読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

ブルックナー

熱血演奏でストレス緩和♪ヨッフムのブルックナー/Sym8

8bb8fcc8.jpg  将来-といっても今年の秋のことだ-の“ブログ人”サービス終了に備え、まずはgooブログに登録した。まだ無料版にとどめている。

 なんだかOCNが推奨するからといって、言われるがままにgooに移行するのははっきり言って癪だ。けど、テクニカル面でそんなに知識が無い私には、推奨先以外に切り替える自信がこれっぽっちもないと自信をもって言える。また、テクニカル面であまり知識がないと書いたものの、テクニカル面以外では何ら問題がないほど知識があるかと問われれば、これまた「無い!」と胸を張って言える。

 このブログの最近の記事をgooブログにも載せたが、まずもって自分でしっくりくるテンプレートが見つからない。gooのテンプレートの数は実はブログ人より多い。だから、たぶんそのうちしっくりくるものが見つかるか、見慣れてしっくり感じるようになるのかもしれない。が、それには何度も選び、とっかえひっかえ表示させ、やっぱり気に入らないという経験を涙があふれるくらい繰り返さなきゃならないだろう。そう考えるだけで、気持ちが重くなるし、そこまでして続ける意味合いがあるのだろうかとも思ってしまう。
 OCNはせめてもの罪滅ぼしで、ブログ人のテンプレートをgooのテンプレートに移譲してくれんだろうか?そんなはかない願いを心に抱いている。

 まだ全然慣れないので、写真の入れ方もよくわからない。が、サイズ指定ができないようで、これまたまいった。
  現在のカテゴリーがどうなるのかもさっぱりわからない。右も左もわからない砂漠に投げ出されたような気分だ。
 とにかく初めて北海道の田舎町から東京に移り住んだ身寄りのない老人のような心境だ。

 そんなことやら愛想っ気のないマーラーなんかを聴いてきたりで、ストレス発散とばかりヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)を久々に聴いた。
 曲は交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂1889-90)。使用楽譜は1890年稿ノヴァーク第2版。

 これ、一糸乱れぬ演奏ではない。が、熱く燃える入魂の輝きが興奮をもたらす。胃もたれしない適度な濃厚さ。溢れんばかりの生命力。私は10日ぶりに水を与えられた観葉植物のようになった。
 やはりヨッフムのブルックナーはすばらしい。

 1976録音。ワーナー。

続けすぎて膨満感…♪ヨッフム/ドレスデンのブルックナー/Sym5

797f2e2d.jpg  昔、幕の内弁当というのは俵型になったご飯が入っている弁当のことだと、私は思っていた。

 が、ご飯をただふつうに詰めたものも幕の内弁当であると知ったとき、なんだかつまんない気持ちになった。ただの弁当じゃん、それなら。そして、私はただの弁当のことを幕の内弁当と称するのだと、気持ちの整理をし、現在に至っている。

 月曜日の会議では昼食で弁当が出たが、そのご飯は俵型だった。
 現在、ご飯を残すように心がけている私としては、実にありがたかった。
 というのも、8つある俵のうちいくつ残すかということで、容易に分量調節ができるからだ。

 最初に4個+4個で2列になっている俵のうち、上の列の右端1個ならびに下の右側2個を隔離するように箸で溝を深くし、5個を食べることにした。
 3俵だと6口分くらい残すことになり、ちょっと食べ足りないのは明らかだが、おしっこが甘くなるよりは断然ましだと我慢した。

 一方、おとといの会議でも昼に弁当が出たが、それは普通にご飯を詰めたものだった。
 もう失望も落胆もしない。こういうことには慣れた。

 で、ほぼ正しく3口分を残した。
 そしてまた、わずかながらも入っていた野菜は食べたし、最初に煮物のしいたけを食べた。食事のはじめにキノコを食べることは良いことなのだそうだ。看護師曰く。

 そんなこととは関係ないが(ごはん→ごばん、という関連性を指摘するには無理がある)、ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲シリーズから、今日は交響曲第5番変ロ長調WAB.105(1875-78)。

 この演奏もすばらしい。音楽が自然に息づいているような流れがある。

 実は私、ブルックナーの交響曲では第2番と第5番があまり得意ではない。取り上げている回数も少ないはずだ。聴くのに得意も不得意もないのだが、はっきりいえば、好きではない。
 でも、この演奏では苦痛を伴うことなく聴きとおせた。
 それは、うまくいえないが、ヨッフムの上手さなんだろう。
 1980録音。ワーナークラシックス(EMI)。

