読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

グルメ

ネオは美味かった♪ペンデレツキ/カプリッチョ第1番etc

fcdc6cab.jpg  ニュースのスポーツ・コーナーでフィギュアが取り上げられていて、鈴木明子が氷上で舞っていたが、そのとき流れていた曲はシルク・ドゥ・ソレイユの「O(オー)」の音楽だった。

 このCD、全然聴かなくなって久しく、オークションで売っちゃおうかなと思っていたのに、急に手放すのが惜しくなってきた。こういう曲はほとんど聴かないクラシック一筋の私だが、ちょっとしたきっかけで耳にし、なんだかH.ヴァイスっぽいところがあって面白いと思ってCDを購入したのだった。
 そんなことを思いながら、TVに映っている氷上を見ていると、スケートの軌跡からスピログラフを思い出してしまった。

 スピログラフってご存知?

 ペン先を入れる穴がたくさん開いた2つの歯車を組み合わせて、穴にペンを入れて歯車をグルグル回転させて円を描いていくとレース編みのような図が描けるやつだ。4色ボールペンを使って赤、青、緑と色を変えながら描くと、まあなんてきれいなこと!
 子どものころ、お祭りの夜店でこれを売っていて欲しいなぁと思ったものだ。結局買えなかったけど。

 初めて自分のパソコンを持ったとき、PC雑誌にスピログラフを描くプログラムが載っていて、一生懸命打ち込んでランさせた。うーん、楽しかった。でもすぐ飽きた。
 スピログラフの“定規”はいまや百均でも売っているらしい。夜店で高いのを買わなくてよかった……って、いつの頃と比べてんだ、まったく。
 でもね、あのころダイソーとかキャンドゥなんてなかったの。

08ee0fcf.jpg  このペンデレツキ(Krzysztof Penderecki 1933-  ポーランド)のCDジャケットの絵もスピログラムみたいだ。
 そう、先日「古い形式による3つの小品」を取り上げたときに紹介したCDだ。
 ここには他に、「シンフォニエッタ第1番」「同第2番」「間奏曲」「セレナーデ」「カプリッチョ第1番」が収められている。

 1963年に書かれた「古い形式による3つの小品」から1997年作曲の「セレナーデ」まで、およそ30年の時の経過、作風の変化が楽しめるってわけだ。もっとも1963年の時点でも、ペンデレツキは新ロマン主義(ネオ・ロマンティシズム)へと傾いていたのだが。
 そういう意味からすれば、スピログラフの“定規”が百均で買えるようになったほどの劇的変化ではないか……
 
 これら収録曲のなかでは、オーボエと11弦楽器のための「カプリッチョ第1番」(1964)が過激。
 前の年の作である「古い形式による3つの小品」で私の心を癒してくれたのに、まったく気が抜けない。
 とはいえ、全身に赤いブツブツが出てくるようなたぐいの音楽ではなく、前衛ながらも耳に優しい(優しさの受け取り度合いには個人差があります)。

 録音も優秀。
 ヴィト指揮ワルシャワ・フィルハーモニック室内管弦楽団による演奏。
 2008録音。ナクソス。

 ネオで思い出したが、このあいだ久々にボンカレーを食べた。“ボンカレー・ネオ”って名前になっていた。
 「ふん、ボンカレーなんて」と思ったが、値段が200円以上と、どうやら安売り商材とは違うようだ。私のイメージとしては、ボンカレーやククレカレーは安かろう不味かろうというものがあった(それ以上に釈迦の乳母の名前がついたカレーなど典型的な安売り商品だ)。
 そこで買ってみた。
 そして食べてみた。

 う、うまい!
 ボンカレーってこんなに進化していたのか?
 さすがレトルトカレーの先駆者だけある。
 しかも、箱を開けてレンジに2分かけるだけで出来上がる。
 台所の棚から鍋を出して、お湯を沸かして、しばらく温めて、やけどという危険と向き合いながら熱いお湯から袋を取り出すという手間が一切ないのだ。
 さすがネオと名乗るだけはあった。
 年月をかけペンデレツキはネオったし、スピログラフの定規は安くなり、ボンカレーは進化し続けているのである。

シャープはどこで目のつけどころを誤ったのだろう?

23895c44.jpg  日曜日は新得町で行なわれた“新得新そば祭り”に行ってきた。
 開会は10時からで、私は9時40分に会場に着いたのだが、いくつもあるブースのうちの何か所かはすでに長蛇の列ができていた。
 その写真を撮ったのだが、列というくらいだから人が並んでいて、当然たくさんの顔も写っている。写真を撮るにあたって「全員あっち向いて!」と指示するわけにはいかなかったのだ。だから写真をアップできない。知らぬ間に撮られて見てくれのよくない顔をネットで公開されるなんて、みんな思っていないだろうし、怒る人がいてもおかしくない。ところで、こういうことをした場合って、肖像権の侵害に当たるのだろうか?

 いずれにしろ、たくさんの顔・顔・顔にぼかしを入れるほど価値ある写真ではないので、手間を惜しんで写真の掲載はやめることにした。

 この祭りのシステムは、それぞれのブース(そば屋さんもあれば、そば打ちを得意としている人が出しているものもある)ではかけそばなら200円~250円で、通常の1/3~半量ほどの盛りつけのそばが食べられる。
 以前はそれぞれ1人前の量を出していたようだが、いろいろと味わえないという理由から、このような方式にしたらしい。

 これは正解である。
 牛じゃないんだから、私たちの胃袋は1つだ。
 1杯食べて満腹だと、ちょいと楽しくない。どこかのブースのを食べたあと、果たして自分のチョイスが正しかったのか一生悩んで過ごさなくてはいけなくなる。

 それで大失敗したのが“食の祭典”だった。
 いろんな店が会場に会っても、どこかで食べてしまえば満腹となって他の店に寄る気など起きない。それじゃあ祭典じゃなくて、ただの飲食店街と一緒だ。
 そんなこと始まる前から予想できただろうに……

 この新そば祭りで私は、かしわそば、ユリ根の天ぷらそば、エビ天そばを食べた。
 ユリ根のそばは、私が食べた3つのうち麺がいちばんソバの香りがして美味しかったが、つゆがいただけなかった。かしわそばは、麺はこれといって個性的ではなかったが、つゆが美味しかった。天ぷらそばは麺とつゆのバランスがとれていて美味しかった。
 で、ここで満腹、ギブアップ。
 こんなにすぐにギブアップする私なのに、なぜ血液の中性脂肪の値が高いのか摩訶不思議である。
 そばいなりずしを買って帰ってきた(注:夕食用)。

 途中、新興住宅街のようなところを通ったが、その一角に新しい立派な家が3軒並んで建っているところがあった。みてすぐにわかるのだが、私の家と同じハウスメーカーの家である。が、我が家はもう15年経ったし、こじんまりしている。
 先日の15年点検で、ハウスメーカーの維持管理担当者から屋根に太陽光発電のパネルを設置してはとセールスされたが、私の住んでいるところはけっこう積雪が多いのでダメだと思う、きっと。

