昔は「ヴォトケーヌ」とも
バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)は前古典派の音楽家として、交響曲や協奏曲、ソナタの様式確立に大きく貢献をした。
その彼の作品にはベルギーの音楽学者ヴォトケンヌ(Alfred Wotquenne)が1905年に作り上げた作品目録の番号、Wq.がつけられている。
ヴォトケンヌはその前年の1904年には、グルックの作品目録も出版している。こちらも作品番号はWq.である。
C.P.E.バッハの作品にはヴォトケンヌ番号のほか、H.で表記される番号もある。
こちらはアメリカの音楽学者ヘルム(Ernest Eugene Helm)が1989年に作成した番号である。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの音楽の魅力はバロックのような響きとバロックにはない大胆ともいえる運動性。
近年評価が高まってきているとはいえ、もっと広く聴かれてもおかしくない作品がたくさんある。
数多い宝石のような作品の中から、今日はチェンバロ協奏曲ハ短調Wq.43-4,H.474(1771)
Allegro assai - Poco adagio - Tempo di Minuetto - Allegro assai の4つの楽章からなり、第1楽章が第4楽章で再び登場する形。
前も書いたが、この回帰が実に印象的。
美しいが影のあるメロディーが終楽章で再び姿を現すところは、街中でとても清楚だが憂いを湛えた美女を見かけ、数日後にその人を奇跡的、超偶然的に再び見かけることができた、そんなときめきめいた気持ちに襲われる。
バッハ・ファミリー
さりげなく変わっていた。
私が愛飲している炭酸水のことである。
愛飲しているといっても、私には炭酸水をそのまま飲む習慣はない。
「そのまま飲んでも美味しい」と書いてある商品もあるが、私の繊細な喉には痛いだけで美味しくない。
愛飲はウイスキーと出会うことによって(そしてレモンを絞りいれるとモア・ベストなのだが)はじめて極上の味わいになるのである。
私が特に好んでいる炭酸水の銘柄は、ガラナで有名な函館にある株式会社小原の“北海道の強炭酸水”である。
北海道産ということと、なにより低価格だということで……
低価格といっても、サツドラ(サッポロ・ドラッグ・ストア)以外で売られているのを見たことがなく、そのサツドラでは500mlのペットボトルが税別58円なのである(3月時点の記憶では)。
強炭酸というのもうれしい。炭酸ガス成分に余計に金を払ってるのかって逆思考する方もいるだろう。
そうなのだ。ガスに払っているのだ。人形は顔が命、炭酸水はCO2が命。
しかし、炭酸ガスはそこらへんただ同然に存在しているわけだ。
いずれ呼気と水道水からご家庭で気軽に炭酸水が作れる機械が開発されることを密かに願っている。なんか、変な臭いがしそうだけど……
おっと、肝心なことを書き忘れるところだった。
気がつけば、さりげなく商品名が変わっているではないか!
“北海道 サツドラの強炭酸水」に。
PBになったのね。
じゃあ、これをツルハやサンドラで買うことは、今後も絶対にできないってことなのね。
サツドラのポイント・カード作ろうかしら?