 この演奏の使用楽譜はノヴァーク版だが、私がこの曲を最初に聴いたとき-それは廉価盤LPの購入によってであったが-の演奏は、シャルク改訂版を用いていた。
 クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルの演奏である。

 クナの録音はシャルク改訂版を用いた演奏として有名なものだが、この改訂版自体がすこぶる評判が悪い。大胆なカットやオーケストレーションの変更が行なわれており、ここ30~40年はもはやほとんど演奏されていないようだ。

 はたしてその演奏がどういうものだったか私はすっかり忘れてしまったが、いまだに5番が苦手ってことは、このときにそうとう好きになれない何かがあって、その後遺症だと思っている。

 なお、ヨッフムが指揮した5番としてはアムステルダム・コンセルトヘボウ管を振った「ライヴは必聴」と中野雄氏が書いているが(「クラシックCDの名盤 演奏家篇」:文春新書)、私はその言葉に従わず、まだ聴いたことがない。

 ところで、最近ブルックナーを聴くことが多く(そして記事にもしてきたが)、ちょっと食傷気味な私。げっぷが出ちゃう感じぃ~。だからブルックナーはちょいと休もう。
 そういえば、げっぷが出るほどおなかいっぱい食べてないな、最近……
 相変わらずげっぷが出るほど炭酸は飲んでいるけど。

 昨日の午前中に札幌から帯広に移動。
 沿線にオオバナノエンレイソウなどの山野草が咲いているのが車窓から見えたが、この季節、山野草好きの運転士がいたら、たまらなくうれしいだろうな。そんなことを思ってしまった。

ああなると“弁当”じゃなく“おつまみ盛り合せ”♪ヨッフムのブルックナー/Sym6

0b7b8705.jpg  ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106(1879-81)。

 冒頭の低弦のズリリヴァァァァンという響きに思わずヒヤリ、いや、ニヤリ。

 太った人が車に“Heavy  in Car”というプレートを張って運転しているかのようだ。わかりにくく、かつ、現実味に乏しい例えですまないが。

 この作品は「ブルックナーの『田園』」と言われることもあるそうだが、そんなわけでヨッフムの演奏だとベートーヴェンの交響曲になぞらえるなら、「田園」ではなく第7番的仕上がりと言える。

 Heavyといえば、見た目は太って見えないくせに日向山課長は体重が一時期80kgを超えていたそうである。80kgといえば米40袋分である(1袋2kgなら)。
 そこで彼が決意したのは炭水化物ダイエット。昨日現在、まだ続いていた。いつから始めたか知らないが、今もまだ70kg以上あることは間違いないだろう。

 数日前に大きな会議があり、昼食に弁当が出たが、日向山課長は隣に座っていた橘皮(きっかわ)課長に、「あげるよ」とご飯をそっくりあげていた。橘皮課長のご飯は当然、heavyな高見山がかつて叫んでいたように、2倍の厚さになった。ご飯だけではなく、中央に置かれた梅干しも一緒にあげたわけだが、ほかのおかずも少しはプレゼントすればいいのに、と私は見ながら思った。
 その橘皮課長は大のご飯好きだそうで、2倍になったご飯を完食していた。

 私はといえば、ご飯は相変らず3口分-それもおちょぼ口サイズではなく、通常サイズの分量で3口分-ちゃんと残したし、エビフライには手も口も舌もつけなかったし、明らかに手抜きと思われる手を加えずにそのまま入れられているスライスハムも残した。鮭の切り身も半分は残した。
 蓋が透明なので、弁当箱を片づけるときにちょっとみっともないかなと思ったが、自分の体がみっともなくなるよりは良いだろう。

 さて、ヨッフムのこの録音に話を戻すが、骨太の男気(おとこぎ)溢れる演奏だ。
 金管がワイルドに叫ぶ。
 ただ、特に第1楽章においてトランペットの音が安定してないところが気にかかる。下手なわけではないだろう。叫び方が独特なのだ。

 緩徐楽章の第2楽章は感傷的に陥らず、ここには純粋な美がある。

 第3楽章もキリリと引き締まる。

 終楽章は緩急の差をつけて、動と静の対比が見事。最後の一音が、もうちょっとバシッ!としてくれたら言うこと(あんまり)無いのになぁ、と私は無い物ねだりをしてしまうが……

