世界陸上が終わった。
世界が終わったわけではなく、何よりだ。
とにかく、開催地にちなんで、ってわけじゃないけど、 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第4番ハ短調Op.43(1935-36)。
この曲は初演の直前になって作曲者によってそれがキャンセルされ、1961年になってやっと初演された作品。そのあたりの話はこちらをご覧いただけたらと思う。
とにかく気難しい曲だ。
聴き手にちっとも愛想をふってくれない。ほぼ同じ時期、1935年に初演されたバレエ「明るい小川」Op.39とは、ずいぶんと違う音楽だ。
が、聴くたびに新たな発見-というとオーバーな言い方に感じもするが-がある。
そんなフレンドリーさのない曲なので、ガッツンと演奏されると、体調によっては耐えられなくなる。
その点、プレヴィン/シカゴ交響楽団の演奏は重量感があまりなく、胃もたれしないもの。妙に考え込まされもしない。
健康な状態で聴くと物足りない感じがするのだろうが、洗練されたこの演奏は第4番という化け物が化け物っぽくなく処理されていて、なかなかユニーク。
「ちゃんと治ってからにしなさい。ショスタコを聴くのは」と叱られている、病み上がりの方へ特にお薦め。
1977録音。EMI。
ところで、世界陸上の中継の何かのコーナーで、アレンジされたショスタコの交響曲第12番第1楽章の終わりの部分が使われていた。
ロシアで開催されているからなんだろうけど、それにしても第12番を使うなんて、なかなかマニアックだ。
こっそり感心してしまった。
ショスタコーヴィチ
今日から8月だが、それとは全然関係なくして、午後から東京に行って来る。
お帰りの予定は土曜日である。
明日の日中、ちょうど昼時には仕事の予定が空く。それを踏まえて、先日、東京で学生生活を送っている次男坊に電話してみた。
しかし、その日は忙しくて全然時間が取れないという返事であった。
残念である。
そんなんで、子どもにまつわる音楽を。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「子供のノート(Children's Notebook)」Op.69(1944-45)。
娘ガーリャのために書かれたピアノ曲で、「7つのピアノ小品/練習曲集」の副題がある。
各曲は、行進曲/ワルツ/熊/楽しいお話/悲しいお話/あやつり人形/誕生日、である。
第7曲「誕生日」には、彼の「祝典序曲」そっくりのメロディーが出てくる。
ショスタコがガーリャのために書いた曲としては、ほかにも「人形の踊り(Doll Dances)」(Op.番号なし。1952-62)などがある。
「人形の踊り」は「7つの子供の小品」の副題を持ち、各曲のタイトルは、抒情的なワルツ/ガヴォット/ロマンス/ポルカ/おどけたワルツ/手回しオルガン/踊り子。
いずれの曲集も、愛らしい音楽で構成されている。
ペトルシャンスキーのピアノ独奏のCDを。
「子供のノート」は2006録音、「人形の踊り」は2003録音。PIANO CLASSICS。
木~金と札幌出張だったために自宅に帰ったわけだが、バラもいったんピークを終えおり、ちょうど次のつぼみたちが膨らんでいるところだった。うふふ。
つ、ぼ、み、たち……
プクプクと膨らんでおくれ。
余計な期待の言葉はさておき、そんななかでたまたま見ごろ状態になっていたのは、写真の上から順に(言っておくが、もちろんCDの写真を除いて上から順に、である)、コンパッション、グレーシー・アレン、グラハム・トーマス。
おそらく次回帰宅したときには、かなりのバラたちが咲いていることだろう(コガネ野郎が蝕まない限り)。
例の-何が「例の」だか……-ストラボ・バビロンとエリドゥ・バビロンはつぼみを持っている状態で、開花しているものはなし。
また、先日購入したゴールデン・ウィングスを庭に植えた。
気候的には植え替え適期じゃないが、なんとか根付いてくれるものと信じている。
で、バビロンである。 先日バビロン・ローズの話を書いたときに紹介すればよかったのだが、もう紹介済みだと思っていたので、そこでは取り上げなかったのだが、おやおや実はまだ紹介してなかったわいと気づいたので、今日ご紹介したいと思うが、えっ、くどい?。