では、泡粒のような音の連なりの作品を。泡粒というと褒めてないように感じるかもしれないが、私としては褒めているつもり。
シュタイアーが弾いたC.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-1788 ドイツ)のチェンバロおよびフォルテピアノ作品集。
収録作品は次のとおり。
① 6つのソナタ「ヴュルテンブルク・ソナタ(Wurtembergische Sonaten)」Op.2,Wq.49(1744刊)から、第1曲「ソナタ イ短調」Wq.49-1,H.30
② 「『スペインのラ・フォリア』による12の変奏曲(12 Variations on the Folie d'Espagne)」ニ短調Wq.118-9,H.263(1778)
③ チェンバロ・ソロのためのソナタ(Sonata per il Cembalo solo) ト短調Wq.65-17H.47(1746)
④ 自由な幻想曲(Freye Fantasie)嬰へ短調Wq.67,H.300(1787)
⑤ 「識者と愛好家のためのロンド付きソナタと自由な幻想曲(Clavier-Sonaten und freye Fantasien nebst einigen Rondos furs Fortepiano,fur Kenner und Liebhaber)」第5集Wq.59(1785刊)から、第4曲「ロンド ハ短調」Wq.59-4,H.283
⑥ 同第5集から、第1曲「ソナタ ホ短調」Wq.59-1,H.281
⑦ 同第6集Wq.61(1787刊)から第6曲「幻想曲ハ長調」Wq.61-6,H.291
シュタイアーは①から③をチェンバロで、④以降をフォルテピアノで演奏している。
ヴュルテンブルク・ソナタや識者と愛好家のための作品集は、過去に取り上げているが、それ以外は初登場(って言い方も変か……)。
CPEBの相変らずの豊かな楽想を奏でる鍵盤の音が泡沫のように次から次へとはじけ飛ぶ。
日本語、変かしらん?
1987録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
たまに割安である4リッター入りペットボトルのウイスキーを買ったときに限って、そのスーパーで知り合いに会うのはなぜだろう。
ひどい飲兵衛のようで、バツが悪い。
医療が驚くほど発達していたなら今年300歳を迎えるC.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「6つのチェンバロ協奏曲(6 Concerti per cembalo)」Wq.43(1771)から、第4番ハ短調Wq.43-4,H.474。
この作品についてはここで触れているが、失礼ながらWq.183のシンフォニアのついでという扱いだった。
が、この曲、やっぱり良いのである。
私はとろっとしちゃうのである。
長いもをすりおろしていたときにも、思わず手を手を止めてしまった。
何が良いって、最初からそのメロディーにやられてしまうのだ、私は。脳殺……!
ま、CPEBの作品って、たいていはしょっぱなで勝負をかけてきて、ほとんど私は全敗状態なんだけど……
第1楽章の哀愁、憂い、切なさ、物悲しさ(同じようなこと並べてるだけか)。第2楽章はより深く悲しみに沈む。第3楽章で幸せを感じさせるメヌエットとなるが、それはつかの間。第4楽章は、あの第1楽章が音を上げて(ランクアップとかいう意味じゃありません)再び現れ、全曲を統一する効果をあげている。なんて計算高いんでしょう?(別なメロディーが思い浮かばなかったわけではあるまい……)。
4つの楽章が完全に独立しているのではなく、A-B-C-A'って形にしたんでしょう。たぶん。
J.S.バッハのチェンバロ協奏曲は技巧的にもっと凝っているのだろうけど、メロディーの魅力や回帰効果でみれば、この曲は父親のものに負けないものだと思っている。
今日は、シュタイアーのチェンバロ、ヘンゲルブロック指揮フライブルグ・バロック管弦楽団の演奏を。
1990録音。ドイツ・ハルモニアムンディ。
このディスクには他に「シンフォニア」Wq.182」から第3~5番(6曲からなるこのシンフォニア集の中で特に私が好きな第2番と第6番を意地悪にもはずしてくださっている)と、華々しいオーボエ協奏曲変ホ長調Wq.165(1765。チェンバロ協奏曲変ホ長調Wq.40(1765)のオーボエ版)が収められているが、いずれも響きが豊かですがすがしい演奏だ。
オーボエ・コンチェルトのソロはヴェスターマン。
曲の開始からいきなりひき込まれてしまう。
なんて明るく、すがすがしく、魅力的なメロディーなんだろう!
C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「マニフィカト(Magnificat)」Wq.215,H.772(1749)。
この晴ればれした響き!