 1978録音。ワーナー(EMI)。使用楽譜はノヴァーク版。

 このあと、フロントガラスの修理(交換)のために車を工場に連れて行く。
 1泊2日だ。いや、それは車だけで、私は工場に泊まらないが……

で、ロマンティックの定義とは?♪ヨッフムのブルックナー/Sym4

d87fd3e9.jpg  いよいよ1週間後にブドウ糖負荷試験とやらを受ける。

 前にご報告したとおり、かかりつけの病院の医師のご厚情により、この検査を受けることになったのだ。

 私としては何としても糖尿病になりたくない(誰だってそうだろうけど)。

 ということで、小食を心がけるようになって20日ほどになった。
 炭水化物ダイエットのような極端なことはできない。できても長続きしない。自分のことは自分がいちばんよくわかっている。
 だからラーメン+小ライスなどをやめることはもちろん、外食の際にはご飯などをたとえ少しであっても残すように心がけている。作ってくださる方には申し訳ないが……

 朝は茶碗で2膳食べていたご飯を1膳にした。

 昼は、最近では

  7日 会議での弁当。ご飯3口分と小ぶりの豚の角煮を残す。
  8日 会議での弁当。ご飯3口分とエビフライ、豚の角煮を残す。
  9日 食堂で定食。おかず類は完食したが、ご飯は半分残す。
 10日 ひび割れ騒動のあった日。昼は外出の途中でコンビニのおにぎり1個。
 11日 自宅でカレーライス。ただしご飯の量は茶碗で2/3程度。

というまるで痩せようとしている人のような行為を続けているが、実際痩せたいのだ。肝臓にたまった脂肪や血液中に広くしかも高濃度に分布している中性脂肪を減らしたいのだ。
 4月末に68.9kgあった体重は、昨日現在で67.3kg。

 なんだい、たった1.6kgかい……

 でも、炭水化物の摂取を減らすと、体重が減ることはわかった。それが今後、糖尿病関連の数値にどう反映しているかはわからないが……

 そんな話とはほとんど関係ないが、ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック(Die Romantische)」(1874)。

 ヨッフムのブルックナーは定評があるが、この第4番も魂が揺さぶられる演奏だ。
 かたまり(塊り)じゃなくてたましいですからね!

 重量級なのにキビキビと若々しく進んでいく。もったりしたところがない。
 元気ハツラツ、豪快な第1楽章。
 しっとりしてべたつかない高級化粧品を塗ったくった美人の肌のような第2楽章。
 ガンガン突き進む部分と美しい部分の対比が見事な第3楽章。
 各パートのぶつかり合いがすさまじいメリハリ十分で刺激的な終楽章。

 曲が終わったあと、熱い興奮とゾクッとする感動に包まれる(終楽章のコーダに関しては、じわりじわり迫り来る、まるで恐怖めいてるチェリビダッケの演奏の方を個人的には好むが)。
 「ロマンティック」という副題(実は出版されている楽譜にはこの副題は記されていない。ブルックナー自身が「ロマンティック」とつけたかどうかはわからない)にとらわれないで聴いた方が良いだろう。

 使用楽譜は1886年稿(第2稿)ノヴァーク第2版。
 この版は1878-80年の第2稿に若干の改訂が加えられたものだが、ノヴァーク自身は1886年稿とは呼ばず、従来の1878-80年稿の呼び名を踏襲している。 

 1975録音。ワーナー(EMI)。 

 ところで国語辞典で“ロマンティック”って言葉を調べると、「伝奇的、浪漫的、空想的」と書いてある。なんだか私にはよくわからない。

 どこかで読んだところによると、ブルックナーって糖尿病も患ってたんだってさ……

ズレの妙技♪ブルックナー/Sym3(ヨッフム/ドレスデン)

f38a2b37.jpg アントン・ブルックナーは、日本でもっとも人気がある作曲家のひとりである。「深い森の中にたたずむような」と言われるように、神秘的で静謐な美しさが特徴的である。と同時に、オーケストラを大きく鳴らす豪快な音響も登場する。こちらは「アルプスの巨峰」だの何だのと形容される。いずれにせよ、静かな部分と、盛り上がった部分の対比が著しい。そして、曲の最後ではすさまじいクライマックスがやってくる。

