小倉朗(Ogura,Roh 1916-1990 神奈川)という作曲家をご存知だろうか?
私はこの人の曲を1曲だけ知っている。「弦楽合奏のためのコンポジション」(1972)という作品である。作曲されてから数年後のことだと思うが、札響の“ほくでんファミリーコンサート”(札響の第2の定期演奏会とも言われている)で聴いたのだ。
どんな曲だか覚えていない。よくわからなかった。つまり楽しめなかった。
その小倉朗と伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)、吉田秀和の対談記事が「文藝別冊 伊福部昭」(片山杜秀責任編集)に収められている。
東宝交響楽団の機関誌「シンフォニー」1949年1月号に掲載されたもので、タイトルは「現代音楽をめぐる新春放談」。
小倉と伊福部が喧嘩になるんじゃないかというくらい、緊迫したやりとりだ。
伊福部ファンというひいき目を差し引いても、私は小倉の発言に悪意、意地悪を感じる。伊福部を小ばかにしている。知性のない音楽、田舎者の書いた音楽。小倉は伊福部をそのように見下しているのだ。
このころの小倉はドイツ古典派信奉者。ドイツ古典派こそが最高であり、自らの価値基準をそこに置いていた。いま読むと、それがまた痛々しくもある。
小倉は忘れ去られてはいないが、今や伊福部とは比べ物にならないほど名を残してはいない。伊福部のスタンスが、伊福部の生命力あふれる音楽が、いまでは小倉よりもはるかに支持されている。
伊福部はこういう批判にじっと耐えてきたのだ。そう思うと、まったくもって大人物だったと、あらためて敬服する。
先日紹介した筒井信介著「ゴジラ音楽と緊急地震速報」には、次のような記述がある。
戦前では、非アカデミックなものとして批判され、戦後は“過去の遺物”として無視されたのだ。
こういった状況を、伊福部昭は自虐的な意味も込めて「止まった時計」に喩えた。すなわち、泊まった時計は、一見、時間の流れから取り残されているように見えるが、少なくとも一日に二度は正しい時刻を指す、というわけである。
なんだか、胸がジ~ンとする。
この対談が掲載された前年、つまり対談が実際に行なわれた年ということになるだろうが、その1948年に伊福部が作曲したのは「ヴァイオリン協奏曲」(ヴァイオリン協奏曲第1番の初版)、バレエ音楽「サロメ」、同「エゴザイダー」である。映画音楽は6本分書いている(伊福部昭が映画音楽を最初に書いたのは1947年のことで、その作品は「銀嶺の果て」。この47年には他に「幸福への招待」という映画の曲も手がけた)。
バレエ「サロメ(Salome)」。上記のように1948年に作曲されたが、1987年に演奏会用に改訂された。
前に、山田一雄/新星日本交響楽団による改訂版の初演ライヴを取り上げているが、今日は岩城宏之/東京都響の1990年ライヴをご紹介しておく。
この演奏もすばらしい。岩城は鳴らすべきところはガンガンとオケをドライヴする。しかし音が濁ることはなく、一本調子にもならない。妖艶さもたっぷりだ。
岩城、やるじゃん!っていう名演。というのも、長らく札響の音楽監督を務めていた岩城の演奏はずいぶんと聴いてきたが、どこか一本調子というか、コクがないというか、そういう印象をもっていたから。
伊福部の「日本狂詩曲」や「ラウダ・コンチェルタータ」、この「サロメ」を聴いて、おやっと思ったのだ(良い方に)。
「文藝別冊」にはこの作品についての伊福部の話が載っている。
…… オリジナル版作曲の際には、ダンサーの体力上の制約もあって、音楽としてもっと書き込みたい、延ばしたいという箇所を、中途半端に詰めておかねばなりませんでした。そうした心残りの箇所を、この改訂版では、みな満足のゆく分量にまで、拡大しています。
さらに幕切れの箇所ですけれども、…… 音楽はオリジナル版は、静かな箇所が付いて終わったのです。
