ひどくはないが腰の痛みを2週間ほど抱え続いたままになっている。
最初が最も痛く、そのあとは徐々によくなってきてはいるのだが、座っていて立ち上がる時などちょっと圧迫感のような痛みがあり、「いてて」と声に出して言うと幾分心が晴れるというような状態だ。
首周りのイボ-老人性疣贅(ゆうぜい)-を一掃するため、撲滅作戦に本腰を入れて何年経ったろう。
薬(正確には化粧水)を塗ってきたものの、イボは取れるどころか、細かい子どもイボがかえって増えている感じだ。いや、明らかに増えている。
杏仁オイルの効果よりも加齢の勢いのほうが強いらしい。そうでなければ拮抗状態どころかイボが増えるはずがない。ポロリンボですっかりツルツルお肌を取り戻せると思ったのに、まったくポロ体験ができなかった。
このままだったら私、マタンゴのようになってしまうんじゃないかと、近ごろ恐れている。
いまの腰の痛みは、あまりにも長い間このように本腰を入れすぎたせいではないだろうかとも思うが、寝かたが悪いような気もするし、そしてまた快方に向かっていた大切な時期なのに、先日雪道で転びそうになって、自分でも再現できないようなふんばりを発揮し転倒を回避した影響も少なくないとみている。
私と同年齢でもすでに腰の痛みで苦しんでいる人がいるが、幸い私は腰痛に悩むことはなかった。肩こりに苦しめられたこともない。このあたりは恵まれていると思う。
今回の腰痛もクセにならないと思っている。なんとなくそう信じられるのだ。
それを確たるものにするためにもロイヒつぼ膏を貼って、確信が崩れ去らないように気をつけよう。
12月はなぜか「第九」の季節である。
「第九」とは、ご存知のように、泣く子も黙るベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱付き(Choral)」(1822-24)のことある。
昔は私も毎年のように年末の“第九特別演奏会”に行ったものだが、ある時から行かなくなった。とっても失礼なことを書いて申し訳ない気もするが、「第九」の演奏会の客席の雰囲気が好きになれないのだ。
それは定期演奏会とは微妙に違うものだ。
訪れた人たちの中に、音楽を聴くというよりは季節のイベントだかたというような野次馬的動機で集まっている人が少なからずいるからだ。
そういう人たちのなかには、コンサートのマナーをよく知らなくて、演奏中にやたら頭を動かしたり、パンフをガサガサしたりといった迷惑行動がみられる。
あるいはこの日のために練習を重ねてきた合唱団員の家族ならびに親戚縁者と思われる人たちが、音楽を聴きに来たというよりは、ステージに立った父または母あるいはお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさんの晴れ舞台を見に来ているという、発表会のような雰囲気もいやだ。
こういう人たちは、たいていすぐに合唱が「歓喜に寄す」、つまりあの有名な「歓びの歌」が登場すると思っている節がある。
だから、ずっと待っていてもそのかけらも出てこない第1楽章でキョトンとし、続く第2楽章でもスカをくらい、第3楽章になると睡魔に襲われるか腰やお尻の痛みに必死に耐える(やっと腰痛につながったわい)。
気の毒だ。
そのかわり、第4楽章でコントラバスが「歓びの歌」を弾きはじめると、Eテレのスペイン語講座の画面にいきなりビキニの美女が出て来たかのようにそちらを凝視する。よかったね、やっと出てきて。
もっとも私が「第九」に行かなくなってずいぶんと経つ。会場の雰囲気もノーマルになっているのかもしれない。Kitaraだったらシートも良いから、そうそう腰もお尻もいたくならないだろうし……
かつてリリースされたときにかなり話題となった「第九」の演奏。それはジンマンが指揮したものだった。
いまでこそ何人もの指揮者が採用しディスクも出ているが、ベーレンライター原典版の楽譜を用いた最初のものである。
楽譜の問題もさることながら、輸入廉価盤のハシリでもあり、交響曲の全集なのにひどく安かった。
それまでの重厚な「第九」とはまったく違う響きであり、またとにかく速い。
第1楽章で苦悩に頭を抱える暇はなく、第2楽章も疾走爆走暴走。第3楽章だって悠長に歌い回したりしない。
終楽章の合唱だって迫力がない。ノーテンキとも言える明るさと軽さだ。
「第九」が1番から8番とは別格であると神聖視していた人にとっては、耳を覆うような信じられない演奏だ。
でも、初演当時の演奏ってこんな感じじゃなかったのかなと思う。いまのような大オーケストラ、大合唱団は用意できなかっただろうし……
苦悩から歓喜ったって、ちょっと押しつけがましいんだよ。「第九」にそんな思いを持っていた人にはうってつけ。重厚な響きのなかでじっくりと1年を振り返りたい人にはまったく適さない。
なお、この盤では全曲の他に、終楽章の第331小節目から最後までの別テイクが収められている。
これは、ベートーヴェン自身の手稿譜に基づき演奏したものだそうだ。
ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、スイス室内合唱団の演奏で独唱を務めているのは、ツィーザク(S)、レンメルト(A)、デイヴィスリム(T)、ロート(Bs)。