 十勝なら(もちろん地区にもよるが)雪も少ないだろうからソーラー発電も有効なのだろう、その3軒とも屋根にはソーラーパネルが並んでいた。

20097c4f.jpg  太陽光といえば、あのシャープの経営がこんなになるなんて考えもしなかったが、それでもいま、吉永小百合が出ているシャープの太陽光発電のCMが流れている。

 そこで使われている曲が何だったか、すぐに思い出せずにいらいらしたが、あれはヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のマンドリン協奏曲ハ長調P.134,RV.425である。

 そのあとは、再びコマーシャルを観ていないので確認できていないが、私のCM曲に対する記憶がどこかでねじ曲がっていなければ、あの曲はこのコンチェルトの第1楽章の終わり部分だ。

 オルランディのマンドリン、シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティによる演奏のCDがapexの廉価盤で出ている。もともとはエラートから出ていたものだ。
 1983録音。

 宮部みゆきの「ソロモンの偽証」の第2部が発刊された。
 まずい。まだ第1部を読み終わっていない。
 ということで、そばを食べて帰って来てから焦燥感を持って第1部を読み終え、第2部を買いに行った。
 第1部は面白かった。さすが宮部と思わせた。「ボツコニアン」を読み続ける気力がなくなって、「どーした?みゆき!」って思いだったが、今回は「さすがだ、みゆき!」って感心いっぱい。
 さて、第2部ではどのようにストーリーが展開していくのか?

 ここで急に思い出したが、昔、日曜日の朝に“ミユキ野球教室”っていうTV番組があった。そのCMで「ミユキ、ミユキ、ミーユキ、ミユキ、服地はミユキ」、「紳士だったら知っているぅぅぅ~、服地はミユキと知っているぅぅぅ~」っていう歌が流れていた。ファンシーテックスとかミユキテックスとかのかけ声も入っていた気がする。御幸毛織ってとこのCMだったようだ。いや、ただそれだけのことである。

 いやぁ、実はこの記事、昨日アップする予定だった。
 間違えて、順序を間違ってしまった。
 MUSSAN、しっかりしてよぉ~!←自分を叱咤激励。
 ↑ 間違いに気づいていただけました?
 気づかれなかったら、それもまた寂しい……

執拗な反復が私を元気に!伊福部昭/リトミカ・オスティナータ

022ac01f.jpg  右足の小指が疼く。

 というのも、1週間ほど前、旭川で痛めたのだ。
 ホテルの部屋で、なぜかしらベッドの足を蹴ってしまった。現象としてはぶつけてしまったのだが、その勢いは蹴ってしまったというにふさわしいものだった。
 すっごく痛かった。でも、痛いときってなぜ笑ってしまうのだろう。アホみたいだ。
 いまだ痛いのは、歳のせいで回復力が落ちてしまっているせいだろう。

 最近朝の目覚めが悪い。

 秋だからだろうか?日の出が遅くなったからだろうか?
 これまでだったら目覚まし時計が鳴り響く前に必ず目が覚めたのに、ここ数日は目覚まし時計のピニューピニューピニューというアラーム音で起こされる。
 いや、実はアラームが鳴る前に1度は目が覚めている。ただ、それが夜中の3時とかで、アラームが鳴るはるか前なのだ。そんなことで、アラーム直前には起きれなくなっているようだ。
 起きた後もすぐにはスキッとしない。前だったら起床とともにじっとしてられなかったのに、このところはぼーっとした状態が続く。3分くらい。

 ところでこの週末は札幌に帰らなかった。
 自宅に帰ってしなければならないことがたくさんある。特にバラの冬囲いである。
 まだ早いのだが、そうそう作業ができるわけではないので、できるうちにやり始めておきたい。そう思うとかなり焦ってくる。とはいえ、あんまり早くやると囲いの中でバラたちがムレムレになっちゃうし……
 おまけに昨冬の大雪のせいで、冬囲いに使う支柱はことごとくだめになった。新たに購入しなければならない。支柱を買って、ロープも買って、囲えるようにバラを強剪定し、そして支柱を立て、ネットをかけ、ロープで結ぶ。
 こうやって書くととても手間のかかる作業のように思われるだろうが、実際手間がかかるのだ。

 冬タイヤも買わなければならない。もう4シーズン履いたからだ。
 限られた自宅への帰省中に注文し、ホイールに組み込んでもらわなければならない。
 
 このような焦燥感と、でもわかない気力。
 困ったものだ。

 元気を出そう。
 そう思ってインデアンにカレーを食べに行ったわけさ。
 私の人生において3回目のインデアンである。

 そういえば子どものころ「インディアン、ウソつかない」って言葉があった。よく使っていたわけじゃないけど、あれはいったいどこが出所だったんだろう?
 そしてこの言葉、決して北海道は浦河のローカル言葉ではない。
 コンタロウが描いた“1・2のアッホ!!”という傑作漫画があったが、そのなかに「インディアン、尻ふかない」っていうのがあったからだ。これはどう捻じ曲げて解釈しても「インディアン、ウソつかない」のパロディ以外のなにものでもなく、同時に全国区の言葉であることが明白である。

 で、3回目のインデアンのカレーだが、確かに美味しいもののそうバカ騒ぎするほどのものではないということに気づいた(あくまで個人的見解)。
 ここのルーはご飯にしみこまないほどの粘性があり、意外とくどい。体調によっては胸焼けする。気力がないと体力も衰えるのか(もっとも私は常に体力はない)、この日は午後のひとときを食道から胃にかけての積極的な存在感のアピールを経験した。
 とはいえ、インデアンのカレーはある種の懐かしさもあって、また食べたくなるんだろうな。

a54b5f61.jpg  そうそう、何日か前に日経新聞を読んでいたら、1面の下に雑誌の“園芸ガイド”の広告が載っていた。
 「へぇ、園芸ガイド、日経に広告出すんだ。そういえば、久しく買ってないな」と思って、今号の特集をチェックしようともう一度広告を見たら、園芸ガイドのものじゃなかった。
 やれやれ、早とちりしたわい(もしくは目が弱ったわい)。

 カレーを食べても元気が出ないし、園芸と霊園を間違えるなんて、爺もすっかり弱ったわい。
 しかたがない、大好きな曲を聴いて元気を出そう。

 そう思って久々に聴いたのは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ピアノと管絃楽のための『リトミカ・オスティナータ(Ritmica Ostinata)』」(1961)。

 いやぁ、はっきり言って元気が出た。
 すっごく出た。ユンケルを飲んだときほどじゃあなかったが。
 「リトミカ・オスティナータ」についてはだいぶ前に取り上げているが、タイトルの意味は「執拗に反復する律動的な音楽」。
 この執拗さがステキ!

