モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のクラリネット三重奏曲変ホ長調Op.14,K.498(1786)。
ピアノとクラリネット、ヴィオラというちょっと変わった編成の三重奏曲である。
「ケーゲルシュタット・トリオ(Kegelstatt Trio)」と呼ばれることもあるが、ケーゲルシュタットというのは、日本語ではご存じ九柱戯(きゅうちゅうぎ)のことで(私の知っている日本語には入っていないが)、ひし形上に並べた9つのピンを倒すゲーム。ボウリングの前身となったものだという。
この俗称は、モーツァルトがケーゲルシュタットで遊びながらこの作品を書いたという極めて眉唾っぽいエピソードに由来する。マージャンをやりながらでなかったのが、せめてもの救いである。マージャンと名のつくトリオって変でしょ?
モーツァルトの友人の妹でピアノの弟子でもあった女性ののために書かれたそうで、クラリネットは親友のシュタードラー、そしてヴィオラはモーツァルト自身が弾くことを前提にしていたと考えられている。
モーツァルトのヴィオラの腕前は相当だったそうで、この作品ではヴィオラの活躍が目立つ。
誕生のいきさつが本当かどうかはともかくとしても、娯楽作品的にお気楽に楽しめる曲だ。
ナイディックのクラリネット、レヴィンのフォルテピアノ、ヴィオラはラルキブデッリのメンバーであるKussmaul。
このCDに一緒に収められている(というよりも、こちらがメイン)クラリネット五重奏曲イ長調K.581がこれまたすばらしい演奏。 ナイディックの温かみのある表情豊かなバセット・クラリネットと、ラルキブデッリの贅肉をそぎ落とした精緻な、しかし温かみのあるアンサンブルが絡み合い、緊張感を持ちながらも人間味あふれる音楽を繰り広げる。相当お薦めの演奏。
なお、ラルキブデッリはバロック・チェロの名手ビルスマが主宰するガット弦使用の弦楽アンサンブル。この響き、私は好きだ。
1992録音。ソニークラシカル(原盤VIVARTE)。
ほかにK.378(317d)のヴァイオリン・ソナタをクラリネット四重奏曲に編曲したものも収録されている。
先月号の文藝春秋に村上春樹の新作短編が掲載されていたが、1月号でも第2弾として「イエスタデイ」という短編が掲載された。
やれやれ、小出しにするなぁ。
また買わなきゃならないはめになってしまった。
まだ読んでないけど。
W.A.モーツァルト
さて、25日に病院に行ったときの結末を書かねばなるまい。私が定期検診のたびに、血液検査の数値の良不良に一喜一憂しているのを、おもしろがって読んでいる不健康予備軍および不健康な方は少なくないだろうから。
じゃーん!
なんと今回は血液検査は免除された。
医者に見放されたのではない。
前回の検査結果で、悪いゾーンにとどまっているなりにも、著しい数値の改善が見られたからだろう。医者は何にも言ってくれなかったけど。
ただし、体重は今回も新弟子検査のごとく計られ、そして1kg増えてしまっていた。うっかり方にグラニュ糖の1キロ袋を乗せたまま計ってしまったのかと思ったほどだ。
体重計は70.9kgを示していた。看護師さんが衣服分500gを引いてくれ、結果70.4kgである。
70kgを超えてしまったのはショックだ。「今日の衣装は体力増強仕様でして、実は下着だけでも800gは下りません。息が上がっているのも、脈が速いのもそのせいです」と食い下がろうとしたが(実際、脈拍数は107だった)、あまり騒ぐと腕に注射針を刺されそうなのでやめた。
よし!体重を減らすぞ!2ヵ月後の定期健診までに1000g!