ですよねーっ。
M.フィッツ=ジェラルド指揮バーゼル・シンフォニエッタによるショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「新バビロン(New babylon)」Op.18(1928-29)。無声映画のための音楽である。
「新バビロン」については過去、ジャッド/ベルリン放送響による全曲版(全8曲)と、私がこの曲を知るきっかけとなったロジェストヴェンスキー/モスクワ・フィルの抜粋版(ロジェストヴェンスキー編。Op.18a)を取り上げているが、F=ジェラルトによる演奏は、曲の終わりが大きく違うのをはじめ、前2者とは姿を異にする。
このCDの帯には、“公開前に検閲に引っ掛かり、映画を編集し直す羽目に陥り、その際音楽も大幅に書き直されました。このアルバムはその最初の「失われた」原稿総譜から、復元出来得る音楽をすべて拾い出しました。最初の編成通り、弦楽器は5人のみで演奏されてい ます”と書かれている。
「新バビロン」はとてもはつらつとした音楽だ。若きショスタコがやりたい放題している。皮肉めいたところは相変わらずだが、後年の音楽のような殻に閉じこもった陰険(?)なひねり、病的な深刻さはない。 それが、このCDでは、映画館の狭い空間に陣取って演奏していた当時の管弦楽編成の再現。
なるほど、無声映画につける音楽ってこういう感じなのかと、ちょっとその雰囲気がわかった気分になれるし、より音楽が生き生きと響き渡る。
国家権力に押しつぶされる前の、ショスタコの本来の姿が垣間見えるような演奏である。
2011録音。ナクソス。
昨日こちらに戻ってくるときの、高速道路を走行中のできごと。
突然、フロント・インパネの中央部付近からカタカタカタカタと金属音が出始めた。
いくら古くなったとはいえ、先日車検に出したばかりであり、悪いところは一応すべて直したはずだ。実際、そのくらいの費用もかかった。
しかし、この音はそれまで耳にしたことがないようなもので、もしかしたらこの高速走行中にあっと驚くようなトラブルが発生する-あの特急列車のようになるとか-かもしれないと不安に襲われるに十分なものだった。
落ち着かなきゃ……
私は少しスピードを落とし、ドリンクホルダーに置いてあった缶コーヒーを手に取って一口飲んだ。
音は止んだ。
缶がホルダーに触れる音だった……やれやれ。
写真は先日庭で撮った“エリドゥ・バビロン”である。
かわいいよなぁ。頬ずりしたくなる。頬ずりしたらトゲでケガするけど。
バビロン・ローズという新たなバラの分類の中の1つ。
もちろん、バビロンというのはメソポタミア地方の古代都市・バビロンのことである。このバラの特徴は、花弁の中心部がブロッチと呼ばれる目玉のような模様があること。育種開発したのはオランダのインタープランツ社。
祖先となっているのは、中近東から中国ウイグル地区に育つ一季咲きの“ロサ・ペルシカ”というバラの原種。改良によって四季咲きとなり、“ロサ・ペルシカ”の原産地にちなんでバビロン・ローズと命名された。
私は去年、伊福部昭の故郷・音更町-この話には伊福部昭は関係ないが-の大野農園でバビロン・ローズというものの存在を知り、ほとんど一目ぼれで売られていた2品種、“エリドゥ・バビロン”と“ストラボ・バビロン”を購入した。
雪の重さにやられることなく無事に冬を越し、わが庭での本格的開花デビューとなったのである。
ところで、バビロンといえば、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)は「新バビロン」という映画のための音楽を書いている。
だいぶ前に取り上げたように、新バビロンというのは古代都市再建のようなことではなく、百貨店の名前である。あのブログ記事から5年半ほど経ったが、私の思いは同じである。「変な名前……」。だって、あなたの住む街に“新邪馬台国”みたいな名前のデパートがオープンしたとして、行きたくなります?
♪ エス、オー、ジー、オー。そごうに行こう!
こんな耳にこびりつくようなわかりやすい歌のコマーシャルがむかしはずいぶんと流れていたものだ。
♪ ディー、エス、シー、エッチ。ショスタコ聴こう!