輝いている。
チャラララ、ティラティラリン……
晴ればれビルに足を踏み入れたときの“非ウキウキ感 a la Basue”って雰囲気や、輝き鈍く時おりまばたきする黒いシミのある蛍光灯とは対照的な華やかさだ。
年度はじめにふさわしい……
いや、実はその晴ればれビルにもここ数年行っていない私である。
もしかしたらオサレに生まれ変わっているかも(すすきのの36線に面しており、位置的にはまったくもって場末ではありません)。
マニフィカトというのはマリアの賛歌。
Magnificat anima mea Dominum(わが魂は主をあがめ)の歌詞で始まることからこの名がついている。詞は「ルカによる福音書」第46~55章によっており、聖母のカンティクム(聖書に基づく歌のうち、詩篇に入れられていないもの)である。
第1曲はこのように歓喜、讃美に満ちた華やかな音楽だが、第2曲目はしっとりとした曲調に変わる。敬虔な気持ちになるが、その感触は父親J.S.バッハと異なり神妙さは強くないし、自由な感じである。動・静がほぼ交互に配置され、以下の9曲からなる。
1. Magnificat
2. Quia respexit
3. Quia fecit mihi magna
4. Et misericordia
5. Fecit potentiam
6. Deposuit potentes
7. Suscepit Israel
8. Gloria Patri
9. Sicut erat
第8曲では第1曲のメロディーが再び現れるが、これがまたGloriaにふさわしい。
そして、終曲でおおいに盛り上がって曲を閉じる。
かっこいいわぁ~。
シュミット=ガーデン指揮テルツ少年合唱団、コレギウム・アウレウム、アメリング(S)他による演奏で。
1966年の録音だが、音は良い。その暖色系の響きが、むしろこの作品に合っている。
ただしS=ガーデンの指揮は、やっぱ合唱指導者なのかなぁという感じ。部分部分は良いのだが、曲全体を通じた統一感のような面が希薄な気がする。
ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
新社会人のみなさん、頑張ってください。
これからの人生、いろんなことがあることでしょう。
ズボンに付いたクリーニングのタグを取り忘れて出社しちゃう。
1日かかって入力したデータを、注意不足で保管し忘れパーにしちゃう。
数日間連続して星座別運勢ランキングが12位のまま。
食事中、突然差し歯がとれてしまう。
正月に上司の自宅に招かれ、そこでいきなり一句詠めと言われる。
お局様に、油汚れがよく落ちる洗剤を買わないかと誘われる。
さらに、お局様にあなたの友達をを5人紹介しろと言われる。etc,etc……
こういった災難が待ち受けていないとも限りません。
でも、そんなことにめげずに頑張ってください。
シャレた曲だ。
初めて耳にしたときは、フランセ(Jean Francaix 1912-97 フランス)あたりが書いたコンチェルトかと思った。
でも、全然違う時代に書かれた曲なのである。
例えばフランセや、あるいはファリャなんかが書いたコンチェルトは、この楽器の復興を目的としていた。が、これは逆の意味を持っている。
今年生誕300年のC.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「チェンバロとピアノのための二重協奏曲(Concerto doppio a cembalo,fortepiano)」変ホ長調Wq.47(1788)。
この時代のドイツで、こういうシャレた音楽が書かれていたなんて、私はけっこうイメージを覆されたし、うふふふふっと微笑みたくなるような新鮮な驚きがある。
そしてメロディーだけじゃく、独奏楽器がチェンバロと、チェンバロの発展的後継楽器であるピアノである。すごい組み合わせだ。
スパゲティ・ナポリタンの付け合せにスパゲティ・サラダがのっかてるようなものとでも言えようか?
いや違う。
高級レストランでビーフカツレツを注文したら、一緒に出て来たのがイカリソースだったみたいな感じか?
いや、やっぱり違う。
スマホとガラケーを一緒に持って歩いているのと同じ感覚か?
あっ、そういう人けっこういるか……
じゃ、エクセルを操作しながら電卓で結果を確認してるとか?
