読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

W.A.モーツァルト

いわゆる明るく屈託のないモーツァルト♪ペライアのWAM/p協1~4

7b7d71cd.jpg  今日から4日間にわたって本州に出張してくる。

 流れ旅のような、あるいはイ・ムジチの来日公演の日程のように移動続きで(彼らはもっともっと長いハードで単調な興行の旅だけど)、本日は東京、明日は名古屋、あさっては奈良へと移動。最後は伊丹空港から帰りの途につく。

 今回は団体行動ながらも、いずれも宿泊がシングルルームであることがありがたい。
 誤解を招かないように申し添えておくが、シングルルームを1人で利用するわけで、そこに簡易ベッドを持ち込んでツイン・ユースするなんてことはない。

 これが可能になったのは、いずれも泊まるのが“都会”だからで、これで変に観光要素を盛り込んで、慰労を兼ねて温泉旅館にでも泊まろうもんなら、4人部屋とかになって慰労どころか疲労になってしまう。

 私もいびきも寝言も発するだろう。
 だから、同じ部屋に泊まった人がそのような無意識的行為に及んでも責める気はまったくない。が、眠れないのは事実だ。

 昨年、大部屋で一夜を過ごさなきゃならないことがあったが、私はほぼ一睡もできなかった。しかし、大いびきをかく人に限って、別な人のいびきがひどかったとか、よく眠れなかったと朝になって困惑しているのはなぜなんだろう?眠れない夢でもみてるのだろうか?

 いずれにしろ、1人部屋で眠れるのは実にありがたい。
 そのことだけでも、気持ちが軽やかになる。

 軽やかなモーツァルトの作品と演奏を。

 ペライアが弾き振りをしたモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲。1975年から始め、84年に全曲の録音を完成したが、現在はそれが12枚組の廉価ボックスとして出ている。

 そのなかから、今日はCD1に収められている第1~4番。

 ピアノ協奏曲第1番ヘ長調K.37(1767)
 ピアノ協奏曲第2番変ロ長調K.39(1767)
 ピアノ協奏曲第3番ニ長調K.40(1767)
 ピアノ協奏曲第4番ト長調K.41(1767)

 これらはいずれも、10歳そこそこのモーツァルトが他者の作品をコンチェルトに編曲したもの。
 他者って誰かというと、ラウバハとかホーナウアーとかC.P.Eバッハとかショーベルトなどである(詳しくはこちらをどうぞ)。

 このコンチェルトを“ピアノ協奏曲”ではなく“フォルテピアノ協奏曲”と表記している、私が絶賛しているソフロニツキの演奏は別次元として考えると(もちろんソフロニツキはフォルテピアノを弾いている)、ふつうのピアノを用いたペライアの演奏は、モダン演奏での優れた演奏。
0286d3c3.jpg  派手なところも、はったりもない。あくまで純情無垢って感じ。さりげなく、でも可憐なモーツァルトだ。地味で目立たないいつもクラスの片隅にいる女の子が、実はとってもかわいいことに気づいてしまったって感じだ。
 
 私は激しくやんちゃなソフロニツキが描くモーツァルト像が本来のものだと信じ切っているが、甘いモーツァルトならペライアがいい。甘さ控えめだから。
 ただ、ふとどこか人間味が希薄になるような場面がある。そこが気にならないでもない。

 第1番から第4番の録音は1984年。
 ソニークラシカル。

 そうそう、7月の末に購入し庭に植えた“ゴールデン・ウィングス”が今回咲いた。
 こういう形の花のバラは昔はあまり好きじゃなかったが、最近はいいなぁと思う。

潮を、いや×、塩を吹け!そしてWAMで血圧を下げろ♪Sym22

73079826.jpg  先日スーパーで“大辛紅鮭”と書かれた切り身を見かけた。

 大辛といっても明太子じゃあるまいし、唐辛子の衣をまとっているわけではない。
 大いに塩辛いということだ。

 近ごろ主流となった感のある“甘塩”の鮭の切り身を、日本男児として情けなく思っている私にとって、これはぜひとも買うべき品物だった。

 妻に「体に悪いのは承知だが、ちょっとずつ削るように食べるから、ぜひとも買ってほしい」と説得し、これを買った。

 私が子どものときは、鮭の切り身といえば、焼けば塩を吹くような、こういうものだった。それは冷蔵庫が普及していなかったころの名残であり(魚屋だって氷を敷き詰めた台の上で魚を売っていたではないか!)、塩辛い鮭は、新巻き鮭に塩をたっぷりと塗り込んで腐敗しないようにした、いわば人類が英知を結集して生まれたものだった。