ぅぅぅ、くだらない……自己嫌悪……
気分を引き締めよう。 ショスタコーヴィチの交響曲第10番ホ短調Op.95(1953)。プレヴィン/ロンドン交響楽団の演奏で。
プレヴィンのショスタコーヴィチを、私は最近になっていくつか聴いたのだが、5番も8番もすばらしい演奏で、私はプレヴィンという指揮者の新たな適性を知った思いがした。ショスタコーヴィチでこんなにみごとな演奏をしていたなんて、知らなかった私だけがバカだったわけね、って感じだ。
そしてまた、この交響曲第10番もすばらしい。
引き締まった音楽に仕上がっており、高密度で迫力も満点。しかし狂乱に陥らないので、音楽の見通しが良い。飽きさせることなく、いや聴き手をあっという間に引き込んでしまう演奏だ。
1982録音。EMI。
よし!目玉焼きを食べよう。
私が小学生のとき、5年ほど浦河町に住んでいたことはこれまでちょくちょく書いてきた。
社会の授業で地元のことを学ぶという時間があり、「えりも町は前は幌泉町と言いました」と、あまり私の日常生活には関係ないことを教わった。
浦河の隣は様似町、その隣が森進一の「えりものぉぉぉぉぅぅ~、春ぅわぁぁぁぁぁぁ~、何もぅぅぅぅない、はぁぁぁぁるですぅぅぅぅ~」で有名なえりも岬がある、えりも町である。進一以前から有名だったかもしれないが……
幌泉町がなぜえりも町に改名したのか、役場の職員でも町長でもない一介の小学生だった私が知る由もないが-たぶんその方が認知度のアップにつながるということだろう-、町村合併が進んだここ10年ほどと違い、あのころ単独で町の名を変えるなんて珍しいことだったんじゃないかと思う(今でも、幌泉郡えりも町である)。
町の名前が変わると言えば、ペトログラードという町は、レーニンの名にちなんでレニングラードとなり、さらにソヴィエト崩壊後はサンクトペテルブルクになった。
スターリンにちなんだスターリングラードは、現在ヴォルゴグラードである。
看板とかいろいろ変えるの大変そうだな。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第7番ハ長調Op.60(1941)。
作曲者がこの曲を「われわれのファシズムに対する戦いと、われわれの宿命的勝利、そしてわが故郷レニングラードに捧げる」と言ったことから、ご存知の通り「レニングラード(Leningrad)」の通称を持つ。曲についてはこちらをご覧いただければと思うが、いずれにしろレニングラードという名の都市はもうない。
今日はペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を。
2012録音。ナクソス。
ペトレンコの演奏はこの第7番でも端正。良いか悪いか、好きか嫌いかは別問題として、ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフのような押しつけがましさや暴力的な表現は控えられている。戦車が瓦礫を踏み潰しながら迫ってくるような光景は、この演奏からは想像できない。その点で、かなり違った音楽に聴こえてくると同時に、第7番がハッタリなく演奏されるとこういう風になるんだと、新鮮に聴こえる。ショスタコは、第1楽章で描いたのは迫り来る敵軍ではないと「証言」では証言しているわけだし……
ペトレンコは1つの純粋な交響曲としてこれに取り組んでいる。その点は、これまでの他のショスタコの演奏と同じスタンス。情感は豊かだが、興奮したり泣き崩れたりはしない。
CDの帯に書かれている“「純音楽」として聴いてほしい”というのは、この演奏を的確に表現している。ペトレンコにしてみれば、戦争だの政治だのは、もはや関係ないのだろう。生まれたいきさつはともかく、この曲をそういう呪縛から解き放ってあげているのだ。
従来型でない分、違和感を覚える人もいるだろう。
出だしのスローテンポからして気に入らない人もいるかも。私はちょいと遅すぎに感じた。ただトータルでは名演。録音も良い。
私はこの演奏で、今まで感じたことがないほど-少なくともあまり記憶にないという意味で-「レニングラード」がこんなに美しい音楽だったのかと、目からうろこ、小麦色肌から皮、状態になった。
マリモからマリモッコリというキャラクターが生まれたが、エリモからはエリモッコリなんて生まれなかった。少なくとも私は知らない。
襟がもっこりしてりゃ暖かそうでいいじゃん、ってわけで、面白くもなんともないからか?