実はこの日の朝食に敗因があった。何のことはない。たらふく食べてしまったのだ。
その前の週の禁断のチャーシュー、魔性のラーメンライスだけでもドンと出させるに十分効果的なのに、この日はタラコや塩辛、鮭の切り身にベーコンエッグ、ホウレンソウのバター炒めと、冷蔵庫内在庫一掃セールのように食べてしまったのだ。ご飯も2杯。
その2時間半後に体重を計ったんだから、そりゃ重いわな…・・・
基本的に以上の話とは関係ないけど、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」K.527(1787)。あまり呼ばれることはないが、このオペラ、またの名を「罰を受けた道楽者(Il dissoluto punito)」という。
ドン・ジョヴァンニは「ドン・ファン」のイタリア読み。2幕26曲で、台本はダ・ポンテ。
ショルティ/ロンドン・フィルの抜粋盤をここではご紹介しておく。
ソリストはターフェル(Br),フレミング(S)ほか。
1996録音。Eloquence(DECCA)。
12月の予定も、望んでもいないのにどんどん埋まっていき、さらに年明けのスケジュールも入ってきている。
いつ手帳を来年のものに切り替えるか……。
この時期、毎年悩んでしまう。
私が愛用している手帳“サジェス”の2014年版では、週間ダイアリーの部分が2013年12月2日から始まっている。
当然、すでに12月2日以降の予定は新手帳に記入しているが、同時に今年の手帳にも書き入れている。というのも、サラリーマンにとっては常に将来を見据えていればいいというわけにはいかないからだ。
「あの日はなにがあったっけ?」と過去を振り返る必要性に迫られることもある。
だから、「はい、12月2日からは新手帳。古いのはおさらばね」ってことにはならない。少なくとも年内は新旧2冊を持ち歩いた方が、不便だが便利に違いない。
このようにしていると、たとえば突然「古い話で恐縮だが、8月8日の昼は何を食べたっけ?」と上司に尋ねられても、「その日はインデアンに行きカレーを食べました」と、私は即答できるわけだ。実にすばらしい心構えだと自分では思うが、そのような質問をこれまでも一度もされていないことは、実に残念である。
来年は、前にも書いたように、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)の生誕300年にあたる。
彼の「4つのシンフォニア」Wq.183について、私はこれまでもしつこく賞賛してきた。この作品が出版されたのは1780年のことである。
同じころ、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)はどんなシンフォニーを書いていたのか?
24歳・年男のモーツアルトが1780年に書いたシンフォニーは交響曲第34番ハ長調K.338である。
これの次の交響曲、つまり第35番(1782)は「ハフナー」と呼ばれる傑作である。
これの前の交響曲、つまり第33番(1779)はそうそう聴かれる曲ではないが、第1楽章で“ジュピター動機”が現われるのがチャーム・ポイント。
ではこの2曲に中間の第34番はというと、はっきり言って地味である。マイナーである。34というナンバリングが重荷になっていないかと気の毒に思う。老いたとはいえ(逆に熟練してたわけだが)、そして前時代的になっていたとはいえ、C.P.E.バッハのシンフォニア(=交響曲(の前駆体))の方が、はるかに激しい。
第34番はモーツァルトがザルツブルクの宮廷音楽家として活躍していた時代に最後に書いた交響曲。3つの楽章から成る。
音楽学者のA.アインシュタインは、のちにメヌエットK.409がこの曲に追加され4楽章になったと推察した。ベーム/ベルリン・フィルによる録音(1966)はこの説に基づいて4楽章厚構成の交響曲として演奏しているが、現在ではアインシュタインの説は否定されている。
コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団による演奏を。
1991年ライヴ。エラート。
なお、第33番の方は1782年頃に第3楽章としてメヌエットが加えられて、現在では4楽章からなる交響曲として演奏されている。
2014年に生誕300年を迎える(つまり1714生まれ)作曲家は、ほかにグルックがいる。
また生誕200年の作曲家にはヘンゼルトが、生誕100年には早坂文雄、伊福部昭、小山清茂がいる。
生誕150年となると、R.シュトラウスやタイケがいる。タイケは、まっ、いいか。
一方、没後150年の作曲家はフォスターやマイアベーア。没後100年はリャードフ。そして没後250年にはラモーがいる。
ところで、先日BOOK OFFに行ってみた。
私が持っているベーム/ベルリン・フィルによる34番(1966録音)が入っているCDはエコー・インダストリーというところから出ていたリプリント盤である。
エコー・インダストリーなどから出ていたこういうCDは定価は2000円と表示されてはいるが、実際には1000円で売られていた。ショッピングセンターの中に入っている小さなCDショップや本屋、さらにはドラックストアに並んでいて、きちんとしたCDショップにはなかったと思う。
そのリプリント盤のシリーズの中古CDがそのBOOK OFFの店で売られていたが、なんと価格は950円!