いえ、もうやめます。
あっ、何のことはない父である社長が勇退し、息子が次期社長に就任するようなものだ。←もういいって……
C.P.E.バッハは、自分の父親によって終焉したバロック期とそのあとに訪れる古典派の時代の狭間にあたる、音楽史ではさらっと通過してしまう過渡期の、しかしながらとても重要な作曲家。交響曲や協奏曲、ソナタ― つまりはソナタ形式 ―はこの時期に発展した。
ピアノ協奏曲という音楽の形を完成させたのはモーツァルト(1756-91)だが、そこに至るまでC.P.Eバッハなど前古典派の音楽家たちが多くの貢献をしている。
C.P.E.バッハが書いた鍵盤楽器のための協奏曲は50曲以上にのぼるが、そのほとんどがチェンバロ協奏曲。
死の年に書かれたこの二重協奏曲で、すっごいことをやってしまった。
過去の楽器になりつつあったチェンバロと、将来有望なピアノ(初期のピアノであるフォルテピアノ)を“競奏”させたのだ。
ある種キワモノ。
新しい楽器の魅力を古い楽器と対比させることで際立たせようとしたのか、それともチェンバロはまだまだいけると意図したのかわからないが、ユーモアだとしたら一流だし、実験だとしたら大胆だ。
ユニークなだけじゃなく、上述したように(特に第1楽章が)かなりシャレている。
このミスマッチだか相性が良いのかわからない迷曲。みなさんにも是非ともお薦めしたい(フォルテピアノのぎこちない音色がチェンバロに追いつけ追い越せ的でまたまた良い!)。
インマゼール(フォルテピアノ)とケリー(チェンバロ)の独奏。コレギウム・アウレウム。
1982録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
この画期的(?)コンチェルトが書かれたC.P.E.バッハ最後の年に、モーツァルトはもう第26番となるピアノ協奏曲「戴冠式」を書いている。
本日は土曜日ながらお仕事である。
私が好きな作曲家で不動の地位にあるのは、マーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭だが、それに加えベルリオーズ、C.P.E.バッハもかっなり好きだ。あと、ボロディンも。
そんでもって今日はC.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)のシンフォニア集を。
ツァハリアス指揮ローザンヌ室内管弦楽団による、2013年録音のもの。
収録作品は
シンフォニア ハ長調Wq.174,H.649(1755)
シンフォニア ヘ長調Wq,175,H.650(1755)
シンフォニア ホ短調Wq.178,H.653(1756)
シンフォニア 変ホ長調Wq.179,H.654(1757)
シンフォニア ト長調Wq.180,H.655(1758)
シンフォニア ヘ長調Wq.181,H.656(1762)
の6曲。Wq.177が飛ばされているのは、Wq.177はWq.178の異稿(編成が弦楽合奏)だからだろう。
CDをplayするといきなり爽やかすぎる音楽、演奏が耳に飛び込んでくる。脳が、ノーミソが「潤うぅぅぅ~っ」と喜び、ニューロンたちがヒアルロン酸のさざ波に癒される感じだ。
C.P.E.バッハのシンフォニアとしては、これらは初期のもの。
「6つのシンフォニア(ハンブルク交響曲)」Wq.182(1773)や「4つのシンフォニア」Wq.183(1780刊)に比べると過激度、怒濤度は少ない。いずれもベルリン時代に作曲されているが、この地の保守的な趣味に合わせたらしい(Wq.178はかなり革新的だが)。
音楽が爽やかな上に(作曲家の肖像とこれほどミスマッチな例も少ないのでは)、加えて演奏がみずみずしい。
この6曲のなかでも、とりわけ私が好むのはホ短調Wq.178。過激度も高い。
すがすがしさが、この曲の持ち味を殺しちゃっている。まぁ、半殺しぐらいだけど。低音がズシンと来てほしい。レミー盤のようにホルンがいかれちゃって欲しい。ベルリン古楽アカデミーのように叫んでほしい。
というわけで、Wq.178の演奏には不満が残る。
2013録音。MDG(SACD)。
C.P.E.バッハは本年が生誕300年。
