カッコ書きは第6版の番号
ふだん当たり前のように使っているケッヘル番号について、一度整理しておきましょう。ふと、そんな気になったので……
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)は生涯600曲以上の作品を残した。しかし、モーツァルト自身が自作の作品リストを作るようになったのは、1784年に書き上げたピアノ協奏曲第14番からである。
つまり、ピアノ協奏曲第14番以降の作品については作曲年代に関する問題があまり生じないのだが、それ以前の作品についてはいつ書かれたかという作曲年の整理がモーツァルトの死後も成されていなかった。
植物学者であり鉱物学者だったケッヘル(Ludwig Kochel 1800-77 オーストリア。原綴りではoにウムラウトが付く)がモーツァルトの年代別の作品目録を作ることを思い立ったのは1851年のこと。
そして1862年に「モーツァルトの全音楽作品の年代順主題目録」を完成。その番号=ケッヘル番号は、K.もしくはKV.の略号でモーツァルトの作品に付されることとなった。
その後、音楽学者のアルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein 1880-1952 ドイツ→アメリカ)をはじめとする研究者たちによる時代考証によって改訂が行なわれ、最新版のケッヘル目録は第6版(1964。ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社)であるが、最初のケッヘル番号が定着しているため、旧ケッヘル番号のあとにカッコ書きで第6版の番号が表記されることが多い。
例) 交響曲第25番ト短調K.183(173dB) (1773作曲)
あるいは、K6.173dBと表記されることもある。
なおケッヘル目録は現在第8版が出版されているが、内容は第6版と同じである。
ケッヘル目録の最後の番号はK.626で、これは未完に終わった「レクイエム」である。
生前出版作品のOp.番号
モーツァルトの作品番号は、しかし、ケッヘル番号以外にもある。
通常の“作品番号”であるOp.(Opusの略)番号が付いた作品もわずかながらあるのである。
Op.番号をもつ作品はOp.17ぐらいまである。“ぐらい”というのも変だが、Op.番号は重複したり欠落しており、錯綜しているのである。Op.番号はモーツァルトの生前に出版された作品につけられている。
例えば、Op.1の番号は次の2曲に付いている。
・ ヴァイオリン伴奏のクラヴサン・ソナタOp.1
2曲(ハ長調K.6(1762-64頃)/ニ長調K.7(1763-64頃))
・ ヴァイオリン伴奏のクラヴサンまたはフォルテ・ピアノのためのソナタOp.1
6曲(ト長調K.301(293a)/変ホ長調K.302(293b)/ハ長調K.303(293c)/
ホ短調K.304(300c)/イ長調K.305(293d)/ニ長調K.306(300l))(1778)
初版出版以後に発見された作品の番号
K.Anh.という番号が付けられた作品もある。
例) 交響曲ト長調「旧ランバハ」K.Anh.221(45a)(1766)
K.Anh.はケッヘルの目録の初版以後に発見された作品で、作曲年代とは関係ない(第6版の番号K6.45aは、もちろん作曲年代に従っている)。
例にあげた「旧ランバハ」は1924年にランバハ修道院で発見され、一時期は父・レオポルトの作品とされたが、現在ではヴォルフガングの作品であると断定されている。
偽の作品、もしくは疑わしい作品
このほかにC.という分類がある。これは偽作または疑作に付けられる。
例) 協奏交響曲変ホ長調K.Anh.9(C14.01)(1788)
オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンを独奏とするこの協奏交響曲は、20世紀の初めに筆写譜が発見された。この作品は1778年に作曲された後に紛失し記録上だけの存在だった「協奏交響曲K.Anh.9,K3 .297B」の編曲と考えられてきたが、ケッヘル第6版では偽作に分類されている。
ケッヘル番号のついていない曲もある。
1776年に書かれたと推定される交響曲ニ長調には、交響曲の通し番号もついていないが、ケッヘル番号もない。
セレナード第7番「ハフナー」の4つの楽章を取り出して変更を施し、4楽章の交響曲にしたものである。 ところでK.1の作品は何かというと、「メヌエット ト長調」(1761または62)で、K6.では1eとなっている。
また、第6版では1の番号を持つ作品は以下のようになっている。
アンダンテ ハ長調K6.1a
アレグロ ハ長調K6.1b
アレグロ ヘ長調K6.1c
メヌエット ヘ長調K6.1d
メヌエット ト長調K.1(K6.1e)
メヌエット ハ長調K6.1f
これらの曲を、私はGuy Pensonのクラヴィコード演奏のCDで聴いている。
モーツァルトの最初の一歩のメロディーが、微笑ましい。
1991年の録音で、レーベルはブリリアント・クラシックス。
W.A.モーツァルト
若き日のマゼールがベルリン放送交響楽団を振った、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第40番ト短調K.550(1788)ならびに交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター(Jupiter)」(1788)。