…… 音楽としてもどうも格好が悪いので、この改訂版では、当初の意図通り、サロメが潰され、一気に幕のかたちにしてあります。
ところで小倉朗だが、純音楽作品以外では、数多くのTV音楽などを書いてある。
NHKの契約作曲家となったからだ。
「ビルマ語の時間」の音楽とか「テレビ体操」への主題音楽とか……
昔の話で、いつまで使われていたのかわからない。
私も知らない。
レビュー
緊急地震速報のチャイム。
警告音というほど強くなく、また無機質でもないが、独特のただならぬ気持ちにさせられる。
ご存知の方も多いと思うが、このチャイムを作ったのは伊福部達(1946- )。伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の甥にあたる人だ。
そしてまた、一部で誤って伝わっているのが、このチャイムのもととなったのが「ゴジラ」の音楽だということ。正しくは、「ゴジラ」ではなく「シンフォニア・タプカーラ」からこのチャイムが作られたのである。
そのあたりは、筒井信介著(伊福部達監修)「ゴジラ音楽と緊急地震速報」(ヤマハミュージックメディア)に詳しいが、チャイム音は「タプカーラ」の第3楽章の冒頭の和音が素材となっており、それを伊福部達が選んだのは、“適度な緊張感”と“インパクト”を持っているからだという。
生体工学、音響工学、福祉工学を専門とする伊福部達がNHKからチャイム制作を依頼されたときに、チャイム音に求められる条件としてあげたのは次の5つだったという。
・ 注意を喚起させる音であること
・ すぐに行動したくなるような音であること
・ 既存のいかなる警報音やチャイム音とも異なること
・ 極度に不快でも快適でもなく、あまり明るくも暗くもないこと
・ できるだけ多くの聴覚障害者にも聴こえること
そして、「タプカーラ」第3楽章の冒頭のジャンッ!の和音を分解、アルペジオ的にチャイム音を作り出し、さらに音楽的要素を薄めてチャイム音としての機能を高めたのだそうだ。
その「シンフォニア・タプカーラ(Sinfonia Tapkaara)」(1954/改訂'79)を、今日は本名徹次/日本フィルの演奏で。
キングの「伊福部昭の芸術8 特別編 頌 ― 伊福部昭 卆寿を祝うバースデイ・コンサート」のアルバムで、2004年のライヴ。ここに収められているのは第3楽章だけである。
これまた白熱したすばらしい演奏。
最後の音が終わるや否や、会場に絶叫に近いブラボーが飛び交うのも納得がいく。
上に書いたことでご承知のことと思うが、「タプカーラ」からあのチャイムのメロディーが聴こえてくるわけではないので、念のため。
日曜日の夜、肉とシメジを炒めて食べようと思ったが、さて、味付けはどうしたものかと迷った。
ポークジンジャー風にするのもいいが、そして生姜焼きの味は突然いつ食べても美味しいが、いつもいつもじゃちょいと芸がない。
豚丼のタレが冷蔵庫に残っているからそれを使うことも考えたが、この日の私は甘辛い味付けを求めていなかった。だって、境界型、めったに間食しないのにこのときは夕方に餡の串団子を食べちゃったし……
中華風にしようか?でもなぁ……
そんなときに唐沢寿明が私に訴えた。TVの中から。
ミツカン味ぽんだけでとっても美味いと。
コマーシャルでは豚肉とタマネギだけを炒めているようだったが、野菜室の中のシメジをなんとか本日中に使い切りたかったので、豚肉とシメジとタマネギを炒めることとした。
味ぽんだけというのは、調理人(本日の)としては芸がないので、①コショウを振り、②おろしショウガを少し入れ、③酒もちょいと加え、④最後に味ぽんを入れて仕上げた。たいした芸でなくてすまんけど。
うん、なかなかいけた。
唐沢さんはウソついてなかった。
ただ4種の調味料のうち、最初の3つの効果がどの程度か不明。最後の1つ、味ぽんだけでも十分かもしれない。