みずがめ座の私は先日誕生日を迎えてしまったばかりだが、生誕300年のエマヌエル氏に比べるとまだまだ小僧だ(ゾウガメかっ!?)。
ちなみにモーツァルトはC.P.E.バッハについて、「彼は父であり、われわれは子供だ」と言ったという。
それはともかくとして、今日は日向山課長たちと道東方面に出張に行って来る。
その日向山課長に、昨日の夕方、スーパー(フクハラ)でばったり会った。
彼の買い物かごには、その時点でタマネギが1個入っていた。
だからなに?って話だが……
ハイドンにシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期の交響曲ってぇのがあるなら、こっちだって時代的には疾風怒濤期のものである。
C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ。しつこい男のようにしつこく何度も言うが、音楽室に肖像画が飾られているJ.S.バッハの次男坊である)の「4つの管弦楽シンフォニア(Orchester Sinfonien)」Wq.183,H.663-666(1780刊)。
同じ時代のハイドンよりも疾風怒濤しているのである。
今日はタルパイン指揮ソラメンテ・ナトゥラリの演奏をご紹介。納豆売りみたいですね。
この作品、これまでコープマン、リヒターやコッホの演奏を紹介したが、タルパインの演奏はこれらとはまたちょっと違うものだ。
激しい感情のおもむくくままではなく、ここは大人の対応とばかり、たかぶる感情をうまくコントロールしている。おかげで過呼吸にならずに済むわい。
つまりは、クレームをつけて店員に土下座させるような制御不能女とは違うわけだ(コープマンもリヒターもコッホも土下座強要女とは違うけど)。
また、オーケストラの音色が素朴で、国産大豆100%使用の納豆のよう。よくわかんない例えだけど。
さらに、エマヌエル・バッハがホルンを実に効果的に扱っているのがよくわかる演奏でもある。チェンバロも目立った存在感を示しており、激しさの中に美しい華を添えている。
コッホもコープマンもリヒターも優れた演奏だが、タルパインなる木材のような名の指揮者のこの演奏も、私が自信をもってお薦めするものだ。私の自信なんてはかないものだけど……
奥さん、お嬢さん、お坊ちゃん、旦那さん、ウソじゃない。これが700円以下で買えて、しかも聴けるなんて夢のようではないですか!
2007録音。ブリリアント・クラシックス。
このCDにはトポロヴスキをソリストに迎え、同じエマヌエル・バッハの「6つのチェンバロ協奏曲」Wq.43(1771)から、第4番ハ短調Wq.43-4,H.474も収められている。
この曲も一度耳にしたら忘れられない、もの悲しいなかにも激しさ、強さを秘めた作品。おしん的キャラだ。
終楽章は第1楽章の再現(同一ではない)。メランコリーと激情の倍返し。
それが、私の胸にはグッときちゃうのである。
いけないことだとわかってはいるが、先日飲んだ帰り道、やってしまった、私は。
どうも空腹でしょうがないような気がして-考えてみるに、居酒屋ではたいして食べなかったのは事実だ-コンビニに寄った。
このときは温かいソバが無性に食べたかった。
ほらほら、私のために並んで待っているではないか!レンジで温めるソバが。これってホントに便利で、なかなか美味しい。
おや、2種類ある。
1つはかき揚、もう1つは山菜そば。
私が山菜ソバを選択する可能性はほとんどない。
この日も本能の赴くままにかき揚ソバを買った。
家に帰ってレンジに入れて、ネギやらかき揚がのってい中蓋をとって500Wで3分30秒。
ピー、ピー、ピーという音が、予想通り3分30秒後に鳴り渡り、私はやけどに気をつけるようにとの注意書きに忠実に従って丁寧に取り出し、トッピングを乗せた。
最初の一口分を箸で持ち上げたときに、私は驚愕の事実を突き付けられた。
ツユにまみれているが、この麺はソバではなく、明らかに白いうどんだ。
ゴミ袋に中に捨てられクシャおじさんの顔のようになっている包装フィルムを、ヌリカベのように広げて品名を確認すると……おやおや、ちゃんとかき揚うどんってかいてるじゃあないの!
ソバが食べたかったのに……。
なのに、なのに白いウドン。強引に略せばシロン。
にしても、買う時になにをとち狂ったのか!?