 焼いてみた。
 期待通り塩を吹いた(変なことを連想したあなたは、スケベ野郎!←いや、関係ないけど)。
 そして、水分が少ないため硬い。

 これを-妻に語ったことは決して誇張ではなく-削るようにしておかずとして食べるのだ。
 そんなんだったら塩そのものでいいじゃないかと思うかもしれないが、いいわけないじゃないか、と私は言いたい。
 ということで、この1切れを4日間にわたって朝食のおかずとして消費した。
 となれば、安くもつくわけだ。

 そんな塩辛いもの食べたら血圧が上がるという指摘はごもっとも。
 でも、私のようにチマチマ食べているぶんには、あまり心配ないんじゃないかと思われる。加えて、日ごろから血圧の薬も飲んでることだし……

 ところでモーツァルトを聴くと血圧が下がるっていうのは、ホントかウソか知らないが、けっこう有名な音楽療法の1つらしい。
 じゃあ、けっこうモーツァルトを聴いている私は、なぜ血圧の薬を飲む羽目になったのかっていう、たいへんに素朴な疑問があたり一面に回遊する。

9e552015.jpg  いまの私は血圧は正常。ただ、薬を中断した場合にどうなるのか試してないので、そこを何とかしてほしいものだ、センセイ!

 ということで、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第22番ハ長調K.162(1773)。
 意表を突く、モーツァルトとしてはマイナーな作品なので、いまあなたの血圧がかすかに上がったとしたら、それはお詫びする。

 1773年にモーツァルトが書いた(番号付きの)交響曲は、この第22番を皮切りに6曲。第27番までである。あの「小ト短調」と呼ばれる第25番もこの年に生まれたのだった。
 第22番はイタリア風序曲の3楽章構成。
 トロンベ・ルンゲというトランペットが用いられており、祝祭的気分に満ちた曲である。

 コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏で。
 1990録音。エラート。

 にしても、最近の魚売り場を見ると、紅鮭よりもトラウト・サーモンってのが勢力を広げつつある。
 私はあれは苦手だ。魚臭いし、脂がありすぎる。
 だいいちあれって、ニジマスでしょ?鮭じゃないでしょ?
 と文句をつけながらも、幼少のころ、実はカラフトマス使用なのに、鮭筍缶詰をずいぶんと食べた私である。

 昨日、羽田の第1ターミナルの、保安検査所通過後に食べたカレー、630円と場所的にはまあ妥当な価格だったが、見た目がひどく貧相なものだった。

“戴冠式”でビョンビョンした音を体感しよう!ソフロニツキのWAM/p協26

352b5143.jpg  これまで何度か取り上げ絶賛してきた、V.ソフロニツキのフォルテピアノ(曲によってはチェンバロ)独奏、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセの演奏によるモーツァルトの“フォルテピアノ協奏曲全集”。

 第1~6番、9番、10番、20番、22~24番、27番、ロンド(ニ長調)をこれまでご紹介したが、これから先、順次残りを紹介しようにも、どうせ「すばらしい!」という言葉に終始してしまいそうだし、順次と言ったところで、高田純次の顔を個人的には思い出してしまうので、今回で一応は一区切りにしようと思う。

 このソフロニツキの演奏だが、本当に心から私は皆さんにお薦めしたい。

 毎回毎回、いろいろなクラシック音楽作品の、さまざまな演奏を取り上げご紹介しているが-なかなか偏りがあることを、ついでにこの場で謝りはしないが、念を押しておく-、それを聴こうと思うかどうかは読者の皆さんの自己責任で、あまり参考にしてもらえなくてもボクはちっとも悲しくなんかないさ、だが、ただ、この協奏曲全集に関しては、自分自身偶然見つけて-K.107のコンチェルトの新たなCDを手にしようと検索して購入した-あまりにも見事な出来で、私としてはぜひとも強くお薦めしたいものなのだ。

 いや、こんなブンブン、ビョンビョンしたピリオド演奏のモーツァルトはいやだ、おもちゃのピアノみたいな音の楽器なんて子育て時代を思い起こすからけっこうです、と思う人もいるだろう。演奏の質が最上級であると思わない人もいるだろう。

 けど……、けどね……、私はモーツァルトのクラヴィーア・コンチェルトを新発見したぐらいに斬新に感じたのだった。

 今日は第25番ハ長調K.503(1786)と第26番ニ長調「戴冠式(Kronung)」K.537(1788)。

 各曲の詳細については過去の記事をご覧いただきたいが、モーツァルトのクラヴィーア(ピアノ)協奏曲が、とくに第20番以降で高度に完成形となったなかでは、第25番はやや魅力に乏しい。