録音は1966年。
先日の札幌出張の際、ポイント15倍のチケットを握りしめてタワレコに行ったが、店頭に並んでいるこのCDジャケットのマゼール様の視線を股間あたりに熱く感じたような気がして購入した。
タワーレコードの紹介文 ↓。
第40番については“大胆なまでの強烈な表情づけ”、第41番には“激しい緩急の対照と個性的なアクセント”と書いてあるが、まったくもって巧い表現。
私としては異議なし、です。
録音のせいもあるのだろうが、音質はややサメ肌風。が、それはあまり問題にならない。
マゼールは聴き手をうっとりさせたり、感傷に浸らせてくれない。スポーティーかつ締まった演奏を貫く。オーケストラの響きは厚いが、もたつくところはない。
私はモーツァルトの演奏スタイルではピリオド奏法の方が好きだが、このモダン演奏は弛緩することなく退屈させられない。若々しいはつらつとした姿勢に心を捉えられる。勝手な思い込みかもしれないが、「打倒!カラヤン/ベルリン・フィル」という意気込みもあるのかもしれない。
ジャカジャカしたピリオド演奏は落ち着かないが、モダン演奏でも甘ったるいモーツァルトはちょっとねぇという人には、格好の餌食、いや、格好の1枚。
なお、交響曲第40番にはクラリネットが編成に加わらない版と、クラリネット入りの版の2種があるが、マゼールはクラリネットなしの第1稿を用いている。
Tower Records Vintage Collection +plus Vo.18(原盤フィリップス)。
先週の土曜日。
午前中に庭いじりをし、窓に冬の間はずしていた網戸を装着し、午後の列車でこちらへもどっ来た。
JRの車中でちょっとイライラすることがあったが、ともかくもダイヤの乱れもなく定時に到着。そのあとエキナカの100均で蛍光ペンを買い、みどりの窓口では次回の出張のチケットを購入し、マンションに戻った。
そのあと車を引き取りにディーラーへ。
ウインカーのスイッチをアームごと交換していただいた。ライト点灯中にウインカーをつけても、もうライトはまばたきしなくなった。この当たり前のことが喜ばしい。
また、ヒューズ・ボックスあたりからの異音も消滅した。フロントサービスマン曰く、「スイッチの異常がリレーにも負荷をかけていたのでしょう」。
その後遺症で今度はリレーがへたってしまわないかちょっと心配だが、これ以上あれこれ聞くと不安神経症患者のようなので、思いとどまった。
帰り道にスーパーに寄ってウイスキーを買った。
瓶を持ってレジに並んでいると、後ろから声をかけられた。
支社の若き女性社員だった。
よりによって、ウイスキーの瓶1本だけを手にしている姿を見られるなんて……。いろいろ物が入っているカゴの中にたまたまウイスキーもついでのように加わっているというのならあまり問題ないが、明らかに酒に飢えた人間がそれだけを目的買いしているのがバレバレで恥ずかしい。
「父に頼まれたもので」と言い訳しようか?
いや、見苦しいし、嘘つきという噂がたつ。実際大うそだし。
私は「こんにちは」と、返すにとどめた。
マーラーと伊福部を聴き続けているので、翌日の朝は久しぶりにモーツァルトにした。
日曜の朝にモーツァルトなんてまるで欧風貴族のようだが、そのあとになめこのみそ汁を作ってバランスを保った。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91)の交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター(Jupiter)」(1788)。
このとき選んだのは、マッケラス/プラハ室内管弦楽団のもの。
マッケラス盤については以前も取り上げているが、いつ聴いても、このように小雨の日曜日の早朝に聴いても、ワクワクさせられる。
1986録音。テラーク。
そして、聴いているときに、運動会開催強行の花火の音があちこちから聞こえた(北海道の場合、この時期に運動会が行なわれる)。
札幌あたりだと、近所からうるさいと文句が来るということで花火の音も控え目だが、こちらは派手に鳴る。これは良いことだ。だが、あちこちで鳴り渡るのに微妙なずれがある。なぜ、6時ジャストに一斉に花火が上がらないのか不思議だ。これがセンター試験の開始の合図だったら大問題になるところだ。
久々の、本当に久々の恵みの雨が降ったその日が運動会当日というのは皮肉だが、またお母さんたちにとっては延期になってまたあらためて大量の弁当、おかずを作らずに済んで、実に喜ばしくハ長調気分になったに違いない。
明日から3連休である。
私は今日の業務終了後、車で自宅へ帰る。
マイカー(っていう言葉も近ごろあまり耳にしなくなった)で帰るのは2か月半ぶりだ。
だって冬道の長距離運転は、いくら道産子とはいえやっぱ疲れるもの。危ないことだってたくさんあるし……
もう雪どけもだいぶ進んだので、といいたいところだが、たぶんトマムのあたりは危ないんだろうな。なにせ、スキー場の横を通るわけで……。最低でも天気が良いことを願おう。
ちなみに今日の天気予報によると午後は雪だるま。雪だるまが落下してきたら大変だが、雪が降ってくるのもけっこう大変なのである。出発前からつぶやこう。「やれやれ」……
我が家では、新緑が芽吹いてるんだけどね。
とはいっても、ベンジャミン。
ずっと家の中に置いてあって室温はほぼ一定だし、窓からの日射しがちゃんと当たってるわけじゃないし、もちろん日没後も蛍光灯の光が当たってるのに、なんでこいつ、季節感があるんだろう?春がわかるんだろう?
