カリウムは、薬局のオジサンが頭を悩ませた挙句、売ってくれた(実は劇物で小学生に売ってはいけない。それにしても田舎町の薬局に重クロム酸カリウムが在庫されていたのが不思議だ)。もちろん、販売台帳に住所と氏名を書かされ拇印を押した[E:good]。私がこのときどういう理由を申し立てたのか思い出せない。父に「買って来い。でなきゃ物置に一晩入れる」と言われたといった「泣き」を入れたのかもしれない。

 売ってくれた重クロム酸カリウム(現在は二クロム酸カリウムと呼ぶことの方が多いようだ)は、粉末(といっても粉状結晶)ではなく、米粒ほどの大きさの結晶で、その赤っぽいオレンジ色は実に美しかった。さらに大きな結晶にしようと、一度水に溶かし冷却したが、大きな結晶にはならなかった。
 たいした知識のない私はそういった実験もどきのことを、素手で行なっていた。
 しかしである。私はのちになって知ることになるが、これは実はおそろしい物質だったのだ。

 みなさんは六価クロムという言葉をご存知だろうか?
 環境問題にもなった六価クロムである。発ガン性物質である。
 重クロム酸カリウムを構成するクロムは六価なのである。
 K2Cr2O7
 O(酸素)は-2価だから、それが7つで-14価。K(カリウム)は+1価だから、それが2つで+2価。ということは、この化合物を構成するクロム原子2個で+12価でないと±0にならない。つーことは、どう考えてもこのCr(クロム)は1つ当たり6価なのである。
 何を言いたいかというと、私はちょっぴり怯えているのである。
 かつて素手でいじっていた六価クロムの化合物のせいで、体のどこかにガンが発生しないかと(ただし口に入れたりはしなかった)!
 長々と書いたが、言いたかった結論はこれである。父もガンで死んでるし……

[E:note]

 この春に“ボサ・ノヴァ”と一緒に購入したイングリッシュ・ローズの“スィート・ジュリエット”が咲いた(写真)。
 しかし、やはり低温のせいか、外側の花びらが美しくない。
 かわいそうに……
 私の周りには良いことがない。
 次の花は健康的に輝きながら咲くんだよ!

 今朝は久しぶりに、本当に久しぶりに晴れている。気温も上がるそうだ。
 さまざまなバラのつぼみが開きそうである。

 私も健康維持のために体に良いものを飲む所存である!

余命20日の父親

0ec091b9.jpg  昨日、終末ケア病棟に入院中の父は4人部屋から個室に移された。
 その前夜、発熱とそれに伴う熱けいれんがあり、もう大部屋での管理は難しいという判断になったようだ。

 昨日の夕方に主治医から話があるというので行ってきた。

 病室の父は眠っていたが、瞼は半開き状態で、目を開けたまま眠っている、もしくは目を閉じたままボウーッとしているような感じであった。
 前回見たのは“子供の日”だったが、鼻に酸素吸入の管を入れられ、言葉もまったく発することができず、そもそもどこまで周囲のことを認識しているのかわからない状態に変化しており、6日前とは驚くほど変わっていた。

 医師の説明では、もって今月いっぱい。
 胸水の量が多くなってきており、いつ急変してもおかしくない。今晩だって急変がありうる、ということであった。

 ♪

 先ほど、12日8:30、病院から家族の招集がかかった。
 行くことにする。
 

毎朝笑顔で接してくれる“あの娘”……

 毎朝私は、通勤時に駅のキオスクで「ヘルシア緑茶」を買うことを日課とするようになってしまった。

 最近では、キオスクの女性店員が私の顔を見ると、何も言わなくても「ヘルシア緑茶」を差し出してくれるようになった。そして、そのような特別待遇にとどまらず、笑顔で「行ってらっしゃい」と優しい言葉までかけてくれるようになった。

 殺伐としていると言われる現代で、なんと心温まる出来事であろうか!
 朝、家を出るときに尻尾すら振ってくれない犬とは大違いだ(置き物だから)。

 ただ惜しいのは、彼女があと30歳若かったらなぁ、ということと、「私も毎日これを飲んでるのよ」と、余計なことを一度言ったことだ。「えっ?飲んでいてもそんな感じなの?」って、私はそのとき、未来は曇り空が続くような気がした。