 モーツァルトが1784年2月に書き上げたピアノ協奏曲第14番から、1786年12月の第25番までは、彼のピアノ協奏曲の頂点の時期だった。3年弱の間に12曲のピアノ協奏曲が書かれているのである。
 そしてまた、1791年の死までの残り5年間では、ピアノ協奏曲は2曲しか書かれていない。
 つまり第25番はモーツァルトのピアノ協奏曲の創作活動の実質の“〆”の作品である。そして形式的にも内容的も充実していると言われるものの、残念なことに旋律の魅力には乏しい。

 また第26番はその輝かしい“ピアノ協奏曲の期間”のあとのものになるが、この時期にピアノ協奏曲がほとんど書かれなくなったのは、もはやモーツァルト人気が急落し、予約音楽会を開こうにも客が集まらなかったことによる。

 まぁいいや。
 ソフロニツキ独奏ほかによるこの演奏、空間にビュンビュン、ピロピロリンと音が飛び交う。
 このワイルドさが、しみるぅ~。

 2005-06録音。PRO MUSICA CAMERATA。

暑苦しいから隣に座るなっ!♪WAM/2pのためのソナタ

9febbbdf.jpg  先日、ある施設を利用することがあったのだが(ニュー花嫁センターではない)、そこではモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「フルートとハープのための協奏曲」ハ長調K.299(297c)(1778)の第2楽章が流れていた。

 この観光物販施設-ということで、ですから、ニュー花嫁センターではない-、ちょっとでも太いダイコンを買おうとするおばちゃんたちがバトルを繰り広げるような喧騒とした場ではなく、ワインだのブランデーなんかを置いているところで、しかも人影まばらに由来する静寂な空間なため、BGMのこの曲が実に「マッチでぇ~すっ」だった。
 あえて問題点を指摘するならば、エプロンをつけた売り子のおじさんが商品をちょっと見ただけでもすぐに寄って来てお勧めするってことで、これじゃうかつに品定めできないって感じだった。もっともはなから買う気はなかったけど(トイレを利用するのが主目的)。

 だが、問題点はもう一つあった。
 その優雅な第2楽章が、突然ブツッっと切れ、今度は同じくモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」ニ長調K.448(375a)が冒頭から始まったのだ。

3cdffb7e.jpg  いや、モーツァルトだということは、大変結構。
 2台のピアノのためのソナタということも、ちょっとにぎやかだが、大いに結構。
 だが、しっかしなんで途中でブツッと切れて、新たな曲がかかるのかって話だ。
 ここのBGM放送システムは、いったいどのようなからくりになっているのだろう?

 「2台のピアノのためのソナタ」ニ長調は、モーツァルトが完成した唯一の2台用のソナタ。1781年11月に完成し、同月にモーツァルトと、彼の弟子である女性ピアニスト、ヨゼファ・アウエルンハンマーとによって、彼女の家で開かれた演奏会で初演された。

 楽譜の草稿に1784年と書かれているためにK.448という番号が付けられたのだったが、モーツァルトが父親に宛てて書いた手紙の内容から、その後、1781年の作と考えられるようになった。そのためケッヘルによる作品目録の第6版では375aの番号が付けられている。

 モーツァルトはアウエルンハンマーの才能を高く評価していたものの、女性としては嫌っていたようで、手紙には“デブで、汗っかきで、吐き気をもよおすほど”とまで書いている。それはモーツァルトに好意を寄せた彼女が、しつこく言い寄ったせいもあるようだ。
 そしてまた、彼女と弾くために書かれたこの曲を、モーツァルトが連弾(4手)のソナタとせずに2台のピアノ用にしたのは、並んで座って弾くのを避けるためだったのでは、という憶測もある。

 なお、この曲は“のだめカンタービレ”の中で千秋とのだめが共演し、有名になった。

 オールトとデュチュラーのフォルテピアノによる演奏を。
 2001録音。ブリリアント・クラシックス。

 また、「フルートとハープのための協奏曲」では、アバドが指揮した演奏を。
 アバドがこの曲を振った演奏としては、前に1996年録音のEMI盤を紹介したが、今日はズーンのフルート、ベルモンドのハープ、オケはモーツァルト管弦楽団による2008年のものを。
 ただでさえ爽やかなこの曲が、アクアフレッシュのごとく新鮮かつ爽快に奏でられる。 
 2008録音。グラモフォン。

つまり、鳥山串子みたいな…♪WAM/協奏交響曲K.297b

82adbdbe.jpg  昨日の午後、庭のバラたちに後ろ髪を引かれる思いで別宅(要するに現在の勤務地)に帰って来た。
 ちょうど車を運転していたので、“噂の東京マガジン”を観ることができなかったが、ふだんから観ていないので、それは別に私の日曜日の過ごし方に何ら影響を及ぼすものではない。