一方で(何に対しての「一方で」なんだか……)、人間ドックが約2週間後に迫った。
1年前、若い保健師に節制がなっていない、心がけがいい加減だ、おまえの母ちゃん赤でべそ、などと人生の落伍者のように罵られた私は、「クッソー、見ていやがれ!1年後は指で押してもびくともしない鉄板のように硬くて平らで、かつ、亀のような筋の入った腹になってやる」と固くリベンジを決意したにもかかわらず、昼のラーメン・ライスはやめられないし、運動する気も200%起こらないし、新聞休刊日にも肝臓を年中無休で働かせてきたわけで、要するに結論は「1年経つのは速い!」ってことだ。
はいはい、今年も罵倒されてきます。違う保健師さんにあたることを祈りつつ……
でもアタクシ、こう見えても男。
一度覚悟したからには、どんなに理不尽なことを、いや、理にかなってることを言われても、カッとしないように我慢しよう。そしてときどきわけのわからない言動を発してみよう。
ちなみに、週刊新潮に連載されている「私の週間食卓日記」のように私の食事(昼食)を振り返ってみると……
10日(月)。アルフレッド氏とオーダマンボ氏と共に取引先を訪問。用件を終えた帰り道で中華料理店に入り、3人とも味噌ラーメンを頼む。それに十勝名物の中華ちらしを1つ頼んで3人でシェアした。私は控え目に1/4ほどにした。残り3/4は両名がそれぞれ3/8ずつ食べた。私は初めて中華ちらしを食べたが、あの甘さ、けっこう苦手であった。
11日(火)。午前中外勤に出たが、その帰りに某所でボリューム満点の弁当を買ってしまう。社に戻って食べた。おかずもご飯もたっぷりで、けっこう大食いの阿古屋係長が羨ましがっていた。だが気がつくと、この私、完食してしまっていた。好き嫌いをしないでゴミ(つまり残飯)が出ないように取り組んだ成果だが、その分ゴミのように余計な脂肪が蓄積されたに違いない。
12日(水)。ヤマダ課長や阿古屋係長と会社の近くの中華料理店へ。ヤマダ課長は野菜チャーハン。阿古屋係長はタンメン。私は担担麺にしたが、ヤマダ課長のヘルシー志向に共感し小ライスを付けることはしなかった。よく我慢したものだと自分に拍手をおくりたい。
13日(木)。やはりヤマダ課長と阿古屋係長とデパ地下のイートインへ。2人は野菜天丼を頼んだが、天丼でヘルシーさを追求することは根本的に間違いであり、天丼に対する敬意が足りないと思った私は上天丼を頼んだ。エビ、イカ、鮭の天ぷらは野菜天丼では決定的に欠けている喜びを私にもたらした。が、食後の「やってもぅた」という罪悪感はその後2時間ほど残ったし、夕方になっても胃袋の中に衣が残っているような感じだった。
14日(金)。デパ地下でミックスフライ弁当を買う。記憶力も低下しているのでEPAだかDHAだかDHCを補充すべくさばの味噌煮弁当にしようかと迷ったが、でも口が勝手に「ミックスフライ弁当」と店員に伝えてしまっていた。ミックスフライと言ってもそのうちの1種はクリームコロッケだった。いつからコロッケのことをフライと呼ぶようになったのか、私に課題を突き付けた弁当だった。
15日(土)。土曜日だが急きょ会議。終了後に出していただいた幕の内弁当を食す。多種多様のおかずが入っていたが手の込んだものは少なかった(たとえばハム1枚とか塩辛とか……)。残渣物を出さないよう、心を鬼にして完食。しかし、ごはんの量が少なめだったので夕方までには健全シグナルのようにおなかが鳴るに至った。
16日(日)。前日の午後に作ったMUUSAN特製カレーを皿に盛ったライスにかけて、いわゆるカレーライスの状態にして食す。肉は豚の角切り。ルーはバーモントカレーの中辛。自分で言うのもなんだが、ホテルメイドのようになかなか美味しくて食べすぎた。そのあと買い物に行ったが、ショッピングセンター内のイートイン・コーナーから漂ってくるカレーの香りを嗅ぎ、胃がしめつけられるような思いをした。
17日(月)。近所の殺伐とした雰囲気が漂う店で日替わり定食。この日の日替わりはカツ丼。味は覚悟していたほど悪くなかった。なぜドックをひかえているのにカツ丼なんて食べるのかって?この店、日替わり以外はカレーくらいしかないからである。土曜日の夜、日曜日の朝と昼とカレー摂食連続マシーンと化した私には、さすがにこの日はかれぇを食べる気力がなかったのだ。
18日(火)および19日(水)はこちらを訪れた偉い人と昼食を共にした。その特殊環境下での昼食については、別途報告しなければならないだろう。
以上の内容を専門家(軍事とか増殖細胞とかのではなく、食生活の)が読んだら、きっと「よく生きてますね」と言うんだろうな。間違いなく。でも、体重は70kgを少々切ってるもんね。って、最近開き直り気味。
いや、私自身もあらためて振り返ってみて思う。「上天丼はミスだった」、と。 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式(Kronung)」(1788)。
先日書いたように、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハがチェンバロとピアノを独奏楽器とする、えびとじ重とカツ重の二段重ねスタミナ重のような曲を書いた年に、モーツァルトはこのような、カツ&エビフライ・グリルプレートのような完成された形のコンチェルトを作曲しているのである。
そう考えると、何か不思議な感じもする。C.P.E.バッハの試みは画期的だったのようにも思えるし、時代遅れだったようにも感じるし……
ペライアがイギリス室内管弦楽団を弾き振りした演奏は、清楚ですっきり。甘さもちょうどいい。正統的に良い演奏。血圧を下げる効果もありそうだ(モーツァルトの音楽には高血圧に良いという)。私のいちばん好きな演奏は清楚じゃなくて魂の直訴のようなソフロニツキ盤だけど。
1983録音。ソニークラシカル。
けど、私の血管の中の油脂分豊富な血液を改善する効果は、あったりまえのこととして、なさそうだ。 過食防止にもいいらしいんだけどな、モーツァルトは……
まったく実感できないな……
先週の出張では車内誌もちらっと読んだが、そんなのすぐに読み終えちゃうわけで、浅田次郎の「終わらざる夏」(集英社文庫)の上巻(往路)と中巻の前半(復路)を読んだ。
「『ペテロの葬列』はどうなったんだ」って?