じゃあ、唐突ですが、みなさんは七夕気分を満喫してください。北海道は今日じゃなく、8月7日です。
おとといは急にけっこう強い雨が降ってきて、傘を持ち合わせていなかった私はとても悲しい気持ちになった。
そう、東京に出張した日のことである。
私は11:00に羽田に着くAIR DO便(ANAの共同運航便)に乗った。飛行機は定刻よりも5分早く到着。到着後私は地下連絡通路を通って第1ターミナルへ移動。30分後に着くJAL便でやって来る後続隊を待った。
JAL便は10分遅れで到着。一行と合流したあと都心へ。
激しい雨が降って来たのはそのあとだった。
びしょ濡れになって大変だったでしょうって?
いや、全然。
なぜなら、すでにそのとき、私は会議に入っていたからだ。
突然の降雨は会議室の窓から見たにすぎない。私は雨に当たったとは一言も書いてないもん。
会議が終わったのは17時過ぎ。
雨は上がっていて、自分としてはそのプチ幸福感が、たまたま機内で聴いたショスタコの8番の終わりの気分とオーバーラップした。
ソスタコーヴィチ、おっと訛っちまった、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65。
この曲はここ数年、私にとってショスタコーヴィチの交響曲の中で最も心震わされるものとなっている。
作品についての能書きはこちらをご覧いただくとして、これまたこの演奏はすばらしいと思っている演奏をご紹介。
プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏である。
第1楽章冒頭の最初の音からしてなみなみならぬ緊張感に満ちていて、それが曲の終わりの最後の1音まで持続するのは見事。弱音は端正な美しさを湛え、強音は十分にパワーがありながらも押しつけがましくなったり断末魔の絶叫にもならない。どこをとっても均整がとれている。
かといって、人間味に乏しいとか教科書的ではなく、優しげでねぎらうように最後の音の響きが消え入ったあと、そこには感動の余韻が残るのである。
この曲が苦手な人にも、何らかの啓示を与えるのではと思える演奏だろう。
1973録音。EMI × TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4
さて、昨日は朝8:30からの打合せが意表を突く速さで終わってしまい、寄り道もせず空港へ(だってCDショップだってまだ開いてない時間だ)。
搭乗する便を早めようにも、なにせその前の便がない。
空港内をできるだけゆっくりと、しかも非効率な動きをし何とか時間を潰し、でも潰しきれないのでかなり早めに保安検査場を通過し、まだ11時だったが昼食にした。
飛行機は12時過ぎの出発で、到着は14時ちょっと前の到着。つまり、しばしば話題にするように昼食をとるには極めて難しい選択を迫られる時間帯だ。乗る前に食べるか、降りたあと食べるか、機内で食べるか……
しかも、私はしばしば食後すぐにおなかがギュルギュルするという、困った発作を持っている。だからこそ、こんなに悩むのだ。排泄注意……
だが、この日はギュルギュルしない予感がした。自分の体のことだから、誰よりもよくわかる(気がする)のだ。
よし!第2ターミナル52番ゲート近くのラーメンにしよう。
そう思ったが、醤油ラーメン800円の文字を見て、すぐに決心はヒュルルルルルとしぼんだ。ラーメン専門店でもないのに(それとも専門店と呼ぶべきか)、そして場所柄とはいえ、800円を投資するには高すぎる。タバコの1.82箱分の値段だもの。
私は隣のANA FESTAで“シウマイ弁当”を買った。750円である。私がちょっと目を離したすきに、750円まで上昇していた。
何?ラーメンと50円しか違わないじゃないかって?
食べたことのないものに800円出すよりは、旧知の傑作弁当を食べるのだ。50円以上の安心感がある。
シウマイ弁当は相変らず美味しかった。
が、満足度はそれほどでもなかった。というのは、この日の朝、朝食付きの宿泊プランだったので、珍しくコンビニおにぎりの朝食ではなく、ホテルのバイキングで少々張り切って食べすぎたからだ。6時のオープンと同時にレストランに行き、まだ混み始める前の好環境のなか満足した朝食を食べたが、11時というと、確かに5時間も経ってはいるものの、それほどおなかは減っていなかった。そんなわけでだが、朝も昼も満足してちゃいけないってことだ。
ちなみに弁当は残した。タケノコの煮物を少々……
こちらについて、空港連絡バスに乗ったが、後ろの席に座った老夫婦-会話の感じから観光客だということと、荷物の置き方についてもめていたことがわかった-の“婦”の方が、街なかに入って“ふう”に対して言った。
「あらまぁ、落雷注意だって!」
「雷?」
「だって、あなた、あそこに書いてあるじゃない」
「あぁ、雷が多いのかね?」
何のことかと視線を広範囲に泳がすと、私も発見した。
道沿いに建っているアパートの壁に、大書きされた看板が張ってあった。
でも違うから。あれ、ラクセツチュウイですから。落雪注意!