 その前日の昼は、庭仕事-趣味なのに仕事と言うのも変だが-にできるだけ時間を当てるために、昼食は冷凍食品のナポリタン・スパゲティにした。“川越達也おすすめ! 日清SPA王PREMIUM 彩り野菜とソーセージのナポリタン 野菜の甘みたっぷりのトマトソース”である。“炒め玉ねぎの甘みでさらに旨みが豊かになりました”とまで書かれている。
 これを買ったとき、店の冷凍庫の隣にはカルボナーラも入っていたが、私は基本的にスパゲティはトマト系がバカの一つ覚えのように好きなので、カルボナーラには指一本触れず、迷わずナポリタンを買ったのだった。パッケージの川越なんとかの笑顔の写真が気に入らなかったが、そういえば、最近この人騒がれたり、謝罪したりしてるようだけど、なんかしたの?

 このスパゲティ、確かに味は良かったが、急いで食べたので、彩りはオレンジ一色としか覚えていないし、比べたことがないのでさらに旨みが豊かになったかどうかもわからなかった。

 そこで、アバド/モーツァルト管弦楽団によるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の協奏交響曲変ホ長調K.Anh.9(C14.10)(297b)(1778)。この作品については、K.297Bのケッヘル番号がついた版もあるが、その経緯についてはこちらをご覧いただければと思う。

 で、なぜにスパゲティの話から協奏交響曲K.297bなのか?

 実は本日取り上げる録音の独奏者は、オーボエがナヴァッロ、クラリネットがカルボナーレ、ホルンがアレグリーニ、ファゴットがサンタナなのだ。

 だ、だからぁ、クラリネットがぁ~っ!

 厚みのある響き。しかしもたつくところはないし、聴いていてもたれもしない。小気味よく注文を聞いて、あまり待たされずに運ばれてくるトンカツ屋で、おろしトンカツ定食を食べるような感じだ。

 このCDについて、発売元は次のように訴えている。

 アバド&モーツァルト管によるモーツァルト第3弾
 後期交響曲集、ヴァイオリン交響曲全集に続くアバド&モーツァルト管によるモーツァルト第3弾は、名手たちの競演による2つの協奏曲。第8回国際オーボエコンクール・軽井沢の覇者ナヴァッロ、ローマ聖チェチーリア管の首席クラリネット奏者カルボナーレ、マーラー・チェンバー管の首席ファゴット奏者サンタナ、そしてルツェルン祝祭管、モーツァルト管、ヨーロッパ室内管の首席ホルン奏者を兼任するアレグリーニという錚々たる若手が集ったK.297bの協奏交響曲と、名手ズーンとイスラエル国際コンクールの覇者ベルモンドを要したK.299の協奏曲を豪華カップリング。若手の育成に長年力を注いでいるアバドならではの人選が光る、若々しく充実した掛け合いの数々がお楽しみいただけます。  
ユニバーサル ミュージック/IMS

 2008録音。グラモフォン。

 さて、昨日は朝に事件が発生。

 アリが出なくなったと喜んでいたのに、この日は台所のあたりに出没した始めたのだ。
 この日は気温が上がり、活動が活発になったのだろう。
 外周りを見ても基礎のコンクリートには行列はない。前日には忌避剤もまいていので、それは効いているのだろう。出没する箇所周辺を懸命に調べるが侵入経路はわからない。
 うろついている場所は限られているので、床下に潜りその近辺の下を調べるが、アリンコ1匹いない。

 私は途方に暮れた。

 大発生じゃないので、かえって見つけにくい。
 出ては掃除機で吸い、また現れては吸い、の繰り返し。
 モヤモヤした気分のまま、帰って来たのであった。

 やれやれ……

健康、幸福、強健…あなたが望むのは?♪ムターのWAM/K.364

ab058f57.jpg  このところプレヴィンがタクトを振ったショスタコーヴィチの交響曲を2つ取り上げたが、私としては、この演奏にもっと早くに出くわしていればよかったと、ちょっと悔しい思いもしている。
 すでに紹介した第5番も、そして第8番もすばらしい出来栄えだ。

 若々しい印象の強いプレヴィンだが、1929年の巳年生まれだからもう84歳だ。

 で、指揮や作曲活動とは関係ないが、プレヴィンは何度も奥さんが変わっている。
 奥さんが何回もちょいとおかしな行動をとったというのではなく、結婚と離婚を繰り返しているという意味。

 昔売られていた、彼が指揮するLP-確か、曲はブリテンの「青少年のための管弦楽入門」だったように思う-のジャケットに、彼と奥さんと男の子が一緒に写っているものがあった。私はレコード紹介の冊子でみただけで、LPの現物は持ってなかったけど。
 家族の団らん写真。曲のイメージに合わせたのか?

