「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その1
「おやっ?第3部は『クリスマス前の奇跡編』だと予告してたんじゃなかったぁ?」と考えた人がいたとしたら、そういう人間は小さい小さい。そんなことを小姑のようにねちねちというようなら、この情報化社会は生きていけないし(情報は絶えず変化するのだ)、3日以上前のことを覚えているなんて執念深すぎる。忘れなさい。
第3部は「醤油ラーメン舌鼓」編である。結末を言うならば、私は醤油ラーメンに舌鼓をポンッ!と打つわけだ。
某局のアナウンサーが以前ニュースで「会場を訪れた人たちは、巨大な鍋で作られた豚汁に、みなシタヅツミを打ってました」と、平気な顔してしゃべっていたが、このバカ者!なにがヅツミだ。
とにかく、著者が「醤油ラーメン舌鼓」が第3部のタイトルとしてふさわしいと決めたのだ。文句言われる筋合いはないもんね。
本題に入ろう。
12月初めの土曜日の朝。私は目覚めると腹部に違和感を感じた。
違和感といっても、「おなかの中で赤ちゃんが蹴ってるわ、ふふふ」とかいう違和感ではない。端的に言うならば、痛みの芽みたいなものだ。
妻はときどき、腹部の鈍痛を「おなかがニヤニヤする」と表現するが、それはこんな感じなのだろう。それにしても「おなかがニヤニヤする」って、広く世間一般に認められている表現なのだろうか?それに、ニヤニヤすることはあっても、おなかがデレデレしたり、おなかがウハウハするといった表現は聞いたことがない。「おなかがニヤニヤする」というのは、ちょっぴりうさんくさい表現ではある。病院で「センセッ、おなかがニヤニヤするんです」って言ったら、「何かいいことあったんですか?」と返されそうだ。
そのニヤニヤは時間とともに強くなってきた。
これは結石では?
さすがにこれだけ石にいじめられてきたのだ。私のみならず、ロバだって、自己診断がつくようになるだろう。
私がとった行動は、まずは座薬をいれることであった。もちろん肛門に。
自分で肛門に座薬を入れる時って、なんかすっごく罪深いことをしているような気になってしまう。教会が近くにあったら、落ち着いたら懺悔に行かなきゃって気持ちになる。
「うぅぅっ……」と声にならない官能の溜息を吐き、座薬挿入完了。再び横になる。
座薬を挿入した後の宿命的な副作用は、便がしたくなることだ。
でも、我慢である。ここで出してしまったら、融けかけた座薬(それはもうあの挑戦的な形状を保っていない)が流れ出てしまう。すべてが直腸から吸収されるまで我慢しなければならない。私は「少なくとも45分は我慢しよう」と心に決める。
このように、座薬を挿入するということは、してはいけないことをしてしまったという罪悪感、便意をこらえるという人並み外れた忍耐力、我慢することでやがて痛みから救われるというマゾ的な新たな時代に期待する幸福感がいっぺんに経験できるという、いわば人生の縮図のようなものである。
今後は新社会人になろうという大学生には、社会生活の模擬体験の意味からも、座薬挿入を自主的に行うことが望まれる。
なお、挿入時に他人の手を借りた場合には、これに羞恥心も加わり、より自分の惨めさを強調できる。
カチカチカチ(時計の音)……
ぶふぁぁぁぁ~、だめだぁ。
とうことで、私は36分でトイレに駆け込んでしまった。まだまだ修行が足りない。
36分しか我慢できなかったという悔しさはあるが、出せるということは至福の時でもある。ハンバーガー屋のシェイクの最後の一口をストローで吸うときのように、ズズズズボボボッって音がした。つまり、空気ばっかりで中身、というか液状体物質はわずかなのだ。
ところがである、肝心のおなかの痛みはというと、強くなってきてはいるものの、まったく弱くなんかなっていない。いや、もんどりうつほどの痛みにはまだ襲われていないので、あるいは座薬の効果はあるのかもしれない。けど、こんなもんか……
私は病院に行くことを決意した。幸い、E泌尿器科は土曜日も診療しているのである。
自分で運転して、自分一人で、病院に行った。車で15分ほどである。
待合室に座っていると、徐々に痛みが強くなっていくのが分かる。分娩直前の妊婦というのはこういう感じなのだろうか?
待合室で読んだ週刊ポストのグラビアに載っていたAV女優の石絵未季って子が丸顔でかわいいと思ったが、その後は消え去ってしまった。どーでもいい話ではあるが。
診察室に呼ばれると、あの医者だった。
相変わらず痛みは耐えるのみ、みたいなことを言う。こいつ、今が縄文時代と勘違いしてるんじゃないだろうか?
CT検査を受けることとなった。
窓のない部屋にいながら浅黒い、けど感じは悪くないあの若い女性技師は、「あら、また来たの?気の毒ねぇ」って表情で私を見た。野犬狩りで捕まえられた野良犬を見るような「かわいそうに。けど悪いのは自分のせいよ」って目が訴えていた。
検査に入る時になって、おなかの痛みは急激に強くなった。
「大鵬」の上で、技師の求めるポーズ、いや体勢をとるのもままならなくなった。
短時間のうちに産道が全開になったかのようだ。
もし彼女が石絵未季で、「ねぇ、痛みが我慢できるならここで私と楽しいことしましょう。大丈夫、X線使用中のランプを点灯させておけば誰も入って来ないから」と、私を誘惑したとしても、とても応じ切れないくらい痛いのだ。
「痛いんですか?」
「痛いというものを超えた概念です。太陽の中心に放り込まれたかのようです」
すると彼女は医師を呼び、太陽の中心は暑すぎるから痛み止めを打たないと検査を続けられない、と報告した。
なんてやさしいのだろう。こういうとき、人間は恋に落ちてしまうのだ。
もし恋に落ちてしまったら、たった1本の痛み止め注射のために、何百本も針を刺されるような苦痛な生活を強いられるようになるかも知れないのだ。
医者がやってきて、「んっ?どうしたの?」なんて聞く。
実に底意地の悪い男だ。きっと尿管結石の痛みなんて、理論上でしか知らないに違いない。
「しかたない。注射を打つか」
そういって、やっと肩に注射を打ってくれた。けど、ここまで痛み止めを打とうとしないのは、何か彼なりの考えやこだわりがあるのかもしれない(例えば、注射を打つのが不得意、とか)。
15分ほど休ませてもらい、痛みが治まってきたところで検査開始。
検査の結果、今回ははっきりと右側の腎臓と膀胱の間の尿管に石らしき影が写っていた。
どうやらこの石、前回からそのあたりに引っ掛かっていて、今朝なにかの衝撃で向きを変えて尿をせき止めたようだ。いったい、実際にはどのくらいの大きさなのだろう。石が出てしまったら体重が少し減るくらいのものなのだろうか?