実売価格1000円のものが950円である。
高い!
きっと表示されている定価(?)だけを鵜呑みにしてこういう値段をつけたんだろうな。
中古CDショップなら500円ぐらいで売られているはずだろうに……
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“当サイトの統計名称”と、“現在の確定済み統計状況”にある統計名称が一致していないことだ。
MVP会員になるための“あと一つ”っていうのは、どれのことなんでしょ?
って、このメールの下の方に書いてあった。ご親切にも。ポイントを購入すれば達成だって。
やれやれ。やっぱりねぇ。
MVPに対抗して、今日はAVC。
アダルト・ビデオ・コミュニティではない。この点では、ご期待に添えずに申し訳なく思ってる(誰に対して言ってるんだか……)。
モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave verum corpus)」ニ長調K.618(1791)だ。モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)が死の年に書いた、短いながらも静かな安らぎに満ちた(つまり静謐な)、おまけに美しく、聴く者の涙腺を刺激する傑作。
妻のコンスタンツェが療養したときに世話をしてくれた、合唱の指導者をしているA.シュトルのために、この年の6月に作曲した。
今日はクリスティ指揮レザール・フロリアンの演奏で。
「レクィエム」(ジュスマイヤー版)とあとに収録されているが、この「レクィエム」の演奏は緩急の切り替えが激しくて刺激的である。
「レクィエム」での独唱は、パンザレッラ(S),シュトゥッツマン(A),レガルディエン(T),バーグ(Bs)。
1994録音。エラート。
ご存じの方も多いだろうが、チャイコフスキーは「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を組曲第4番「モーツァルティアーナ」の第3曲「祈り」に用いている。
以上、本日のタイトルは私のことをさしているのであって、優勝を逃した巨人軍の選手のことではない。
「金星」という名の交響曲を紹介したが、金星だけじゃない。木星だってある。
第1楽章で序奏なしに堂々と第1主題が現われるさまは、この星が太陽系一巨大な惑星であることを堂々と見事に表現している。
第2楽章の穏やかさはこの星がガス惑星であることをあらためて気づかせてくれる。この優しさは水素ガスのそよ風といったところであろうか?
第3楽章の楽しげな雰囲気は、この星が有する数多くの衛星たちの戯れと言えるだろう。
そして終楽章は巨大な大赤斑の威容を讃えるが如くである。
って、違う!違う!
ジュピターはジュピターでも木星じゃなくてローマ神話の神の方。
モーツァルト(Wollfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第41番ハ長調K.551(1788)。
この曲を「ジュピター(Jupiter)」と名づけたのは、モーツァルトと同時代のJ.P.ザロモンだという。ハイドンをロンドンに招いた、あのザロモンである(このときにハイドンが書いた第93番から104番の交響曲は「ザロモン・セット」と呼ばれる)。ザロモン自身はヴァイオリニスト兼指揮者兼作曲家兼興行師であった。
第41番のスケールの大きさや輝かしさなどから、ローマ神話の最高神であるユーピテルにちなんだ名“ユーピター”をつけたと考えられている(ジュピターは英語名)。
クーベリック指揮ウィーン・フィルによる演奏を。
このディスクは先日取り上げた「ハフナー交響曲」と同じもの。セラフィム・レーベルの廉価LPのときには35番、36番、そして41番と3つの交響曲が収められていたのに、CDとなったら収録可能時間増の恩恵を拒否して35番と41番の2曲だけとは、ずいぶんとケチなことをしてくれるわい。
ずんずんと先へ先へ進んでいく演奏。その速さは通勤快速のよう。でも、軽々しくならないところはさすが。