デイヴィスが痩せたらデイヴィスリムになっちゃった、なんてね……すいませんでした。
1998録音。アルテノヴァ・クラシックス。
ベートーヴェン
若いころに“白いニグロ”というあだ名をつけられていたプロコフィエフ。
その彼のヴァイオリン協奏曲第2番が初演されたのはスペインのマドリードにおいてであった。
若いころ、プロコフィエフとは逆に、色が浅黒かったために“スペイン人”とあだ名をつけられたのはベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)である(スペイン人って浅黒なの?)。
ベートーヴェンは当時最大のピアニストだったが、1792年にウィーンに定住したときの彼の奏法はウィーン市民に強烈な印象を与えた。それまではモーツァルトなどの滑らかなスタイルに慣らされていた彼らの前で、いきなりベー様は鍵盤を叩くように演奏したからだ。
これは、ベートーヴェンの音楽のスタイルはもちろん、この時代になって、ピアノという楽器が大きく改良されたこととも関係がある。ピアノの発達なくしては、ベートーヴェンも思うような奏法はできなかったし、生まれた作品の様子も変わっただろう。
彼のピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19(1793以前。改訂'94-95,'98)は、そのウィーンで1795年に初演された。
ベートーヴェンには5つのピアノ協奏曲があるが、そのなかで第2番は今ではすごいパワフルな作品とは思えないし、間違いなく5曲中もっとも地味な存在である。それでも、当時は衝撃的なコンチェルトだったのだろう。そしてまた、ピアノ・コンチェルトにおいて彼の個性が本格的に発揮されるのは、第3番以降でもある。
その目立たない第2協奏曲を、先日第5番で紹介したエマールの演奏で。
この3枚組のCDはベートーヴェンのピアノ協奏曲5曲が収められているが、あの宇野功芳センセーが次のように絶賛している。
別格の美演だ。エマールの宝石のような美音は聞いているだけで幸せになるが、それは単に煌めくだけではない。光のように結晶化するかと思えば、温かく明るい艶で聴く者の心をときめかし、時にはソフトに曇らせてしまう。最近の演奏には珍しくテンポが遅く、しかも曲想に応じて自由自在に流動する。エマールの演奏で第2番の魅力に開眼する人も多いことだろう。アーノンクールの指揮も鮮烈な迫力と軟体動物のようなレガートが交錯し、雄弁な表情に満ちている。第1番の第1楽章などは、往年の巨匠ですらここまではやるまいと思わせるエスプレッシーヴォである。過去の名盤と比べても優にベストを競いうる、近頃最も注目すべきコンチェルトの新盤登場である
と、絶賛。
また、再発売のCDについての評論では価格がどれぐらい下がったかにうるさい安田和信氏は、
今回のベートーヴェンでは、なぜか優雅、柔和に解釈されることが多い第2番のコンチェルトが聴き手に衝撃を与えるに違いない。第1楽章における意味深長で一筋縄ではいかない複雑なレトリックの数々が、演奏によって極端といえるほどに強調されていく。この楽章をここまで真に迫る雄弁術によって再現した指揮者は初めてではないだろうか。・・・初期のコンチェルトからそれ自体が有する価値を明瞭に見いだし、実際の音で聴き手を震撼させるまでに再創造されたこのディスクは、両作品の演奏史の流れをばっさりと断ち切るがごとき問題作と言えるのではないだろうか
と、読んでいて気恥ずかしくなるほどの賞賛。
つまりはこの上なくすばらしい演奏だということである。
私の感想?
この曲、あまり好きになれない。エマールをもってしても、そしてアーノンクールの指揮でも、その魅力に開眼できなかった私である。オーケストラはヨーロッパ室内管弦楽団。
2001年ライヴ録音。
そういえば、昔、ロゼッタだかの化粧品に出ていたアニメのお姉さんの名前は白子さんと黒子さんだったよなぁ。いま思えば、そうとうふざけているし、危険だよなぁ。
私は自分で耳掃除をしているとついついかゆいところを強く掻いてしまい、いつも最後は出血を見る。
それがかさぶたになったころ、またまたかゆくてついつい強く掻いてしまい、出血を見る。
これの繰り返しだ。
音楽的に言うと、リピートってやつだ。
耳は大事にしなきゃ。
膝枕で女の人が耳掃除をしてくれる店があるそうだが(新橋だか有楽町だかでその女子を殺してしまったという事件があったような……)、そういう場所はうさんくさい癒しを与えてくれるかもしれないものの、きちんと耳はきれいにならないだろうから、やっぱ耳鼻科に一度行った方がいいのかなぁ。
それはともかくとして、
メトロノームを発明したのはメルツェルである。
ベートーヴェンの補聴器を発明したのもメルツェルである。
ゆえにメトロノームの発明者がベートーヴェンの補聴器を発明した。
このように三段論法が成り立つ。
こう見えても(みなさんには残念ながら私の実像は見えないだろうが)、私は大学の教養課程で論理学も選択していたのだ。二者択一のもう一方の科目である倫理学を選択したくなかったからだ。