医者は「まだ残っていたということは、時間もだいぶ経っていますし腎臓の機能にも影響を与えかねないですね。手術で取っちゃいましょう」という。「取っちゃいましょう」って、駄菓子屋で万引きをするようなノリだ。注射にはあれほど消極的だったのに、手術には積極的だ。やっぱりサドだ。
手術日は毎週水曜日と決まっている。
私は週明けの火曜日の午後に入院し、水曜日の午後に「取っちゃう」ことになった。
開腹はしない。オチンチンの先からスコープを入れて取るそうだ。
大学卒業間近に体験した、あのいやな思い出がよみがえる。
しかし、もうあとには引けない。
痛みが治まっていたので、帰りの運転にも支障はないと思ったが、痛み止めのせいなのだろう、頭がぐらぐらして、まるで酔っ払い運転のようになってしまった。
それでも、なんとか家にたどり着いた。
家族に週明けに手術をするといったら、心配されるどころか「ふだんの不摂生のせいだ」と非難される始末。
心がニヤニヤと痛んだ。
健康・病気
私が老人性イボを絶滅させるために勇敢に立ち向かうことを決めたのは、8月の末のことであった。そのきっかけとなったのは、ちょっぴり胡散臭い健康雑誌だった。このあたりについては8月29日の本稿に書いてある。
その本のどこが胡散臭いかというと、どのコーナーでも同じモデルさんの写真が載っているからである。同じモデルに色々な体験をさせることは別に構わないが、実に違和感を感じたのである。
ご苦労なことに彼女は、笑顔で青汁を飲んでいたり、さわやかな表情で手造り化粧水を塗っていたり、はつらつとした格好で腰振り運動をしていたり、パワフルなポーズで太もも上げ歩行のポーズをしていたり、少しも疑問を抱かない真剣な顔つきで何かの貝殻の粉末を飲もうとしていた。
こういうのって、すごいと思う。負の意味合いで。
もはや、彼女は不老不死になっているに違いない。
その健康雑誌では、老人性イボに効くものとして“杏仁(きょうにん)オイル”を、文字通り「大絶賛」していた。しかも、その号の読者プレゼントは“杏仁オイル化粧水”であった。私は応募ハガキに、アンケートの回答をまじめにかつ詳細に書いて(体のどこどこが悪い、元気になりたい、この本はたいへんためになって読後充実度は84%だったetc……)当選通知を待っていたのだが、いまだに届かないところをみると、常識的に考えて落選したのだろう。
この雑誌の読者層としては若いと思われる私に当てておけば、これから先、けっこう長期間にわたって継続購読する動機付けになったと思うのに、出版社は大きな過ちを犯したと言える。
その号には、付録として小さなアルミパックに入った杏仁オイルも付いていたが、もったいないからそのまま大切にとってある。私としては、これを開封するときは来ていないのだ。
そこで、プレゼントを待つというおめでたい前提もあったため、8月末からはじめた作戦は“ヨクイニン内服作戦”、私の心の中での暗号化呼称“すみれの行進”作戦であった。
クラシエのヨクイニン・タブレットは1日3回6錠ずつが規定量である。
しかし私は朝と夜に6錠ずつ服用し、昼は飲まないことにした。なぜかというと、もったいないからである。
すでに2ヶ月半以上にわたって飲み続けている。
その効果は、いまのところまったくない。観察できない。フィーリングも伝わってこない。だが、こういうのはいつから飲んでいるか数えることもできないくらい飲み続けているうちに、ある日突然劇的な現象が現れることが多い(と信じている)。もはや、あとには引けない。イボが消失するか、私がこの世から消滅するか、そのがっぷり四つの勝負に入ったといえる。
そんなに言うなら“杏仁オイル”を買えばいいじゃないか、と思われるかも知れない。ごもっともである。いつでも他人は好き勝手なことを考えるものだから。
しかし、杏仁オイルは通販でしか手に入らないようだ。その購入者の評価もまちまちである。「イボが赤く腫れあがったと思ったら、翌朝起きたら無くなっていた」という声もあれば(きっとシーツのどこかにイボが転がっているのだ。実に心地よくない話である)、「全然効果が無い。杏仁(あんにん)豆腐を食べ続けた方がまし。おいしいし」という声もある。そこで私は躊躇しているわけだ。
ドラッグ・ストアで売っているのなら、少しは安心だし、もし塗ったところからアーモンドの芽が出てきたら、店にクレームをつければいい。ところが通販だと、クレームもそう簡単にはいかないだろう。
そんなことを憂いながら、昨日大きなドラッグ・ストアを丁寧に見ていた。暇だったのだ。
すると、小さなビンながらも、私に「ねぇ、手に取って」と訴えかけてくるような化粧水があった。
その名は「ヴェルク100 イポロン」。どこまでが本名で、どこからがニックネームか分からないネーミングである。しかも、透明なペラペラのプラスティックの箱に入っていて、「せめてこの程度は」って感じでシールが貼っているだけである。このシールが無ければ、バラの黒点病殺菌剤と間違えてしまいそうなボトルである。
シールには「顔や首、胸元など『ポツポツ』を集中ケア」とある。
ポツポツって、イボイボのことなんじゃないか?