 今回元気を与えてくれたのは小林仁のピアノ独奏、若杉弘指揮読売日本響による演奏。
 私が知っている限りでは、この曲のCDは3種類出ていて、そのなかでこの小林が弾いた録音は1971年といちばん古いが、いちばん良い演奏だと思っている(札響定期の演奏も良かった)。

レモンを頼むのも簡単ではない。オルフ/月

ceac9037.jpg  麓郷をあとにし、その後国道に合流したのは11:30ころであった。
 国道を美瑛方向に少し進むと、フラノーブルという大きなドライブイン(死語か?)というか、おみやげやというか、お休み処(デパート催事のイートインか?)があったので、そこにトイレ休憩のつもりで入った。

 すると良い匂いというか嫌な臭いというか、その微妙なバランスの匂いが鼻腔を刺激した。

 これはジンギスカンの匂いである。

 で、私の頭の中で何がどうなったのかよくわからないが、昼ご飯はジンギスカンにしようと決断してしまった。松尾ジンギスカンの店である。
 断わっておくが、今回は妻も同行していた。私は一人でジンギスカンを食べに店に入る勇気などこれっぽっちも持ち合わせていない。

 うん。美味しかった。
 この間“かねひろジンギスカン”を食べたが、まだその余韻が残っていたのだろう。さして好ccf8e9e9.jpg 物でもないジンギスカンをこんな短い間隔でまた食べてしまったのだから。
 それに羊肉は太らないって言うしさ……

 食事のあとは旭川へ。
 途中美瑛の“ケンとメリーの木”を見る。

 ケンとメリーって、私には幼心にかすかに記憶がある。スカイラインのCMの画像と歌である。ここはその撮影現場になったところらしい。私は、CMで木が映っていたかどうかもまったく覚えてないが……
 予想以上に巨木で驚いた。
 そりゃそうか、あれから何十年も経っているんだ。
 きっとメリーさんもおばあさんになっているんだろう。

 その場所から遠くの山の景色を眺めたあとは、そそくさと旭川へ。

 旭川につき、まずは息子の家に。
 う~ん、換気が悪いのだろう。けっこう黴々ルーム。

cd9ed36d.jpg  夜は6月に来た時も行った“貴あじ”という居酒屋。
 あのとき食べたメンチカツはすごく美味だった。

 で、今回もメンチカツを頼んだ。
 う、美味い!おそらく手作りなのだろう、きちんと成型されていないのがうれしいし、“つなぎ”の変なあと味が残らない。デミソースも非常にGOOD!

 この店はどの料理も美味い!手作り感いっぱいの安心して食べられるものばかりだ。
 そして驚くほどメニューが豊富。通常の居酒屋メニューを網羅しているのはもちろん、イタリアンから中華まで、よくこれだけ揃えられるなってくらいのラインナップだ。

 ところで私は 私は外で飲むときもハイボールを頼む。
 最初はビールだが、2杯目、遅くとも3杯目からはウイスキーのハイボールに変える。1年ほど前までは最初から最後までビールだったのに、ハイボールを飲みつけるようになるとビールがあまり飲めなくなる。おもしろいものだ。

 そして、私は必ずハイボールにレモンを入れる。たっぷりと。

 居酒屋で「レモンを1個分。櫛切りで」と頼むと、しかしこれが通じないことがある。
 「えっと、えっと、半月みたいに」というと通じやすい。
 なかには満月と間違えたのか、輪切りスライスが出てくることもあるが……
 その点、大手チェーンの居酒屋だと、最初から飲み物のサイドメニューとしてレモンがあるのでとても注文するのが楽ちんだ。

8fc0b5dd.jpg オルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の「(Der Mond)」(1937-38/改訂'41)。3幕からなる舞台音楽で、グリム童話を基にオルフが書いた台本による。オルフの代表作である「カルミナ・ブラーナ」もそうだが、彼の舞台作品の多くは歌劇とカンタータの中間のような形をとった独自のもの。この「月」は歌劇として上演されることが多い。

 物語の筋は、
 
 昔々。ある国。
 その国には月がなく、夜になると真っ暗だった。
 この国から4人の若者が旅に出た。
 訪れた別な国で、夜なると淡く輝きあたりが良く見える光の玉、すなわち“月”を見つけ、自分たちの村に持ち帰った。
 真っ暗にならなくなった村では、夜になってもにぎやかになる。
 しかし、やがて月を持ち帰った4人は年老い、1人が死ぬたびに月の4分の1を切り取って棺桶に収められた。4人目が死んだとき、月を失った村の夜は真っ暗になってしまった。
 その反対に、死者の世界では4つの月の断片を1つにしたことで明るくなり、明るさの中で死者たちが賭け事をするなど騒々しくなった。そこにやって来た古老の羊飼いは「光は生きている者のためにある」と言って、月を天に吊るした。

というもの。

 オルフの親しみやすい(そして、「カルミナ・ブラーナ」を思い起こさせる)メロディーによって、楽しく聴ける作品である。

 宮下誠は「20世紀音楽 クラシックの運命」(光文社新書)のなかで、この作品について次のように書いている。

 グリム童話をモティーフにしたオペラ。月を奪われた村人の困惑を描くファンタジー。最後にはペテロ様が現れて月を返してくれる。農民たちのダンスや夜の情景を描く間奏曲など実に魅力的な音楽が多く書かれている。筋書きは単純でわかりやすく、児童合唱の扱いも巧みで、掛け値なしに楽しめる。

 掛け値なしっていうのはちょっと誇大表現のような気もするが、楽しめるという見解に対して、私は無抵抗に賛同する。

 CDはサヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管弦楽団、同合唱団、同児童合唱団。独唱はホッター、シュミット=ヴァルターほか。
 録音は1957年と古い(でもステレオ録音)。そう、合唱の児童たちももうおじいさん、おばあさんになっちゃっているわけさ。
 EMI。

 で、“貴あじ”の場合は、あらかじめレモン汁を入れたものという“レモンハイボール”っていうのがあって、それを頼んだのでレモンの月型切りとか言わなくても済んだ。
 ただ、けっこうウイスキーが濃くて(これはうれしい)、またただのレモン汁ではない感じで、早くに酔いが回ってしまった。

 そういえば、ハイボールにレモンを絞ってもあまりビタミン効果はないって噂を聞いたけど、本当ですか?

忘れものと、ラーメンと、床屋さんと。バーバー/vn協

fd2d1e24.jpg  研修の報告をする予定であったが、今日はそれができない。

 というのも、昨日私は札幌の自宅に戻って来たわけだが、なんということでしょう、そのときの写真データを持ってくるのを忘れたのである。

 で、いまはすっかり絶望的な投げやりな気分になってしまっている。

 昨日は昼過ぎに長沼町を通りがかったので、かねてから美味しいと聞いていたラーメン屋に立ち寄ってみた。
 “我夢舎楽”という店である。“がむしゃら”と読むわけで、こんな名前の店のラーメンが美味いのか?という疑念をいだきつつも店内へ。

 私は醤油ラーメンと小ライスを、妻は塩ラーメンを頼んだ。

 絶品だった、小ライスが!