 こう書いているのは許光俊である(「生きていくためのクラシック」:光文社新書)。

 一方で、都響のヴィオラ奏者(当時)の中山良夫は、金子建志編「オーケストラの秘密」(立風書房)のなかで、次のように書いている。

 一般に作曲家という人種はブルックナーをあまり高く評価しないそうである。作曲法、管弦楽法など、とにかくどの点から見てもダサいのだそうだ。まあ演奏する側からみてもおよそプレーヤーの生理に反することをしばしばやらされるのでウンザリということはよくある。例えばシンコペーション。ある旋律と同時にそれを8分音符や16分音符1個分遅れた形で別のパートが追いかけるというのはブルックナーがよく使う手なのだが、ご想像のとおりテンポが速いほどこれは難しい。油断しているとほかのパートにつられていっしょになってしまう。

 聴く側とやる側のギャップ……

 そして、交響曲第3番の終楽章について、こう続ける。

 たとえばこの交響曲第3番終楽章で第1、第2主題提示後の強烈なフォルティッシモの部分を聴いていただきたい。アレグロ、2分の2拍子で中音域以上の楽器が4分音符だけの旋律をひき、低音域の楽器が同じことを8分音符1個分遅れて追いかける。その効果は正に圧倒的で、大伽藍におけるものすごい残響をともなうオルガンのユニゾンといったところだろうか。

8acc371c.jpg  そのブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第3番ニ短調WAB.103(1872-73/第2稿1876-77/第3稿1888-89)を、ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンの演奏で。

 弦も管も咆えまくる。とにかく雄弁。かつ切れ味抜群。
 終楽章は高音域がちょっとキンキンしていてヒステリックかなとも思うが、迫力は満点。
 若々しい粗さが聴き手を熱風で攻撃してくる。

 1889年第3稿ノヴァーク版を使用。
 1977録音。ワーナークラシックス。

 この第3番の第2楽章にドヴォルザークの「新世界交響曲」の第2楽章、あの「家路」そっくりの、というか「家路」そのものの断片というべきメロディーが登場する。
 でも、どうしてみんなそのことには特に触れないのだろう?

 そんなことを考えながら、冷蔵庫の中でいつの間にか熟しすぎてしまっていたアボカドを食べた。

 で、昨年失敗した水栽培に再びトライすることにした。
 それにしても、私としてはやっぱり“アボガド”と呼びたい……

暇なんてねぇよ!♪ヨッフムのブルックナー/Sym1

68a27eb3.jpg  すでに何回か、クレンペラーが振ったブルックナーのシンフォニーの演奏をこのブログで取り上げているが、ブルックナーっていやぁヨッフムがいたじゃんってことを思い出し、あらためて聴くことにした。

 クレンペラーだのヨッフムだの、ここにきて古い指揮者の演奏に個人的リバイバルしているが、なんだか自分が赤ちゃん返りしているような気がしないでもない。
 赤ちゃん返りじゃなく、ビッグクランチといえばカッコイイかな?ビッグクランチっていうのはビッグバンの反対の現象のことで、大食いの昼飯のことではない。

 それはともかく、ヨッフムのブルックナーといえば、最初の全集も評判が高かった。が、下記の理由から、ドレスデンとのものをきちんと聴く決意を固めた。

                         記

 1. 理由
 「クラシックCDの名盤 演奏家篇」(文春新書)で中野雄氏はヨッフムが録音したブルックナーの交響曲全集について、「オーケストラから、作曲者の天職であったオルガンの響きが聴こえる。全集は二種類あるが、録音状態も考慮に入れればドレスデン国立管弦楽団といれたEMI盤か。ヴァントやカラヤンには、この天国的な壮大さと、何よりも宗教的安らぎがない」と書いている。そのため、ドレスデン国立管弦楽団との録音を選定いたしたい。

 2. 目的
 鑑賞するため

 3. その他
  (1)個人的にはボックスとスリーヴの色が抹茶のようで好きだが、抹茶自体は特に好きではない。
  (2)もう1つの全集は、ベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団を振ったものである。

 ♪ 

1257c0ee.jpg  そのヨッフム/ドレスデン国立管(シュターツカペレ・ドレスデン)によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲全集から、今日は第1番ハ短調WAB.101(1865-66/改訂1890-91)。使用楽譜はリンツ稿ノヴァーク版。