私のイボに塗られるために、こいつは置かれているのではないか?しかも1本しか置かれていない。
私は近くにいた化粧品担当の店員に尋ねてみた。
「これって、こういう(首のイボを示して)のにも効きますか?」
「ええ、効くという話です」
明らかに知識を持っていない。でも、しつこく聞く。
「杏仁オイルがいちばんいいとも聞きますが……」
「これ、効きますよ。親イボさえなくなれば全部スーッと消えます」
明らかに杏仁オイルのことを知らないらしい。それに親イボだって?私のイボのうち、どれが親なんだろう?でも、それを聞くのはやめた。ロクな答えは返ってこないだろう。
でも、私は買うことにした。劣勢を強いられている“すみれの行進”作戦には、さらに第2の作戦の展開が必要なのだ。“ヴェルク100 イポロン塗布作戦”は、別名“太陽のコスモス”作戦である。
この“ヴェルク100”であるが(何が100なのだろう)、写真にあるように説明書や効能書きがまったく付いていない。老眼少年をいたぶるように細かな字のラベルがビンに貼られているだけである。色気も何もない。購入者にいらぬ期待を抱かせないということなのかも知れないが、ここまで人を突き放す態度は立派である。
その細かい字を読むと、成分にはハマメリス水(何ですか、これ?)、バチルス発酵物(汚泥のようなイメージ)、ヨクイニンエキス(おぉ、ヨクイニン!)、ウワウルシ葉エキス(かぶれないのかな?)、ヒアルロン酸ナトリウム(おっ、何か良さそう)、リン酸アスコルビルマグネシウム(はぁ?)、紅藻エキス、褐藻エキス、緑藻エキス(人魚か?)といったものが書かれている。
で、化粧水の原液だから、お肌の弱い人は化粧水で薄めて使えといったことも書いてある。お肌の強い人って、そもそもイボなんかできない気もするけど……
発売元は福岡のプレーンコスモス、製造販売元は大阪のサンブルームコスメ。発売元と販売元の違いがよく分からないけど、とにかく30mlで3,129円。
ビンのふたはスポイトになっており、いよいよ厳粛的医療のような雰囲気を醸し出す。
私は男らしく、化粧水なんかで薄めずに、原液を塗りこむこととした。
“太陽のコスモス”作戦と“すみれの行進”作戦で、はたして私のイボは親子ともども消失するのだろうか?
私の場合、股にも1個あるのだが、これは“子”なのだろうか?(←隠語的比喩ではないので深読みしないこと)
まだ使い始めたばかりだが、イポロンに期待を込めてレビューだ!
「私が育んだ石」 第2部「エッグサンド望郷編」 その5
E泌尿器科医院。
楽しい楽しいキャンプ場での、苦しい苦しい腸閉塞もどきの激痛から1ヵ月。私は検査のために再びこの病院を訪れた。
ところで昔から疑問に思っていることがある。それは、なぜ泌尿器科医院には皮膚科と性病科を併設しているところが多いのだろうということだ。
性病にかかってしまったかも知れないとき、病院に入る際にあたかも「僕は皮膚科にかかるんだもん」というカモフラージュができるようにするためだろうか?それなら実によく分かるし、親切でさえある。日本皮膚科学会の配慮に感謝する人はたくさんいるだろう(女性の場合は婦人科に行けば診てもらえるのだろうか?)。
でも、逆の場合もある。蕁麻疹で皮膚科にかかろうと思っているのに、道行く人から「あら、あの病院に入っていった人、きっと性病よ」と噂される恐れもある。それなら不条理極まりない。
高校の生物学の授業で、生物の器官発生のプロセスの際に、その由来は内胚葉、中胚葉、外胚葉のどれかであると習った気がする。さらにはその個体発生のプロセスが種の分化・発生のプロセスと同じことから「個体発生は系統発生を繰り返す」という、ヘッケルの反復説という理論も覚えさせられた。音楽好きの私としてはヘッケルをケッヘルを書き間違えないよう、余計な気を遣ったものだ。入試には出なかったけど。
となると、泌尿器科に皮膚科や性病科が併設されていることが多いのは、泌尿器も性器も皮膚も、同じ発生プロセス、つまり由来が同じなのかも知れない。もともとはすべて外胚葉だ、とかいうように。
そんなことはまあいい。
とにかく、私は「泌尿器科」に行ったのである。
そして、こんなふうにタラタラ書く必要は実はなくて、そこは泌尿器科専門であった。蕁麻疹でそこに行っても「おととい来やがれ」って言われるのだ。胸を張って病院に行けるのだ。
泌尿器科に行った場合は例外なく、決められたセレモニーがある。
最初に尿検査をするという儀式である。
おごそかに尿を採る。
センセに呼ばれる。
まだ、わずかに尿潜血があるという。潜血っていうくらいだから、わずかに決まっているが……
そこで、予定されていたとおりCT検査を行なうことになる。
造影剤を注射される。
CT検査の技師は若い女性で、決して明るい印象ではなくて、いかにも毎日窓のない部屋で仕事をしているって感じで、加えて田舎臭いのだが、なんとなく好感を持てるタイプである。ETみたいじゃなくてよかった。
こういう感じの女性って、CT検査装置にこっそりと「大鵬」とか愛称をつけているんじゃないかって気がする。
ところで、CT検査をエコー検査と混同している人が多い。CTも体を輪切りにして撮影するのだが、輪切りにするのはMRIだけと思っているようだ。でも、CTだって輪切り検査だ。エコーは体にゼリーみたいのを塗って、バーコードリーダーみたいなものでなぞって撮影する。人間ドックでも行なわれる。
CTはComputed Tomographyの略で、X線によって体を輪切りにして撮影する。リングが体を通過していき、検査時間は10分前後である。息を止めたり、造影剤を用いたりもする。
MRIは磁気によって撮影する。狭い穴の中に入って撮影するので、閉所恐怖症の人なんかはできないこともある。あらゆる方向から体を撮影でき、造影剤を使わなくても血管などの撮影が可能である。時間も20~30分かかる。
ということで、私は「大鵬」で検査を受けた。
ただ、CTは1cm単位で写していくらしく、もし石が小さければ写らない場合もある。それと「トロカツオ純情編」のときに入院した病院でも言われたが、尿酸由来の石の場合はX線写真には写りにくいらしい。
結果だが、「大鵬」での検査では石は確認できなかった。どこにも。
腎臓も腫れている様子はなかった。
検査後、医者曰く。
「石は確認できませんでした。腎臓も両側とも正常に働いているようです。腫れは認められません」
「では、石はどこへ行っちゃったのでせうか?」
「知らないうちに出ちゃったか、あるいは写らなかったけど、尿管のどこかに引っかかっていることも考えられます。でも、腎臓機能には異常がないようなので、尿管が石で完全に塞がれて、尿がせき止められているということはないようです。あと、すでに石は膀胱に落ちていることも考えられます」
「ということは、石がまだ尿管に引っかかっているとしたら、動き出したときまたひどい痛みが来ることになりますね?」
「そうです。すっごく痛くなります。でも(不気味な笑顔で)、ガマン、ガマン。何時間かの辛抱です」
「でも、一応痛み止めの座薬はいただけないでしょうか?」
「ガマンすればいいことなんだけどなぁ。しょうがない、座薬を何本か出しましょう」
「ありがとうございます。あなたに神の祝福があられますように」
そうやって、私は貴重な座薬を手にして病院をあとにした。
ところが、その2ヵ月後、早くも座薬が役に立つことになろうとは!