いや、まだ途中です。すっごく面白いんだけど、あれを持って歩く体力も根性も私にはないわけです。
いまの総理やら誰やらの危なっかしい発言や暴走気味の進め方―それは理屈では正しいものもあるのかもしれないが、正しけりゃなんでもOKってことじゃないだろう。相手があることなんだから。相手の感情も考慮できないようじゃ子供じみてている。今の総理はあたかもジャイアンのようだ―で、どーも世の中にいやぁ~な空気が漂っている(にしても、百田尚樹氏にはがっかりした。いったいどれだけ偉いんだ?)。
そんなときに戦争にまつわる小説を読むのは、「こんな理不尽な世の中だったのか」と不安感が増すのだが……
上巻のあらすじは、
1945年、夏。すでに沖縄は陥落し、本土決戦用の大規模な動員計画に、国民は疲弊していた。東京の出版社に勤める翻訳者編集者・片岡直哉は、45歳の兵役年限直前に赤紙を受け取る。何も分からぬまま、同じく召集された医師の菊池、歴戦の軍曹・鬼熊と、片岡は北の地へと向かった。―終戦直後の“知られざる戦い”を舞台に「戦争」の理不尽を描く歴史的大作、待望の文庫化。第64回毎日出版文化賞受賞作。
中巻のあらすじは、
片岡の一人息子・譲は、信州の集団疎開先で父親の招集を知る。譲は疎開先を抜け出し、同じ国民学校六年の静代とともに、東京を目指してただひたすらに歩き始めた。一方、片岡ら補充要員は、千島列島最東端の占守島へと向かう。美しい花々の咲き乱れるその孤島に残されていたのは、無傷の帝国陸軍、最精鋭部隊だった。― 否応なく戦争に巻き込まれていく人々の姿を描く著者渾身の戦争文学。
その中巻の最初に次のような場面がある。
……午後は三十分の道を「元寇」を唱いながら歩いて、国民学校の音楽室を使わせてもらった。どうしたものかと先輩に相談したするつもりでいたのだが、蓄音機とレコードを借りてモーツァルトを聞かせ、ピアノを伴奏して唱歌を唱わせているうちに、すっかり気分が萎えてしまった。…… さて、このとき教師、いや“訓導”がかけたモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の楽曲は何だったのだろう?
そんなのわからないわな。
じゃあ勝手に、先日書店でBGMで流れていたのをたまたま耳にしたファゴット協奏曲変ロ長調K.191(186e)(1774)を。
夜に疎開先の寺の本堂で聴くにはあまりふさわしくないかな……
作品についてはこちらをご覧いただくとして、今日はヴァロンのファゴット、コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団の、ますますもって寺の本堂で聴くにはあまりに屈託のない心地よい演奏を。
1993年、寺ならぬドープスヘジンデ教会での録音。エラート。
村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」(文藝春秋2013年12月号掲載)の中頓別騒動。
問題の箇所は、
みさきはそれを聞いて少し安心したようだった。小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。
という部分だ。
村上春樹はすぐに抗議に対して謝意を発表したが、それは冷静で好感がもてる内容のものだった(百田氏の発言とはえらい違いだ)。
単行本にするときには中頓別の名は変えるということだが、残してくれてもらった方が良いのではと、私は思ってしまう。
十二滝村のように仮名をつけられるより、ダイレクトに町名のアピールになるだろう(アピールする必要がないのかもしれないけど)。
それに誰も、中頓別ではタバコを投げ捨てるのが普通、とは思わないんじゃないかな。
そう思いませんか?
とある道東の町。
国道38号線沿いの道の駅、に隣接する食堂に日向山課長と立ち寄り、昼食を食べたのは去年の5月のことだった。
前の日に飲み過ぎた、もしくはおなかを冷やした、あるいは悪いものを食べたせいで、私のおなかはゴロゴロQって感じだったが、なぜかカツカレーを注文してしまった。
しばしば起こる、体と頭が相互リンクしていない状況に陥ったのだった。
だから、実際はどうかわからないが、そのときは美味しく感じられなかった。
会計を終え店を出ると、その玄関先に鉢植えが1つ放置されていた。
その土の上には小龍包くらいの大きさの緑色の球根があり、頂から枯れかけた葉が伸びていた。
そして、球根の横には多数の小さな球根が付着していた。
この植物、中学生のころに育てていたことがある。
当時、となりの家のおばあさん(とっくに没)がくれた。おばあさんは名前は“アオダマ”だって言っていたが、どう考えてもウソとしか思えなかった。青い球。そのまんまもいーところだ。しかも青じゃなくて緑だし。
その後、北大植物園に行ったときに、温室に同じ植物があって、アルパカと書かれた名札がついていた。
さて、久しぶりに目にした瀕死のアオダマ。
思うに、この先も世話されそうにないので、私は横についている小さな球根を1つ取ってポケットに入れた。
す、す、すいません、つ、つい、魔がさしてしまって。
で、でも、あのままだときっとじっと死を待つだけだったと思うのです。私は救い主なのです。だからお赦しください。
……
あれから8か月余り。
土の上に転がしておいた子球から最初は糸のような葉が出てきて、いまや球根は倍の大きさになり葉も葉らしくなった。
この球根の、うす皮の下の緑色がなんとも魅力的だ。銀杏を思い起こさせる。 が、ネットで“アルパカ”と検索しても、ウマみたいなものが出て来るばかり。
そこで、球根とか緑とか観賞植物とかテキトーにやっているうちに、やっとヒットした。
この植物、ニセカイソウ(偽海葱。Ornithogalum caudatum)というらしい。
コモチカイソウ、コモチランという別名もあるようだ。トックリランと書いているサイトもあったが、どうもニセカイソウとトックリランは科からして違うみたいだ。
偽ってくらいだから、本物もある。
カイソウ(海葱。Urginea maritima)である。
偽物(ってわけじゃないが)とホンモノの違いは、カイソウの子球は土の中に生まれるが、ニセカイソウは球根の側面にできる。また、カイソウの花は白一色だがニセカイソウは花びらに緑色のラインが入るのだそうだ。
そうだ。思い出したぞ。
むかし育てていたとき、確かに花が咲いたことがあった。
でも、けっこう肥大したあの球根、どうしたんだっけな?タマネギと間違えて食っちまったか? いずれにしろ、大きくさせてみせる!