雪と雷、漢字は似てなくはないけど……
だいたい、落雷について壁に張らないでしょう?[E:thunder]
帰ったあと、落雷に注意するよう書いた看板が壁に張りつけてあった、なんて言い振り回らなきゃいいが……
子どもの頃、親が観ていた番組に「ありがとう」というのがあった。
チータこと水前寺清子が主役で、今ではどう考えても納得いかないのだが、あのボーイッシュなチータのファンは、男子児童にも少なくなかった。
私は-のちに青年になってからその名を知ったのだが-上村香子さんがとっても好きだった。その想いは、さんづけしていることからもうかがい知ることができるはずだ。
水前寺清子の役柄の姓は-ただし、「ありがとう」にはいくつかのシリーズがあったらしく、私がここで言っているのは看護婦編というやつ-“十”である。これで“つなし”と読む。
なぜ“十”で“つなし”なのか?
そのことを説明していたセリフがなぜかはっきりと頭に残っている(記憶が正しく残っているとは限らない)。
一 ~ ひとつ
二 ~ ふたつ
三 ~ みっつ
四 ~ よっつ
五 ~ いつつ
六 ~ むっつ
七 ~ ななつ
八 ~ やっつ
九 ~ ここのつ
十 ~ ???
ってことで、十は“つ”を付けて言うことができないから、“つ”無しなんだそうだ。
へぇ~って思います?
私は、「しっかしねぇ~っ」て思いである。今は。 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「19世紀末から20世紀初頭にかけての革命詩人による10の詩」Op.88(1951)。単に「10の詩曲」と称されることもある。
英語訳のタイトルは、“10 Poems on Texts by Revolutionary Poets”、あるいは“10 Poems on Words of Revolutionary Poets”。
各曲独立した無伴奏合唱のための作品で、1951年のスターリン賞第2席を受けている。'49年の「森の歌」の同賞第1席に続いて-1年あいているが-の受賞ということになる。
使われているテキストは、1905年の第1次ロシア革命前後の怒りや苦悩を表わした革命家たちが書いたものだが、全体を通しての曲調は哀愁はあるものの明るめである。
第1曲 「仲間たちよ、さあ行こう」 詞:革命詩人ラージン
第2曲 「自分ひとりではない」 詞:革命家タラーソフ
第3曲 「街へ」 詞:1902年にオデッサの街にまかれたビラの詩。作者不明
第4曲 「とらわれて送られる日に」 詞:労働者詩人グムィリョフ
第5曲 「死刑の戦士」 詞:グムィリョフ
第6曲 「1月9日」 詞:革命詩人ア・ヤコヴレヴィッツ・コーツ
第7曲 「つつ音もはや絶えて」 詞:タラーソフ
第8曲 「力つきて」 詞:グムィリョフ
第9曲 「5月の歌」 詞:コーツ
第10曲 「歌」 詞:ホイットマンの詩の、革命詩人タンボゴラースによるロシア語訳 このうち、第6曲「1月9日」の中のメロディーは、ショスタコの作品2である「5つの前奏曲」の第5曲で早くも現れているし、のちに交響曲第11番でも使われることになる。
私が聴いているCDは、ポポフ指揮モスクワ・アカデミー・オブ・コラール・アートによる演奏。
1998録音。ブリリアント・クラシックス。
このCDには、おそらくこの「革命詩人による10の詩」と関連があると思われる、同じ1951年にショスタコーヴィチが合唱編曲した「10のロシア民謡集」も収められている。演奏は同じメンバーに伴奏のクラフチェンコのピアノが加わる。
この民謡集の10曲は次のとおり。 1. 突然モスクワ近郊で雷が轟いた
2. 山の、丘のかなたで
3. 槍と剣の森の中から
4. 暗い夜、恐ろしい雲
5. カッコウが鳴いている
6. たいまつ
7. 私のモミの木の林よ
8. お父さまの緑の庭で
9. 愛しい人に私は言いました
10. 何とすばらしい歌を
ロシア民謡も、ショスタコが手掛けると、なんだか芸術的って感じになる。
土曜日は用があってちょっと郊外に行って来た。
途中見かけた畑は青々としていてなんかいい感じ。
上はじゃがいも、中の写真は小麦、下は畑のそばに生えていたウドである。