 あれって何番目の奥さんだったのかな。、ああいうのを世界中の音楽ファンに披露しちゃったなぁっていうのは、離婚したあとどんな気持ちなんだろう?
 そんなこと気にするようじゃ、離婚や再婚の1つや2つできないってことなんだろうな。

 プレヴィンが2002年再婚した相手は、ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターである。彼女は1963年生まれだから、単純に引き算すると34歳の差。2002年ってことはプレヴィンは73歳。何考えてんだか-特にムター嬢-、私にはとうてい理解出来ん。
 しかも、「仕事で忙しくて会えない」ってことで、2006年に離婚。結婚する前からわかっていそうな理由だけど……

 そのムターが独奏を務めた演奏を。いえいえ、プレヴィンは関係ありません。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の協奏交響曲変ホ長調K.364(320d)(1779)。ヴァイオリンとヴィオラを独奏楽器とする曲だが、オーケストラも伴奏以上の活躍をみせる。

 ムターとジュランナ(va)が独奏を務めたマリナー/アカデミー室内管弦楽団の演奏は、ひと言で言えば無難な(逆に言うなら、ソツのない安定した)演奏。この曲にふさわしい穏やかで優しい表現だが、しかしながらジャケットの写真のムターから受ける印象からとは言わないが、がっちりと骨太でもある。
 いや、ピリオド演奏に慣れてきてしまっているので、どうしてもやや鈍重に感じちゃうのかもしれない。
 良い演奏だ。しかし、気持ちがたかぶったり、メソメソしたり、そんなふうにはならない。

 3枚組ながら1000円以下という超廉価盤。
 他の収録曲はJ.S.バッハのコンチェルトやヴィヴァルディの「四季」などだが、いくつかの演奏は機会があればまた取り上げたいと思っている。
 1991録音。EMI。

 昨日の昼は、5分ほど歩いたところにあるそば屋“長寿庵”に行った。なんとなく長寿になりたい気分になったのだ。
 角を曲がって店が見えたときに、8名の集団が入るところだった。
 まずい。満席か?

 ところが、私たちが戸を開けると、その8人以外は客がいなかった。
 どうやら表の看板を“準備中”にしたまま気づいてなかったらしく、8人集団の1人が入店の際に、「やってるの?看板が準備中のままだよ」と店の人に言って、“営業中”の面にひっくり返したらしい。
 それのおかけで私たちはすぐに席に着くことができたが、「どうりでお客さんが来ないと思った」と、おかみさんがのんきなことを言っていた。

 私は、この一週間ほど“将来の夢”として心の中に抱いていた親子ソバを食べ、一緒に行った係長はそば定食を食べた。そば定食はハーフもりそばにハーフたぬきそば、そしてご飯に味付けのりという、炭水化物ファンにはたまらないものだった。私は次回は玉子丼(もちろん、ハーフたぬきそば付)にチャレンジしてみようという新たな目標をたてた。

 長寿になりたきゃ長寿庵に行け!
 幸せになりたきゃ幸福庵に向かえ!
 足腰を鍛えたけりゃ立ち食いそば屋でつま先立て!

 そばをすすりながら、そんなことを思った私だった。

私は立派以上に感じます♪WAM/P協奏曲27

dcef1382.jpg  「伊福部昭綴る -伊福部昭論文・随筆集」(ワイズ出版)。

 このなか-私のなかの歴史-で、厚岸の森林事務所に勤めていた伊福部昭が、“兄貴の結婚式で札幌に出てきた時、冨貴堂で、フランスのジャン・フランセの「ピアノ・コンチェルチーノ」というレコードを聴き、「世の中はこんなに進歩しているのか。へそを曲げて山の中にこもっていてはだめだ」と考え、思いきったわけです”ということで、昭和15年の3月に林務官をやめて札幌に戻ってきたと書いている。

 フランセ(Jean Francaix 1912-97 フランス)のこの曲は、おそらく1936年作曲のピアノ協奏曲のことだろう。
 私はこの曲を聴いたことはないが、たとえば同じ年に書かれた彼の「少女たちの5つの肖像」を聴いてもわかるが、フランセの都会的でこじゃれた音楽が伊福部昭に衝撃を与えたことはよくわかる気がする。もちろん作風は全然違うが。

 また同じ章の中で伊福部は、“バッハとかモーツァルトとかヨーロッパのものは立派には思いましたが、それ以上には感じませんでした”とも述べている。

 そうだよなぁ。
 だからこそ、伊福部昭なんだよな。

 でも、今日はモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)。
 ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595。モーツァルトの死の年に書かれた曲である。

28d2b1a3.jpg   この曲についてはここをご覧いただければと思うが、まぁとにかく胸が締めつけられるような澄んだ美しさがある。
 すでに落ちぶれてしまっていたこのころのモーツァルト。あまりそういうことをオーバーラップさせて聴くのは良くないのかもしれないが、でも、どうしてそんな状況下にあってもこんな曲が書けるのかと、それだけでもぐっときてしまう。