そこで、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「にせの女庭師(La finta giardiniera)」K.196(1775初演)。
バイエルン剪定、いや選帝侯の依頼によって書かれた、ペトロセッリーニの台本による3幕からなるオペラ。
“偽物の女、の庭師”(ってことは、バカボンのパパのような男の庭師だ)が現われたり、女性の偽物の庭師が庭木をずたずたにするという内容ではなく、ベルフィオーレ伯爵に裏切られたヴィオランテはサンドリーナと名前を変えて市長の家の庭師をしていたが、市長が彼女に恋をする。しかし、ベルフィオーレが現われ2人は元の鞘に納まる、ってもの。
なんなんだよ、いったい!
序曲をアーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏で。
1991録音。テルデック。
この序曲は「交響曲ニ長調K.196+121」でも用いられている。
序曲にフィナーレとしてK.121(207a)(1774-75)を加えたもので、通し番号はついていない。
私はポンマー指揮ハンブルグ・カメラータの演奏を(ごくたまに)聴いている(1999録音。アルテノヴァ)。
にしても、あの時見た“アルパカ”っていう名札は何だったのだろう。
幻覚だったような気がしてきた。
さて、木曜日にかかりつけの病院に定期診断に行ってきたわけだが、電話予約時の約束は無視され採血もされた。
そりゃそうだよな。ドックが近いといっても4月のことだから、やはり採血免除の理由にならなかったわけだ。結果は次回通院時に教えてもらうことにしたが、あまりにも異常な数値があった場合には電話が来ることになっている。昨日までコールされなかったから、明らかな異常はなかったと判断できるだろう。
で、褒められたことがある。
体重が69.2kgだったのだ。
お医者さんが言うには、正月のあとだっていうのに年前と比べ増加してないのが評価できるということだ。
褒められて調子に乗って「いやぁ、もっと低いところで安定してくれればいいんですがね。アハアハアハ!」と言ってしまった。余計だった。次回に向け、自ら首を絞めるようなことを言い放ってしまった。
にしても……。そっかいつもは朝一番に行って体重も測るが、今回は11時過ぎだった。
腹が減っていた分、軽くなっていたってことなのかもしれない。
【わびさび】
侘寂。
侘は思いわずらうこと。悲しみなげくこと。閑寂。
寂は物静かな趣き。枯れた味わい。閑寂。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)が死の年に書いた3つの協奏曲のうち、ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595、クラリネット協奏曲イ長調K.622、いずれも「すっかり疲れちまったよ」と、今の自分の置かれている状況を静かに噛みしめるようなワビサビの世界だ(残り1曲のホルン協奏曲第1番ニ長調K.412+K.514については、このような特殊事情がある)。
ピアノ協奏曲第27番は、モーツァルトがステージに立った最後の演目。
すっかり聴衆から相手にされなくなり、莫大な借金も抱えていたモーツァルトが、クラリネット奏者ベーアの演奏会に出演させてもらい演奏したものだ。
第26番までのコンチェルトとは趣きを異にする世界。もうウケを狙っている風はない。
これを聴くと、健康な人は心が洗われるだろうが、悩みがある人はいたたまれなくなる可能性大だろう。
モーツァルトはこの曲の第3楽章のメロディーを、このあと歌曲「春への憧れ」K.596に転用している。春への憧れ、ですよ!これまた、泣かせるじゃありませんか!