 だが、絶対とは言えないが、以前にも書いたように「ヘルシア緑茶」効果はあると思われる。私の血液の中で過飽和状態にある中性脂肪に対してである。

 これまで何度か、なぜか私は中性脂肪の値が高いということを書いてきた。
 で、ヒマだったのでどういう風に推移してきたか、ここ数年の数字を拾ってみた。
 ちなみに、正常値は149mg/dl以下である。

 H18.7.10(人間ドック) 499
 H19.7.26(人間ドック) 679

 このとき、胃バリウム検査でも引っかかり、かかりつけ医に相談。そこでドックの結果をさらけ出さざるを得なくなり、私の汚れた血の秘密がばれてしまった。彼ったら、いやがる私をいたぶるように、「もう薬を飲まなきゃだめだ。この薬は副作用があるが、そんなこと言ってられない」と攻め、私も彼の申し出を断りきれず、ベザトール錠を飲み始めた。

 その後、2ヶ月おきに受診。薬をもらい続ける。

 19年11月には、このせいで入りなおそうとした生命保険に拒絶され、一度は絶望のどん底に叩き落される。でも、捨てる神あれば救う神あり。別な保険会社に加入でき、いつも第2希望しか通らなかった私の人生の裏づけがなされた。
 
 H20.6.30(その病院での検査) 509

 この結果を見て、かかりつけの医者は「確かに薬のせいで下がっているようだが、あまりにも劇的には下がっていない」と、私をいじめた。

 H20.8.1(人間ドック) 427

 ここまで下がったので褒めてもらえると思ったが、そのかかりつけ医は「所詮、ひどく悪い中でちょっと下がっただけ」と、やる気が失せるようなことを言った。

 H20.10.31(その病院での検査) 508

 再び上昇したことで、医者は不機嫌になる。どうやら私が食生活面でなぁ~んにも努力していないことに気づかれたようだ。
 とにかく酒量を落とせという。通常は2ヶ月あけるところを、1ヶ月後にもう一度血液検査することになる。次回検査の2週間前から酒を飲まないようにと言われる。値が下がらない原因がアルコールにあるということの尻尾をつかみたいらしい。ワンッ!
 私は言うことを聞くふりをしたが、酒を休むことは不可能。
 考え抜いた挙句、「ヘルシア緑茶」を毎日飲むことにする。神にすがる思いだ。

 H20.11.28(その病院での検査) 351

 なんということでしょう!何にもしていないのに、大特価3割引!
 間違いなく「ヘルシア緑茶」効果だ。

 H20.12.24(その病院での検査) 316

 なんということでしょう!
 忘年会シーズンで毎晩飲んでいるのに、この好成績!

 ということで、次回の結果も維持または低下していたら、もう「ヘルシア緑茶」が効いているとしか言えない感じ。
 たぶん、朝のキオスクの店員の笑顔のおかげではないと思う。

 さあ、今朝も買うぞ。

「私が育んだ石」 第3部の4(最終回)

 「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その4(最終回)

 尿には血液らしい混濁は観察されなかった。
 ひとまずほっとする。
 しかし、今までとどこかが違う。
 何が違うのだろう?
 眼をこらす。

 す、すると、底に何やらあるではないか!

 私は今度は上から見た。
 泡の切れ目から米粒のようなものが底に沈んでいるのが確かに見える。ナメゴンの卵のようにも、溺死したウジムシのようにも見える。

 数秒間経ち、私は脳内で16ビットの演算速度で結果を導き出した。
 「い、石だ……間違いない、これが石なのだ!」

 思わずピッチャーに手を突っ込んで取り出したい気分になったほどだ。どうしてここに菜箸がないのだろう?気が利く泌尿器科分野の妖精が現れて、柄の長いピンセットをどうして差し出してくれないのだろう?「私が出したのは金の石です」なんてウソはつかないのに……

 このことをいち早く看護婦に知らせなくてはならない。誰だって朗報は1秒でも早く知りたいに違いない。あるいは、急がないと「もう、手術の準備が整いました。整ったからには止めるわけにはいきません」と言われるかもしれない。

 私はピッチャーを手に、ナースステーションまで早歩きで向った。
 ピッチャーのなかの黄金の液体が振動でローリングを起こす。いけない!ここが船長の腕の見せどころ!飛び散らないよう気を遣いつつも、もはや私の足はいうことをきかない。そのために重度の切れ痔患者のような歩き方になってしまった。