 そしてこれをフォルテピアノで弾かれると、またまたいいのだ。

 ソフロニツキのフォルテピアノ、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィアンセの演奏は、素朴な響きのなかにも愛らしさがあって、この曲のもつ枯れたとも言える感情を切々と訴えてくる。響きが純粋な分、それは余計に痛々しく感じる。
 他の番号のコンチェルトでは活発に鋭い響きをぶつけてきていたオーケストラも、ここではつつましやかな穏やかな表情を見せている。

雨上がり、恋のスクランブル……♪WAM/P協22 by ソフロニツキ

4c71361d.jpg  先週だったか先々週だったか、すでにはっきりした記憶がないが、いずれにしろ、今月のどこかの金曜日の朝。

 私はミシっという音で目が覚めた。
 ぼんやりした頭の中で「地震がきちゃうかも」と芹菜みたいな声の囁きが聞こえた。
 その直後、一度だけだがぐらっときた。

 それをきっかけに起床。
 この日は5:00まで寝ていようかと思ったのに、4:20だった。

 すぐにTVをつける。
 どこか-震源地近く-は大地震だったかもしれないからだ。

 数分後に地震速報テロップが流れる。

 いちばん揺れたところで震度3。わがエリアは震度1だった。

 ブログをアップしたり、いまこんなことをしなくてもいいのにと思いつつも小物入れの中の整理をしたあと、1Fに新聞を取りに行く。

 新聞を開いていくと、ふだんはパスするのだが、読者の投稿欄に目が釘付けになった。
 あっ、わが家で購読しているのはご存じの通り北海道新聞で、読者投稿欄は“読者の声”という。
 私の目がとまったのは、本編ではなく、横の方にあった“テーマコーナー”の投稿だ。テーマは傘。タイトルは「イケメンさんとしばし恋人気分」。

 う~ん、なんて微笑ましい話なんだろう。下品にも私は忌々しく舌打ちしてしまったほどだ。

 とにかく、私は望んでもいないのにこの女性のうきうきした気分に飲み込まれ、それにふさわしいメロディーが頭蓋骨の中でウキウキと浮遊した。

658bc439.jpg  モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482(1785)である。

 この協奏曲は、モーツァルトのピアノ・コンチェルトの中でも人気の高い第21番と、古典派時代のピアノ・コンチェルトの最高傑作の1つといわれる第23番の間に挟まれてしまっていて、ちょっと目立たない。
 しかも、“ここには格別新しい試みや大胆な冒険があるわけではなく、むしろ、この時までに鍛え上げ、わがものとしていた技法を余裕をもって使いこなし、無難にまとめあげた感もなくはない”と書かれてもいる(※)。

 じゃあ「つまんないの」ってものなのかというと、もちろん、聴いていてつまんないわけでは決してない。だって、鍛え上げた成果の披露なんだから。

 堂々とした祝祭的気分に満ちた出だしや、各楽器の掛け合いは実に心地良い。
 この投稿した女性の気分はまさに、この作品の両端楽章(あんまり関係ないけど、形式は第1楽章がソナタ形式、第3楽章はロンド形式)のようだったに違いない(第3楽章は映画「アマデウス」でも使われている)。

 一方で、邪魔くさくにひょいと-しかも気味の悪いことに、いたずらっぽく-前に立ちはだかれたり、勝手に傘の下に侵入されたり、どっから来たかいきなり尋問されたりした男性にとっては、憂鬱な思いに浸るような変奏曲形式の第2楽章の気分になっただろう。

50c50da7.jpg  なお、冒頭の開始は交響曲第19番変ホ長調K.132(1772)の冒頭(そして、疑作とされている協奏交響曲K.297bの冒頭)と似ているが、この音型はモーツァルトが好んだパターンの1つ。

  交響曲第19番は、ハイドン兄弟やJ.C.バッハの影響が強いと言われる作品で、4つの楽章から成るが、第2楽章には異稿も存在している。
 私はこの曲の第4楽章に、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」っぽいものを感じる。

 コンチェルトのCDは、さんざん私がお薦めしている、ソフロニツキのフォルテピアノ、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセの演奏で。

 ちょっとおもちゃのピアノの響きっぽいフォルテピアノの音が、実に生き生きとした響きを放つ。モーツァルトのクラヴィア作品はフォルテピアノに限る、と言う気はない。しかし、グランドピアノではなんだか優雅すぎて退屈になることがあるのに、“その楽器用”に書かれたものを“その楽器”で弾くと、特別な生命力のようなものを感じる。
 オーケストラも鋭く音をぶつけてきたり、あるいはふくよかに聴く者を包む。
 それらの対比、そして融合がまたすばらしい。
 