 というのは冗談で、醤油ラーメンはなかなかの味。しかし、塩の方がかなり美味い。妻が頼んだ塩ラーメンのスープを一口分けていただき口にしてみたが、こういうコクのある塩スープは初めてだった。

 家に着き、非常にだらしなく伸び伸びしちゃっているバラの枝を何本か剪定したが、パラリパラリと雨が降って来たのと、不注意にも巨大なクモが作った網に引っ掛かり、すっごく嫌な気分になったので、早々に外作業は中断。
 ちょいと昼寝をしたあと、床屋へ。

 で、この日は床屋を予約していたからというわけではないが、運転中はバーバー(Samuel Barber 1910-81 アメリカ)のヴァイオリン協奏曲Op.14(1939-40)を聴いたりしたのだった。

 バーバーといえば「弦楽のためのアダージョ」があまりにも有名だが、それとはまったく違う雰囲気をもつこの協奏曲は、むしろバーバーの本質を表わしているような気がする。

 スターンのヴァイオリン、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で。
 1964録音。ソニー・クラシカル。

 私は明日戻る。
 ということは明日の朝に投稿する記事にも研修時の写真は間にあわないわけで(といっても、全然たいした写真ではない)、明日は何を書こうかなと、今日の午前中いっぱい考えてみる。

「ヒジョーに」を2つ……チェリのブルとインデアンのカレー

605dfcb4.jpg  チェリビダッケには熱狂的な信望者がいる。一方で、「なにチェリ、チェリしてんだよ」と冷ややかな声もある(と思う)。
 私はどちらでもない。ただ、彼の演奏はそんなに聴いてこなかったのは事実。毛嫌いしていたわけでもなんでもなく、ふつうにチェリチェリしてなかっただけ。

 遅ればせながら最近になってチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルによるブルックナー演奏をいくつか聴いた。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲ってこのところあまり聴かなくなった。そんなにたくさんいろんな演奏で聴いてきたわけではないが、でも、どの演奏で聴いてもなんだか物足りない。心に訴えかけてくるものがない。
 なんでなんだろ?

 タワレコをぶらついていたら、チェリビダッケ/ミュヘン・フィルによるブルックナー交響曲集が目に留まり、ちょいと買ってみた。

 で、交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック」(1874,第2稿'78,第3稿'79~80,第4稿'86)。

 はっきり言って、久々のブルゾク体験をしてしまった。いえ、ですから“ブルックナーで背筋ゾクゾク”体験です。
 この曲、聴いていてたいていどこかで気が抜けるというか魂がどこかに遊びに行ってしまうのだが、今回初めて聴いたときにはすっかり引き込まれ、挙句の果てにすぐにもう1度最初から聴きなおしてしまった。やられた!

 この演奏、いろいろな感想をネットと読むと「異端的」という声も少なくないが、私には異端とは思えなかった。テンポも、チェリビダッケのことだからすごく遅く進めるのかと思ったら、そうではない。が、たっぷり歌いまわすところなんかは、よくぞここをじっくりとやってくれました、と私は拍手喝采。男一人、部屋の中で感動にやけ顔で拍手喝采。異端的に不気味な光景。

 なんというか、とにかく大きな大きな演奏。重厚長大で壮麗。
 また最後の部分の弦で刻むリズムは、これまで耳で認識したことがなかったもの(なお使用楽譜はハース版。ノヴァーク版のスコアにあるような32分音符では弾いていないよう)。心臓の鼓動のようなリズムが、これまたすごくすっごくゾクゾク。来るぞ、来るぞ、「ばあさんや、は、はやく救心!」って感じ。何が来るのかはうまく言えないけれど。

 いいんです、周りの人が変だと言おうと、ちょっと違うと言おうと、私はこのブル4、ひっじょーに気に入ったのです。

 非常に気に入ったと言えば、アルフレッド氏はインデアンのカレーを気にいったようだ。

 おとといの午後は、ムッカマール氏とアルフレッド氏とともにわが社の取引先に、ある用件で訪問することになっていた。私は案内人ということでお付き合いしたのだった。

 そのへんの話はともかく、行く前に昼食をとろうということになった。

 アルフレッド氏がちょっぴりずるそうな目つきで私に言った。
 「実は、恥ずかしっすけど、ボク、まだインデアンのカレーを食べたことがないんすよね」というものだった。
 もちろん私は、「それは本当か?いい歳をして恥を知れ!」と罵ったりはせずに、大人の対応として「そうですか……、へぇ~」と答えた。

 社会人たるもの、あいまいな表現はよくない。もしそれが「だから今日はインデアンに行ってカレーを食べたい」とはっきり言ってくれたなら、こちらだってすぐに「いやだ!」とか「いいよ!」とか答えられる。しかし、「食べたことがないんすよね」→「そうかい」で完結することは決して不自然なことではない。
 でも、優しい私は尋ねてあげた。「食べたいの?」
 「はい」

 ということで、昼食はインデアンのカレーライスということになった。

 私は“インデアンカレー”を頼んだ(インデアン・ルー以外にも、ベーシック・ルーとかがある)。
 ムッカマール氏は「辛さが選べるってあるけど、かなり辛い?」と店員に尋ねた。
 「ふつうのはお子様でも食べられる辛さです。辛いのがお好きな方は極辛でも大丈夫だと思います」
 ムッカマール氏、「じゃあ、インデアンの激辛」
 アルフレッド氏、「じゃあ、インデアンの極辛」
 私はあわてて、「インデアン、ウソつかない!」じゃなかった、「中辛!」
 だってボク、もうお子様じゃないもん。

 アルフレッド氏はかなりの二日酔いだったようだ。
 だから辛さで汗をかき、アルコールを体の外に出したかったのだという。全然生理学的に正しくない屁理屈だが、彼は一生懸命汗をかきながら「辛っ!」と何度もつぶやきながら食べていた。
 なお、ムッカマール氏は極辛より1つ下の激辛だったが、なにせ平らげるのが3人中ダントツで速かったことを申し添えておく。

 カレーを食べて汗だくの3人は車で取引先へ。
 途中でアルフレッド氏が「なんか、ソフトクリーム食べたくなってきたっすね」なんて言うもんだから、途中の“道の駅”に寄って、ソフトを食べる。
 「なんか、観光みたいでいいっすね」と、仕事を忘れている様子。
 それでも打合せは無事終了。

 ところで、アルフレッド氏を二日酔いに追い込んだ(いや、自業自得か)日曜日の夜。
 べリンスキー侯や姥向井さん、札幌時代の私の同僚の鉋さんなどとともに居酒屋で飲んだ。
 残念ながら特筆すべきハプニングはなかった。残念である。べリンスキー侯が「バイアグラは効いた。自分じゃないみたいだった」と何かの折に訴えていたが、私はというと、和風スパゲティを食べるのに忙しく、「じゃあ実際、そこは他人のだったんじゃありませんか」とまったく不誠実に応えるのがせいぜいだった。
 私はその店一軒で帰ったが、そのあとアルフレッド氏は二日酔いへの道へと歩んだようだ。
 が、その二日酔いも極辛カレーとソフトクリームで完治。
 すごい。
 私なら完治するまえにおなかを壊すだろう。