さらに、中蓋を外した時になぜ気づかなかったのか?(そこで気づいたところで先へ進むしかないが)。やれやれである。
ウドンはウドンで、美味しかったけどね……
C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-1788 ドイツ)の「6つのソナタ」Wq.63。副題は「正しい鍵盤楽器のための試論(Zu Versuche uber die wahre Art das Clavier zu spielen)」Wq.63(Wq.はヴォトケーヌ(ヴォトケンヌ)による作品目録(1905出版/1955改訂)の番号)。
「6つのソナタ」H.70~75(1753)と「6つの新しいソナティナ」H.292~297(1786)の12曲から成る。なお、H.はヘルムによる作品目録(1989出版)の番号である。
ずいぶんと仰々しい副題がついてるが、もっとわかりやすく訳せば「正しいクラヴィーア奏法の試み」である。で、これ実は教本の名前。世界三大クラヴィーア教本の一つに数えられる歴史的名著なんだそうだ。この本に載っている練習用の作品がこの12曲である。
「6つのソナタ(6 Sonaten)」は18曲の練習曲を3曲ずつまとめて6曲のソナタとみなしている。また、「6つの新しいソナティナ(6 Sonatine nuove)」は第3版(1786)の際に初心者のために加えられたもので各曲とも単一楽章から成る。
ソナティナの方は6曲合せて11分ほどのもの。ソナタは短いもので6分強、長いものではこの時代にしては長大で14分弱にも及ぶ。
バロック期と古典派の中間の時代に書かれたこの曲、なんだか去勢された少年のような、あるいは声変わりしていないオッサンのような、どっちつかずのやじろべえ的魅力がある(私が去勢男子や声変わりをしていないオッサンが好きだという意味ではない。誤解のないように。そもそもそういう人に会ったことないし)。
練習曲と甘く見ちゃいけない、なかなか聴かせてくれる作品だ。
ホグウッドのクラヴィコードによる演奏を。
クラヴィコードは鍵の奥に取り付けられた金属の小片が弦をたたいて発音する矩形の鍵盤楽器。チェンバロともピアノとも違う、独特の音を持つ。
この演奏で圧巻なのはソナタ第6番の第1楽章。
激しいなんてもんじゃない。鍵か何かがぶつかる音が生々しい。
1980録音。オワゾリール。
なお、先にソナティナが、そのあとにソナタが収録されている。
この↓中古品が、たぶん同一のディスクだろう。
ウドンといえば、村上春樹の「辺境・近境」(新潮文庫)の中の「讃岐・超ディープうどん紀行」は実に面白い。
が、安くて美味しくても、私はもっと落ち着いた環境でうどんをすすりたい。
昨日は14時過ぎに仕事を終えて帰宅。
帰宅後すぐに車のタイヤをスタッドレスに交換。
昨シーズン新たに購入したブリジストンのアイスパートナーだが、確かにお店の人が勧めてくれただけあって、制動力としては安価な割に運転していてヒヤっとしたことは一度もなかった(今年の春に同じ店に夏タイヤを購入しに行った際、「アイスパートナー、なかなか良いです」と言ったら、その整備員さんは「だって、ブリジストンですもん」と答えた)。
そのあと近ごろずり落ちやすくなっていたメガネの調整をしに行き、帰って来たらもう晩酌をしなきゃならない時刻になってしまっていた。
明日はもう月曜だ。
貴志祐介の「悪の教典」の主人公の英語教師、愛称“ハスミン”こと蓮見は、しょっちゅう「モリタート」のメロディを口笛で吹いている。
「じゃあ」とばかり、自宅に帰った私はおととい(つまり木曜)の朝「モリタート」を口ずさみながら締まって硬くなった雪相手に雪かきを開始した。
なぜ口笛ではなく口ずさんだかというと、私は口笛を吹くのが下手だからである。誰かがそばにいたらすきま風と間違えられる可能性が高いほどだ。
「モリタート」(詳しくは「メッキー・メッサーのモリタート」)は英語名「マック・ザ・ナイフ」といい、ヴァイルの「三文オペラ」の第2曲。そして、「三文オペラ」のなかでは最も有名な曲だ。日本語のタイトルは「七首マッキーの殺し歌」。