 今思うと、このときよく転ばなかったものだと、ぞっとする。
 もしここで転んでいたら、廊下はションベンでビチャビチャ、ピッチャーはカラカラと階段のほうまで転がっていき、苦労して産んだ石は行方知れずになるという大惨事になるところだった。
 なるほど。こういうときのために、ピッチャーは大きいに越したことはないのだ。大は小を兼ねる。ローリングのうねりは想像以上に大きくなるのだ。

 ナースステーションにたどり着くと、そこにはこれから始まる一日の憂鬱を顔一面に浮かべている看護婦がいた。
 彼女は興奮した面持ちでピッチャーを手にしている私を見て、ちょっぴりと憂鬱から解放されたようだった。かけられるかも、と勘違いしたのかもしれない。
 私は「ど、どうやら石が出たみたいなんです。ポコって感じで、いや、キュンって感じだったかな。あら、いや、いやだっ!アタシったら、どうしちゃったんだろう?何言ってるのかしら……」と、コンパで悪酔いしたモテない女みたいな口ぶりでその看護婦に報告した。
 

 彼女は私の果実を見て、「あら、よかったですね」と無感動に言った。
 私が傷つきやすい十代だったら、彼女の頭からピッチャーの中身をかけたあげく、そのあとは人生レベルでグレて悪い仲間と付き合うようになっただろう。

 意味深げな固形物を含む貴重な液体を彼女に没収され、私はいったん病室で待っているように指示された。
 しかし、なかなか手術中止の知らせが来ない。
 考えてみれば、このときはまだ8時過ぎ。病院はまだ業務を開始していない時間だったのだ。おそらくは医者だってまだ来ていないのだろう。
 でも、そのときの私にはそこまで頭が回らない。とにかく出たのだ。ここも早く出たい。
 「石は1個だけとは限りません。管を突っ込んでとことん調べましょう」と言われたらどうしようか?
 不安がよぎる。

 ようやく1階の外来に行くように指示される。何世紀も待ったような気がした。
 外来の待合室をパジャマ姿で横切るのは、自分がストーリー・キングになったような恥ずかしさを覚える。外来患者たちは私の姿を見て、どこか憐れんでいるように見える。「今は入院患者の姿をしているけど、オレは出したんだよぅっ!」と待合室集団に教えてやりたい衝動にかられた。

 医者が「ちぇっ、出されちゃったか」といった感じで言う。
 「いやぁ、出たね。すごいね。じゃあ、帰っていいよ。はい、これ記念品」
 そうやって、プラスティックのシャーレに入った“私の尿管結石”を渡された。
 つい数時間前に見て記憶していたよりもずっと302a50bf.jpg 小さいものだった。先ほどは液体の中にあったので、少し大きく見えたのだろう。それにしても、こんなに小さいくせにあれだけの痛みをもたらすとは、この石こそが“パワー・ストーン”と呼ばれるにふさわしい。

 病室に戻るとおじさんたちは給餌を待つ牛のように私を見た。私は「急遽、手術中止になりました」と極力表情を固くしながら、いやむしろ悲しい出来事があったかのようなふりをして、服を着替え始めた。
 こういうときは着替えるスピードが実に難しい。心理学、哲学、倫理学、道徳の知識を結集してアクションを起こさなくてはならない。風俗店で野獣と化した男のようにそそくさと着替えると、残された入院患者の反感を必要以上に買ってしまう。かといって、あまりにものんびりしていると幸福な人間が不幸な人間をいたぶっているように思われるし、場合によっては「そんなに名残惜しいならもう一泊していきなさい」と看護婦に引きとめられる恐れがあるからだ。

 「いったいどうしたんですか?」。おじさんたちは、かぐや姫を月に帰したくないといった顔つきで私に尋ねる。
 「実は、今朝がた、出たんです」
 「……」
 他人の幸福を素直に喜べない、ねたみ深い者たちよ!でも、気持ちは分かる!
 でも、おじさんの片方は「昨日、あれだけがんばって水を飲んでいたもんなぁ」と言ってくれた。密かに観察されていたのだ。

 ミネラル・ウォーターの大量摂取によって石が流されたのは間違いない。しかも、昨夜のうちに膀胱まで落ち、さらに尿管の終わり付近まで来ていたのだ。あの寝る前に陰部に走った痛みは、そこまで石がたどり着き、居座ったことによる違和感だったのだろう。