先日の記事で宿根草2種の写真を載せたが、愚かなことに私の頭にはそれらの名が頭に入っていなく、また不幸は重なるもので、残念なことにそのときは草種名を控えたものも手元になかった。
だから今書こう。
上の写真はバーバスカム・ビオレッタ、2枚目の写真はポレモニューム・アプリコット・デイライトである。
写真が下手で本来の美しさを十分に伝えられないのが申し訳ない。が、写真が下手というのは謙遜で、カメラが良くないと私は信じ切っている。これが一眼だったら絞り優先で背景をぼかして、なんてことをするのだが……
美しいといえば、プレヴィンがシカゴ交響楽団を振ったショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)は、音がとても艶やかで美しい。
単に音がクリアというのならば、例えばインバルなんかだってそうだが、プレヴィンの場合は暖色系の色合いで上品。
重量感がもう少しあって欲しいなと思わなくもないが、この水準の演奏でさらに望むのは要求過多というものだろう。クリアで美しく、アンサンブルもぴったり。弱音から強音までまったく破たんしない。
私が初めてプレヴィンを知ったのは、エネスコのルーマニア狂詩曲第1番が入ったLPを買ったことだった。
たまたま札響の定期演奏会でこの曲を聴き、すっかり気に入ってしまい、今でもオーロラタウンにある(はずの)玉光堂に行ったら、このLPが置いてあったのだ。失礼な言い方だが、よくあの規模の店に、このLPがあったものだと思う。
プレヴィンがどうとか関係なく、とにかくルーマニア狂詩曲第1番を聴きたかったので、レギュラー価格だったにもかかわらずこのLPを購入したのだが(他の収録曲は「グリーンスリーヴズによる幻想曲」、チャイコの「ロメオとジュリエット」、「キャンディード」序曲)、それ以降、特にこれでイメージ付けされたわけではないと思うが、プレヴィンの演奏ってソツはないのだが概してスケール感が不足気味のライト系という印象があった。
例えば、プロコフィエフの第5番を聴いたときは、スマートすぎて、なんでもっとガツンとやってくんないのと歯がゆく思ったものだ。
このショスタコの第5番も、先ほど書いたように確かに第1楽章なんかはもっとずっしり感が欲しいが、でも、プレヴィンってこういう演奏してくれるんだと、かなり好印象を持った1枚である。
ということで、これは幅広い層の聴き手に感動を与えるお薦めの演奏だと、私は勝手に結論づける。
EMI × TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4。
1977録音。
しっかし、シカゴ響ってすごいとあらためて思わされた。そういう意味でもお薦め。
昨日の朝、自宅のパソコンがウイルス(もどき?)に感染した。
出勤前の限られた時間、私は時限爆弾の時限装置を取り外す勇敢な素人のように奮闘したが、その話はまた明日。
この季節、聴きたくなる曲の1つにリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)のホルン協奏曲第2番変ホ長調AV.132(1942)がある。
AVというのはアソウ(Asow)による「作品番号なしの作品」の目録番号で、アダルトビデオのことかと色めき立ちたい気持ちはわかるけど、そういうことなので発情しないで欲しいし、あるいはおまた、いや、あるいはまた、アソウという名で今の金融担当大臣の顔を思い起こす人もいるかもしれないけど、思い起こすに至ったことについては私の責任ではない(アゾフと呼ぶこともあるらしい。いや、だから大臣じゃなくて、Asowを)。
この曲自体には、特に初夏とか自然讃歌という性質があるわけではないが、ホルンの音色と曲調が、私に今のこの季節、そして田園風景を思い起こさせる。それゆえ、今回紹介するCDのジャケットに描かれている絵は、私のイメージにけっこう合致しちゃう。
R.シュトラウスは晩年になって、このホルン協奏曲第2番のほか、オーボエ協奏曲(1945/48改訂)、二重小協奏曲(1947)という、3曲の古典回帰的な協奏曲を書いている。
歳をとって保守的になったのかしらん?