あの、検査技師の女性とも再会することになった。歓迎する表情は見せてくれなかったけど。
つまり、私の結石はX線に見つけられることなく尿管に引っかかっていたのだった。
次回からは第3部「クリスマス前の奇跡編」となる。
「私が育んだ石」 第2部「エッグサンド望郷編」 その4
朝、早めに診療所に来ていただけるようにお願いしていたので(妻に対して)、彼女は子どもたちも乗せて8時すぎに診療所にやって来た。おまけにテントやらコンロやら寝袋やら、無計画に積み込んでいて、車の中は戦時中の旅客列車みたいだった。つまり、いくら痛みが消失したとはいえ、病気上がりの人間とはこれ以上キャンプなんてできないということで、引き上げてきたわけだ。
Y家は昼過ぎまでキャンプ場で過ごすという。
ウチは「私のせいで」早々に札幌帰るのだ。「せっかくのキャンプが台無しだわ」という無言の抗議が車内に充満していた。
車は私が運転した。
荷物でぎゅうぎゅうの車内では、運転席がいちばんゆったりしていたからだ。
下腹部に痛みの「残渣」みたいなものがあったが、もう大丈夫だった。
つくずく旭川に送られなくてよかったと思う。
「そういえば昨日、イカ売りの人が来てたでしょ?」
「ああ、あれ?近くのテントにいた人が酔っ払って叫んでたの」
チクショウ!酔っ払いのたわごとか!
イカで往復ビンタしてやりたい気分だ。
そんなことより、私はとにかくシャワーを浴びて、着替えをしたかった。
自宅に戻る。
シャワーを浴び、着替える。
やっといつもの素敵な私に戻った。
日曜日である。無理だろうとは思ったが、電話帳で急患応需という広告を載せている泌尿器科何軒かに電話をかける。いずれも「当院に今までかかったことがあるのでしたら診れますけれど、初診の方は……。いま痛みが治まっているようでしたら、明日いらして下さい」というものだった。世の中には応需してもらえる初診の急患はいないことがわかった。
最後に、近所でも悪評高き救急病院に電話をかけた。ウェルカム・モードで診てくれるという。そこでCTを撮った。
確かに石が写っていた。
だが、それだけだった。
だからどうしろという診断はなかった。
結局、無駄に検査料と休日診療代を支払っただけに終わった。
翌日、泌尿器科に行く。
尿検査では、少しだけ血液が混じっているという。
でもその医者は、こう言った。
「石はね、痛いでしょ、すっごく。でも、ガマン、ガマン。何時間かすると痛みが消えるから。そして、流れちゃうから。石で尿管が詰まるとその手前の腎臓がたまった尿で腫れてすっごく痛むの。でも、人間の体ってうまくできたもんで、やがてもう1つの腎臓ですべてをやろうとして、詰まった側の腎臓の尿も吸収されて腫れが引くわけ。そうすると痛みはすぅーっと消える。あなたの今の状態がそうだね。だからまだ石が尿管を塞いでいるとしても、もう腎臓が腫れることはない。石が自然に膀胱まで下りて、さらに外に出るのを待つだけ。ただ、ずっと尿管が詰まったままだと、その腎臓の機能が低下してしまって腎不全になる。昨日、検査したっていうから今日はしないけど、1ヶ月後くらいにもう一度来て。そこでまだ詰まっていたら、治療するから」
果たして、石はまだ尿管にとどまっているのだろうか?
としたら、私は片側一方の腎臓だけで尿を生産していることになる。
子どものころ、腎臓は1つだけでも十分、と聞いたことがある。
それで、たとえば自分の子が重度の腎臓病のときは、親が子どもに自分の腎臓を一個移植してあげても大丈夫だと。腎臓を売るということも、貧しい国では行なわれていると聞いたことがある。
でも、こういう目に遭うと、自分の腎臓が2つあって良かったとつくずく思う。
1ヵ月後。
私は、再びE泌尿器科医院を訪れた。
「私が育んだ石」 第2部「エッグサンド望郷編」 その3
痛みは一向に収まる気配がない。
意識は朦朧としている。
この痛みはいったいいつまで続くのだろう?