この作品の枯れた風情をきっちりと味わわせてくれるのがソフロニツキ盤。
今日は一般路線での演奏(?)で、上品で一粒一粒の音が美しいペライアの演奏を。
オーケストラはイギリス室内管弦楽団で、ペライアの弾き振り。
1979録音。ソニークラシカル。
ところで、私のもとにこんなメールが……
ゲストさんへ
麻生みゆき【家元】さんからMailが届きました。
-Mailタイトル-
「わびさび」の効いた愛人契約希望しております。茶道の家元をしております麻生です。お弟子さんに効いたストレス解消法の1つに愛人契約と言うものがありまして
-Mail本文-
http://6r9jjn****.net/read_receivemail.php?id=********
-ログイン-
http://6r9jjn****.net/login.php?id=*******&pass=****
弟子に効いた……ねぇ。
ある意味、誤字じゃないかも……
先週の東京出張の報告の続きである。
火曜日の午後からZさんが合流し、われわれの部隊は戦隊レンジャーシリーズのように5名となった。
仕事を終え、その日の夜は赤坂で食事をした。
鶏のもも肉を焼いた料理(といっても、焼き鳥というものとは違う)が美味しかった。なにより、中まできちんと火が通っているのが嬉しい。
翌朝。
私の朝ご飯はファミマで買ったおにぎり2個に豚汁。
我が部隊一行5名は朝からの会議に出席。
昼はわざわざ地下鉄に乗ってうな重を食べに行った。
にしても、ウナギの値段がうなぎ上りだとは聞いていたが、実際にメニューの価格を見ると一瞬立ちくらみがしそうになった。
とはいえ、ここで引き返しては五匹戦隊ウナレンジャーの名に恥じる。
さりげなくのれんをくぐる。
お店の人曰く、いちばん安いうな重は、うなぎ1尾分までないそうだ。
2番目のは1尾。
3番目のは1尾半で、お重のふたを開けると、そこには尾が折り返されたかば焼きが目の前に現れるという。店員さんとしてはお薦めっぽい口ぶりだ。折り返った様子を手首を使ってアクション披露してくれた。
いちばん高いのは2尾。こうなると、隣にある“元祖札幌屋”のラーメンが10杯以上食べられる価格だ。オフシーズンなら東京でもビジネスホテルに素泊まりで1泊できる金額である。
Xさんは3番目を食べたがっていたが、2番目と3番目とでは1500円の開きがある。この開きが半匹分の価格って計算になる。
元祖札幌屋のラーメン3杯分だ。
そんな贅沢は出来ない。
で、緊急のレンジャー会議の結果、理想・希望・欲望は理解できるが、現実的財政事情により投資額を減額せざるを得ないということになり、よって2番目にした。
とはいえ、これだってラーメン6杯分以上の額だ。
十分に贅沢だ。それに、1尾以上食べると痛風発作が起こる恐れだってある。ウナレンジャーのうちの1人は血中の尿酸値が高いのだ。
注文した5つの重は、「もう我慢できない!」と叫びたくなる寸前に悠然と運ばれてきた。
ふたをあけると、一面がウナギで覆われご飯が見えない、というかつての状況ではなかった。
Xさんの「ご飯が見える」という一言が、はかなく卓上にこだました。
前は確かにこうではなかった。同じ1尾でも小ぶりになったのだろう。少なくとも、お重がひと回り大きくなったわけではないだろう。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516(1787)。
モーツァルトが残した室内楽作品のなかでも、弦楽五重奏曲は重要度が高いものである。6曲を作曲しているが、編成としてはいずれもヴィオラが2挺となっている。
6曲のうち頂点となるのは第4番と、同じ年に書かれた第3番。この2つは姉妹曲だが対照的な性格を持つ。
そしてまた、彼の最後の2つの交響曲である第40番がト短調、第41番がハ長調であることから、順序は逆だが、この2つの弦楽五重奏曲の性格の対照性は2つの交響曲のそれと比較される。
“モーツァルトのト短調”と言われるほど、彼が残したト短調の作品は何とも表現しがたい哀しさや憂鬱さをたたえているが、弦楽五重奏曲第4番の嘆き悲しみと美しさには胸がしめつけられる。
うな重のふたを開けた時の、Xさんの、そして2人の社長の、加えてZさんの、さらには私の「あぁ、うなぎが大繁殖して値段が下がらないかなぁ」という嘆き哀しみ、恨みがここにはある。
終楽章(第4楽章)の後半で、それまでの哀しみをやわらげてくれるように愛らしく変わるが、それで少しは救われる気がする。
また、弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515の明るく堂々とした風格は、まさに室内楽の「ジュピター」である。3番と4番の陽と陰、明と暗の違いは、明るい元気印の姉と、美しいがどこか影のある妹のよう。ところでどっちが好きですか?いや、姉と妹じゃなくて、3番と4番のことです。
うれしい表情も悲しい表情も素敵に聴かせてくれるラルキブデッリの演奏で。
1994録音。ソニークラシカル(VIVARTE)。
にしても、さまざまな食品加工技術がこの世にはあるのだ。
ウナギのかば焼きのそっくり商品ってできないものなのだろうか?(さんまのかば焼きは、明らかにさんまの味がするので、代替にはならない。あれはあれで独立した食品である)。
それはともかく、ウナレンジャーは午後の会議に出たが、午後からはSさんが加わった。
そのあとまた夜がやって来たので夕ご飯を食べなきゃならないはめになり、この日の夜は6人で和食。
そして次の日の朝は、私は珍しく洋食。
ファミマで買ったポテトサラダ・サンドとハム・サンド、それと缶コーヒー。
午前中の会議を終え、6人は解散。
私はSさんといっしょに空港へ行き、第2ターミナルの中の中華料理店で担々麺を食べた。ちなみにSさんは五目麺。
こうして会議と食事が繰り返された出張は終わったのだった。
人がなに食べたかなんて興味ないだろうが、今回の東京滞在における私の食事について報告したい。このことがみなさんの食生活の向上ならびに健康への関心につながれば、私としてもうれしいことこの上ない。