ホルン協奏曲第2番については、前にバウマンの独奏の演奏を紹介したが、今日はヴラトコヴィチの独奏、テイト指揮イギリス室内管弦楽団の演奏を。
伸びやかでスカッとする演奏。オーケストラと独奏ホルンとの息もぴったりの名演だ。
1988録音。EMI。
さて、水曜日のことだが、午前中の10時台に札幌駅発のJRで戻ってきた。
列車は定刻通り、13時ちょっと前にこの地に着いたが、発車してすぐに車中でいろいろと考えた結果、私は降車後に駅の中にある、すっごく美味いとも、でもやたら不味いとも言われていない、要するに評判にも噂にもなっていない、もっとわかりやすく言えば話題にのぼったのを聞いたことのないある意味立派に平凡さを維持しているそば屋に寄って、そこで昼食をとろうという結論に達したのであった。
さらに、南千歳駅に停車したとき、ホームの駅弁販売コーナーに書かれている“サーモン寿司”の文字を見て、「あぁ、むかし旅行した時に苫小牧駅で買って食べたサーモン寿司はとても美味しかったな。でも、あれっきり買って食べる機会がないまま今日に至ってしまったな」と-新千歳空港で売ってくれればいいのに、南千歳駅と苫小牧駅でしか買えないのだ-悲しく思い、その結果、やっぱりそば屋ではかしわそばにしようと意思を固めたのであった。つまり、サーモンとはまったく関係ないってことだ。
そんなこんなで、線路は続くよどこまでも的に列車はさらに進み、山あいを抜け平野部にでると、そこでは折しも車窓からは羊がのどかに草を食んでいた。と書きたいところだが、羊ではなく、見えたのはモーモーちゃんたちだった。のんびりと草を食む牛たちを見ると、かしわそばを食べようと思っている自分がちっぽけなように思えてきて、よし、親子そばにしようと、あっさりと決意を覆して、玉子分をグレードアップすることにした。
こうして、先ほど書いたように、列車は定刻に到着し、そのまま私はそば屋も入っている駅のショッピング街-と書けばかっこいいが、そんなたいそうなものではない-に向かったのだが、ショッピング街の入り口のガラス戸の前に“本日休館日”と書かれた看板が立っていて、ガラス越しに中でのんびりとおじさんが床のワックスがけをしている光景を見たときには、ひどい脱力感に襲われたのだった。
極めて稀なことにあのそば屋に立ち寄ってみようという気が起きたというのに、なんと私はタイミングが悪いのだろう。
ガラス戸の前で踵を返し、駅構内のコンビニに行き、こうなったらレンジで温めて食べる天そば-とにかくそばを食べてやると意固地になっていたことを告白しよう-を買って、いったん家に帰って食べようと思ったのだが、これまた天そばの姿は棚になく、代わりに肉うどんが置いてあった。
世の中は私に希望通りの昼飯を食べさせまいとしているようだ。が、ここでコンビニ店員に悪態をつくことも、あるいは涙ながらにソバはなぜないんどすか?と泣きつくわけにもいかず、最初からこれを選ぶために来たというような毅然とした態度でレジで会計を済ませ、いったん家に戻り、500W5分の指示通りレンジで加熱し、食べたわけだが、折からの暑さで汗だら男になってしまった。
タイミングといえば、先日、ショスタコーヴィチの「5つの前奏曲」を取り上げた日のこと。
この日のブログ記事ではショスタコの「革命詩人による10の詩」についても触れたが、この作品自体をその数日後に取り上げるつもりでいた。
ところが私と心がつながっているかのように、この日のライムンドさんの記事で取り上げられていたのが、ほかならぬ「革命詩人による10の詩」であった。しかも、紹介されているCDも、私が取り上げようと思っていたものと同じだった。
なんというタイミングだろう!