メトロノームは、ドイツのヨハン・ネポムク・メルツェルが1816年に特許を取得した(正確には発明じゃないのだ)、テンポを合わせる音楽器具のことである。地下鉄路線内で発生する濃霧のこともメトロノームと称してよさそうなものだが、どうやら地下鉄では濃霧が発生した事例はないようである。
メトロノームを最初に利用した音楽家はベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)だという。
ベートーヴェンが耳の不調を最初に感じたのは1801年のことで、この年の6月に書いた親友宛ての手紙で聴覚の異常を打ち明けている。
1802年に2人の弟に宛てて、自分の死後読むようにと書かれたのが「ハイリゲンシュタットの遺書」にはこのように書かれている。
君たちは私が意地悪で頑固で人間嫌いだと考え、そう言っているがそれは大きな誤解だ。私がそう見えることの隠れた原因を君たちは知らない。……どの感覚よりも完全でなければならないこの感覚、私がかつては最高度の完全さで持ち、同業者で完全さにおいて私に匹敵する者はほとんどいなかったこの感覚が、病に罹ったことを、どうして認めることができようか……
以上は、H.C.ショーンバーグ著の「大作曲家の生涯」(共同通信社)で紹介されている部分だが、ショーンバークは「音楽家でない人は、ツンボの作曲家がどうして機能するか、ほとんど想像もできない。しかし高度の能力を持つ音楽家にとっては、ツンボに関係があるのは外部の音だけであって、体内の音とは無縁である。……信じ難いほど豊かな音楽精神の持ち主であったベートーヴェンは、バッハやモーツァルトと同様、彼の精神内部の耳にある音だけに導かれて作曲することに、なんら困難も感じなかったであろう」と書いている。
ベートーヴェンの聴覚異常は1812年ころから悪化が進み、1817年には極端な難聴になったという。
あっ、今は“ツンボ”なんて言っちゃダメなんですよ、確か。 さて、ベートーヴェンのために補聴器を作ったのもメルツェルである。
補聴器といっても、富士メガネで取り扱っているような水銀電池で作動する、装着しているのがわからないくらい自然で小型のようなものではなく、ラッパ型のものである(写真。平野昭「カラー版作曲家の生涯 ベートーヴェン」(新潮文庫)に載っているもの)。
しかし門馬直美氏によると、補聴器を作ったメルツェルはメトロノームを作ったメルツェルの弟で、メトロノーム発明者と補聴器製作者は別であるという。弟の名はレオナルト・メルツェルといい、兄よりも11歳下だった。
ということで、上の三段論法は成立せず、である。
ベートーヴェンの交響曲第8番ヘ長調Op.93(1811-12)の第2楽章のリズムはメトロノームを模していると言われる。
どこで読んだか(あるいは観たか)忘れたが、このメロディーに「おはよう、おはよう、おはよぉーう、メルツェルさんおはよぅ」という歌詞をつけていたのを目にしたことがある。“オーケストラがやってきた”だったかもしれない。
にしても、誰が何の目的に?……やれやれ。
規模が小さく軽快な作品だが、とても愛らしい曲である。
ここではさらに軽快なラトル/ウィーン・フィルの演奏を。
2002年ライヴ。
ところで音楽用器具であるメトロノームを音楽の主役にした作曲家がいる。
リゲティである。
なんというか、すごい曲(?)である。
過去2回ほどこのブログで取り上げた村上春樹の「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」(マガジンハウス)。そのなかの「すまないな、ルートヴィッヒ」では、弦楽四重奏の話からマージャンで適切な4人を揃えるのはけっこうむずかしい、という話へとなり、最後はこう終わる。
弦楽四重奏団を結成するときも、ひょっとしてそれと同じような問題が起こっているのではあるまいか。ベートーヴェンのあのどこまでも内省的な作品130を聞きながら、ふと麻雀に思いを馳せてしまいました。すまないな、ルートヴィッヒ。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130。
6つの楽章から成り、第1~5楽章は1825年に、第6楽章は1826年作曲された。
というのも、当初終楽章で作曲された作品が差し替えられたため、このようなズレが起こった。
最初に終楽章として書かれた曲は、のちに独立して「大フーガ(Grosse Fuge)」変ロ長調Op.133(1825-26)として出版された曲。弦楽四重奏曲の終楽章の方には、現在のプレストの楽章充てられた。 ベートーヴェンは交響曲と同様、弦楽四重奏曲の分野においても個性的であり、このジャンルの新境地を開いた。
第13番のカルテットは6楽章構成という自由な形式をとっている。当初の終楽章を差し替えたのは、その「大フーガ」があまりにも長大なためで、出版社からの要求による。
にしても、疲れていようと、腰が痛くなっても、そろそろやめようぜとは途中で言えないのは、麻雀も四重奏も同じ。
あっ、麻雀と一緒にしちゃって、すまないな、ルートヴィヒ(私のは“ッ”がありません)。
CDはアルバン・ベルク四重奏団によるものを。
1982録音。EMI。