とても不安になる。
原始時代の人は、病気になったときたいへんだったろうな、と心から同情してしまう。
テントの外で、大きな声で「イカ、いかがっすかぁ~」という男の声が聞こえる。
キャンプ場にイカ売りが来ているようだ。こんなところに行商人……
しつこく何度も叫んでいる。
妻やY子さんは、とはいっても、こんなところでイカを買ったりはしないだろう。キャンプに来たからには、お金だって費やしたくないはずだ。
しばらくたって妻がテントに様子を見に来た。焼肉をほおばりながら……。この無神経さは、まるで行儀の悪いエゾリスのようだ。
「まだ痛みが収まんないの?」
「うーっ」
そして彼女は立ち去っていった。
ほどなくして救急車のサイレンが聞こえた。
それはすぐ近く、方向からしてキャンプ場の駐車場で止まった。
私と同じように病かあるいはケガで苦しんでいる人が呼んだのだろう。
キャンプ場から救急車で病院に運ばれるなんて、とっても気の毒だし、ひどく恥ずかしいことだ。でも、その救急車を呼んだ人がここでキャンセルしてくれたなら、私は代わりに乗ってもいい、という気持ちになっていた。
やがて救急車のサイレンが再び鳴り、遠くに消えていった。
その少しあとだった。妻がまたテントにやって来た。
「村の診療所がやってるって。そこに行って診てもらったら」
私は彼女に感謝した。と同時に、もっと早くにそのような発想をしてしてほしかった、と思った。
老婆のような姿勢で車まで行き、妻の運転で診療所に行くことにした。
こんなときでも自分はしっかりしてるなと思ったのは、妻に「車を出したら、ここに椅子か何かを置いておけ。でないと、すぐに別な車に停められるから」と実に適切な指示を出したことだった。駐車場は満杯である。そうしなければ、戻ってきたときにウチの車を停めるスペースはなくなっていることは間違いないのだ。
診療所はキャンプ場から8分くらいのところにあった。
トンネルを抜け、ちょっとした集落にそれはあった。
途中一ヵ所だけ、信号があった。
そして、私がこんなひどい状況であるにもかかわらず、なぜか赤信号でひっかかってしまった。交差する車なんてまったくない。鹿だって渡っていない。アリは渡っていたかも知れないが、そんなの見えない。
「行け!行ってくれ!」
「赤信号でしょ!行かない!だいたい、男のくせに黙ってられないの!」
ふだんは、ウチは夫婦の会話が少ない、と文句を言っているくせに、黙れという。むちゃくちゃだ。とにかく、痛みで脂汗を流し悶絶している私は、交通ルールに負けた。
診療所は、典型的な「村の国保診療所」的建造物であった。
夏休み期間中は海水浴やキャンプに来た、特に児童がケガなどをしたときのために、土日も診療しているらしい。何とすばらしいシステムであろうか!
でも、「できれば来てくれるな」とばかり、待合室は薄暗く、そこに待機しているのも若い応援医師と年配の看護婦の2人だけであった。
私が着いたとき、誰かが診察を受けていた。
あとで知ったが、海の岩場で足を切った男の子が運ばれたらしい。あの救急車がそうだったのだ。引率者らしい若い男性が付き添っていたが、たいしたことがなくてほっとしたようだった。
実際、私の様子に比べれば、その男児はぴちぴちした稚魚のようであった。
私のTシャツは絞れるほど汗でビチョビチョになっていたし、息は嘔吐物の臭いがしていた。
体格のいい初老の看護婦が言った。
「お腹痛いの?」
優しいが、やっかいな奴がやって来たというような口ぶりだった。まるで「ううん、もう治った」という答えを期待しているかのように。
そのとき妻が大発見をしたかのように、笑みをたたえながら看護婦に言った。
「そういえば、主人は前に尿管結石をやったことがあるんです。そのときの症状にそっくりです」
看護婦はすぐに医者に伝えに行った。といっても、医者は隣の部屋にいたのだが。診療所はそんなに広くはない。
私もこのとき初めて、これは石かも知れない、と思った。
そういえば、ずっとオシッコもしていない。
トイレに行ってみた。
ちょっとだけオシッコが出たが、赤くはなかった。赤かったのかも知れないが、汗をあれだけかいたせいだろう、濃いな、と感じただけだった。
看護婦は受付の奥に行き、書棚から本を取り出し何かを調べだした。
その本の箱が見えた。
「家庭の医学」……
おいおい……
医者はレントゲンを撮ってみるという。
私はとにかくその前に痛み止めの注射を打ってほしい、と懇願した。
その願いは叶えられたが、そのころには自歩行が困難なほどになっていた。
トイレに行きたくなった。大の方である。
看護婦は「家庭の医学」で知識を得たのであろう。
「お腹が痛いと、出したいような感じがするのね?」
と、慰めだか皮肉だか分からないことを言った。
レントゲンを撮る。
医者が「ほーっ」と言う。
いったい、何だ?
「珍しいですね。脊椎の数がふつうより一段多いですよ。これまでそう言われたことありませんか?」
「ないでふ……」
それが喜ばしいことなのか、悲しむべきことか判断がつかないが、その話題に深入りする余裕はなかった。
「石らしきものは写っていませんねぇ。もしかすると、腸ねん転とか腸閉塞ということも考えられます。このまま救急車で大きな病院に行くという方法もあります」
「近くと言うと?」
「旭川です」
冗談じゃない。札幌なら検討の余地はあるが、何が悲しくて旭川に行かなくてはならないのだ?
「いや、失礼ながら、間違いなく結石です。腸はなんともないと思います。だって、さっきオナラも出ました」
私はわけの分からないことを言ったが、必死の訴えが伝わったのか医者は納得してくれた。
「しばらく横になってみましょう」
医者の言葉にしたがって、私は誰一人いない2階の入院部屋に寝かされた。
1時間ほど経ったとき、痛みはウソのように消えた。
痛み止めが効いたのかも知れないが、私は「危機は去った」と直感した。自分の体のことだ。何となく病そのものが収まったことがわかった。石の痛みの消失というのはこのように劇的である。
1階に降り、妻と医者に「痛みが消えた」と伝えた。
医者は「どうしますか?帰りますか?」と尋ねた。
「ええ、もう大丈夫です」と私は答えた。
そこに横槍を入れたのは妻であった。
「何言ってるの?あんなに痛がってたんだから、今晩はここに泊めてもらいなさい」
医者は「こちらは構わないですよ」と言う。
看護婦は「でも、明日、朝ごはんは出ないですよ」と言う。
結局、私はキャンプに来たのに、その村の診療所に一晩入院することになった。
妻は帰った。
私は汚い格好のまま、ベッドに寝転がった。
医者はほどなく帰った。
入院室の横が看護婦の控え室だった。
医者が帰ったのを見計らったかのように、電話のベルが鳴った。
看護婦が世間話をしている。
知り合いからのようだ。そりゃそうだ。こんなところに一人でいたって退屈だろう。長電話もしたくなる。
電話が終わると、今度はテレビの音だ。NHKの「阿修羅のごとく」のテーマ音楽が聞こえる。「トルコの軍楽」という曲だ。その音楽を聞いていると、自分の不幸さが一層身にしみる。
そんなとき、ザーと雨の音がした。
ふふふ、キャンプ組は雨に当たってるな。こっちは屋根付きだ。って、そんなことで優越感を得るくらいしかなかった。
「私が育んだ石」 第2部「エッグサンド望郷編」 その2
キャンプ場でのぜんぜんつまらない義務的な昼食を終え、かといって雨上がりで海水浴場は赤旗。それですることもなくボーッとしていたのだが、Y夫さんが「釣りでもしましょう」と言った。
私は魚を触るのが嫌いである。ましてや、こんな場所では満足に手も洗えないではないか!?