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)のヴァイオリンと管絃楽のための作品、現在はヴァイオリン協奏曲第1番と呼ばれるものには、4種の版がある(あった、というべきか)。
伊福部は作品を改訂することも少なくなかったが、3回も改訂をするのは異例のことだ。
1948年に「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」が書かれた。自らがヴァイオリンを弾いていた伊福部にとって、その楽器をソロにした最初のコンチェルトである。
この曲は3つの楽章から構成されていたが、1951年に第2楽章をカット。2楽章構成の「ヴァイオリンと管絃楽のための狂詩曲」とした。
さらに1959年に改訂し「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲(Rapsodia concertante per Violino et Orchestra)」となった。
2回目の改訂から12年経った1971年に現在演奏される形に直されたが、曲名は1959年と同じ「協奏風狂詩曲」。だが、カッコ書きで「ヴァイオリン協奏曲第1番」という名が付されるようになった。
このあたりの経緯は、先日紹介した“伊福部昭 文藝別冊”に詳しく書かれている。
このたびフォンテックから出たCDには1959年版の演奏が収録されている。
NHKがラジオ放送用に録音したもので、独奏は小林武史、森正指揮ABC交響楽団の演奏である。
第1楽章は現在の版(1971年版)とあまり変わらないが、第2楽章はけっこう違いがある。こちらの方がより土俗的だ。貴重な音源であることは間違いないが、音楽としては慣れのせいもあるのだろうが、私は今の形の方が好きだ。
1959録音。モノラル。
NHKのアナウンサーによる伊福部昭へのインタビューも収められている。
なお、このコンチェルトの第1楽章に出てくるメロディーが、のちにゴジラの音楽となるものの原型である。
先日出版された河出書房新社の「KAWADE夢ムック 文藝別冊 片山杜秀責任編集 伊福部 昭」は実に読み応えがあり、私にとって新たに知る情報も多々書かれている。
多くの伊福部ファンにとっても、貴重な本となるだろう。
私は1980年頃以降からの伊福部昭が脚光を浴びる時代に、そして生誕100年を迎える年を、たまたま生きていることに感謝しなければならない。
ところで、伊福部ファンって本当はどのくらいの多さなんだろうか?
先日の札響定期の客の入りを見て、ちょっとそんなことを考えてしまった。空席が目立ったので。
生誕100年でこれまで聴くことのできなかった音源もCD化されているが、今日は岩城宏之が東京都響を振った「日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)」(1935)。
1990年1月13日に行なわれた都響第302回定期演奏会「都響 日本の作曲家シリーズ7 伊福部昭作品集」のなかでの演奏である。
岩城宏之は積極的に邦人作曲家の作品をプログラムに多く取り上げた指揮者だが、正直なところ伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)をこのように振っていたとは意外だった。
というのも、岩城が聴衆への紹介に努めていたのは自らが“ゲンダイオンガク”と称している種類のもので、無旋律に聴こえるものだったり、とにかく複雑に音が交錯して騒音と紙一重のようなものであったり、そしていつ終わったんだかわからないようなものが多かったからだ。その岩城と、伊福部のようなナショナル色濃厚な音楽はどうも結びつかなかった。
とはいえ、私は岩城宏之が札響で「交響譚詩」の第1楽章を振ったのを聴いたことがある。
“グリーンコンサート”という野外演奏会であったが、いわゆるピクニック・コンサートでなぜ岩城が「交響譚詩」を取り上げたのか、今思えば不思議だ。何か深い意図があったのだろうか?