この全集盤はどの曲も高い水準の演奏。 今日から私は2泊3日の日程で、視察研修に行ってまいります。
貸切バス1台での団体旅行です。
初日(つまり今日)の宿泊先はけっこう自然が豊かなところです。いわゆる田舎です。
ですからインターネット環境が整っているかどうか疑問です。
明日の朝、ブログが投稿されていなかったら、インターネット環境が整っていなかった、あるいは状況的にネットをやれなかったと思ってください。
私は一時期、コーヒーを淹れるのに凝ったことがある。中学生のころだ。
そして、それは自分で飲むわけだが、飲み過ぎたせいか胃の調子が恒常的にすっきりしなくなり、ほどなくしてこの中学生にはふさわしいとは言えない趣味(?)はやめた。
大人にになった(なりすぎた)今、ふだんは特に胃の調子が悪いわけではないが(ドックでひっかかることがあっても、ずっと尾を引くようなものではない)、それでもコーヒーを1日に3杯飲むととたんに胃の調子が悪くなってしまう。
コーヒー好きだった作曲家は少なくないが、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)はかなりのコーヒー好きだったという。
ヒュルリマン編の(なぜかここで突然「ヒュルリラ、ヒュルリラァ~」っていう歌が頭の中で騒がしくなっているが、これって誰の歌でしたっけ?)「ベートーヴェン訪問」(酒田健一訳:白水社)は、ベートーヴェンを訪問した人たちの回想記や手紙、あるいは訪問した人の話を別な人が書いたものをまとめた書であるが、このなかにもコーヒーに触れられた記述がいくつかある。
・ホルン奏者のF.シュタルケ(1774-1835)
……最もすばらしく、最もゆかいだったのは、朝食に招待されるときであった。シュタルケにとって、それはまさに魂の朝食といえた。1812年当時のベートーヴェンはメルカーバスタイに住んでいた。非常にうまいコーヒーだけの朝食(ベートーヴェンみずからガラス製のコーヒー沸かしで立てる習慣であった)がすむと、シュタルケはつぎに魂と心の朝食をせがんだ。……
どうでもいいが、なんかちょっと変なことを想像しちゃう。魂と心の朝食をせがむ?だめだよ、せがんじゃ、うっふん……
・作曲家のC.M.v.ウェーバー(1786-1826)
……偉大なルートヴィヒの住む、ほとんどみすぼらしいとさえいえる寒々とした部屋に足を踏み入れたとき、3人の男(ウェーバー、ベーネディクト、ハースリンガー)は興奮していた。室内は乱雑をきわめていた。床には楽譜やお金や衣類が散乱し、よごれたベッドには洗たく物が山と積まれ、あけたままのフリューゲルは分厚いほこりをかぶり、テーブルにはこわれたコーヒー沸かしがのっていた。…… ・1818年にベートーヴェンの肖像画(掲載写真)を描いたF.シーモン(1797-1852)
……ベートーヴェンは彼をコーヒーに招待した。このさし向いの時間をシーモンは目を仕上げるために利用した。16粒のコーヒー豆で入れた1ぱいのコーヒー。こうした招待が繰り返されるうちに、ついに画家は彼の仕事を完成することができたのである。できあがった肖像画を見てベートーヴェンは大いに満足した。
16粒というのは間違いで、あとで述べるように60粒が正しい。
だいたいにしてコーヒー豆が16粒だったらウーロン茶よりも色が薄い、いや、爽健美茶よりも色が薄い、色つきの湯にしかならないだろう。
シーモンのこの話は、シーモンがシンドラー(ベートーヴェンの弟子だが、美化しすぎたベートーヴェン伝を書いたうそつき男)に伝えたもので、どこかで60粒が16粒に間違われたのだろう。
・医師のK.v.ブルシー博士(1791-1850)
……ベートーヴェンは書きもの机で1枚の楽譜用紙に向かい、コーヒーを沸かしているガラス製のフラスコをまえにしていました。
上の記述でもわかるように、ベートーヴェンは朝食にオリジナル技法で自ら淹れたコーヒーを飲んでいた。また、気に入った客人にもコーヒーをごちそうした。コーヒー1杯につきコーヒー豆60粒。それをきちんと数えていたという。
60という数字から、今日は交響曲第4番変ロ長調Op.60(1806)。
交響曲第3番「英雄」でベートーヴェンはそれまでの交響曲の形から一挙に規模拡大を行なった。 一方、第5番は「運命」である。第5では第4楽章にトロンボーンやピッコロを用いるということをやってのけ、効果をあげた。
となると、その間に挟まれた第4番はどうなのか?
「英雄」の後の後退、「運命」の前の休息。そう書いてあるのを読んだことがあるが、確かに革新的な要素は少ない。でも、非常に充実した交響曲である。
私はこの曲を聴くと、それが誰の演奏であれ、いつも幸せな気持ちになる。
優しくて穏やかで健康的。
今日はラトル指揮ウィーン・フィルの若々しい躍動感あふれる演奏を。ワクワク、ウキウキしちゃうね、これ。
2002年ライヴ。EMI。
今日は2012年8月8日・友引である。
友引ではあるが、それとは関係なく私にとっては実に記念すべき日でもある。
いや、だから私がどこかに引かれて行くっていうことではない(だいいち友もいないし)。
飽きっぽい私がよくここまで続いたものだ。
ここまで書いて、おぬし、まだはわからぬか?