ところで、クーベリックと言えば、私には左奥にコントラバス配置の印象が強烈に残っている。
その昔、バイエルン放送響と来日したそのコンサートの模様が、NHK-TVで何度か放送されていた。そこで観た光景は、ステージに向かって左奥にコントラバスがあるというもの。この配置は初めてみるもので驚いたが、慣れといえば慣れだが、私としてはどーしても低音弦楽器は右側にあってほしい。 高関が札響を振るときもベースは左奥配置で、今だから言うけど、わたしはちょっぴり嫌だった。
このウィーン・フィルの演奏は、ちゃんと低弦は右から聴こえる。
精神衛生上、たいへんよろしい。
1961録音。EMI。
土曜日の午後、仕事から戻った私は自家用車のタイヤをヨコハマのECOSからブリジストンのICEPARTNERに交換したわけだが、つまりは夏タイヤからスタッドレスタイヤに履き替えたわけだ。
次回のタイヤ交換が6か月から6か月半先のことだと思うとうんざりする。いや、またタイヤ交換作業をしなきゃならないということではなくて、あまりに冬期間が長いことにうんざりなのだ。
そのこととは関係ないが、帰宅途中に百貨店の地下に寄り、そこでメンチカツを買った。
どうしてもそこのメンチカツが食べたかったのだ。1個120円だが、スーパーで売っている衣が脂っぽくて中身の得体もよくわからない、でも100円のものとは、やはりモノが違う。
メンチカツを持ち帰った私は、これを冷蔵庫に入れるか、揚げ物だから室内にそのまま置いといてもよいかしばし迷った末、そのまま置いておくことにし、着替え、タイヤ交換作業のために1Fに下りた。
交換作業はちょうど1時間かかった。
ワイパーも冬用に換えたが、助手席側のもののゴムに少し亀裂が入り、拭き取りが悪くなっている。買い替えが必要だが、冬用のワイパーブレードは夏用よりも高いのでちょっとムッとした。
週末はなんとなくカレーが食べたかった。レトルトとかじゃなくて、手作りのカレーを、である。
そこで、作業を終えたあと、スーパーに行きカレールゥと漬物と肉を買ってきた。タマネギとニンジンは冷蔵庫にある。ジャガイモは、私は入れない。 ウチでは妻も子供たちもジャガイモ入りが好きである。が、私は外食レストランの多くの店において、カレーにはジャガイモが入っていないというかなり無謀な主張をして、イモは入れないことにしている。時間とともにとろみが強くなるのがいやなのだ。
その代わりというわけではないが、最近になって、健康のことも考慮し、体に良いとされるキノコを入れるようにしている(といっても、過去1度しかやってないけど)。
ただし、今はふだん子供たちは別に住んでいるが、いたとしたらキノコ入りカレーは拒否するに違いない。
肉は豚肉の角切りに決めている。カレー・シチュー用というやつだ。
だが、今回売っていたものはあまりに脂身が少ない。赤身ばかりだ。脂身好きじゃないが、これでは食感が悪すぎる。
そこでやむなく、豚もものスライス肉にする。もも肉にしたのはお財布とひそひそ相談した結果だ。見苦しくパックされたトレーをあれこれ物色し、適度に脂が残っているものを選ぶ。
漬物は、自然食志向の人なら原材料に不安があるから絶対に買わないだろうと思われる1袋100円のつぼ漬けをカゴに入れる。88円の福神漬けにも一瞬目が行ったが、福神漬けはカレー以外での汎用性が極めて低く、残った分が冷蔵庫の不良在庫になる。青じそ大根も同様だ。
カレールゥはバーモントカレー。今回は辛口にした。
ほかにミネラルウォーターを買う。
レジの人が、「この人、今夜はカレーなのね」と気づくに違いないラインナップだ。
大丈夫。私の計算では大丈夫なはずだ。
実は財布の中には1万円札1枚と1000円札1枚しか入っていなかった。小銭はゼロ。1枚も持っていなかった。
だから会計のときに1000円以内に収まるように計算していたのだ。これで「1,052円です」とレジ係の人に宣告され、1万円札を出し、「1万円からでよろしいでしょうか?」と問われると、責められているようで心が痛むと同時に何とも恐縮してしまう。