都響とのこの「日本狂詩曲」はテンポが遅めだ。
これは先日の札響定期でのテンポに似ている。どうしても山田一雄盤をずっと聴いてきたので、そのテンポが自分にはしみついているが、この遅めの方がずっと情緒があるように思えてきている。
上の別冊文藝のなかで、指揮者の井上道義が伊福部作品の演奏する際に、作曲家から「テンポが元気すぎる」と、何度ももっと遅くするように指示されたと述べている。
岩城の演奏はバカ騒ぎに陥らない、なかなか味わい深い演奏だ。
岩城自身打楽器奏者だったから、第2楽章の音響バランスもよく計算しているのだろう。
先日のコンサートを除けば、今まででいちばん良く感じる「日本狂詩曲」かもしれない。
フォンテック。
同書のなかで、「交響譚詩」第1楽章の第2主題がプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番冒頭のメロディーに、盗作と言われるほどにそっくりだということが書かれている。このことはゴジラとラヴェルのピアノ協奏曲のメロディーの関係と同様にけっこう有名な話らしい。
まったくそのとおりだ。
が、私はこれを読むまでまったくそれに気づくことがなかった。
やれやれ……
6月6日だからってわけで、6ついでに「6台のピアノ(Six Pianos)」。
ライヒ(Steve Reich 1936- アメリカ)が1973年に書いた作品。
もちろんミニマルミュージックである。
なんでもこの曲、楽器屋に置いてあるピアノを全部使う曲を作ろうという発想で生まれたらしいが、その楽器店に6台しかピアノが置かれてなかったのかどうかはしらないが、出来上がった作品は6台用になった。
まぁ、100台のメトロノーム用の曲を発想するよりはずっとノーマルだとは思う。
ライヒが位相のズレ(フェイズ・シフティング)の技法から離れ、オーグメンテーションなるものを用いるようになってからのの作品(難しいことはよくわからないが、白石美雪によるCDの解説では“休止符と音を1つずつ交換して行くプロセス”だそうだ)。
曲は3つの部分からなるが、そのパッと場面が転換するところは、けっこう劇的。
音楽そのものは、実に親しみやすいが、ミニマルゆえに、メロディーが印象的というようなものではない。
ピアノ・サーカスの演奏で。
1990録音。“TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION” Special Issueの1枚(原盤argo)。
なお、ライヒはこの曲のマリンバ版として1986年に「6台のマリンバ(Six Marimbas)」を書いている。
こちらはマンハッタン・マリンバ・クァルテット他の演奏で。
1986録音。ノンサッチ。
今日はかかりつけの病院に行き、あの結果を聞いてくる。
あの結果とは、言うまでもなくブドウ糖負荷試験の結果である。
結果がひどく悪けりゃとっくに電話で知らせてくれているはずだ。ということは、便りがないのは良い報せということで、異常がなかった。もしくは、中途半端に良くなかったということだろう。
うっ、なんか金鳥してきた……
ところで、昨日は午後にJRで移動したが、文庫本を眺めてもどうも読んでみたいというものがなく、久しぶりに新書本を買った。
弁護士の鳥飼重和監修の「その「つぶやき」は犯罪です 知らないとマズいネットの法律知識」(新潮新書)である。
タイトルだけではSNSが主な対象のように見えるが、中にはブログにおける注意点も多々書かれている。
SNSやブログをやっている人に広くお薦めしたい本だ。
そしてもちろん、私自身もより一層気持ちを引き締めて行く所存である。
現在、歯科医院で本格的な歯石除去を4回シリーズで行なっている。
4回というのは、第1回目は右上エリア、第2回目は左上エリア、第3~4回は下の歯列を左右半々に分けて行なうというスケジュールなわけで、すでに第2回目まで終了した。
最初のとき、衛生士さんに開口一番聞かれたことは、「MUUSANは痛さに強い方ですか?」ということだった。