でも、まっ、いいか。どうせ釣れないだろうし。だいいち、釣りざおは1本しかないのだ。Y夫さんが釣るのを見ていればいいだけだ。
海に突き出ている岸壁の先の方まで行く。
けっこう釣りをしている人がいる。
何が釣れているのかわからない。そこをのぞきこむほど私は勇気を持ち合わせた人間ではない。
Y夫さんが携帯用のような釣竿を出した。
私はある程度予想したが、その予想は的中した。
つまり糸は生命の神秘さに相当するぐらい神秘的な複雑さで絡み合い、おまけに「浮き」は忘れていて、致命的なことにエサがなかった。
私はそんなこともあろうかと、ひそかにポケットに魚肉ソーセージを持ってきたのだが、それは最悪の事態のためであった。そして、最悪の事態はいとも簡単に現実となった。
Y夫さんは糸を垂らすが、まったくと魚なんて食いついてこない。
私は13分で飽きてしまった。
用事を思い出したかのように、さりげなくその場を去り、テントに戻った。
ミセス2人は、テント前に椅子を置いて、近所の人間関係について語り合っていた。こんな話をするなら、家でお茶しながらのほうがずっといいと思うのだが、変なやつらだ。大自然の中で、といっても周りはテントだらけだが、開放的になっているのだろうか?悪口もはずむってか?
海水浴場の赤旗は別な色に変えられる気配はないし、することもないし、なんて思っていると、なんだか便意を感じてきた。
やれやれ、こんなところで……
しかも下痢っぽい雰囲気だ。
私は近くの簡易トイレが5基並んでいるところは避け(そのすぐ隣りにもテントを張っている家族があった。臭いだろうが!それに、音がまる聞こえだ)、ちょっと離れた正規のトイレに行った。といっても、不衛生であることに変わりはない。
溜息をつこうと思ったが、ここで呼吸するだけでも悪い病気に感染しそうだ。
出ない。
テントに戻る。
そのうちおなかの痛みがどんどん強くなってきて、とても座ってはいられない状態になってきた。
Y家に心配をかけてはいけないと思い、あまりたいしたことではないふりをしてテントに入って横になった。午後3時過ぎのことだ。
胃薬とビオフェルミンを飲んだ。
しかし腹痛は強くなる一方だ。
こんな場所で、こんな激痛に見舞われるなんて……
やがて吐いた。
これは食あたりかも知れない。
あのエッグサンドが相当怪しい。
痛みは和らぐことはなかった。
やがて焼肉の匂いがあたりに充満してきた。
テント村の人たちは待ち切れずに早めの夕食に入ったのだ。
みんなすることがないのだ。
だから、どこか一か所で焼肉を始めると、みな一斉に始めるのだ。
私が死んだイモムシのように横たわっているテントは焼肉臭の煙に包まれた。
また吐いた。
そのうち痛みで、臭いや周囲のざわめきが夢なのか幻覚なのか現実なのかわからなくなってきた。
「私が育んだ石」 第2部「エッグサンド望郷編」 その1
あの朝、あの5年前の朝、私の背中の上で「背中のコリ」をほぐそうと忠実に歩いてくれた長男は小学生になった。もし今、彼に背中の上を歩いてもらったら打ち身、捻挫、吹出物でひどい目にあうだろう。
そう。あれから5年も経ったのだ。
その間に私たち一家は、あの忌まわしい土地を出て、郊外に家を建てた。ただし、正確には家を建てたのは大工さんである。
新しい地は、新興住宅地ということもあって近所との交流も盛んだった。盛んだったが活発とまではいかなかった。なぜかというと、活発化するほど家が建ち並んではいなかったからだ。
7月、北海道も暑くなった。
子どもたちが夏休みに入ってすぐの週末、 私たち一家は近所のY家と二家族で、浜益村にキャンプに行った。
その日は厚くどす黒い雲が空を覆っていた。気温もあまり高くなかった。しかし、私たちはキャンプを決行することにした。
そもそも私はキャンプは好きではない。だいたいにして、なぜわざわざ不自由な生活体験を喜んでしなければならないのか?