考えることが似通っているということだろうか……
ともにショスタコを取り上げる機会が多いので、ミシンとコウモリ傘の解剖台のうえでの偶然の出合いのようになってしまったようだ。
というわけで、私のほうは「革命詩人による10の詩」を、もうちょっと時間を置いてから取り上げようと思っている。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の作品番号1の曲は管弦楽のための「スケルツォ嬰へ短調」(1919)である。
じゃあ作品2はというと、「8つの前奏曲(8 Preludes)」(1919-20)というピアノ曲である。
ところが私が持っているペトルシャンスキーがピアノを弾いているCDには、「5つの前奏曲」(1920-21
)という作品が収録されていて、そこにはOp.2と書かれている。
Op.2は8つなのか5つなのか……
こういうことを放置しておけない豆腐の角のようにきちんとした性格の私は、この件でけっこう苦悩したことを告白しなければならない。
ウィキペディアによると、「5つの前奏曲には作品番号はない」と書いてある。
一方、Op.2と表記されているCDの方は、
第1曲 アレグロ・モデラート・エ・スケルツァンド
第2曲 アンダンテ
第3曲 アレグロ・モデラート
第4曲 モデラート
第5曲 アンダンティーノ
となっており、これはウィキペディアと一致する。
どういうことなんじゃい。
これまたウィキペディアによると、「5つの前奏曲」について、以下のように書かれている。
ショスタコーヴィチがまだレニングラード音楽院の学生であった頃の作品で、1919年秋から1920年の初夏にかけて作曲された。この時作曲に関わったのは、ショスタコーヴィチの2人の友人パーヴェル・フェルトとゲオルギー・クレメンツという友人と共にピアノのための24の前奏曲集を作曲した。ショスタコーヴィチはそのうち8曲を担当した。この前奏曲集そのものは紛失してしまったが、現在残っている5曲の前奏曲は、このときの8曲のうちの5曲と考えられている。
作品自体は音楽院時代に作曲された作品のため、一般に演奏されることが非常に少なく、同じケースとしては録音も非常に少ない。
ということは、もしかしてここに書かれている8曲という作品こそが、「8つの前奏曲」Op.2ではないかと私は判断した。1919-20という作曲年も合致する。
一方、これまたウィキペディアの「ショスタコーヴィチの作品一覧」では、「5つの前奏曲」の作品番号がOp.2cとなっている。
なんだかひどく難しい問題を推理したようなことを書いたが、おそらく「8つの前奏曲」のうちの残った5曲が「5つの前奏曲」なのだろう。こう書いてしまうと、ひどく単純なことのように思えてくるが……
確かにCDの解説にも、「『8つの前奏曲』をショスタコーヴィチが公開演奏したのは1926年だが、そのときは5曲しか弾かなかった」みたいなことが書いてある。
ところで、「5つの前奏曲」の第5曲には、いきなり、のちの交響曲第11番の第2楽章「1月9日」のメロディーが出てくる。このメロディーは民衆歌「おお、皇帝われらが父よ」のものであり、交響曲第11番の前に、ショスタコは「10の革命歌」の第6曲「1月9日」でも使っている。
(1905年の)1月9日とは、「血の日曜日」事件が起きた日である。
こんな初期作品で、すでにこのメロディーが使われていたことは興味深い。
で、日曜日であるが、前の日の夕方、つまり私がアブラムシ退治を終えて家に入ると、台所の冷蔵庫付近で小さなアリを5匹ほど発見した。さらに洗面台の近くで2匹アリを発見した。
前回帰ってきたときにはゲジが登場したが、今回はアリである。ご主人様が目を光らせていないと、こういう無断侵入者がのさばるということか?
翌日。
台所や洗面台は家の北側に位置するのだが、北側の土地は空き地であり雑草がボーボー、またわが家の敷地の北側もその延長線上で雑草がずいぶん生えていたので、敷地内の雑草はきれいに抜き取った。そして同時に、ちょうど洗面台があるあたりの下の、外側のコンクリートの基礎を1列になって行き来しているアリを発見した。
ここが通路になっていたのだ。入って来たって何の食い物もないというのに……
私は店の開店を待って、アリ退治のパウダーを購入。
アリの通路を中心に、基礎周りに帯状に薬をまいた。
巣そのものを発見できなかったのは悔やまれるが(空き地内にあるのかもしれない)、もう限界だった。
長袖を着ていたというのに、あっという間に右腕の手首から肘にかけて、15か所も何かの虫に刺されていたのだ。
チックショー!
たぶんブヨ(ブユ)だ。ブヨが私のB型の血を吸ったのだ。
きっと脂分が高くてコクがあって美味しかったに違いない。
だから昨日の会議中もかゆくてしょうがなかった。
そして今日もかゆいまま会議である。
さらにまた、皮肉なことにというか、ありがたいことにというか、日曜日の夕方になって、空き地の所有者が手配したのだろう。おじさんが黙々と草刈り機で雑草を切り倒していた。
ペトルシャンスキーの演奏は2003録音。PIANO CLASSICS。
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