今日、このブログは6年目に突入したのである。
つまり昨日で丸5年経ったわけである。
皆さまご存知の通り、日本ではなんとなく晴れがましいときに第九を聴く風潮が一部ではある。
♪ サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125(1822-24)。いわゆる「第九」である。
すっごく面白い演奏で、初めて聴いたときには「次はどうなるのかな」と気が抜けなかった。
使用楽譜によるところも大きいだろうが、まあとにかくやんちゃな第九だ。私はこれまで第九といえばスウィトナーの演奏を好んできたが、当たり前のごとく、それとはまったく違う演奏。
テンポは頻繁に変わるし、延びると思った音はブツッと止まるし、力があるのに響きはメタボにならないし、響きのバランスがすごくいい。
終楽章の独唱陣の美しさも格別。いやぁ、第九ってこんなに歌がきれいだったのね。
合唱のメリハリも刺激的だし、確かアバド盤でも話題になったこの楽譜のピッコロの活躍も面白い。
「第九はこれで決まり」と言える演奏と言い切る気はないが、私としてはかなりお勧めしたい演奏だ。
ちなみに発売・販売元提供のこのCDの売り文句は次のとおり。
ベートーヴェン交響曲全集からの1枚だが、日本ではこのディスクのみが先行発売され大絶賛を博した。長年(20年間)に渡り育て上げたバーミンガム市交響楽団合唱団を配したのも成功因の一つで、この威力が力溢れた演奏に、さらなる厚みを加えている。「合唱団はさすがにラトルの音楽をよく体現しており、発音や音色の変化、心の表出がすばらしい/伴奏のオーケストラともども脂っこい力唱、力奏が目立つ」(レコード芸術2003年5月号・宇野功芳) 「ラトルの鋭い読みとともに、深く豊かな想念が随所にあらわれている。みずみずしい感性による創造的な解釈と演奏である」(同年5月号小石忠男) 人を育て上げ、音楽を大切にしながら、そこに新風を注ぐ。ラトルの神髄のすべてがここに。
独唱はボニー(S)、レンメルト(A)、ストレイト(T)、ハンプソン(Br)。合唱はバーミンガム市交響合唱団。
2002年ライヴ。EMI。
とある居酒屋で、私はアルコールの摂取を伴う食事をしていたときのこと。ほどなくして6人の団体客が隣の席に座った。
言葉からすると、おそらく中国人観光客だった。
「なぜ観光客と決めつけることができるのか?」と、私を攻めようとするあなたにはこう答えよう。
「だって、老女とおっさん3人とおばさん2人と小学生くらいの男の子という組み合わせだったんだもん」、と。
もちろんこの集団が日中親善大使である。あるいは、全道高校野球北・北海道大会の運営に複雑かつ濃密な関係があるという可能性は否定できないが、通訳も伴わず居酒屋に飛び込んできたのだから、勇気ある自由行動をとっている観光客と思うのが無難だろう。
店のお兄さんは注文をとるのにかなり難儀していたが、それでも大きな混乱もなく意向が汲み取られ、やがて料理がいくつか運ばれてきて(飲み物は水のように思えた)、消防車に放水されたカラスの集団のようにギャアギャア騒ぎながら食べていた。
いったい何を食べていたのか、私たちの席と彼らの席の間には国境のようについたてがあって覗くことはできなかったし、首を伸ばして「おいし、あるか?」と聞く勇気もなかったし、料理の匂いも漂ってこなかったので、わからなかった。
1つだけ垣間見えて確認できたのはホッケの開きを1皿頼んでいたということだ。
中国人とホッケの開きというのは、なんだが妙な組み合わせに感じてしまった。イカゴロルイベならもっと妙に感じただろうけど。
それでも、今回の一行は静かな方だった。
前に洞爺湖温泉にある某菓子店の2階のレストランで騒いでいた連中は、まさに喧嘩でもしてるのかいなと思うほどうるさかった。ただそのときの一行は中国人ではなかったかもしれない。ハングル語だったような気もする。そういえば、このあいだ高速のPAで次々とトイレで横入りをした連中もマナー知らずでうるさかった。おしっこをしている時ぐらい、口を閉じてろよなぁ。 このような方々が日本にお金を落としていってくれるのであまり文句は言えなし、民族性もあるのだろうから仕方ない面もあるが、でもウルサイ。
昔、日本人が海外旅行をしだしたころ、ヨーロッパやアメリカでは日本人も同じような目で見られていたのだろう。“ノーキョー”という言葉が浸透したくらいだから。つまり、農協主催の団体旅行で訪れた農家御一行様があちこちでマナーもくそもあったもんじゃないとばかりに、やりたい放題だったらしい。
筒井康隆の「農協 月へ行く」(角川文庫)は、それを独特の切り口で皮肉っている短編小説だ。
彼の小説を私はそう多く読んできたわけではないが、着眼点というか発想は見事だ。
ただ、これも彼の魅力なんだろうが、狂気と不衛生感が漂う。そこが私がのめり込めないところだ。
「農協 月へ行く」の内容はここでは書かないが、とてもおもしろい。清潔感はないが。
それよりも、この文庫本(平成2年第40刷)にはさまったままになっていたリーフレットに私は懐かしさを覚えた。そして、それはすぐに笑いに変わった。 いやぁ、この当時は確かにこういうのがプレゼントとしてインパクトがあったんだよな。ダブル・カセット搭載だもんなぁ。ダビングにひっどく便利だったろうなぁ。すっごいなぁ。
時代を感じる。ホント、思わず笑っちゃった。
ところでこの年、つまり1990年録音の「英雄」について今日は取り上げる。
アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄(Eroica)」(1803-04)。ライヴ録音である。
先日、宮部みゆきの「英雄の書」にかこつけてハイティンク/ロンドン響の「英雄」を取り上げたが、同じく速めの演奏でもこちらとあちらでは全然違う。
アーノンクール盤は聴いていて耳が離せなくなるような魅力がある(もちろん誇張して書いている)。
このころからアーノンクールは古典派、ロマン派へと演奏レパートリーを広げ始めた。
つまり、過度な歌いまわしや仰々しさを排除した、ピリオド(古楽器)演奏のアプローチによるシャープな切り口の演奏で、それまで聴きなれた作品の新たな表情(素顔と言ってもいいのかもしれない)を紹介し始めてくれたのであった。
この「英雄」もビュンビュンと進んでいく。しかし決して軽はずみではない。小気味よく進むだけではなく、ちゃんと重厚さも失っていない。その重厚さはもたつかない。締まっている。
もう20年以上前の録音だが、まだまだ聴くたびに新鮮に感じる。時代を感じさせない。同じ年数が経っているのにダブル・カセットとはずいぶんと違う。
テルデック。
さて、先ほど書いた異人観光客だが、老女+おっさん3人+おばさん2人+子供=は7人じゃないかと気づいたあなたは、このブログを真剣に読んでいる証拠だ。偉い!