寝心地は最低、食事はどうせ焼肉、クーラーボックスの氷の状態を絶えず気にしながら冷えていることに過剰に感謝して飲むビール、クーラーに入れておいても翌朝は気持ち悪い色調になっている食べきれなかった肉、遠い水道、汚くて混んでるトイレ、迫りくる下等な虫どもetc.etc……おまけに家に帰ってからのテント干しは私の仕事にいつのまにかなっているのだ。
しかし子どもに色々な体験をさせなければ、という学習指導要領上の理由から、我が家でもキャンプ用品一式をそろえた。
ともあれ、浜益村に向った。車で3時間ほどの場所だ。ここには海に面した比較的有名なキャンプ場がある。ついでにこの海では、ときおり人が溺れ死ぬ。
キャンプ場に向う途中、雨が降り出し、一時は激しくなった。
しかし前を走るY家の車は停まる気配を見せない。いや、ひたすら前進することに躊躇すらしていない。Yさん(その家のダンナ。以下、Y夫)は万年青年みたいな性格の人で、キャンプみたいな非文化的なことが大好きなのだ。
キャンプ場に着いたときには雨は上がっていた。そして、昼前に着いたにも関わらず、もうかなり込み合っていてどこかの難民キャンプみたいな光景になっていた。
私たちはちょっと傾斜のある芝生にテントを設営せざるを得なかった。明日の朝起きたときは、きっと血が足に寄ってしまって脳貧血状態かも知れない。
さきほどの雨で芝生はビチョビチョ。
こんなところにテントを張らなければならないのだ。やれやれ……
じかにテントを張るのはさすがにやめ、ブルーシートを敷く。
子どもたちは気が狂った犬みたいにあたりを走り回っているし、どうせ労働力にもならないが、それにしても一人でシートを広げるというクソめんどくさい作業をしているだけで気がめいってくる。自分は遊牧生活には向いてないと確認できる瞬間だ。
そのシートの上にテントを張る。
張り終わったころになって妻が「けっこう傾斜がきついわね。これじゃ寝ずらい。もっと平らなところ探したほうがいいんじゃない?」と悪魔のようなことを言い出す。Y家の奥さん(以下、Y子)も「そうだそうだ」と魔女のように同調する。
私とY夫は、必死に抵抗する。ここまでの労働を金に換算すればどれだけのものになるのか、その価値が夫人連合にはわかっていないのだ。
「どこに平らなところが空いてるの?ここ以外ないでしょ?」
私たち青年部は毅然とした哀願口調で、ここで我慢してくださいと訴える。
そんなこんなでまずは第1関門を突破する。
さて、昼だ。
着いていきなり昼だ。
で、昼はカップめんである。
なぜ、こんな場所でわざわざカップめんを食う必然性があるのだろう?
そのために炭の火をおこし、遠方の水道まで水を汲みに行き、どういうわけか計算したかのように水のタンクからはチョロチョロと水が漏れ、そんなことまでしてカップめんを食べなきゃならないのか?ふだん、家にいるときには「体に悪い」とか言ってるくせに(妻が)、この大自然の中でなぜ食わなきゃならないのか?
Y家はエッグサンドである。
そしてY子さんは私にエッグサンドを一切れ(たった一切れ)くれた。
私は食べた。
卵特有のイオウの香りのする、正真正銘のエッグサンドだった。
その3時間後。
私は猛烈な腹痛に襲われることになる。
「私が育んだ石」 第1部「トロカツオ純情編」 その6
火曜日。
土曜日にのたうちまわって病院に着き、トロカツオ食当たり疑惑が晴らされ、真っ赤なオシッコが出て、イギリス人顔負けなくらいミルク・ティーを飲み、箸でカレーライスを食べ、夜中に看護婦さんを呼んだが何一つスキャンダラスなことはなく、そのお仕置きとして浣腸され、向かいの部屋の爺さんが亡くなり、入院患者の金品が盗まれる事件が多発しているという状況に置かれて、すでにものすごい年月が経ってしまったような気がする。
考えてみればずっとシャワーも浴びていない。
ミクロ・レベルで観察すれば、私のオチンチンの周りには血痕があるだろうし、肛門周辺には浣腸の成分が検出されるだろう。
今日はエコー検査である。
石はまだ出ない。
石さえ出れば、私も病院から出られる。
でも、金網には何も引っかからない。ニシンが去ってしまった日本海沿岸の漁師の苦悩が理解できる。
エコー検査自体は簡単に終わる。
人生の目的を失ったような、鎖に繋がれてただ寝転がっているしかない飼い犬のような気分で空虚な時をつぶす。
暇だからオシッコに行く。
向かいの部屋は空っぽのままだ。
「向かいの個室が空きました。今なら入院料金そのままで個室へのグレードアップができます」と言われ、この部屋に移されたらいやだなぁ、と思う。そんなことは起こり得ないけど、起こり得るかも知れない。
オシッコだけは勢いよく出る。
金網にカチンと何かが当たる音は、しない。
午後、副院長がやってくる。
「いやぁ、まだ出ないんだって?でも、もう飽きたでしょ?」
「ワンワン!ハァハァ!」
私は散歩に連れて行ってもらえることになった犬のように尻尾を振った。よだれもたらしそうになった。でも、こういうときに反対のことを言ってしまうのが、私の致命的欠陥である。
「はい。でも、感染症の恐れはなくなったのでしょうか?」
「う~ん……」
まずい、やばい、しくじった。
彼は真剣に思考回路内で検討を始めてしまった。
感染症には強いんです、と訂正すべきだろうか?
「いや、抗生物質を出しますから、大丈夫でしょう。ただ、石が出たという確認がありませんから、また痛んだらすぐに来てください」
来る来る、キャイィィィ~ン、ワンワン。
ということで、私はこの隔離施設から奇跡の生還を果たすことができた。
翌日、仕事に行くと上司が言った。
「土曜の夕方に病院に電話したけど、おまえの名前は入院患者にはないって言われたぞ。どこ言ってたんだ?」
土曜日だったので、病院事務のほうは終了していたのだ。事務手続きよりも入院行為が先行したってわけだ。それで氏名が確認できなかったらしい。
でもさぁ、月曜日にもう一回電話してみるとか、月曜に仕事に来てなかったら自宅に電話するとか、ふつうならするんじゃない?