 そんなとき妻が病院に来た。
 「どうしたの?」
 あたかも最初から私が何か良くないことをしたかのような言いっぷりだ。
 「出た。出した」
 「ふ~ん。よく出たわね」
 パチンコじゃないんだ。もうちょっと人間味のある日本語を話せないものか?百歩譲って、もうちょっと私を人間らしく扱えないのか?
 「これからはもっと食生活を考えなさい」
 スターリンじゃあるまいし、なんと指導者然とした言い方であろうか!
 「はいはい、これからは日々、肌からにじみ出るくらい水を飲みますよぉーだ」と私は心の中でつぶやいた。

 こうして私は体を傷つけることなく退院した。結果だけをみれば、これは私の自助努力の賜物である。
 一泊という短いが食料を持ち合わせていない遭難者のような生活で、私はラーメンが食べたくてしかたなかった。退院したその足で、近所のショッピングセンターに行き、そのなかにあるラーメン屋で醤油ラーメンを食べた。妻にも迷惑料としてご馳走してやった。彼女は広東メンを食べた。
 「ここの広東メン、あまりおいしくない」
 どこまでも根性の曲がったやつだ。広東に行ったこともないくせに、いったい広東メンの何がわかるというのだ!
 そんなことよりも、私は自由の身になった喜びをかみしめながら、ラーメンをすすった。でも実は、醤油ラーメンもおいしくなかった。

 でも、いょ~っ、ポンッ!(←鼓)

 あれからもう8年経つ。
 しかし、いまのところ結石が再発する兆候はない。

 最初は白く輝いていた(ような気がする)シャーレの中の私の石は、経年変化のせいか、さびれた海水浴場にある公衆便所のなかに3つくらい並んでいる、小人用かと思わせる異様に高さのない小便器の、その端々にこびりついている固化した汚れのような茶色を呈してきた。
 そりゃそうか……尿路結石は、腎結石であれ、尿管結石であれ、膀胱結石であれ、尿石そのものなんだから。 (終わり)

「私が育んだ石」 第3部の3

 「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その3    

 予想もつかない災害で断水したとしても、しばらくは不自由しないくらいの水は確保した。不思議な充実感が私を包み込む。
 そのあと私は、これからの一夜にふさわしい、いろっぽくないパジャマに着替えた。

 となると、あとは読書しながらベッドの上で過ごすしかない。まさか初めて会ったおじさんたちを相手にして将棋に興じるってわけにもいかないだろう。だいたいにして、将棋というのは2人でするものだ。1人が余されてしまう(間違いなく私だ)。

 だからといって暇つぶしにX線撮影室に遊びに行っても、「大鵬娘」は相手にしてくれないだろう。いや、もし相手にしてくれたとしても、それはそれで厳粛な病院内の風紀を乱すことになる。いや、X線技師と結石入院患者のCT装置上での不思議な出会いといった、たいそうなことを言おうとしているのではない。
 ほんのちょっと彼女と談笑しただけで、明日の手術で意地悪をされるかもしれない。
 医者にとってみれば、内視鏡をどのくらい曲げるかというさじ加減一つで、私の尿管を変形させたり、場合によっては裂くことなんか、小さじと大さじを間違えるよりも簡単にできるに違いない。

 私は、家から持ってきた“画像診断で読む人体”という新書本を開いた。
 実に自分が置かれた環境にマッチした選択だと思ったのだが、全然興味をそそらなかった。家で読んだときにはたいそう感心しながら活字を追えたのに、まさに人体実験を明日に控えている今、理屈なんてどうでもいいのだ。まだ“現代用語の基礎知識”の方がヒマつぶしになったに違いない。うつぶせの体勢なら、あの分厚い本でも腕は疲れないで済むだろう。

 部屋の同居人たちは酸欠で苦しんでいるザリガニのような顔をして眠っていた。
 こんなに時間つぶしがうまいなんて、入院に向いているタイプなのかもしれない。

 そんなこんなでようやっと夕食の時間になったが、何を食べたかまったく覚えていない。 ミネラル・ウォーターで十分満腹だったから、全然印象に残っていないのだろう。あるいは記憶が欠落しているだけで、断食の刑が与えられていたのかもしれない。

 とにかく、水を飲んだ。
 池のコイだって、こんなには飲まないだろう、ってくらい飲んだ。
 その成果として、トイレにも行った。
 数十分おきに病室とトイレを往復した。まるで廊下で歩行リハビリに励んでいるかのように……