今回の出張の目的は機密保持の点から教えてあげないが、わが支社からは私を含め2名(私とSさん)。わが支社と密接な協力関係にあるN社から2名(XさんとZさん)。そして双方にとって大切な取引先である2つの会社の社長(A社長とB社長)、計6名というメンバー構成だった。
月曜日の夕方に羽田に着いたが、私は他の人よりも1時間ほど早い便に乗り、一行が到着するのを待った。
その間、トイレに行った。黒い肩掛けのかばんが不法投棄された熊のぬいぐるみのように洗面台のところに置かれていた。
なんとなく気になる。
もしかしたら5000万円が入っているのを置き忘れたのかもしれない。あるいは不審な荷物かもしれない。
10分後、再びトイレに観察しに戻った。
そのかばんは10分分劣化していたが、そのままの位置にそのままの格好でたたずんでいた。
トイレから出たらちょうど警備員が歩いてきたので、私は「忘れ物があるようです」といって、市民の義務を果たした。
「ありがとうございます」と警備員は警戒する様子もなく(もし中に大量の爆竹が仕込まれていたらどうしたことだろう?)、それをどこかへ持って行った。
私がどこの誰か聞かなかったのは、ちょっと残念であった。
中身が札束だったら、礼金がもらえたかもしれないのに……
みんな-といっても3人(Xさん、A社長とB社長)。他の2人、SさんとZさんは翌日に合流-が着いて、そのまま千代田区のホテルに。
すぐにあてもなく食事をする店を探す。
ちょいとしゃれた構えの店があって、ふぐとか何とか書いてあり、A社長が「ここがいいんでないか?」と言った。もちろん歯向かう理由は何もない。
が、戸口には「本日は予約のお客様でいっぱいです」という張り紙が……
すっかり戦意喪失し、その先の住所でいえば紀尾井町の居酒屋チャーンの店に入る。看板が目に入ったのだ。
一応海産物を売りにしている店だが、カツとじがあったのでそれも頼む。A社長もB社長も「若い人はさすがだな。オレらはとてもそういうのは重くて」と、私の若さをうらやましがった。そう、私は若い。社長さんたちよりは。
そして社長さんたちは、ざる豆腐やさつま揚げを頼んだ。
が、あつあつのカツとじが来たとき、まずはB社長が「うまそうだな……」とつぶやいた。
もちろん私は「どーぞどーぞ。みんなでつまみましょう」と言葉を返す。
1口口にした(「いちろろにした」ではなく「ひとくちくちにした」)B社長は、「こりゃうまい!」とすっかりお気に入り。A社長も「どれどれ」、そして他の人たちも「どれどれ」。私は「ミファミファ」とはいわずに食べてみると、ちょいとしょっぱいし、別段ふつうの惣菜カツのようなのに、でもウマイ。そして、あっという間に皿は犬がなめたようにきれいになり、B社長が「もっと食べられるくらいだね」というので、私は「もっと食べたい」と頭の中で変換し、追加注文した。2皿目の皿も布でから拭きしたようにきれいに食された。
このように、目をつけたメニューが皆さんに評判良くて、私は店主のようにうれしくなった。
そのあとも、ちょっと狭い空間だったが、リラックスして4人は旅の疲れを癒したのだった(着いたばっかりだったけど)。
チャーン居酒屋ながらも大いに満足し、途中ファミマで水を買い、私は朝食も調達し、ホテルに戻った。
次の日の朝。
私はおにぎり1個とカップ麺のタンタン麺。
朝から若々しい食事だ。ビタミンはおにぎりの海苔とタンタン麺に入っていたチンゲンサイの破片のみ。
今回の出張用務はすべてみな揃っての行動。
昼は永田町の黒澤に行った。有名なそば屋である(昼はとんかつもメニューにある)。
少し待たされたが、黒豚せいろそばは実に美味しかった。実はこの店、私も東京勤務時代から接待などで昼も夜も利用させてもらっている。そばはもちろん、他の料理も間違いないし、接客がきちんとしている。
食事を終えて国会議事堂の方に向かう。
あの坂を歩いて上るのは、食後の運動にしてはハードだ。
上り終えたときに、すでにおなかが空いたような気がした私だった(続く)。
4人でカツとじを食べた思い出に、今日は四重奏曲。共通するのは“4”と“じ”だけだが。
そこでちょっとひねって、弦楽四重奏ではなく、管楽器のためのものを。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のオーボエ四重奏曲ヘ長調K.370(368b)(1781)。
オーボエと弦楽のための四重奏曲というのは珍しい存在。
モーツァルトがマンハイムに滞在していた1777年、マンハイム宮廷楽団のオーボエ奏者だったフリードリヒ・ラムと知り合い親交を結んだ。
ラムはその後ミュンヘンへと活動の地を移したが、歌劇「イドメネオ」の上演のために1780年11月にミュンヘンを訪れたモーツァルトは、ここでラムと再会する。
そして彼のために書かれたのがこの四重奏曲である。
幸福な温かい気分に満ちた第1楽章、憂いた表情の第2楽章、華麗で躍動的な第3楽章と、モーツァルトの魅力が凝縮された作品だ。
もしこの音楽をレストランで流せば(特に第1楽章)、それだけで雰囲気が1ランク良くなるだろう。
ゴーディエ・アンサンブルの、まるで当時の雰囲気が伝わってくるような演奏を(もちろん勝手なイメージだけど。んっ、ジャケットの絵に影響されたか?、私……)。
2001録音。Helios。
多くの人(*注)が痛切に感じていること。それは土曜日ならびに日曜日はなぜこんなに速く過ぎ去ってしまうのだろう、ということだろう。
* 土日に勤労している人は除きます。
そんなわけで月曜日である。
そして私は、先週に引き続き東京に出張である。今回は3泊するのでかばんが臨月状態である。
出張といえば本を携えねばならない。
浅田次郎の「中原の虹」をすべて読み終えたが、第4巻の最後の方を先週の出張の行きの飛行機の中で読んでいたら、別れ別れになっていた春児と兄の春雷との再会、さらには春雷と妹の玲玲との再会の場面になって、私の涙腺は許可なく開いてしまい、そこから心の汗が流れ出て、隣の席2つに座っていた若い前途洋洋かどうか知らないカップルに、「やぁねぇ、あのおじさん。ハーネクイン読んで泣いてるわよ」なんてあらぬ疑いをかけられては困ると思い、とにかく難儀した。