結局、本当に入院していたということを分からせるために、必要以上の時間を要してしまった。
今回、体内に残ったままの石は(あるいは別の石は)、5年後に再び勢力を増すことになる。
以降、第2部「エッグサンド望郷編」に続く。
「私が育んだ石」 第1部「トロカツオ純情編」 その5
遠くのほうから聞こえる女性のすすり泣きの声……
それは、私が入っている病室の向かいからであった。
私は意を決して、部屋の外へ見に行くことにした。
いや、厳密に言えば、怒涛のように押し寄せる尿意が限界にきていたのだ。
その光景は、結局のところきわめて「大病院風」なものだった。
向かいの部屋に入っていた人が亡くなったのだ。
それだけだった。
奥さんらしきおばあさんが泣いていたわけだが、その息子夫婦、あるいは娘夫婦は「来るべきときが来たのだわ」って表情でたっていた。
私には別段関係ないのだが、こういうのを見ると、自分も入院が長引き、そのうち体力が消耗し、動くこともままならなくなり、結石で入院したはずがいつのまにか肺炎か何かを患い、そして意外な原因で死んでしまうんじゃないか、という妄想にかられる。
元気に排泄される尿を見ながら、私はそう思った。
朝ごはんは抜きで、9時過ぎに副院長が回診にきた。
今日はご案内のとおり浣腸でおなかをきれいにしたあとMRIだかなんだかの検査である。違っているかもしれないが、間違いないことは浣腸をした、という事実である。
看護婦さんに浣腸してもらう。
妻にもしてもらったことがないことを、このような偶然なる出会い、しかも2日しか経っていない女性に、私はしてもらっているのだ。
「できるだけがまんして下さいね」
こういう無理難題を、平気でやさしい声で要求してくる。悪魔だ。白衣の悪魔!
「だ、だ、だめです。看護婦さん、ボク、我慢できない」
「いけないわ!」
ってことで、10分も経たないうちにピーヒャララ。しゃんしゃん手拍子、足拍子の私であった。
検査が終わり、部屋でたたずむ。
もう痛みはもちろん、目でわかる血尿もない。浣腸も打った。カレーも食べた。
ここですべきことはもうない。
また、副院長が来た。
「まだ、出てないんでしょ?」
「はいぃ」
「画像には石らしきものは写っていなかったんだけど、石灰性じゃない石はなかなか写らないんですよ。それかも知れないな。痛風とかなったことあります?」
「いえ、痛風はないですが、ドックでは尿酸値が高いと言われます」
「あっ、それだね!明日はエコー検査しましょう」
「あの、そろそろ退院なんてサプライズは?」
「焦らない、焦らない!」
なるほど、私は関節に尿酸がたまる代わりに、石となったのだ。痛風発作の変わりに結石発作ってわけか。先祖にアコヤ貝でもいたんかねぇ?
でも、あいつ、私を解放しようという気がないらしい。
不安がよぎる。
1階の喫煙室にタバコを吸いに行く。
こういう場は、病院に対する不満話が飛び交う、生きた情報が得られる場だ。
おばさん数人が井戸端ならぬ灰皿端会議を開いている。
その会話から2つの有益な情報を得た。
1つはここ数日、病室荒らしの窃盗が続いているという。ここ数日といえば、私が入院してからである。でも私ではない。そう心の中で無実を訴えた。
2つ目は、こういうときにタイムリーというか、どーしようというかだが、この病院はなかなか退院させてくれないという話である。ベッドも空いてるからけっこう引き伸ばすというのだ。
ギョヘーである。
失意の私。
そして、上司は見舞いに来なかった。
「私が育んだ石」 第1部「トロカツオ純情編」 その4
そして消灯の時間になった……
自宅にいる時には22時にもなると、頭の中でかすかに、しかししつこいくらい鳩時計の鳴き声が聞こえ続け、とっても眠くなる私という不思議な存在であるが、こういう場に置かれるとなかなかグースカパーとなれるものじゃない。
真っ暗な6人部屋(ということは、これだけで我が家の寝室の数倍の面積である)に一人ポツンと取り残されているのだ。BGMが流れているわけでもなく、遠くから祭囃子が聞こえてくるわけでもない。聞こえる音といえば、どこかの病室からピーッ、ピーッと伝わってくる脈拍か何かを監視している機械の音や、ナース・ステーションに呼び出し音である。
しかも、私は大量のミルク・ティーを飲んだこともあって、なかなか寝付けない。カフェインがどうこうも問題ではなく、絶えず尿意にさらされているのだ。しかも、オシッコをする際には必ず金網を通すという厄介な義務も課せられてるのだ。
それでもウトウトしだしたとき、どうも自分が熱っぽくなっていることに気づいた。
そのまま朝まで放っておくべきだろうか?
いや、これは尿路のどこかで感染症を起こしている恐れもある。
よし、ナース・コール、ナース・コール、ルンルンルン♪、しかない。
私は初体験として、ナースをコールした。
看護婦さんが来た。
「どうしましたか?」
「どうも、熱っぽい感じがして……」
「お熱測ってみましょうね」
広い暗闇の中で、いま私はこの若き看護婦と2人っきりなのだ。しかも、ベッドはほかに5つもある。どれも無個性なのが残念だが、ここでベッドの装飾にこだわっていてもしかたない。
「確かにお熱がありますね」
「はぁ」
「じゃあ、私がその火照った体を癒してあ、げ、るっ!」
「いけません、看護婦さん。点滴の針が抜けちゃうじゃないですか!」
「大丈夫!わたしにまかせて!あなたはじっとしていてくれればいいの!」
という具合に展開するのはAVの世界だけであって、看護婦さんは極めて現実的に「点滴に解熱剤を加えておきますから」と言っただけだった。
お預けをくらった犬のような顔をしている私に、「何か不服でも?」という感じで彼女は去って行った。
彼女が点滴に解熱剤を加えに戻ってきたとき、私はふとんから顔を出さなかった。「こいつは性格が悪い!」、そう思いながら、私は声を出さずに涙した。
次の日は日曜だったので、別な看護婦が何回か部屋にきただけであった。
昼過ぎに年配の男性が私と同じ部屋に入院した。
これで夜はお化けの心配をしなくてもよい(彼がお化けそのものだった場合を除く)。
夜中、看護婦さんに襲われる心配もなくなった(スッゲー、合理化!)。
尿の赤みはかなりとれた。
でも砂金は一向に引っ掛かってこない。
夜になる。
看護婦が「明日はおなかの検査します。下剤でおなかの中をきれいにしますから、朝ごはんは食べないでください」と言われる。
下剤?看護婦さんが浣腸してくれる?困ったななぁ、恥ずかしいなぁ、でも、ウフフフフ。(←冗談ですってばぁ)
消灯。
やっぱり祭囃子は聞こえてこない。
新入りの入院患者は死んだように寝入ってしまった。
朝方、女のすすり泣く声で私は目が覚めた。
MUUSAN
クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。
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