再び“昼の行列”の話。そしてイカ版ユモレスクに感激。

ac7ee3b1.jpg  火曜日。

 私と岸和田さんは、前日のラーメン屋の苦い思い出を引きずったまま、昼食へと出かけた。
 が、この日の岸和田さんは意思を固めていた。
 昼のチャイムが鳴ると同時に「インデアン行こう」と私に言ったのだった。

 いんであんいこう……

 このシチュエーションでなければ、アメリカにおいてインデアンの衰勢がそれ以降どのようになったのかという歴史的考察を求められているかと思うところだが、さすがにこのときは私もすぐい岸和田さんが「インデアンにカレーを食べに行こう」と私を勧誘していることがわかった。

 「いいですよ!」

 私は持ち前のさわやかな笑顔で彼に応え、前日の悪天とは打って変わって、晴天で今夏いちばんの暑さだという外へと繰り出したのだった。

 折しもこの日は昼から“平原まつり”の開幕。
 通りは車両通行止めとなっており、このクソ暑い中、お気の毒にどこかの高校の吹奏楽団がオープニングを飾る演奏を行なっていたが、強い日ざしが金管楽器に反射している様は、ただでさえ暑いのに、私にビーム的暑苦しさをいやでも感じさせると同時に、あの子たち唇熱くないのかなと余計なことを思ったりもした。
 が、そんなことに見とれている場合ではない。
 目指すはインデアンだ。

 インデアンに行くと、なんということだろう、長蛇の列だ。

 祭りで人が繰り出している、前日の花火大会が1日順延になりこの日の夜まで観光客が滞在し続けている、私たちのようにふだん行かないのに急にカレーが食べたくなる人が今日に限って多数いる、といったことが原因で、この暑さにもかかわらず老若男女が汗を流しながら歩道に列をなしていたのである。これでカレーを食べたら、体中の水分がすべて汗になって体外に流出してしまうのではないかと、ひとごとながら心配したほどだ。

 で、前日のラーメン屋のときと同様、根性に乏しい私たちは「別なとこにしよう」ということで、飲み屋街の方へあてもなく歩みを進め、ふだんなら夜にしか訪れない飲食店ビルの1階に喫茶店の看板を見つけ、そこに入った。
 インデアンの列と違い(と書くと、インディアンが行列しているようだが)、こちらは適度な客の入り。すぐに座れた。

 この日の日替わりランチは、豚肉の炒め物、焼き魚(メロ)、目玉焼き(ひとつ目)、マカロニサラダ(魚肉ソーセージ入り)、キャベツの千切りというもので、直前までこの店にカレーがあったならぜひとも注文しようと意気込んでいた私も、あっさりとあたかも昨夜から決めていたかのように「日替わり!」と注文した。

 週刊ポストのグラビアを丁寧に拝見する間もなく、ランチが運ばれてきた。
 はっきり言って美味しかった。
 これらのおかず群も美味だし、ごはんも美味しく炊けていた。それにボリューム満点。
 岸和田さんはご飯を1/3ほど残したほどだ。私は完食したが、これが近年の体重増加の要因であることは間違いない。
 そして、これにドリンクが付く。
 私はアイスコーヒーを頼んだが、「ノンシュガーと甘みがあるのとどちらにしますか?」と聞かれ、「甘いやつ」と答えた私は、やはり減量作戦の入口から過ちを犯していると言わざるを得ない。

 そして、これで750円である。
 しつこく言うが、前日の味噌ラーメンはかなり待たされた挙句、ドリンクもマカロニサラダも付かないのに780円である。
 こちらは立ち上がれないほど私を満足させておいて750円である。

 そんなこんなで、満たされたこの日のうちに帰省のため移動。
 
 そして、15日・水曜日の出来事。

 大荒れの天気になるという予報を受け、予定を1日早めて墓参りに。
 墓参りそのものには皆さんに報告するに値するワクワクするような心踊るエピソードはなかったが、そのあとに寄ったコープさっぽろの魚売り場で、ちょいと見逃せないことがあった。

 そこで聞き覚えのあるメロディーが耳に飛び込んできた。

 それはドヴォルザークの「ユモレスク」だった(もちろん、あのいちばん有名なやつである)。
 冷蔵ケースの横に置かれたラジカセからそれはエンドレスで流れていたが、それは歌となっていた。
 ラジカセに近づき、歌詞を聞きとる。
 
5cb1acd8.jpg  「♪ いかいかいかいか、いかいかいかいか、まえはまづくりだよぉ~」

 元気のある、そして活発な感じでおねえさんが歌っていた。
 いかにもウキウキしてくるリズムと声。

 売り場にたたずみ、歌詞の内容を把握する。
 つまり、漢字で書けば「♪ 烏賊烏賊烏賊烏賊、烏賊烏賊烏賊烏賊、前浜づくりだよぉ~」であることがわかった。
 そして、そこには前浜づくりのイカの塩辛がかなり広くフェースどりされて並べられていた。

 この替え歌、アレンジは秀逸だ。
 試しにみなさんも歌ってみるといい。実に心を豊かにしてくれる。
 このあとも歌詞は続き、北海道産であることを訴えて再びイカイカと楽しげに歌いながら、ユモレスクのメロディーを忠実に再現していた。
 私はすっかり感心してしまい、買ってしまった。この前浜づくり・いか塩辛を。
 甘めの味付けでなかなか美味しかったですよ。148円だし。

 検索してみると、おぉ、コープさっぽろオリジナル。
 力も入るってわけだ。
 あの塩辛ユモレスクを考えた人、すばらしい!

 ドヴォルザークの「ユモレスク」はあまりにも有名だが、パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski 1860-1941 ポーランド)のピアノ曲「6つの演奏会用ユモレスク(6 Humoresques de concert)」Op.14の第1曲「古風なメヌエット(Menuet a l'antique)」も、ドヴォルザークには及ばないが有名だ(「メヌエット ト長調」として親しまれている)。

 そのパデレフスキだが、19世紀の末から20世紀にかけて世界各地で熱狂的な名声を博したピアニストである。そしてまた、彼は第1次大戦後にポーランドの首相も務めたことがあるのだ。
 名ピアニストで作曲もする首相……。かっこいいじゃありませんか!