本当はおっさん2人。わざと3人って書いてみたわけ。私ってお茶目?
宮部みゆきの「英雄の書」(新潮文庫)を読み終えた。
この物語は中学2年生の優等生と言える森崎大樹(ひろき)が同級生を殺傷し失踪。その原因が“英雄”に憑かれたためだっと知った小学5年生の妹・友理子は、兄を探すべく“無名の地”へと旅立つというもの。
“英雄”に憑かれた大樹は、しかし、学校でいじめにあっていた。それも同級生の女の子をかばったがために……
先日もちょっと触れたが、大津市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺したとされる事件。その後続々と出てくる学校での出来事。何よりも、教師らのいい加減さに腹が立つ。
教育委員会のあり方、教師のあり方にメスを入れるときが来た。「生徒に命の大切さを教えることを強化」なんて筋違い。大人のあり方を根本から変えなければならない。
「英雄の書」の終わり近くに次のような文がある。
学校の先生たちは知っていて知らん顔をしているか、隠している。ビクビクと口をつぐんでいるに違いない。それは大樹の同級生たちも同じだ。あるいは、学校側から口止めされているのかもしれないし。
数多くの学校でこのようなことが起こっているのだろう。
心が痛む。
教育委員会、教師の“慣習・風土”を抜本的に見直すことが必要なように思える。
この小説では小学5年生の女の子が主役だが、それはこの物語にとって必然的なものだったのだろう。しかし、宮部作品にしばしば登場する子どもに共通して、こんなことできるわけが……って思ってしまうのも事実。まあファンタジーなんだからそんなことを言っちゃオシマイよ、だけど。
また友理子が、他の人々が話していることが難しくてよく理解できないという場面があるが(それは当然だろう)、ある場面では心の中で大人も使わないような難しい言葉で考えを巡らしたりして、おかしいなぁ、これはいただけないなぁと感じるところがあるが、それらは整合性が取れていないのではなく、宮部の設計どおりなのだろう。じゃなきゃはなからこんな風には書かないだろうから。
「他人の言葉に、もっときちんと耳を傾けることを学ばねばいかん。今のおまえは、何も聞かない。考えない。ただ自分の感情に溺れて、勝手に右往左往しているだけだ」
小学生の女の子に向けるべき叱責ではない。……
良い言葉だ。そして、まさに小学生の女の子に向けるべき内容ではない。
そして、こう言ってるのはアッシュという人物のだが、別なところでは「何でも聞くな」と言っている。ひどいぞ、アッシュ!
未読の方もいらっしゃるだろうから、ストーリーに関わることに触れるのは避けよう。
小学生が主人公で、未熟な彼女にちょっとまどろっこしさを感じたりする部分もあるが(これまた宮部みゆきの仕掛けなんだろうが)、今回もとても面白いストーリーでいっきに(いや、ほぼいっきに)読み終えた。最後はちょっぴり感動した私。
いただけない「英雄」と言えば、ハイティンクがロンドン交響楽団を振ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄(Eroica)」(1803-04)を、私は思い出す。2005年のライヴだが、これがハイティンクなの?と思う演奏だ。初めて聴いたとき、すっかり勝手に右往左往してしまうぐらい期待はずれだった。
テンポの速いサクサクとした演奏。今風のベートーヴェン演奏と言える。
評価する向きには「テンポよくスマートな演奏」ととらえられており、確かにそうも言えるが、味わい不足で引き込まれない。
しかも録音が悪い。響きが乏しく平板。録音の悪さが演奏自体を悪く聴こえさせているのかもしれない。いや、たぶんそうだ。そうに違いないように思えてきた。
ライヴだからって時は2005年。もっともっとちゃんと録れたはずだと思うのだが……
で、このジャケット・デザインはどういう意味が込められているのだろう?