 はっきりいって参った。
 これまで聴いてきた第1番の演奏の中で、最も興奮させられた。ブルックナーの交響曲の中でも1番は好きな方だが、この曲をこれほどすばらしいと感じたことはなかった。驚いた。
 所有しているCDのうち、少なくともあまりお気に召してなかったバレンボイム盤を聴くことはもうないだろう。

 とにかく私はべた褒めしたい。ヨッフム、うっふん!って気持ちだ。
 あまりにも心奪われ、やや“あばたもえくぼ”状態になっているかもしれないが……

 冒頭のズンズンズンズンというリズムに渋く呼応するホルン、盛り上がっていくヴァイオリン。それはヒュルヒュルヒュルヒュル~と越冬ツバメのアクロバット飛行のごとし。
 第2楽章のブラックホール的凝縮度。あくびする暇さえ与えてくれない。
 第3楽章。この不機嫌なダンスも盛り上がり十分。生意気さ十分。
 そして第4楽章の威圧的迫力。最後は激しくも優しい輝きを放つ。
 ブルックナーの第1番を聴き終えて、こんなため息をつくことがあるなんて思ってもみなかった私。
 あっはぁ~ん……

えっ、もう終わっちゃったの?♪クレンペラーのブルックナー/Sym8

6d1c8a9b.jpg  さて、歯科医院に行った報告である。

 おととい、出張先の札幌からご覧の特急に乗った。乗る前にキヨスクでサザエのおにぎり弁当を買う。12時まで待ちきれず、新夕張で開封してしまった。そして、昼過ぎに帯広に到着。

 歯が脱落して半月。
 待ちに待ったというわけではなく、行かざるを得ない状況で、予約を入れていたこの地の歯科医院に行った。この間私が経験した焦燥感、孤独感、疎外感はすでに書いてきたとおりだ。

 その話の前に、南千歳と追分の間の沿線でこんな看板を見たが(いや、前からチェックしていたのだ)、まわりは草原、畑、見通しの良い雑木林。
 ほとんど人通りはないと思われるが、それなのにここ(隠れる場所もなさそうだ)で人を待ち構えるやつがいるらしい。変な奴だ。変な奴だから不審者、ひいては変態というのだが……
 
b9c0e183.jpg  あの話に戻る。
 私はこの20年間ほど、これまで通っていた札幌市中央区の歯科医院以外にかかったことがなかった。良く言えばなんと義理堅い、普通に言えばかなり保守的な、悪く言えば勇気のない人間だろう(先月末の釧路のケースは急患ゆえの例外中の例外である)。

 そんなわけで、私は素っ裸でいるクレンペラーの部屋を訪問するはめになった乙女のように緊張して、歯科医院のドアを開けた。緊張のあまり引くべきところを押してしまった。が、自動ドアだと勝手に思い込んで、そこにずっと立ち続けるよりはまだマシだっただろう。

 とにかく冠入り義歯(たぶんクラウンと呼ばれるものだと思う)が脱落したとき、私が鏡で見たその落石現場の跡は、まるで歯ぐきにごく小型のヒザラガイが3つ並んで貼りついているような感じだった。いのではなく、もう高さがないのだ。海抜0mまで平らに削ってあったのだ。
 そのヒザラガイ様の歯根がまだ使えるかどうかはかなり怪しい。様相がそれを物語っていた。釧路の歯科医師はそのように語ってはくれなかったが「けっこうきついかな」と言っていた。

 私が心を震撼させながら新患としてお世話になることになったここの歯科医師の見立て。

 ① レントゲンの結果では、はずれた冠の土台となっている歯の根には異常は見られないようだ。
 ② だが、応急処置をした歯科医の話を聞く分には、土台の歯がむし歯になりかけている可能性もある。
 ③ 応急処置で仮付けだったのか、がっちりとセメントで接着したのがわからないが、その後いまだにはずれてこないところをみると、がっちり型の可能性が高い。だとするとはずすのもけっこうな破壊行為となる。
 ④ それゆえ、まずは歯石をとって周辺の治安を維持してから本格的な治療に入る。それでいかがでしょうか?