同じルーを使って、同じような材料を使っても出来上がりの味が微妙に違うのが、カレーの不思議さだ。
今回の出来はまぁまぁ。
と最後になって気づいた。
キノコを買うのを、入れるのを忘れたことに。
こうして私は、エノキダケを買いに、再びスーパーに行くはめになったのだった(ほんとはシメジにしようかと思ったのだが、エノキの方が安かった)。
なんで、カレーのことをわざわざ書いたのかというと、先日読み返していた村上春樹の「雑文集」(新潮社)の中に、
そう、小説家とは世界中の牡蠣フライについて、どこまでも詳細に書きつづける人間のことである。
という記述があるからだ(ついでに言うと、ここにはメンチカツという言葉も出て来てしまう)。
だから頼まれもしないのに、カレーのことを書いた。厳密にはカレーを作るための買い出しについて書いた。私は小説家を目指しているわけではないが……。
さらには、その前にはメンチカツも買ってしまった。
小説家じゃないから、カレーについての上の記述も詳細さに欠ける。
本来なら、タマネギをどういう角度でどういう大きさで切ったとか、どんなオイルを使って炒めたとか、フライパンのサイズは何センチだとか、肉はどういう下味をつけたかとか、ニンジンの皮むきはどのような道具を使ったのかなど、一切書けていない。
その次のページには、氏の「約束された場所で」(文春文庫)を執筆する際、オウム真理教の信者にインタビューしたことが書かれている。
彼らの多くは、自分というものの「本来的な実体」とは何かという、出口の見えない思考トラックに深くはまりこむことによって、現実世界とのフィジカルな接触を少しずつ失っていった。人は自分を相対化するためには、いくつかの血肉ある仮説をくぐり抜けていかなくてはならない。ちょうどモーツァルトの歌劇「魔笛」において王子タミーノと王女パミーナが、水と火の試練をくぐり抜けることによって(メタフォリカルな死を経験して、と言ってもいいかもしれない)、愛と正義の普遍性を理解し、それを通して自己というポジションのありようを認識していくように。……
そこで今日は牡蠣でもメンチでもバーモントでもなく、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「魔笛(Die Zauberflote)」K.620(1791)。
作品についてはこちらで触れているので省略。
しかも今日は全曲ではなく抜粋盤をご紹介。
カラヤンのもの。私にとっては「なぜ?」って感じなのだが、手元にあるのは事実。そして、定評のある演奏である(全曲盤から序曲と15曲を選んでいる)。
カラヤン指揮ベルリン・フィル、ダム(ザラストロ)、オット(夜の女王)、マティス(パミーナ)、タミーノ(アライサ)、パパゲーノ(ホーニク)他。
1980録音。グラモフォン。
実は一昨日の金曜日、私は自宅まで日帰りした。
これだけを読むと、たまたま迷子のようにさまよった挙げ句、このブログに出くわして初めて読んだ人は、「自宅に日帰りって、どうも変な感覚だ」と思われることだろう。
そこで万人に親切な私は尋ねられてもいないのに説明するが、私はいま転勤で北海道のある市(マーケットではなくシティである)に住んでいて、住宅ローンを払い続けている家は札幌にあり、便宜上、その持ち家の方を自宅と呼んでいる。
そしてまた、勤務地の住宅を、その形態からマンションと呼ぶことにしている。
馬場アナウンサーが真面目で陰鬱な表情でニュースを読んでいる時間にマンションを出て、自宅に着いたのは9時過ぎ。
自家用車で移動したのだが、途中から雨が降りだした。 雨の庭では、アイスバーグ(シュネーヴィッチェン)やアルフォンス・ドーデといったバラが咲いていた。まだまだがんばって咲き続けてくれている姿を見ると、このあいだ肥料を与えてよかったと自己満足に浸れる。
昼過ぎに再びマンションに向け出発。
夕方に到着した。
途中寄ったコンビニでタバコを買った。
「セブンスターのボックスを1つください」
「えっ?ベビースターのボックスですか?」
中年の女性店員は勝手に驚愕して聞き返してきた。
アホか!