なおカップリングは、あまり録音されておらず聴く機会が少ない序曲「レオノーレ(Leonore)」第2番Op.72a(1804-05)。歌劇「フィデリオ(Fidelio)」の第1版初演のときの序曲である。
オペラの第2版初演のときの序曲は、現在序曲「レオノーレ」第3番Op.72bと呼ばれている曲で、この第2番を改訂したものが第3番である。その違いを聴くのは何となく楽しい。
LSOライヴ。
ちなみに、タワレコ・オンライショップ内に掲載されている販売元提供の当CDの紹介文は以下の通り。
ハイティンク&ロンドンSOによるベートーヴェン・シリーズ第3弾。第7番&三重協奏曲、「田園」&第2番につづいて「英雄」&「レオノーレ」序曲第2番の充実カップリングが登場します。斬新でドラマチック。それまでの交響曲の流れを変えたとさえいわれる「英雄」に、激しく複雑な「レオノーレ」。ともにシリアスな内容にふさわしく、シャープでギュッと凝縮感のある響き。力強い低域に支えられ快速のテンポで進む演奏を、一貫したサウンド・ポリシーによる完成度の高い録音が万全にサポート。かねてよりLSOが幅広い音楽に柔軟に対応できる機能性の高さを備えたオーケストラであるのは誰もが認めるところ。新しくも普遍的なベートーヴェン像を構築する当シリーズ。
これを読むと、「何だ?話が違うじゃないか!」と、あなたは私のことをウソつきと思うでしょう、たぶん。
ぜひ、ご自身の耳で判断してみてください。
そして、私の書いていることが間違っていて、ハイティンクの名誉を傷つけたと感じたならば、それはそれでそっとしといて下さい。
ご存知の方もすっごく多いだろうが、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)は9つの交響曲を書いた。
第10番のスケッチとみられるものも発見され、それをもとに補筆完成した版もあるようだが、ブルックナーの第9番のように途中まで書かれていて未完成になったものではないから、そういう努力をしても誰もあまりほめてくれない。実際、ディスクは出ていないんじゃないかと思う。
ブラームスの交響曲第1番を、まるでベートーヴェンの10番目の交響曲のようだと賞賛した声があったが、もちろんあくまでブラームスが書いた交響曲であり、それを「ベートーヴェンの交響曲第10番」だと呼ぶ人は十中八九頭の調子が変だ。
しかし、ベートーヴェンには第1番から第9番までのほかに、もう1曲、交響曲と呼ばれることがある完成された作品がある。俗に「戦争交響曲(Schlacht-Symphonie)」と呼ばれる管弦楽曲だ。
そしてこの曲、あのベートーヴェンが残した大失敗作との悪名が高い。愚作呼ばわりされることもある。 正式な名称は「ウェリントンの勝利(またはヴィットリアの戦い)(Wellingtons Sieg,oder Die Schlacht bei Vittoria)」Op.91(1813)。
この作品はスペインでのイギリス軍vs.フランス軍の戦いで、ウェリントン侯率いるイギリス軍が勝利したのを讃えるために作曲された。もともとはパンハルモニコンという自動楽器のために書かれた。パンハルモニコンはメトロノームを改良したメルツェルの発明による機械で、軍楽隊の様々な楽器の音を出せるという。「ウェリントンの勝利」もメルツェルの委嘱によって作曲された。
なお、メトロノーム発明したのはオランダのヴィンケル。1812年のことだ。それを改良し特許を取ったのがメルツェルだという。
曲は2つの部分から成り、前半部分はビトリアの戦いの再現。イギリス軍はイギリスの愛国歌「ルール・ブリタニア」で、とフランス軍はフランス民謡「マールボロ将軍は戦争に行く(マールボロ行進曲)」で示される。後半部分は、イギリス国家が変形されて用いられ、イギリス軍の勝利を讃える。
この曲は交響曲ではなく交響詩だと言えるが、ベートーヴェンの時代には交響詩という音楽様式はまだ生まれていなかった。また、オーケストラの編成は大きく、さらに6本のトランペット隊が加わり、大砲や銃の音も鳴り渡る。
初演は、次作Op.92の交響曲第7番とともに行われたが、「戦争交響曲」は大好評を博し人気曲となった。しかし、同じように大砲が鳴り渡るチャイコフスキーの序曲「1812年」の運命とは異なり、いまでは「ウェリントンの勝利」は演奏会で取り上げられることはまずないし、録音も非常に少ない。
当時のヒットぶりはすさまじかったようだが、確かに耳にしたことのあるメロディーが使われているし、自分たちも苦しめられている憎きフランス軍をやっつけてくれたというストレス発散ができたということなんだろう。この曲の位置づけは、そういう意味では流行歌に似ている。
平野昭著「ベートーヴェン カラー版作曲家の生涯」(新潮文庫)に記述されている、1812年のベートーヴェンについて書かれた文章を紹介しておこう。
一方、この頃のベートーヴェンにはイギリス旅行という大きな計画があった。これはのちにメトロノームを発明する機械技師で、パンハルモニコンという自動演奏装置の発明者でもあるJ.N.メルツェルとの間でかわした前年からの約束でもあった。折しもスペインのビットリアでウェリントン将軍の率いるイギリス軍がフランス軍を打ち破ったという報せがウィーンにもたらされる。商魂たくましいメルツェルは、この戦いをテーマにしたパンハルモニコン用の《ウェリントンの勝利》を作曲するようにベートーヴェンを説くのであった。イギリスへ行くにはもってこいのプレゼント作品になると考えたのである。とりあえずイギリスまでの旅費を捻出する演奏会を開くことが先決問題となった。そこでベートーヴェンはオーケストラ用に《ウェリントンの勝利》を作曲し、12月8日のウィーン大学講堂における演奏会となったのである。
暮の《ウェリントンの勝利》と交響曲第7番の初演が大きな成功を収めたので、ベートーヴェンは相次いで演奏会を開く。大晦日の『ウィーン新聞』に広告をうったレドゥーテンザールでの演奏会が1月2日に開かれた。「拍手は満場にあふれ、聴衆の陶酔は極限に達した」と1月9日の『ウィーン新聞』は報告している。さらに2月27日の日曜日にも前述の曲に交響曲第8番を加えた演奏会がレドゥーテンザールで開かれたのである。
ところが《ウェリントンの勝利》の人気を目の当たりにしたメルツェルは、この作品の発案者として所有権を主張して、パート譜からスコアを作りそれを持ち出し、ミュンヒェンで演奏会を開いてしまう。ベートーヴェンはただちにメルツェルを告訴し、2人の友好関係は断ち切られたのであった。
この文ではメトロノームの発明者とされているメルツェルだが、それはともかくとして、とんでもない奴である。裁判の結果はベートーヴェンの勝利に終わったというが、今では失敗作の烙印を押されている「ウェリントンの勝利」が、生まれたころはすごい人気だったことがわかる。
CDは序曲「1812年」で先日紹介したドラティ指揮のもの。
こちらのオーケストラはロンドン交響楽団。
1960録音。デッカ(マーキュリー)。
宮部みゆきの「チヨ子」(光文社文庫。2011年7月20日初版第1刷)。
「個人短編集に未収録の作品ばかりを選りすぐった贅沢な一冊!」というキャッチフレーズ。「いきなり文庫で登場!」という煽り!