痛さの程度がどんなものか想像がつかないまま「そこそこに」と答えたところ、「じゃあ、麻酔無しでやりましょう」ということになった。
つまり“本格的な”というのは、場合によっては麻酔を用いて行うほど過酷な治療ということなのである。
どんな器具を使っているのか目をつぶっているのでわからないが、キュールルルルルと音をたてる機械による除去のほかに、金属製の器具でガリガリと歯石を取り除かれた。
確かに痛いときもあるが、これは十分に耐えられる。が、私が児童だったなら泣き叫ぶだろう。
それよりも口をゆすいだときにかなり出血していることの方に驚いた。私が乙女だったら気絶したことだろう。
2回目。上の歯列の左側。
この日も一応は確認されたが、麻酔無し。
途中で「大丈夫ですか?」と何度も聞かれたが、麻酔するほどの痛みではないので、そのまま除去を続けてもらった。
ただ、左上のいちばん奥の歯の刺繍ポケット-まっ、かわいい!-じゃなくて、歯周ポケットがかなり深く、状態が悪いということで、前回よりは痛みは強く、また治療後の昼食や夕食も右側で物を食べざるを得ないほど痛みが残った。
腫れるかもしれないと言われたが、翌日は晴れたものの腫れはしなかった。
この日の出血は前回に増してすごく、口をゆすいで吐いた真っ赤な水をみて、気分が悪くなったほどだ。
衛生士もたいへんな仕事だなぁと、頭の中で「まっかな秋」を歌いながら、あらためて思った。
治療中の私の状況ならびに気持ちのような曲を。
A.スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660-1725 イタリア)の「あたたかい血(Caldo sangue)」。歌劇「エルサレムの王、セデチーア(Sedecia,re di Gerusalemme)」のなかの1曲である。
作品の詳細も歌詞の内容も知らないが、この「あたたかい血」、ほんと切ない音楽だ。
治療の椅子に座り、不安におびえながら口の中をいじくられている、そんな気持ちがよみがえる。
プティボンのソプラノ、マルコン指揮ヴェニス・バロック管弦楽団の演奏を。
「イタリア・バロック・アリア集」。
2009録音。グラモフォン。
次回の歯科診療は、明日である。
いまさらながらに怒るのは「遅れてるぅ!」って言われそうだが、気づいていなかった、この私は。
高速道路の“平日朝夕割引”のことである。
4月からETCマイレージに登録していないと朝と夕方の料金30%割引が適用されなくなることは知っていたが、すでにご登録済みの私は「自動的に引き続き割り引いていただける」と解釈をし余裕をかましていた。
ところが先日、樽前サービスエリアのセイコーマートでおにぎりを買い、そのあとトイレに寄って(今考えると逆の順序の方が行動様式として好ましかったと言える)、さらに入口においてあったパンフレットを読んで、コトの深刻さに気づいてしまった。
“平日朝夕割引”は月に5回未満の利用なら還元の対象にならないって、そんなこと知らんかった。
となれば、金曜日の夕方に自宅に戻り日曜日の日中に舞い戻ってくる私としては、毎週金曜日に帰っているわけじゃないので、5回利用という条件をクリアすることは事実上不可能だ。朝夕の通勤で高速道路を利用している人はいいんだろうが、私に対してはまったく配慮されていない。そういう意味では、今まで通り“通勤割引”と言われた方があきらめもつきやすい。
じゃあ、いっそのこと3000円が休日割引で半額になる土曜日の朝に移動しようかとも思ったが、1500円を惜しんでわざわざ金曜日の夜はこちらでじっと待機っていうのも、そりゃ1500円は大きいが、せせこましく理不尽で時間の無駄だ。それに休日割引も7月からは3割引きになる。
それにしても、このチラシ、利用例(適用例)が極端だし、還元だの請求だの、顧客に理解していただこうという意気込みが希薄に思えてならない。
よく考えると、今の政権になってからというもの、良くないことばかりが起こったり論議されている。