 初めて結石の発作を起こしたときに入院した病院では、オシッコをするときに尿を金網でこすように言われた。石が出たときに金網に引っかかるってわけだ。シラウオすくいと同じ原理だ。単純ながらも、なんと確実性の高い方法であろうか!
 だが、ここの病院は違う。
 ビールのピッチャーのような無色透明のプラスティック製の容器に向ってするのである。「原始に帰れ!」的手法である。
 このような方式を採用しているのは、不用意に金網を置いておくことによって、それを調理器具と勘違いして使う人がいる危険性があるからだろうか?
 それにしても、気をつけないとピッチャーを持っている手にしずくがはねる。
 昔、尿を飲む健康法っていう、健康の定義まで再協議を迫られるような健康法があったが、それを実践していた人たちもこのように採尿していたのだろうか?

 無事に1滴残さずに容器内に放尿し終わったあと、その心地よい放射熱を発散している容器を蛍光灯にかざし、底の方から小麦色の液体を観察する。自分の尿をここまで愛情こめて見ることなんて、そうそうできる体験ではない。健常でないことに淡い喜びを感じる瞬間だ。このとき、底に石があれば「おめでとう」、なければ「次回に期待!」である。

 この容器、ピッチャーに似ているといったが、実際には台形のように口が広くて底がせばまっているわけではなく、形としては料理用の計量カップを巨大にしたようなものと思ったほうがよい。
 それにしても、一回一回、石の有無を確かめたあとは便器に中身をジャーっと捨てるのだから、ここまで気合を入れて大きくしなくてもいいと思ってしまう(3リットルは入るだろう)。それとも、時にはこの容器をいっぱいにするくらい出てしまう人がいるのだろうか?
 どっちにしろ、このときから私は、飲み放題の店などでピッチャーでビールを出されたら、すっごく嫌な気分に陥らざるを得なくなった。

 消灯まで水を飲み続けた。
 もし私の体が柱サボテンだったなら、断面が星型ではなく、完璧なる円になっていただろう。もう少し放っておくと根性腐れ、いや、根腐れを起こして死に至ったであろう。
 「さてさて、どっこいしょっ」と、内なる声に促されて、寝る前にこの日最後のお小水を出しに行った。

 そのとき、オチンチンの先、尿道の出口付近にチクリと痛みを感じた。
 理由は分からないが、この刺激は頻尿を促すような違和感である。
 ただでさえ大量に水を摂取しているのだ。私の体はいまや、しばらく水の中に放り込まれていた食器洗い用のスポンジのようになっている。指一本でどこか押されただけで、水滴がにじみ出てくるのだ。
 それなのに、加えて刺激性頻尿は困る。
 垂れ流せと言われているようなものだ。
 私は亀頭の違和感がきっと気のせいであるようにと祈祷した。
 そんなふうに、非H的に悶々とした気分だったが、他のおじさんのかすかなイビキに体のリズムが合ってしまったのか、私は一気に眠りに落ちてしまった。オチンチンの先から焼け火箸を入れられる夢を見たような気がする。

 翌朝。
 12月のきりりとした空気が病室内にも伝わってきそうな晴れ渡った日になった。
 泌尿器の手術をする日としては実にふさわしいような、ふさわしくないような天気である。でも一つだけ言えることは、「さぁ、やったるでぇっ!」という前向きな気持ちにちょっとだけなった。
 そんなやる気をそぐかのように、朝食はない。
 チンチンに管を入れるだけなのに、なぜ朝食抜きの試練を課せられるのか分からないが、ここで大げさに騒いだところで、所詮大人げないと陰口を叩かれるだけだ。それとも、緊急的に方針転換して開腹もありうる、という無言の予告なのだろうか?

 病室の向かいにある手術室には、必要以上に張り切って準備に追われている看護婦たちが出入りしている。でもよくよく観察してみると、出入りしているのは1人だけで、その1人が何人分もの慌しさを醸し出していた。明らかに刑の執行を待つ人間の恐怖心を煽るのが狙いだ。

 手術前に尿をためておくべきか、すっかり搾り出しておくべきかの指示がなかったが、我慢できなくなったので、指示待ち人間とは一線を画す私は自主的にトイレに行った。
 不思議なことに、あんなに水を飲んだのに、昨夜は一回もトイレに起きなかった。
 不本意にもオネショをしてしまっていないか、目覚めと同時に確認したほどだ。もし粗相があったなら、気づかれる前におじさんのベッドと入れ替えることも視野に入れていた。でも、小学生以来の記録を更新することはなかった。人間というものは、このような非日常的状態に置かれたとき、植物のように蒸散機能が働くのだろうか?