 2005-06録音。PRO MUSICA CAMERATA。

 ところで、もしこの79歳の女性が私の前にヒョイといたずらっぽく一歩前に出て来たとしたら、私は「いったいなんですか?すみやかにどけてください」と言ってしまうかもしれない。いや、無言で場所をずらすだろう。

 要するに、一見ほのぼのしている話のようだし、若々しくて茶目っ気たっぷりで元気な女性のように読めるが、ところがどっこい、けっこう危ない人だということ。
 ストーカー予備軍だ。

 ということで、本音を言うと、私はこれを読んだ後、無性に腹がたった。
 この言い回しも、私をイラだたせるに十分だ。
 達者でな!

 ※ 「作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルトⅠ」:音楽之友社

実際のところ彼女は優れたピアニストだったのか?♪WAM/p協9

dbf269de.jpg  寿限無寿限無……じゃなくて、ジュノム。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271(1777)。「ジュノム(Jeunehomme)」の名で知られているこのコンチェルトは、モーツァルトがこのジャンル-つまりクラヴィア協奏曲-で飛躍的発展を遂げた作品とされている。

 クラヴィア(クラヴィーア)とは鍵盤楽器(有鍵弦楽器)の総称であるが、この時代の主なものはチェンバロだった。

 音楽之友社から出ているベーレンライター版のスコアの解説には、以下のように書かれている(執筆者はC.ヴォルフなる人で、訳は小林緑)。

 ピアノ協奏曲K.271は、モーツァルトの最初期の4つの協奏曲(K.175,238,242,246)とははっきりと隔たりがあり、ちょうど21歳になったばかりの青年の創造の頂点をなすものである。多くの点で、これは傑出した作品といえる。というのは、作曲者はここで一気にピアノ協奏曲を個性的な形にまとめ上げることに成功しているからであり、そのことがかれの後年の器楽様式に広汎な影響を及ぼさずにはおかなかった。K.271の形式的広がりは、そのピアニスティックな要求の高さと同様に並外れたものとなっている。

 上の文中でケッヘル番号が出ている4つの協奏曲は、通し番号で第5番から第8番のことである。

 ジュノム(またはジュノーム)というのはフランスの女性ピアニストの名前であり、その才能は豊かで、それゆえにこのようなモーツァルトにとっても才能を発揮した傑作が生まれたとされる。

80308de4.jpg  が、しかし、礒山雅は「モーツァルト=翼を得た時間」(講談社学術文庫)のなかで、最近の研究(といってもけっこう経つが)の結果、ジュノムはモーツァルト家と交流のあった舞踊家のヴェールの娘ジュナミ(1749-1812)のことで、ピアニストであったかどうかは不明である、と書いている。もしかすると、このコンチェルトはジュノムの独奏によってではなく、モーツァルト自身によって弾かれた可能性もあるということだ。

 スコアの解説にあるように、このピアノ協奏曲はモーツァルトのそれまでのコンチェルトとは明らかに違う。急速に発展しつつあったフォルテピアノの表現能力を引き出すように書かれており、もはや作曲者は、チェンバロで弾くことは頭になかったと思われる。

 オーケストラの編成はオーボエ2とホルン2、そして弦楽器。

 今日もソフロニツキのフォルテピアノ、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィアンセの演奏で。
 フォルテピアノのために書かれた曲を、このようにフォルテピアノによる演奏で聴ける。この当たり前のようでいて、なかなかできない体験は、まさにモーツァルトが意図した響きを楽しめるということ。
 むかしはこんな試みはほとんどなかった。
 良い時代になったものだ……

 2005-06録音。PRO MUSICA CAMERATA。

 さて、明日からGWである。
 幸いというか、幸いというべきなんだろうけど、私は30日~1日に札幌で会議がある。
 で、2日はこのあいだの日曜日に労働した代休である。
 本日、仕事が終わり次第、自宅へと向かう。
 でもねぇ、雪が降るとか信じられないようなことを言ってんだよね、予報は。

私にはチュンチュンとは聞こえないけど…♪WAM/雀のミサ

6de2a55c.jpg オオサワ課長の後任の名はヤマダである。
 オオサワ課長は札幌に行ってしまったのである。
 そして本州のある都市から、ヤマダ課長がやって来た。
 私が謝る筋合いのものではないが、ありきたりの名前であることを最初にお詫び申し上げておく。

 そのヤマダ課長と2人で昼食を食べに出た。
 目的地はカスト(仮名)というラーメン屋である。
 ところが、そこへ行く途中の交差点で、がっちり防寒対策をしたいでたちの兄さんが何やら配っていた。そのまま師走のすすきの交差点に連れてってビラ配りをさせてもすぐとけ込めそうな雰囲気だ。