 その首相のピアノ協奏曲イ短調Op.17(1888)。
 まず聴かれることのない曲ではあるが、なかなかの力作。
 非常にロマンティックで華麗、メロディーもなかなか素敵。
 それに、きっとかなりピアノのテクニックも要求されるに違いない。
 が、どこか決定的な魅力に欠ける。それがあまり聴かれないゆえんなのだろうが。
 白日夢にうっとりと浸りたいという傾向の方にお薦め。

 CDはフャルコヴァスカの独奏、ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団のものを。
 1997-98録音。ナクソス。

再びラーメン屋さんの話と、遅いので歌っちゃったこと。

404b07b8.jpg  再びラーメン屋の話。

 それはおととい、8月13日のことであった。

 社内は休暇をとった人のために非常に人口密度が低く、私も本意では決してないにもかかわらずどうも仕事をする気になれず、これではいかんと思えば思うほど体がだるくなってきたような気さえしてきて、やむを得ず仕事をしているふりをしながらぼーっとし、かつ、たまにはタバコを吸いに席を立つというマルチタスクに挑戦した。
 このように新月面宙返りよりも難度の高い技を使って午前中を過ごしたが、それでも地球は正確に回っていたようで、ちゃんと昼食の時間がやってきた。

 この日、オオサワ課長は夏季休暇。
 ヤマチ係長は「お盆特製愛妻弁当」持参。
 ということで、私は岸和田さん(初登場)と昼を食べに行くことにした。

 「あそこに行こうか?」と岸和田さん。
 「あそこはもう今日からお盆休みです」と私。
 「じゃあどこ行こうか?」と岸和田さん。
 「とりあえず外に出て、南東の方に行ってみましょう」と私。

 こうして私たちは餌を求めてビルを出た。

 雨にもかかわらず、いつもより遠くまで足をのばすと、アーケード街に一軒のラーメン屋があった。
 が、ひどく並んでいる。8人はいただろう。
 私はこんなところにラーメン屋があることさえ知らなかったが、岸和田さん曰く「まあまあいける味」だそうだ。

 まあまあいける店を目の前にしながらも、根性のない私たちはあっさりとあきらめ、その先の角を曲がったところにある“美珍楼”に行くことにした。その時点で、私の腹はカニチャーハンを強く要求しはじめた。

 ところが、曲がろうと思った角の先に、ラーメン屋の看板が見えた。
 このアーケード街にもう一軒ラーメン屋があったのだ。
 岸和田さんいわく、前にはなかったという。

 我々の前に忽然と現われたラーメン屋。その店先まで行ってのぞいてみる。
 席が空いている。
 入ってみることにした。

 「いらっしゃいませ」と、私よりも相当先輩の年齢に当たる女性が条件反射のように(つまりあまり感動的ではない感じで)言う。
 席に着く。
 店はこぎれいだ。岸和田さんが知らなかったのも納得できた。きっと最近になってできた店なのだ、おそらくは。

 確かに「いらっしゃいませ」と聞こえた。ということは、私たちは入店を認識されたはずだ。
 しかし、数分待っても水を持って来てくれない。注文を取りに来ない。ただ、ちょっと休憩するために入ったと思われたのなら不本意だ。

 じれたころにやっと水が運ばれてきた。
 当店No.1人気と書いている味噌ラーメンを注文する。
 780円である。
 高いと感じた。

 他に客は2組7名。店内がびっしりというわけではない。いや、小上がり席は空席で照明も消されている。なににラーメンはなかなか出てこない。

 作り手が1人というのもあるだろうが、それにしても遅い。私はあの過・妙齢女性がちゃんと注文をつないでいないのではないかと、ほぼ確信に近い疑念を抱いたほどだ。

 あんまり遅いので、私は頭の中でアニマル1の歌を歌った。
 遅いときには頭の中で歌うか、お経を唱えるしかない。しかし、私はお経を知らない。

 岸和田さんが我慢できなくなって「オレのミソぉぉぉ~っ!」と叫ぶ。ってことはさすがにせず、非効率的な動きをしているあのおばちゃんに「ラーメンまだなの?」とやや不快感を込めていう。

 おばちゃんは「いま炒めてますから」とワケのわからんことを言ったが、確かにそのときは何かを炒める音がした。
 私は味噌ラーメンにのせるもやしを主役とした野菜を炒めているのだろうと善意に解釈したが、それはまったくお人好しの発想で、そのすぐあと、私たちよりもあとに店に入ってきたおじさんに、「おまちどーさまぁ」とチャーハンが運ばれて行った。

 なにが「お待ちどうSummer」だ!
 かなりぶちぎれそうになったが(きっと岸和田さんは)、さらにその直後にわれわれにもラーメンが出て来たので、ひとまずその場はIOCに提訴しなくて済んだ。
 
 味は良かった。
 が、食べ進むと、まあ中の上かなって判定を下し直した。
 量も少なめ。もやしものっていない(のってなくてもいいけど)。麺は細麺。
 これで780円はないだろう?
 下手すりゃどっかで生姜焼き定食が食べられるし、インデアンならカツカレーを頼んでもお釣りが返ってくる。
 それに、満席でもないのにこの遅さ。
 サラリーマンにとっては、財布にも、そして限られた昼食時間に対しても不適格な店だ。

 遅い歌……

 リャードフ(Anatol Konstantinovich Liadov 1855-1914 ロシア)の管弦楽曲、「8つのロシア民謡(8 Russian Folksongs)」Op.58(1906)。
 この曲の第3曲が(訳によっては)「遅歌」である。

 8曲は、宗教歌/クリスマスの歌/遅歌/おどけ歌/小鳥の物語/子守歌/踊り歌/ホロヴィット、である。

 この第3曲「遅歌」だが、ほかに「悲曲」と呼ばれることもあるし、日本音楽楽譜出版社のスコアでは「愁いの歌」となっている。

 リャードフは役所の依頼で、バラキレフとともに全国をまわり民謡を収集したことがある。「8つのロシア民謡」もその収集活動の成果として生まれた曲の1つであり、リャードフの代表的作品の1つでもある。

 CDはシャピラ指揮クラスノヤルスク交響楽団のものを紹介しておく。
 2001録音。ブリリアント・クラシックス。
 なお、写真を載せた私が持っているCDはリャードフ以外の作品も収められている組物。

 遅い遅いと心の中でイライラした末に出てきたラーメンは5分ほどで平らげられ(岸和田さんと私はそれぞれ心の中で不満を抱えたわけで、倦怠期の夫婦のように無言で食べたのだった)、私たちは席を立ち、あのおばちゃんとおばあさんの過渡期にあたる年齢の店員にお金を払おうとした。
  
 で、「会計は別々に」って言ったのに、彼女は「1560円です」という。
 ちょいとキレかかった岸和田さんが100円玉8枚を出して「べつべつ!」と言う。
 彼女は「えっと、1560円ですけど」って言う。
 「だから一人ひとり」って岸和田さんがキレて言う。
 「あっ、780円です。えっとえっと」と、彼女は「800-780」とおつりがいくらか電卓を叩く。
 「20円!」と岸和田さんがキレきって言う。

 私は1000札を出す。
 また電卓を叩く。

 帰りにまだ行列が続いているあのラーメン屋の前を通った。
 ちょいと覗き見ると、ラーメンは650円のようだった。
 値段ももちろんだが、流行る店とダメな店の原因を見事に教えられた気がした。
 根本的に営業方針を見直さなければ、あの店、早晩つぶれるに違いない。