そんな私が「中原の虹」の次に読み始めたのが、同じく浅田次郎の「プリズンホテル 1 夏」(集英社文庫)である。冬だっつーのに「夏」である。
極道小説で売れっ子になった作家・木戸孝之介は驚いた。たった一人の身内で、ヤクザの大親分でもある叔父の仲蔵が温泉リゾートホテルのオーナーになったというのだ。招待されたそのホテルはなんと任侠団体専用。人はそれを「プリズンホテル」と呼ぶ―。熱血ホテルマン、天才シェフ、心中志願の一家……不思議な宿につどう奇妙な人々がくりひろげる、笑いと涙のスペシャル・ツアーへようこそ。
ってなもので、「蒼穹の昴」や「中原の虹」とはまったく方向性が違う作品。浅田がもともと得意とするところでもある。
にしても、ヤクザのホテルなんて冗談じゃない。絶対迷い込みたくないな。 ということでモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「音楽の冗談(Ein Musikalischer Spass)」K.522(1787)。
室内楽曲(六重奏曲)に位置づけられたり、ディヴェルティメントに分類されたりするが、編成は2ホルン、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、コントラバスである。
実はモーツァルトの生誕100年の記念にこの曲の楽譜が出版された際に、そしてそのあともこの曲は「村の音楽師(Dorfmusikanten)」とか「農夫の交響曲(Bauernsinfonie)」、あるいは村の音楽師の六重奏(Dorfmisikanten-Sextett)」という名がつけられ、今でもそう呼ばれることがある。
しかし、その名の由来に根拠はなく、特に六重奏曲という点については、ヴァイオリンとヴィオラの奏者が各1名という指定はない。
冗談音楽の元祖的存在で、「作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルトⅠ」(音楽之友社)では、以下のように説明されている(この箇所の執筆者は海老澤敏氏)。
メヌエット、および緩徐楽章を含む4楽章からなっていて、いずれの楽章にも音楽的なあやまりや拙劣さがたくみに用いられ、作品の諧謔味を強めている。このようなことからモーツァルトが狙ったのは満足に演奏もできないような素人オーケストラ-1778年にザルツブルクでチェルニン伯によって設立された素人管弦楽団で、モーツァルトもその演奏に立ち会ったことがあるという-を皮肉ることでもあったともいわれているが、いっそう適切な解釈はアーベルトのように、何も知らないくせに交響曲の作曲ができるとうぬぼれている自称作曲家に対する揶揄嘲笑を音化しているとすることであろう。
2本のホルンと弦楽を用いる交響曲、あるいはディヴェルティメントの形態をとりながら、作品内部の緊密な構成に対する無能力をあらわにしているばかりでなく、それに全然気がついていないというまったくどうしようもないような作曲家の面影が各楽章で生き生きと描かれているわけである。それぞれの楽章の構成をみても、なんら有機的に関連性のない楽想をただたんに並べているばかりであり、しかも4つの楽章がひとつの作品としての統一を破るような規模をもっている。このみごとなパロディにおいて、とくにめだった理論上の誤りの効果的な使用は、5度の平行やメヌエットでのホルンの不協和音、アダージョ冒頭でのあやまった音、あるいは自己の存在を強調しようとしている奇妙なヴァイオリンのカデンツァ、そしてフィナーレのフーガやびっくりさせるような終止等である。
ラルキブデッリの演奏で。
真面目くさった面持ちの演奏で、見事にやらかしてくれる。
1990録音。ソニークラシカル(原盤VIVARTE)。
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
- 12音音楽
- J.S.バッハ
- JR・鉄道
- お出かけ・旅行
- オルガン曲
- オーディオ
- ガーデニング
- コンビニ弁当・実用系弁当
- サボテン・多肉植物・観葉植物
- シュニトケ
- ショスタコーヴィチ
- スパムメール
- セミ・クラシック
- タウンウォッチ
- チェンバロ曲
- チャイコフスキー
- ノスタルジー
- バラ
- バルトーク
- バレエ音楽・劇付随音楽・舞台音楽
- バロック
- パソコン・インターネット
- ピアノ協奏作品
- ピアノ曲
- ブラームス
- プロコフィエフ
- ベルリオーズ
- マスコミ・メディア
- マーラー
- モーツァルト
- ラーメン
- ルネサンス音楽
- ロマン派・ロマン主義
- ヴァイオリン作品
- ヴァイオリン協奏作品
- 三浦綾子
- 世の中の出来事
- 交友関係
- 交響詩
- 伊福部昭
- 健康・医療・病気
- 公共交通
- 出張・旅行・お出かけ
- 北海道
- 北海道新聞
- 印象主義
- 原始主義
- 古典派・古典主義
- 合唱曲
- 吉松隆
- 名古屋・東海・中部
- 吹奏楽
- 国民楽派・民族主義
- 声楽曲
- 変奏曲
- 多様式主義
- 大阪・関西
- 宗教音楽
- 宣伝・広告
- 室内楽曲
- 害虫・害獣
- 家電製品
- 広告・宣伝
- 弦楽合奏曲
- 手料理
- 料理・飲食・食材・惣菜
- 映画音楽
- 暮しの情景(日常)
- 本・雑誌
- 札幌
- 札幌交響楽団
- 村上春樹
- 歌劇・楽劇
- 歌曲
- 民謡・伝承曲
- 江別
- 浅田次郎
- 演奏会用序曲
- 特撮映画音楽
- 現代音楽・前衛音楽
- 空虚記事(実質休載)
- 組曲
- 編曲作品
- 美しくない日本
- 舞踏音楽(ワルツ他)
- 行進曲
- 西欧派・折衷派
- 邦人作品
- 音楽作品整理番号
- 音楽史
- 駅弁・空弁
© 2007 「読後充実度 84ppm のお話」