 トイレに行く。
 昨日入院したばかりなのに、ひどく目になじんだ光景だ。
 ピッチャーに向って放出する。
 大量に膀胱に貯められた尿は重力に抗しきれずに早く外に出たがっている。こっちだって早く出し切ってしまいたいが、欲望のまま勢いよく出すと、容赦なく跳ね返ってくる。それでなくても容器内はドボドボと滝つぼのような危険な音を発しているのだ。美しい純白の泡が、混濁した音とは対照的だ。
 そのときである。また、亀頭内に痛みが走った。一瞬だがウゥッ、と思わず声が出る痛みだった。事情を知らない人(私以外の人類すべてだが)が耳にしたら、別なものを放出して快楽の声を漏らしてしまったと勘違いされるような自分でも惚れ惚れする声だった。
 でも、である。
 やれやれ。これで尿道炎まで起こしてしまったんじゃシャレにならない。「尿道に炎症があるので治まるまで手術は見合わせましょう」なんてことになったらたまらない。

 やれやれ。
 ため息をついて、ピッチャーを上にかざし、底からぬくもりあふれる液体を見る。実に変態チックなポーズだ。
 このときに私が心配したのは、尿道の炎症に伴って血が混じっていないだろうか、ということだった。

形勢一転!凱旋する半病人!

 昨日の朝に書いたように、私は採血のために病院に行った。
 8:30に行ったのに、すでに待合室は病人予備群でいっぱいであった。
 しかし、私は採血の予約をしている。つまり、ほとんど待たされずに呼ばれた。ちょっとした優越感……

 まずは体重を計る。
 65.2kg。何と素晴らしい!夏前には自己ワーストの67kgまで増量し、看護師にも軽蔑の眼で見られていた(ような被害妄想にかられた)のだが、なんとかこの2ヶ月ほどは65kg台まで戻した。私は長年63kgを維持してきたので(といっても、何かの対策を打っていたわけではない)、春先にスーツを買いに行った時に、A体からAB体に変えざるを得なかったときはショックであった。しかし、これならばまたA体で大丈夫だ。身長も174cmと縮んでいない。

 血圧も正常。
 採血をする。
 この場はこれで終わり。15時に結果を聞きに行くことになっている。

 昼は思いっきりマーボー豆腐ランチの大盛りでも食べようと思ったが、15時からの審判を前にヤケになってはいけないと思い、ちょっぴりチャーミングな盛り付けの(つまり量が少ない)弁当にした。

 そして、15時。
 医者に呼ばれる。

 ちらりと結果のシートが見えた。

 下がった!下がった!下がった!

 医者が「え~と、今回の結果は……」と言い出した瞬間に、私は待ち切れずに「下がりましたね!グレート!」と叫んでしまったほどだ。ただただ嬉しくて叫んだだけだったが、思い返すと反省点は多々ある。コブシをつけて演歌調に叫ぶべきだったのではないか、とか、歌舞伎調に威厳さを湛えて言うべきだったのではないか、など……

 今回の中性脂肪の値は350であった。正常値は149未満であるから、それに比べるとまだおつりがなんぼあっても足りないほどの高値だ。しかし、1ヶ月前の510という値と比較すると30%も減少したのだ。この間、西友で冬靴が20%OFFになっているのを喜び勇んで買った私としては、わけあり的に低い数字なのだ。