しかし、除雪にはどうもこの曲は合わない。2回雪をすくっただけでそう判明した(なお、「三文オペラ」については、気が向けばこちらをご覧いただきたく思う所存である)。
こういう作業には、やはり明るくてリズミカルな音楽が合う。
そこでアンダーソンの「タイプライター」を口ずさんでみた。
が、この曲のテンポで雪かき(の道具)を操るのは絶望的に困難だ。あらかじめ予想はついたが、予想通り無理だった。仮にこのテンポでチャカチャカと雪下ろしをしても(きっと通行人から見たら早送りのように見えるだろう)、すぐに極度の疲労に達し、足がよろけ、屋根のへりで足を踏み外し、地面に落下し、「チンッ!ジャン!」と音楽の終わり方と同様の結末を迎えるだろう。
で、あまり一般的ではないかもしれないが、私にとっては重要かつ大好きな作曲家の1人、C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「シンフォニア集」Wq.182,H.657-662(1773)を口ずさむ。これは案外いけた!
Wq.182は6曲のシンフォニア(交響曲の前身)から成る曲集で、オケの編成は弦楽。
この中では第2番が最も有名だが、私としては第6番が異様に好きである。
にしても、最近の私、CPEづいててすまん。世の中はAKBだっていうのに……
今日はピノック指揮(兼チェンバロ)/イングリッシュ・コンサートの、これまたシャープな演奏を(私の知る限り、C.P.E.バッハのシンフォニアの録音のほとんどがシャープで過激。これは実に喜ばしいことだ)。
1979録音。アルヒーフ。
さて、雪かきであるが、固く凍りかけた雪のせいで、結局1時間でギブアップしてしまった。
根性無しで申し訳ない……
昨日、若き日のハイドンがC.P.E.バッハの作品を研究していたということを書いた。
ハイドンは1732年生れ。一方、J.S.バッハの次男としてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach ドイツ)が生まれたのは1714年(1788没)。
単純に引くと、ハイドンが18歳下ということになる。
そのC.P.E.バッハの作品から、今日は「トリオ(Trio per il cembalo obligato,Flauto traverso e viola」イ短調Wq.93,H.537(1788)。
作曲年でわかるように、C.P.E.バッハが亡くなる年に書かれた作品の1つ。トリオの名がついているが、チェンバロ、フラウト・トラヴェルソ、ヴィオラ、チェロの4つの楽器で演奏される。
3つの楽章から成るが、憂いと悲しみをたたえた出だしから、私はこのトリオのとりお、いや、とりこ。
しかも、ここで紹介するCDはチェンバロではなくフォルテピアノが用いられており、そのぶっきらぼうで乾いた、そして枯れた音色がとっても素敵である。
マギーガンのフルート、マッキントッシュのヴィオラ、プリースのチェロ、ホグウッドのフォルテピアノ。先日紹介したシンフォニアH.176と同じディスク。
1976録音。オワゾリール。
乾いた、枯れたと言えば、前に報告したバラの“ラ・パリジェンヌ”。
どう考えても枯死しましたです。
あぁ、なんてことをしてしまったのだろう!
かわいそうに!
かつ、かわいそうに!
(前者はバラに対して。後者はお金を払ったのに無駄になった気の毒な私に対して)。
さて、今朝自宅のカーポートを確認したら、傾きはそのままでひどくなっておらず、しかも屋根の積雪はまったくたいしたことになっていなかった。まずは大いに安堵。
物置の方は、屋根の積雪がかなりのものになっているのに、なぜカーポートの積雪は増えていないのか、正直なところ不明。
だが、少なくとも私にとっては良い方向に傾いたわけで、深く考えないことにする。
MUUSAN
クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。
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