 で、昨日の昼も行列の壁にぶち当たった岸和田&貴公子の2人であったが……

ほんとはとどめが欲しいんだろ?バーンスタインのマラ6<67>

bd38287e.jpg  サラリーマンにとって、今日の昼は何を食べようかを決めることはけっこうたいへんだ。仕事以上に悩まされると言っても過言ではない。

 混んでいなくて、値段が手ごろで、そこそこ味が良くて、注文してからあまり待たされないで食べられる。そういう条件を満たす店に行かなくてはならない。
 とはいえ、その条件を満たす店があったとしても、そこにばかり毎日行っていると、「ルーティンワークは惰性に陥ってしまうな」と、変化が欲しくなる。

 先日の昼。
 「何を食べましょうか?」とオオサワ課長
 「今日は嫁さんが寝坊したので弁当なしです。だから私も一緒に行きます」と、ふだんはヘルシーな愛妻弁当(もしくは愛菜弁当)持参のヤマチ係長(初登場)。
 「じゃあ、久しぶりにパスタ屋に行きましょうか」とオオサワ課長。
 「へぇ、そんなところまだ行ったことない。行こう行こう!」と私。

 このように、やや気分も盛り上がり行ってみたものの、店に張り紙が。

 “病気療養中につき、お盆前ころまで休みます”

 すっごくアバウトだが、まあ病気なんだからいつ完治するとは言いきれないのだろう。
 で、絶対にお盆も休むに違いないから、“お盆明けまで休みます”が正しいんだろうし。

 「どーしましょうーか?」とヤマチ係長。
 「この近くだと山岡家だな」とオオサワ課長。

 ということで、我々は山岡家に行った。

 実は私、この地に限らず“山岡家”なるラーメン屋に来たのは初めてである。

 入口に食券の自販機がある。
 お金を入れると、2度にわたって1枚の百円玉が返却口へとストレート落下。なんか、いやな予感がした。

 それでも根性で醤油ラーメンの食券を買って、来るのを待った。

 ラーメンが運ばれてきた。

 えっ?これ、醤油ラーメンなの?
 私は運んできたお姉さんに思わず言ってしまわずに、熟考の末に心の中でつぶやいた。
 汁の色が全然醤油ラーメンっぽくない。
 麺を箸で持ち上げる。
 やけに黄色くて太くて縮れていない。ソース焼きそばに合いそうな麺だ。
 食べてみる。
 ぜんぜん私の好みじゃない。
 これ、ラーメンか?
 しかも太くて弾力があるせいで扱いづらい麺が、想定外の動きをしたために油分豊富な汁がはねてズボンに。

 シミがついた。
 あぶらじみ……

 悲劇だ。ひどい目に遭った。
 とはいえ、シミは自分の責任だ。でも、それとは無関係に、あの味は好きになれない。

54cc8b4c.jpg  マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06。その後たびたび管弦楽配置を変更)。

 金聖響と玉木正之による「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)には、指揮者の金聖響が2011年3月12日に、横浜みなとみらいホールで神奈川フィルとこの曲をやることになっていたが、未曽有の事態が起こった中で演奏会をやるべきか中止すべきかかなり悩んだ末、予定どおりコンサートを行なったことが書かれている。会場にやってきた聴衆の数は700人余りだったという。
 その前日の震災当日。ハーディングがすみだトリフォニーホールで新日本フィルを指揮してマーラーの交響曲第5番を演奏している。そのとき会場にやって来れた聴衆は約50人だったということも書かれている。

 さて、同書の中には、「バーンスタインは、ウィーン・フィルハーモニーを指揮してこの楽曲を演奏したとき、リハーサルを前に『この行進曲は憎むべきナチスの行進だと解釈して演奏したい』と、当時バーンスタインのアシスタントをしていた佐渡さんに語ったといいます」とある。

0b8f4cd0.jpg  バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した、マーラーの交響曲第6番(1967録音。ソニークラシカル)。

 もちろん、マーラーがこの曲を書いたときにはナチスはまだこの世に生まれていなかったわけだし、ニューヨーク・フィルとのこの録音のときに、バーンスタインがすでにそういう考え方・スタンスだったのかわからないが、この演奏を聴く限りでは冒頭の行進曲にはさほど憎しみは感じられない。

 この演奏は曲全体を通じて美しい。
 甘ったるくはないがロマンティックで、悲劇性は薄い。厭世観が乏しい。

 わき目もふらず、息抜きもせず厳しく進んでいくショルティ/シカゴ響の演奏(1970録音)とはずいぶんと違う。
 ただ、ショルティの演奏はあまりにもこれでもか!と聴き手に迫ってくる。それがつらく感じる人もいるだろう(もっとすごいのはテンシュテットだけど)。そういう人にはあまり悲劇性を強調しないバーンスタインの演奏の方が聴きやすいだろう。

 悲劇性が薄いと書いたが、それでも第4楽章のハンマーは3回鳴らされる。最終稿では削除された3回目の悲劇、つまり決定的な一撃も鳴らされているのだ。

 前掲書によると、「3発目は自分の命の終り(死)というのがバーンスタインの『解釈』で、マefb91d3c.jpg ーラー自身が『怖くて打ち下ろすことができなかった(しかしほんとうは打ち下ろしたかった?)最後の一撃』を、『マーラーに代わって打ち下ろす』というのが、彼の主張」なのだという。

 前にも載せたことがあるが、3回目のハンマーがある楽譜(オイレンブルク版スコア)と、最終稿の同じ箇所のスコア(音楽之友社版スコア)をあらためて載せておく。

 もう一点、この交響曲では第2楽章と第3楽章について、スケルツォ→アンダンテの順で演奏するか、アンダンテ→スケルツォとするかの問題がある。
 私はスケルツォ→アンダンテの演奏に親しんできたので、アバドなどのアンダンテ→スケルツォの演奏順には抵抗があるが、それは慣れの問題かなと思っていた。
 しかし金聖響は調性上の点から、スケルツォ→アンダンテの順のほうがすっくりすることを書いている。
 調性のことは私にはよくわからないが、理論的に自分の好みが裏付けられたことに、なぜかほっとした。
 バーンスタインもスケルツォ→アンダンテの順で演奏している。

ゲリラ豪雨のあとの宴会で気分は微分?ジョンストン/SQ2

5361f36d.jpg  高校のころ。
 理系コースにいたくせに、私は数学が苦手だった。
 が、なぜか微分積分は得意な方だった。
 大学入試の数学の問題で微積ばかり出題されていたなら、もしかしたらもしかしたかもしれないが、いつも嫌がらせのように大嫌いな数列や確率の問題が含まれていた。