当然買いました、私。帯広駅の弘栄堂書店で(ということは、先々週の話だ)。
収められているのは、「雪娘」、「オモチャ」、「チヨ子」、「いしまくら」、「聖痕」の5作。
幽霊だ出たなどの、宮部みゆきが得意とする“超常現象”を絡めた作品群である。
私は、全体に切なさが漂う「雪娘」や、ユニークな視点から書かれた表題作となっている「チヨ子」が特に気に入った。
気になる方は、ぜひお読みください。
私はこれ以上は言えませんです。
幽霊という言葉でふと思い出したのは、私の子供のころにTVで放送されていた「宇宙怪人ゴースト」というアニメ番組。
このアニメを楽しみに観た記憶はまったくない。
そもそも、全然面白いと思わなかったし、ヒーローである“ゴースト”がちっともかっこよくないどころか、気味が悪かった。
だって、宇宙の怪人・ゴーストですよ!
スペースの怪人・幽霊なわけですよ!
ひっどくない?
これは「墓場の骸骨・ゴースト」とか「アンテナの不具合・ゴースト」とか、何でもできそうな安直なネーミングだ。
私は記憶しているのはたぶん再放送のものだったと思うが、歌も変だった。
で、今回ネットで調べてみたら、
ゴースト、ゴースト、ゴーゴー、ゴースト
限りない宇宙に
限りないエネルギー
宇宙怪人ゴースト
戦えば勝つ、必ず
……
ゴーゴーって、幽霊怪人、いや失礼、怪人幽霊をどこに行かせようって言うんだろう?
しかも、必ず勝つんだそうだ。
しっかし、どういう発想で作られたキャラだったんだろう? さて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ三重奏曲第5番ニ長調Op.70-1「幽霊(Geister)」(1808)。
「幽霊」という通称は、この曲の第2楽章の陰鬱な楽想からつけられたというが、そんな震え上がるほど怖い音楽ではない。
というよりも、作品そのものと“幽霊”との間に関係はまったくない。
私が持っているCDは、アルゲリッチ(p)、キャプソン(vn)、マイスキー(vc)による演奏のもの。2007年ライヴ。EMI。
アルゲリッチの室内楽作品集に収められているものである。
釧路に行ったときに思った。
伊福部昭の「釧路湿原」をウォークマンに入れてくればよかったな、と。
関係ないけど、カラスが2羽も道路で轢死していた。
釧路のカラスは鈍いのか?
チヨ子……。ロイズはチョコ。
ごめんなさい。深く反省しています。
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
- 12音音楽
- J.S.バッハ
- JR・鉄道
- お出かけ・旅行
- オルガン曲
- オーディオ
- ガーデニング
- コンビニ弁当・実用系弁当
- サボテン・多肉植物・観葉植物
- シュニトケ
- ショスタコーヴィチ
- スパムメール
- セミ・クラシック
- タウンウォッチ
- チェンバロ曲
- チャイコフスキー
- ノスタルジー
- バラ
- バルトーク
- バレエ音楽・劇付随音楽・舞台音楽
- バロック
- パソコン・インターネット
- ピアノ協奏作品
- ピアノ曲
- ブラームス
- プロコフィエフ
- ベルリオーズ
- マスコミ・メディア
- マーラー
- モーツァルト
- ラーメン
- ルネサンス音楽
- ロマン派・ロマン主義
- ヴァイオリン作品
- ヴァイオリン協奏作品
- 三浦綾子
- 世の中の出来事
- 交友関係
- 交響詩
- 伊福部昭
- 健康・医療・病気
- 公共交通
- 出張・旅行・お出かけ
- 北海道
- 北海道新聞
- 印象主義
- 原始主義
- 古典派・古典主義
- 合唱曲
- 吉松隆
- 名古屋・東海・中部
- 吹奏楽
- 国民楽派・民族主義
- 声楽曲
- 変奏曲
- 多様式主義
- 大阪・関西
- 宗教音楽
- 宣伝・広告
- 室内楽曲
- 害虫・害獣
- 家電製品
- 広告・宣伝
- 弦楽合奏曲
- 手料理
- 料理・飲食・食材・惣菜
- 映画音楽
- 暮しの情景(日常)
- 本・雑誌
- 札幌
- 札幌交響楽団
- 村上春樹
- 歌劇・楽劇
- 歌曲
- 民謡・伝承曲
- 江別
- 浅田次郎
- 演奏会用序曲
- 特撮映画音楽
- 現代音楽・前衛音楽
- 空虚記事(実質休載)
- 組曲
- 編曲作品
- 美しくない日本
- 舞踏音楽(ワルツ他)
- 蕎麦
- 行進曲
- 西欧派・折衷派
- 邦人作品
- 音楽作品整理番号
- 音楽史
- 駅弁・空弁
© 2007 「読後充実度 84ppm のお話」