TPPだの集団的自衛権だの配偶者控除廃止だのブログ人サービス廃止だのフロントガラス破損交換だのだのだ…の……
なんとかしてくれ。
朝夕に関連し、ディーリアス(Federick Delius 1862-1934 イギリス)の「3つの小音詩(Three small tone poems)」(1890)。
この作品がなんで朝と夕に関連するかというと、3つの曲のタイトルが「夏の夕べ」「冬の夜(そり滑り)」「春の朝」だから。私の勝手な理屈に他ならないが。
「冬の夜」は朝夕に関係ないが、冬の夜の運転は気をつけないといけない。そりは滑るためにあるが、車は滑ったら怖いし危ない。この理屈も関係ないけど。
ディーリアスの作品の中で、なぜかこの曲はあまりメジャーな存在ではないが(「そり滑り」は単独で取り上げられる機会が少なからずある)、独特のしっとり感や郷愁を誘うメロディーがたっぷりで、放置されている理由がわからない。
それぞれのタイトルの季節の情景が目に浮かぶ絵画のような音楽だ。
ロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団の味わい深い演奏を。
2002録音。ナクソス。
とにかく、コンビニに新聞を買いに行って、そのあとバラいじりしなきゃ。
午後はコンサートだ。
今日は仕事を終えた後に自宅へと戻る。
明日は午前中は庭のバラの面倒をみる。今年はまだ殺虫剤も殺菌剤も散布していない。そろそろ悪い虫や良くない病気がはびこりはじめているはずで、私はバラを守る騎士のごとく、鉄兜のかわりにYANMERと刺繍されたキャップ(前に工場見学したときにおみやげにいただいた)をかぶり、なんとなくプロの栽培人になった気になって作業をするつもりである。
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の組曲「ばらの騎士(Der Rosenkavalier)」。
組曲のもととなっているはH.v.ホーフマンスタールの台本による3幕の歌劇「ばらの騎士」Op.59(1909-10)で、後年R.シュトラウス自身も管弦楽組曲版を書いたが(1945)、今日はドラティの編曲によるもの(1940年代)を取り上げる。
編曲といっても、ドラティはR.シュトラウスのオペラの譜面には一切手を加えなかったと語っている。そしてまた、ドラティ版の方が作曲者編の組曲よりも原曲のイメージに近いとされている(まぁ、一切手を加えてないんだから当たり前だわな……)。
「ばらの騎士」というのは、ウィーンの貴族が婚約を申し込むセレモニーのときに遣わす使者のことで、銀のばらの花を届けるためにこう呼ばれる。ただしこれは、ホーフマンスタールの創作で、実際に行なわれていたものではないようだ。
ドラティ版は、
1. 序奏
2. 銀のばら
3. 紛糾
4. オックス・フォン・レルヘナウ男爵
5. 大詰め-大ワルツ
の5曲からなっており、シュトラウスの豪華で官能的なワルツを中心とした音楽が楽しめる。
そしてまた、始まってすぐのホルンが爽快極まりないし、「アルプス交響曲」を思わせる自然描写的な美しさもR.シュトラウスらしい。
ドラティ指揮デトロイト交響楽団の録音は1983年。
デッカ。
明日の午後は、久しぶりの札響の定期演奏会。
待ちに待ったオール・伊福部プロである。
被害があの程度で収まったのは奇蹟としか言いようがない。
いや、今日は車のフロントガラスのことではない。
先週のある朝のことだ。
目覚めると私の頭の周辺には小指の先ほどの白い物体がいくつも落ちていた。
一瞬何かわからなかった。
が、それは私が使っているパイプ枕のパイプであることがわかった。
私はパイプ枕の感触と通気性がが好きである。
あっ、ご存知のこととは思うがパイプ枕というのは下水用のパイプのようなものを枕にすることではない。直径と長さが1cmくらいのパイプ片がなかにごまんと詰まっている枕である。
理論上、パイプならダニが発生したり、そばの芽が生えてきたりしないから、無機質的な衛生さがある。
夜のうちにどこかが破れたのだろうか?