そもそもベビースターラーメンのボックスってあるのか?
それ以前に、ベビースターラーメンを買うには、レジの店員にお願いしなきゃならないのか?
「いえいえ、セブンスターのボックスです」
「あ、あらっ!ヤダわ、ホホホホ!」と、女性店員は自らの過ちを笑いでごまかしたが、聞いてもいないのに「歳をとると、聞こえが悪くなってだめですね」と付け足した。
私はそんな悩みを聞く立場にない。まったく、素人のような店員だった(実際素人なんだろうけど)。 そんなわけで、ペライアが弾き振りをしたモーツァルトのピアノ協奏曲全集のボックス・セットから、今日はディスクNo.3を。
No.3って書かれたってほとんど意味がないだろうから、このN0.3に何が収録されているかというと、次の3曲だ。
ピアノ協奏曲第8番ハ長調K.246「リュッツォウ(Lutzow)」(1776)
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調変ホ長調K.271「ジュノム(Jeunehomme)」(1777)
ピアノ協奏曲第10番変ホ長調K.365(316a)(1779)
第10番は2台のピアノための協奏曲である。
第8番はホーエン・ザルツブルク司令官ヨハン・ゴットフリート伯爵の夫人であるアントーニア・リュッツォウが弾くことを念頭において書かれたコンチェルト。アントーニアはモーツァルトの父・レオポルトのピアノの弟子だった。つまりは、アマチュア向けの教材として書かれたのだが、モーツァルト自身もしばしば演奏したようだ。
第9番はアマ向けではなく、ピアノニストであるジュノムのために書かれている。ただしマドモアゼル・ジュノムについて詳しくはわかっていない⇒よろしければこちらをご覧あれ。
そして2台のためのピアノ協奏曲である第10番は、モーツァルトが姉のナンネルと一緒に演奏するために書かれたと考えられている。 第8番はアマチュアのために、第9番はプロのために、第10番は自分と姉のために、ってことだが、だからそれがどうしたと問い詰められると、私は困る。「ヤダわ、ホホホホ!」
ペライアの演奏はけっこう威勢が良いのだが、それなのに繊細さを失っていない。気遣い型の繊細な男の子って感じがする。
モダン系の演奏では、やっぱりかなり良く仕上がっている演奏だろう。
オーケストラはイギリス室内管弦楽団。第10番の第2独奏はルプー。
録音は順に、1979,1976,1988。ソニー・クラシカル。
土曜日は前日と打って変わって晴天かつ温暖。
“六花の森”に出かけたが、リンドウが咲いていた。
ブルーが美しい。
でも、やはりここは初夏の花が一斉に咲く時期じゃないと、ちょいと物足りない。
根がデロンロンデロンに腐ってしまった“怒帝王”。
心配してくださっている読者の方もいらっしゃって、皆さんが私自身のことよりこのアロエの方を気にかけられておられるようなのがちょっとプンプンだが、そこはそんな了見の狭いことではいけないわけで、ともかくも腐敗が根だけでおさまっていたためにそれを切断、再生のために挿し木(挿し芽or挿し株?)して安静状態に放置した。その様子の写真を載せておく。
これだけ見るとすっかり根を張って元気に生育しているように思えるが、ぜーんぜん。ただ土の中に茎を挿し入れているだけである。
この鉢が置かれている部屋は、これまで単に“和室”と呼ばれていたが、今では“怒りの間”と命名された。みなさんにおかれましても、元気になることを祈っていただくよう強要する次第だが、私としてもうさんくさいと思わなくもないが、部屋にモーツァルトの、それもとびっきり健康的な曲を流すという音楽療法を試みた。
きっと肌で、トゲで、感じてくれたことだろう。 音楽療法ではないが、私が中学生のころ、「サボテンがしゃべった」っていう本を買ってしまった。なぜなら、サボテンが好きで、そのころはいくつもの鉢を持っていたからだ。
が、冷静に考えれば明らか、明白、自明の理なのだが、サボテンが「やぁ!おはよう」などと話すわけがなく-だいたいにして口がないではないか!-、要は刺激を与えれば微細な電気反応が起こるといった内容だった。
ねえねえ、こういう書名って許されるの?