というものだった。

 合意しました。「よろこんでぇ~!」と。

 で、今回はほかに口内の写真を数枚撮られ、上あご側の歯の歯石クリーニングをし、次回は早くも明日、また口を開けに行く。
 1週間に2回も診てもらえるなんて、そして通える自分がここにいるなんて、まるでウソのようだ。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂1889-90)。

 今日は名演と言われると同時に悪名も高いクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽6e6b06e0.jpg 団の演奏。

 使用楽譜は1890年稿ノヴァーク第2版。
 この版を使用した演奏では、ショルティ/ウィーン・フィルによるものを私は昔からよく聴いているが、その流れ(慣れ)でクレンペラー盤を聴くと、第4楽章で自分がテレポーションした錯覚に陥る。

 クレンペラーはゆったりとしたテンポで音楽を進めて行く。が、間延びしたところはなったくない。遅さが長ったらしさにならならい。チェリビダッケの、すごいとは思うがそこまで遅くする必要があるの?という勝手な疑問も、クレンペラーでは生じない。
 がっちりとした骨組みがあり、壮大だなんて安易に言えないほど大きな大きな演奏。大地震に耐えうる強度の高い建造物のような外観。いくつ部屋があるのかわからないほどの奥深さ。心に浸み入る美しさ。重厚なのに鈍くない。

 そして第4楽章。
 この第4楽章では、聴くたびに新鮮に意表を突かれる。ここはからくり屋敷か?
 CDのピックアップが跳んだのか?はたまた数分間私は意識を失ったのか?と私はとまどう。
 ご存知の方も多いだろうが、この録音でクレンペラーは第4楽章で大胆なカットを施しているのである。それも1回ではない(第1~3楽章でも細かな手が加えられているのかもしれないが、私が違和感を覚えることはない。つまり気づかない)。そしてカットされているわけだから、第4楽章はすぐに終わってしまう。

 これが多くの人を戸惑わせてきた。「ここまですばらしかったのに、なんで最後の楽章でこんなことしてくれたの?」と。
 長い長いうっとりするような前戯。そのあとは「えぇっ?終わっちゃったの?もう?」と言われる速打ち君……

 クレンペラーはいろいろと考察した結果このようなカットに行きついたと語っているらしいが、その真偽のほどはよくわからない。本人談なんだから間違いないんだろうけど、一部には当時のLPに収めるためにそうしたのではないかという憶測もある。 

 第4楽章で大胆なカットがあるにも関わらず、CD1枚には収まっていない。遅いから。
 あなたはしつこい人は嫌いだろうけど、でも繰り返して言うが、長さを感じさせない。
 この作品で、聴き手にこれだけの集中力を起こさせるとは、やっぱりクレンペラーってただ者ではない。実際、私生活では不審者じゃなかったものの、別な意味ではただ者ではない変態チックおじさんだったようだし。

 改悪版だと非難する人を否定はしないし、このカットが作品に対する冒瀆であるという言い分もわかる。が、だからと言って聴かないでいるのはあまりにもったいない名演である。

 1970録音。ワーナー(EMI)。
 
 なぜ歯医者の話にブル8なのか?
 歯、短……ハ短調ってことなのは、自明の理である。

音がちょっぴりすっきりしたんです♪クレンペラーのブルックナー/Sym4

731ee348.jpg  昨日の人間ドックにおいて私が経験したこと、そして暴かれた真実についていち早く報告すべきなのだが、今日はこのあと一番列車に乗って札幌に出張に行かなければならない。だから「王様の耳はロバの耳ぃ~!」と、とにかく話してしまいたいにもかかわらず欲望を抑え、それは日をあらためることにする。

 でも、1つだけ書いておこう。
 今日は一番列車に乗る私だが、昨日のドックの検診番号、つまり受診者No.は2ケタだった。
 なぜ、入賞範囲でなかったのか?
 出遅れたせいなのか?
 そもそもおまえは南蛮を目指してないのはわかるが、何番を目指していたのか?
 そういう疑問を持たれる方も多いだろう?(持っていない人には持っていただきたいものだ)。
 その点についても、私にはいかんともしがたい事情があったのだ、今回は。

 いずれにしろ、終わった。
 すっきりしているとは言い難いが、少なくともすぐにさらに医療費をかけねばならぬ事態は回避できた。

 ところで、先日クレンペラー指揮フィルハーモニア管によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック(Romantische)」
の演奏について書いた。それもディスクはリプリント盤。