 最初は知らん顔しようとしたが、その黄色い紙片がなんとなく気になって手を出してしまった。こんな性分だから、ヘンテコなティッシュももらってしまうのだろう。

 それはウィクトリア(仮名)というラーメン屋の割引券だった。50円引きである。
 ウィクトリアには過去に1度(去年の夏のことだ)行ったことがある。あっさり系で味はまぁまぁだったが、店の雰囲気とラーメンの出来上がりが遅いという難点があった。価格は決して安くない。
 一方、カストの方も1度行ったことがあり(1か月ほど前のことだ)、脂っこいタイプだが味は良い。店の中も活気があるがいつも混んでいるという難点がある。

 が、割引券を手にした。

 われわれはウィクトリアを目指す以外なくなった。というくらい、頭の中は割引券に支配された。

 店内には他に客はいなかった。12:10なのにである。
 店側の人間としては男性1人。つまり注文を受け、調理し、会計するのはすべてこの人物が行なう。
 席が全部埋まれば24人が入れる。もし満席になったらどうするつもりなのだろう。
 私たちは一番乗りだからよかったが、そのあとに来た2人組はしばらくオーダー取りに来てもらえなかった(厨房で私たちのラーメンを作るのに専念していたからだ)。その2人も割引券を持っていた。

 私は醤油ラーメンと小ライスを注文した。
 またライスをつけたのか?と私を責める人もいるだろう。そういう人はあの保健婦が乗り移っている可能性がある。いや、確かにライスをつけることは、たとえそれが小であろうとも褒められるものではない。でも今日の私には割引券があるのだ。気が大きくなるのもわかってもらえるだろう。

 食べ終わり会計しようとレジ前に行く。
 なかなか店主兼店員の兄ちゃんは来ない。2人組のラーメン作りで手が離せないのだ。
 2人にラーメンを持っていき、やっと会計となる。
 醤油ラーメン730円+小ライス150円-割引50円=830円。
 全然安くない!
 そもそも醤油ラーメン自体が高い。小ライスが150円だなんて暴利以外のなにものでもない。一般的なおにぎりより高いじゃないか!

 私はすっかり落ち込んでしまった。黄色い紙に惑わされた自分が情けなかった。
 マジ、悔しかった。
 味噌ラーメン単品を頼んだヤマダ課長がちょっぴりうらやましかった(780円-50円=730円)。

 帰り道、カストの前を通った。
 ガラス越しに見る店内はほぼ満席だった。
 店の前に掲げられているボードには、「ラーメンセット(醤油ラーメンとライスとおかず1品750円」と書いてあった。
 あぁ、なんてことだ。たとえ雀がコケコッコーと鳴こうが何しようが、絶対にこちらの店を選ぶべきだったのだ。
 そして、なぜウィクトリアががら空きでカストが満席なのは、なぜなに好きな年少さんの園児でも聞かなくとも理由はわかる。
 きっとウィクトリアはほどなく潰れるだろう。私はそう確信している。たとえ、割引券を配り続けてもだ。いや150円割引なら生き残れる可能性はなくもない……

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のミサ・ブレヴィス ハ長調K.220(196b)(1775-76)。モーツァルトのミサ曲の通し番号では第8番となるこの作品は「雀のミサ(Spatzenmesse)」と呼ばれる。
 
 この愛称は、モーツァルトが家の窓辺に来ていた雀にミサという名前をつけたことに由来する、なんてことではまったくなくて、第4曲「サンクトゥス」と第5曲「ベネディクトゥス」のなかに現れるヴァイオリンの高い音によるヒュインヒュインヒュインという音型が雀のさえずりの声に似ていることによる。
 私には雀の声というよりは、上品な警告音(侵入者あり!みたいな)に聞こえるけど、ワンワンという犬の鳴き声が、例えばアメリカではバウワウって聞こえるくらいだから、雀の鳴き声もヨーロッパでは日本人とは違って聞こえるんだろう(無茶苦茶な理論だが)。

 6曲(キリエ/グローリア/クレド/サンクトゥス/ベネディクトゥス/アニュス・デイ)から成り、全曲で15分ほどの短いミサである。

 P.ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団、モノイオス(S)、グラーフ(A)、プファッフ(T)、ゼリヒ(Bs)による演奏を。
 1990年前後の録音。ヴァージン・クラシックス。

 なんでもドイツでは恋人のことをシュパッツィーて言うことがあるそうだ。雀ちゃんという意味だ。日本で自分の彼女のことを「ボクのかわいいインコちゃん」って呼ぶのと同じようなものだな……←全然違うし、日本のどこの誰がそんなことを言う?

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