今になって文句を言ってもしょうがないけど。
そんなことはとにかく、クーベリック指揮ウィーン・フィルによるモーツァルト(Wolfgang A-madeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第35番ニ長調「ハフナー(Haffner)」K.385(1782)。名前の由来はここに書いてあるので、ご参考に。
この演奏はLPレコード、うんこ色のジャケットのセラフィムの廉価盤で聴いていたものだが、すまないが最近とみに、昔親しんだ演奏が懐かしく思われるのである。
あらためて聴くと、淡く残っている記憶とは違って、けっこうシャープでたるみのない演奏だ。あのころは私の腹だってたるみがなかったと思うと、ちょっぴり涙が出ちゃう。
録音は古いが、演奏は今聴いても意外と古臭くない。
もっとネトネトまぁ~たりしていたような-そういうモーツァルト演奏が主流だった-気がしたのは、うん、きっと別な演奏だ。
交響曲第41番「ジュピター」とのカップリング。
このジュピターも贅肉なしの引き締まった演奏と言えるだろう。
1961録音。EMI。
にしても、ハフナーって憂鬱な気持ちや不安といった負の感情を吹き飛ばしてくれる曲だ。
ん?となると、怒りも消しちゃう?
“怒帝王”に聴かせるにはむしろ毒だったりして……
月~火にかけて札幌に出張する。
が、向こうへの移動は明日の夕方にしようと考えている。
そこで私は今、悩んでいる。
JRにするか、バスを使うか、だ。
両方の予約をしているが、バスはご存知のとおりのJRの一連の事故、不祥事、適当さのために利用者が急増。私がとったバスも現時点での残席が1。
いくら3列シートとはいえ、満席のバスは窮屈だ。しかもJR所要時間2時間40分に対して3時間30分かかる。バスの良い点は価格が安いことで、JRの通常料金のほぼ半額。特割切符に比べても3000円ほど安い。
貧乏人ではあるが、でもやっぱりJRの方を選択したい私。トイレにも行きやすいし。
特別保安検査がこれだけやられている最中に、大きな事故はないと思うが、とはいえ、運行の確実性が相当失われている中、JRを選択するのは一種の賭けだ。
高くても速いJRを選んできた私としては、今、本当に悩んでいる。
そのJR、11月のダイヤ改正でスピードダウンによる安全の強化を図るという。札幌⇔釧路で最大で40分遅くなるそうだ。
安全第一なのは最も重要なことに違いないが、これはひどい後退現象だ。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第26番変ホ長調K.184(161a)(1773)。
多くの方がご存知の「小ト短調」と呼ばれる交響曲第25番で、モーツァルトの交響曲は驚くほどの発展と充実ぶりを示したが、26番はまさに後退したかのようだ。
しかし、実は交響曲第26番は第25番の次に書かれたのではないのだ。これであなたも納得の笑顔!
1773年にモーツァルトは、なんとまぁ、6曲の交響曲を書いている。その作曲順序ならびに完成時期は、
第26番変ホ長調K.184(161a) 3月30日
第27番ト長調K.199(161b) 4月10日~16日
第22番ハ長調K.162 4月19日?