 医者「おぉっ!下がったね。ちゃんと2週間禁酒したんだね!」
 こうなると、気持も高ぶっているし、少しは素直になりたいという思いもあるし、禁酒令を解いて欲しいという切なる願いもあるので、私は目の前に骨をぶら下げられた野良犬のようにおだちながら言った。
 「いやぁ、それがですね、センセッ、なかなか禁酒は計画通り進まなかったんですよぉ」
 ほとんど友達言葉である。しかし、そのペースに医者も巻き込まれつつあるのが伝わってきた。
 「そうなの?じゃあ、それまでの飲酒量が10だとしたら、この2週間はどのくらいだった?」
 「う~ん、6ってところかな」
 さすがに私の冷静な思考機能が働いた。危うく正直に12と言いそうだった。
 「じゃあ、ほかに改善につながったと思うようなことある?」
 「センセッ、こういうことを言っちゃあ怒られるかもしれませんが、この2週間、毎日ヘルシア緑茶を飲みました」
 「ほほぅ」と頷き、彼はカルテに「ヘルシア緑茶」と記入した。
 「それから、DHAのサプリを飲みました」
 「ん~っ」
 おや、DHAはお気に召さなかっただろうか?それとも、正式な名前はDHCの勘違いだったろうか?
 医者は友達モードから職業モードに戻って言った。
3dd34922.jpg  「ヘルシア緑茶は薬と違って詳細なデータはないけど、今のところ副作用の報告もないし、続けたらいいかもしれないな。けどね、DHAは副作用の報告もある。だから、混ぜ物がないちゃんとした製品を選ばなきゃだめだ。それと、DHAは確かに血栓予防の効果はあるけど、直接中性脂肪を減少させるわけではないんだ。だから、無理に飲まなくていいよ。けっこう値段も高いだろうし」
 私は「単なるDHAではありません。EPAとナットウキナーゼも含まれているのです。信頼できる小林製薬の製品でもあります。それからα-リポ酸のサプリも飲んでます」と言いたかったのだが、この場はぐっと我慢して、それ以上反抗するのをやめた。
 いずれにしろ、彼には言えないが酒量がほとんど減っていないにも関わらず、値が改善されたのは、いまのところヘルシア緑茶の効果が大きいと考えられる。

 ヘルシア緑茶の350mlには茶カテキンが540mg含まれる。これは「ヘルシア緑茶」も「ヘルシア緑茶“まろやか”」も同じである。私は渋みが低い“まろやか”のほうが好きだが、これはどこにでも置いてあるわけではない。
 なぜヘルシア緑茶に目をつけたかというと、黒烏龍茶などは「脂肪の吸収を抑える」と書いてあるが、ヘルシア緑茶のほうは「脂肪を消費しやすくする」と書いてあったからだ。「吸収を抑える」となると、ビールを飲みながら交互に黒烏龍茶を飲まなくてはならないような気がする。しかし、消費しやすくするなら飲食しながら同時に飲まなくてもよいはずだ(シロウトの発想では)。だから、ヘルシア緑茶にしたのだ。ただ、消費された部分はどのように放散されているのか謎だ。便の中性脂肪含有量が高まるのだろうか?

 じゃあ、茶カテキンって実際のところどのような効果があるのか?
 蒲原聖可の「サプリメント小事典」(平凡社新書)で「カテキン」を調べてみると、これは緑茶に含まれるポリフェノールの一種で抗がん作用が期待されるという。特に中性脂肪を下げるとは書いてない。しかし、販売者である花王のホームページには脂肪低減のデータが掲載されている。中性脂肪のみならず、コレステロールも下げるようだ。

 いずれにしろ、私は12月24日に控えた次回検査のために、これを飲み続けてみることにする。それから、残っているDHAとα-リポ酸も。
 なお、緑茶は胃腸障害や不眠を起こすことがあるが、それはカテキンのせいではなくカフェインのせいである。だから、そういう人はカテキンのサプリメントを飲めばいい。

 あぁ~、なんて言うかぁ~、すっごくぅ、ヘルシーになったキ・ブ・ン!

 追記)甲状腺の血液検査の結果も異常はなかったが、CTの結果と合わせ何とかという病名がついた。ただし、1年に1度の確認検査だけでよいことになった。

言い訳がみつからない……

 今日はかかりつけの医者のところで血液検査をする日である。
 いつもは2ヶ月に1度なのだが、前回、中性脂肪の値がまったく落ちる傾向がないため、2週間完全に酒を抜いて再検査することになったのだ。

 2週間。
 つまり、14日から禁酒して、私の高脂質血症の原因がアルコールであるかどうかの比較をしてみるという、画期的な原始的比較論である。

 で、検査を受ける前の結論であるが、完全に酒を抜くことはできなかった。

 ① 完全に酒を抜くことは、できなかった。
 ② 完全に、酒を抜くことはできなかった。

 私の場合、答えは②。
 1日たりとも酒を休んだ日はなかったのだ。

 仕事がら、とにかく夜飲むことが多い。それでも、朝から飲むことがないだけまともなサラリーマン人生だと思っている。
 では休日は、というと、家族からの抑圧から逃避するため、やはり飲むのである。