にしても、こぼれ出たのが32個で収まっていたのは奇蹟的だった。
全部、いや半分でも出てしまっていたら回収するのにけっこう手間がかかったはずだ。
これもひとえに、私の頭の小ささと脳の軽さ、寝相の良さによるものだろう。
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第96番ニ長調Hob.Ⅰ-96「奇蹟(The Miracle)」(1791)。
奇蹟の愛称の由来は、この曲が初演されたときに、会場のシャンデリアが落下してきたが奇蹟的に誰1人けがをしなかった、ということからきている。しかし、近年の研究では、どうやらこの事故が起こったのは102番のときじゃないかとされている。
この嘘っぱちのタイトルと音楽自体の性格が一致しないせいか、地味な存在である。
アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団による演奏は、「決して地味なわけじゃない!」と言わんばかりのハツラツとしたもの。このイキイキした演奏で、奇蹟というタイトルを無視して純粋に作品を味わっていただきたい。
1996録音。グラモフォン。
こういうパイプってパイプ枕専門の工場なんかで作っているのだろうか?
ニ〇リなんかに納入価格を大幅にたたかれ、困っているところに半沢直樹が融資してあげるなんてストーリーがありそうな、町場の小さなコウバで……
いや、輸入なんだろうな。
町場のコウバといえば、久しぶりに小説を読んだ。
いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの池井戸潤だが、氏の作品を初めて読んだ。「下町ロケット」(小学館文庫)である。
研究者の道をあきらめ、家業の町工場・佃製作所を継いだ佃航平は、製品開発で業績を伸ばしていた。そんなある日、商売敵の大手メーカーから理不尽な特許侵害で訴えられる。圧倒的な形勢不利の中で取引先を失い、資金繰りに窮する佃製作所。創業以来のピンチに、国産ロケットを開発する巨大企業・帝国重工が、佃製作所が有するある部品の特許技術に食指を伸ばしてきた。特許を売れば窮地を脱することができる。だが、その技術には、佃の夢が詰まっていた――。男たちの矜恃が激突する感動のエンターテインメント長編!第145回直木賞受賞作。
読ませてくれるねぇ~。
水戸黄門のクライマックスのようにスカッとさせてくれるねぇ~。なんとなく先の予想がつくのも黄門さまっぽいし。
でも、TVで観た半沢直樹とかルーズヴェルトゲームと登場人物がオーバーラップしちゃう。
おもしろかったけど、そういう意味で一度読んだものを読み返しているような錯覚に襲われた。
ご飯の話ばかりが続いて恐縮だが、今日はご飯はご飯でもちょっと毛色が異なる奇妙な話。
先日自宅に帰ったとき、玄関ポーチの端のほうにやや乾燥したご飯があった。
分量は箸で一つまみ程度。
なんで玄関にそんなものがあるのだ。
不思議だ。
カラスが生ゴミをあさって、それをわが家の玄関前で食した残りか?
いや、それならそっくり平らげるだろう。
誰かがいたずらで置いていったのか?
誰だ?ティルの仕業か?
が、わざわざご飯一つまみをここまで持ってきて置いていくだろうか?
それに、そのいたずらの目的は?
謎である。
いずれにしろ私はそれを片付けた。
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)の交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(Till Eulenspiegels lustige Streiche)」Op.28(1894-95)。
作品についてはご面倒でもこちらをご覧いただきたくとして、今日はドラティ指揮デトロイト交響楽団の演奏で。
ドラティらしい痛快な演奏。オーケストラの各楽器(特に管)も巧い!
CDには録音年が1979と1980という2つの表記がある。どっちかが正しくてどっちかが間違いなのに違いないのだが、ブックレットにある初出時の欧文解説の縮小コピーによると1980年のようだ。
デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)
このCDは2枚組みで、オリジナルのジャケット・デザインを採用しているが、上に載せた写真はブックレット裏面のものである。
にしても、残飯(どう考えても)を置いていくなんて、いたずらとしても愉快ではない。いたずらでなかったら不気味だ。
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