第23番ニ長調K.181(162b) 5月19日
第24番変ロ長調K.182(173dA) 10月3日
第25番ト短調K.183(173dB)
である。
つまりあの孤立した傑作といえる第25番はこれらのグループの最後に書かれているのである。
なお、第23番と第24番の間の時期に、モーツァルトはウィーン旅行に出ているし、第26番の作曲前の3月13日にイタリア旅行からザルツブルクへ帰って来ている。
第26番から第23番までがイタリア風序曲によるシンフォニアの影響を引きずっているのはそのためである。
ところで、なぜ番号付けが実際の作曲順と異なったのか。
これら6曲と翌年に書かれた3曲(作曲順では第29番、第30番、第28番)の自筆譜が合本として残っているのだが、そのなかの順序が現行の番号付の順序だったのだ。
ケッヘルもそれが年代順に綴られていると判断し、その順でケッヘル番号を付けたのだが、その後の研究で作曲順が判明し、ケッヘルもカッコ内に示した改訂第6版では作曲順の番号を付け直している。
交響曲第26番は3つの楽章からなるものの切れ目なく続けて演奏される。
この曲は、その後プリューミッケという人の戯曲「ラナッサ」の序曲として使われた。モーツァルトの同意のもとと思われる。
第3楽章の伸びやかさが私には特に印象深いが、モーツァルト研究で有名な音楽学者のA.アインシュタインはこの楽章を“少し軽い”と指摘しているようだ。
可もなく不可もなくという感じではあるが、マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏を。
1987録音。EMI。
このディスクには第24番~27番と第32番が収められているが、特に第25番を聴いていると“可もなく不可もなく”に聴こえてしまうのである。
映画「アマデウス」の冒頭は交響曲第25番で始まるが、その演奏はマリナーによるもの。映画が作られたのは1984年のことなので、このディスクの演奏はその後に録音したものということになるが、映画の内容のように刺激的に25番をやって欲しかったものだ。
マリナーの演奏は、その安定感がウリなんだろうけど。
さて、今回レール幅がきちんと保守されていなかったことが判明したJR北海道。
運転士だって、まさか自分がいつ脱輪するかわからない股開きのようなレール(プラレールなら絶対そんなことにはならない)の上を走っていたなんて、思ってなかったろう。
じゃあ、問題が解決したから減速ダイヤは回避できるんじゃないかと一瞬思ったが、そっか、そもそもは火災が起きたのなんだのっていうのが始まりだった。やれやれだ。
どうでもいいけど、JRの社員にだってドラマ「半沢直樹」を楽しみにしていた人は多いんだろうけど、最終回の時は自分の会社がこんなことになってそれどころじゃなかったろうな。
金融庁検査ならぬ特別保安監査……
とにかく、高速かつ安全なダイヤを目指してほしい。
ネゼ=セガンの「春の祭典」。
すっかりとりこになってしまって、飽きもせずここ数日何回も繰り返して聴いてしまった。
少し心を穏やかにさせなくては。
となれば、アマデウスだろう。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491(1756)。
心に平安をってときに、なにもモーツァルトのピアノ・コンチェルトのなかでも最も特異な、息詰まるような作品を聴かなくてもいいだろうに、と思う方も多いだろうが、かといって、ハルサイで高ぶった気持ちのあとにあまりに健康的で天真爛漫な曲を聴いても、しっくりこないものだ。カツカレーを食べた後に、果たしてあなたはチロルチョコを食べたくなるだろうか?えっ?なる?そうですか……、……、……そうですか。
実は第24番のコンチェルトは、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で私がはじめてきちんと知った曲なのだ。中村紘子の独奏によるNHK響の演奏。それをエアチェックしたものを何度も聴いた。
今日は総じて評価が高いペライアが弾き振りをした演奏を(管弦楽はイギリス室内管弦楽団)。 ただでさえ渋い曲なのに、このペライアの演奏は激しさに満ちた熱のこもった演奏だ。
ペライアのモーツァルトは清潔感が漂う、繊細な傾向のあるものだが、この24番はけっこう骨太な面もある。ただ、この曲を優しげにやられると私としてはつまんないわけで、やるせない感情を吐露ようなこの表現は好きである。
「ぼく、悲しいの、つらいの、めそめそ」というのが好きな人には、ということで、ちょいと不向きかも。「なーに、この子。きっかなくて生意気ねぇ」みたいに。
私はペライアが札響定期のステージに現われこの曲を弾いたのを聴いている。
1976年のことだ。
そのときのプロフィールには、“CBSレコードの専属となり日本でも録音を通してファンが激増。今回が初来日で札響とも初共演である”と書かれている。
今日紹介している録音は1975年。
つまり、CBS(ソニー)からのLPが発売され、それを引っさげて来日公演に臨んだわけだ。
でも、そんなに印象に残っていない。
演奏中に涙が出たけど、それはあくびのせいだ。
演奏が良くなかったのか?
いや、まだ子どもだったのね、ボク。
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