 音楽の世界にも微分という言葉が出てくることがある。
 微分音ってやつだ。微分音というのは半音よりさらに狭い音程のことをいう。

 ここで一般的なピアノの鍵盤を思い出してほしい。
 ドとレ、レとミ、ファとソ、ソとラ、ラとシの音の間は全音である。そしてこれらの白鍵の間には黒鍵がある。白鍵と黒鍵の間は半音である。
 ミとファ、シとドの間には黒鍵がないが、この2音の間は最初から半音であり黒鍵が入り込む余地がないわけだ。

 このようにピアノの音階は半音刻みである。1オクターヴのなかに12の音があるわけだが、これは1オクターヴを12等分しているわけで、これを平均律と呼ぶ。 

 しかし世の中、半音よりも幅の狭い音程もあるはずだ。それが微分音(微分音程)である。半音を半分にしたものを四分音、それをさらに半分にしたものを八分音という。その応用で、半音を3分の1に割ったものを六分音と呼ぶ。もちろん、ほかにもある。

 調律されたピアノなどでは微分音をそのまま出すことは出来ないが、ヴァイオリンなどの弦楽器だと簡単に出せる。弦を抑える場所をずらせばいいからだ。
 下手くそがヴァイオリンを引くと、音が合っていなくて聴いてる側には気が触れそうなくらいの居心地の悪さを感じるが、あれは間違いなく微分音を聴かされているためだ。

 ただ微分音が特殊に感じるのは、私たちがあくまで平均律を中心に考えているから。
 民族音楽ではそのような音が使われていることは少なくないというし、日本古来の音楽にもみられる。 

 ジョンストン(Ben Johnston 1926-  アメリカ)の弦楽四重奏曲第2番(1964)。

 CDの解説には「純正調と12平均律との差によって生じる微分音程」がうんたらかんたらと書いてあり、それは私にとってやっかいな理屈であるが、とにかく微分音を使った音楽である。

 とにかく、うん、この曲は前衛音楽である(、を入れ忘れて、うんこの曲、って書いてしまうところだった)。
 でも、「おーっ、こりゃ気分は微分なり」ってことはあまり感じない。

 私が持っているCDはライモンディとアジェミアンのヴァイオリン、ザスロフのチェロ、バーブのチェロによる演奏。
 ケージのHPSCHDとのカップリング。
 1970頃の録音。ノンサッチ。

 さて、先日のべリンスキー侯&アルフレッド氏とそのビョーキな仲間たちとの夜の話。

 この日は夕方にゲリラ豪雨となり、果たしてこの雨の中、会場となっている中華料理店に行く気力が私に湧いてくるだろうかと危惧されたが、幸いなことに会食時間前にはゲリラは地球防衛軍に追い払われ、カッパも傘も不要ないでたちで向かうことができた。

 場所は美珍楼という店。
 私がこの地でかなり気に入っている店である。
 なんといってもカニチャーハンが美味い!(当店エビチャーハン比による。なお、感覚は個人によって差があります)。
 雨が降ろうがネギラーメンが美味い!(当店麻婆ラーメン比による。なお、味覚は個人によって差があります)。

 ということで、べリンスキー侯、アルフレッド氏、ムッカマール氏、どら猫酔狂堂の私が初対面の社員・メディ賢さん(初登場。暫定的新命名)、先日初登場したどら猫酔狂堂の取引先の社員で熟女好きの姥向井君(新命名)、姥向井君の会社のN代表取締役、そして私という7名で紳士的に会食がスタートした。ほかに2人が遅れて合流する予定であったが、結論から言うと諸事情により私たちの前に姿を現わすことができなくなった。

 焼きギョーザを頼み、水ギョーザを頼み、さらに十勝牛の角煮、かに玉、エビマヨを頼んだ。アルフレッドはさらに麻婆豆腐を頼み、べリンスキー侯はザーサイを頼んだ。
 私はベリ侯に「ここのシューマイは美味しい」と言ったのに、「うんにゃ、シューマイは崎陽軒に限る!何といってもシューマイではなく、シウマイってもんで、ウマイが入ってる」と気合が入り始めたので、「じゃあ、ザーサイにしてください。なんてったってザーが入ってますから」とすっごく意味不明の説得をしたら、その説得に難なく応じたのだった。

 さて、〆として私はカニチャーハンを2人前頼んだ。
 やがて大皿に盛られてあつあつの湯気を放出しながらカニチャーハンが運ばれてきた。
 「もう食えないよ」「もう腹いっぱい」「姥向井君ならいける。まかせる」などとみな言っていたくせに、結局は各自皿に3口分くらいはとって、結局は「ウマイ!美味い!」と平らげた。

 さらに私は、最終局面としてネギラーメンを2人前頼んだ。
 やがて大丼に入れられあつあつの湯気を発散しながらネギラーメンが運ばれてきた。
 「いやぁ、姥向井君、全部食べていいよ」などとみな言ってたくせに、小茶碗に各自とって口にすると、「美味い!」「これはニーハオ!」「あっさりしててすっごくハオハオ」などと騒ぎ出し、おかわりまでする始末。そのせいで姥向井君の取り分が減ったくらいだった。

 このように中華三昧の夕べは終わったが、そのあとは2次会である。
 ここで、それまで物静かにあまりしゃべらなかったN代表取締役が変貌した。
 それまであまりに静かだったので「ねぇ、つまらないんじゃない?」と心配してアルフレッドに小声で聞いた私だったが、アルフは「人見知りしてんスよ」などと言っていた。

 ところが、アルコール量が一定水準を超えたあと、代表取締役は男好きだとということを告白し、そのキャラを顕在化し始めた。
 その部下である姥向井君はというと、年配のママが早く出勤してこないかなぁと、会ったこともないくせにママの年齢をバイトの姉ちゃんから教えてもらった段階でソワソワして、うふっ、おほっ状態の代表取締役など気にしない有様。男好きに熟女好きって、どういう会社なんだ?ここ。

 そうこうしているうちに今度はアルフレッドの目がすっかり座ってしまっており。隣にいた私に唇をとがらせて顔を寄せてきた。あぁ、どうしてこのとき私はポケットにハウス特選生わさびを用意しておかなかったのだろう!それがあればあの唇から大量注入してやったのに!
 
 「N代表取締役としなさい」と私は逃れ、丸干しイワシのような目(焼く前の)になっているアルフレッド氏、ようやく出勤してきたママの前でもじもじしている姥向井君、微笑む石像って感じに動きが止まったメディ賢さん、天井に向かってダジャレを連発しているベリ侯氏、誰を獲物にしようか手をすりすりしているN代表取締役、あまりに赤黒くなって壁と同化しているムッカマール氏たちを。
 これは危ない……

 ということで、アルフレッド氏は新たに何杯目かのハイボールのおかわりを作ってもらったばかりだったが、強制的に「楽しかったね。じゃあホテルに帰りなさい!私も帰るから」と解散したのだった。
 つまり私が言いたいのは、当初合流予定だった2人は自分たちの会食が長引いたことと、こちらが予想より早く終わったことで合流できなかったわけだ。

 以上のようにジョンストンの弦楽四重奏曲第2番は3つの楽章から成る。

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