 もちろん、医者の言葉、そして自分がしぶしぶながらも約束を受けたことは忘れていない。

 だからこそ、ヘルシア緑茶を飲むようになったし、DHA+EPA+ナットウキナーゼのサプリも寝る前に飲んだし、昼間はα-リポ酸のサプリも飲んだ。
 これらの効果がどれだけあったか。今やその効果を確認するために血液検査を受けるようなものだ。

 それにしてもだ。
 医者に対してどのような言い訳をしようか?
 それがひじょうに重い課題としてのしかかってきている。

 そうそう、今日は甲状腺に関する前回の血液検査の結果も出ているはずだ。

 あぁ、病気の総合商社だ……

「私が育んだ石」 第3部の2

 「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その2


 週があけた火曜日。
 私は不測の事態が起きてもよいように生命保険証書を家の分かりやすい場所に起き、契約印を分かりにくいところに隠し、子どもに「今年はサンタクロースは来ないかも知れない」と告げて病院に向った。

 まず最初にCTの再検査。
 あの石絵未季には似ていない検査技師は、同情の瞳で私を迎えてくれた。
 「手術することになったんですってね」
 「はい。手術することになりました」
 「自然には出なかったんですね」
 「ええ。自然には出ませんでした」
 「では検査をしましょう。もしかすると気づかないうちに流れ出てしまっているかもしれません」
 「あなたの優しさに神の祝福あれ!」

 検査結果の結果、石はちゃんと元の位置にとどまっていた。
 すぐ分かるようなウソをつきやがって。彼女は性の悪いうそつきか、驚くほど世間知らずなのだろう。でも、憎めないタイプだ。美人というものはちょっとしたことで鼻につくが、この水準の女性は実に中庸的で得をするタイプなのかもしれない。

 医者が言う。
 「う~ん。ちょっと腎臓の働きも弱っている感じがしますねぇ」
 以前、様子をみろと言ったくせに……
 「やはり明日、石をとりましょう!」
 実に健康的なノリだ。まるで金鉱探しに出かけましょう、と誘われているかのようだ。これで本当に金が出てくるのなら、私だって志願して手術を受けるところだが……

 入院着、つまりパジャマに着替える前に、近くのセブンイレブンに買い物に行くことにする。コンビニで立ち読みしているボーッとした学生や、おにぎりを突っつきながら品定めしている近隣住民らしきおばさん、暇そうにしている店員の兄ちゃんは、よもや私が明日手術を控えた病人だなんて想像もつかないだろう。そう考えると、自分がすごい苦悩を人知れず抱いているようで、ちょっぴりおセンチになってしまう。

 私はミネラルウォータを山ほど買ってきた。病院へ帰るわずかな距離に、買い物袋を持った手がもげてしまうのではないかというくらい。
 冷蔵庫の扉が開くとそこにはミネラルウォーターのボトルが整然と並んでいる。
 そんなコマーシャルのような光景が、病室で私に与えられた冷蔵庫にも繰り広げられた。あまりにも整然と並んでいるので、飲むのが惜しくなったくらいだ。

 さて、パジャマに着替えたあとは……することがない。
 明日チンチンの先に管状のものを突っ込み、石をつまんで取り出すだけだ。
 特に事前の準備は必要ないらしい。心の準備だけでいいのだ。
 最後に残されたかすかな望みは、このミネラルウォーターによって自然排泄されることだが、ほとんどその可能性はないだろう。

 病室は6人部屋。部屋に入ると左右に3床ずつベッドが並んでいる。私の側は私だけ。いちばんドア側のベッドが与えられた。オシッコに行きやすい配慮だろうか?
 向かいの側は入り口側と中央のベッドに年齢条件をそろえたような爺さんが入院していた。よくは分からないが、前立腺の手術をするらしい。つまりこの部屋の住人は、私を含めて3人である。
 2人は数日前から入院しているらしく話も弾んでいたが、こと病気に関する話題になると、聞いていても腹立たしくなるくらいトンチンカンなことを話していた(無知という意味で)。

 「お兄さんはどこが悪いの?」
 「結石です。明日手術します」
 私は会えて「で、そちらさまはどこが悪いのですか?」とは尋ねなかった。ひどいことに巻き込まれるに違いない。

 無意味な雑談を無視して、私はひたすら水を飲み続けた。

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