 そこで悔しくて(何に対して悔しいのか自分でもちんぷんぱんぷんだが)、正規盤を購入して聞いてみた。
 もちろん演奏そのものが変わるわけはなく、そして前回書いてから日も経っていないので私の感想も変わるまでにいたらず、だからつまり、前回書いた通り。重い球の直球勝負ってもの。

 しかし、比べるとビミョーに違う。
 いや、サウンドが。
 やはり正規盤の方は、新品のワイパーで拭き取ったフロントガラスのようにスッキリしている。リプリント盤はわずかながらも音がもやっている(気がする)。
 また、低弦の音も正規盤ではややふくよかに感じる。

 1963録音。
 使用楽譜は1886年稿ノヴァーク版。
 ワーナー・クラシックス(EMI)。

 そんなわけで、列車に乗るたびに窓の汚れが気になるのだが、とにかく出張に行って来る。
 列車が遅れると会議に間に合わなくなるので、どうか当たり前に走行してほしい。

 当初の私の考えでは、今回の出張では会議や打ち合わせの合間を縫ってずっと通っていた歯科医に行くはずだった
 しかし、相手のある話。
 予約は入らず、かといって急患扱いになるほどではなく、さらに1回来るだけじゃ本格的な治療に取りかかれない。そしてまた、何回もあまり時間を開けず通院できないのでは、ちゃんとした治療は難しい。ということで、行く意味がなくなってしまった。いや、来る意味が認められないと言われたということだ。

 その後、私はこちら、つまり現在住んでいる街の、それも支社のすぐそばの歯科に予約を入れた。ここも混んでいて来週行くことになった。
 が、今は冠が外れたときの歯ぐきの腫れというか多少の痛みも無くなり、応急処置とはいえその後脱落していない。恐る恐る外れた側で物を噛むようにもなってきている。
 となると、実は歯科医に行かなければならないことなんてないんじゃないか。少なくとも焦燥感を持ってまで、と思うようになってきている。
 人間って、アタシって、身勝手なものだ。
 喉元過ぎれば、胃に入る(咀嚼物が)。
 いえ、わかってます、ちゃんと歯科医院に行きます。

にょろにょろは好きですか?♪クレンペラーのブルックナー/Sym4

05f2cd72.jpg  先日、初めてBOOK OFFにCDを売りに行った。
 いや、すいません、CDを買い取っていただいた。

 エコー・インダストリーとかFICといったところが輸入販売していた、いわゆるリプリント盤。これって海賊盤ってことになるのかなぁ?

 これらのCDを「お財布に優しいわ」と買っていたのはいまから15~20年ほど前のこと。
 書店やドラッグストア、地場のさえないCDショップなんかで売っていた。

 が、前に書いたように、私のリサーチによるとBOOK OFFでは750円とか950円といった、いっちょま

えの値段で売られている。
 ちなみに、これらは定価2,000円の表記がある。が、当時はどこでもかしこでも示し合わせたように1,000円で売っていた。それが「お得!」としか考えられなかった私は愚かだ。良い買い物ができたと信じていた私はロバだ。

 さて、捕らぬ狸の皮算用じゃないが、確かに古いCDとはいえ、BOOK OFFの店頭ではそのような価格で売られているのだ。きっと買い取り価格も1枚50円、いや、100円にはなるんじゃないか?
 小雪ちらつくなか、私は売却行為のために出かけたのだった。

 買取カウンターに出したのは20枚。100円だとして2000円。50円だとしても1000円になる。

 まかり間違って ―その可能性は十分ある― 200円の値がオープン・ザ・プライスだったら、4000円!その足でチャーシュー麺を食べに行っちゃおうかな、なんて思ったりした。いや、担担麺&小ライスも悪くないな……

 10数分後。「イの4番さん」って感じで呼ばれた。
 人間ドックの結果を聞くときのように、ちょいとドキドキする。

 「こんなんなりました」と見せられたレシートに、私は驚愕した!

 買取価格、計100円。

 買取単価は一律5円。

 ごえ~ん!??▼!!@?!!↓!?И??

 「となっておりますが、よろしいでしょうか」
 今さら持ち帰りますという勇気もなく、「はい結構です」。
 こうして、輝きを失った平成6年製の100円玉を1枚もらいましたとさ。

 チャーシューメンとか担担麺とか悩む必要がなくなってホント良かった……って、「すっぱいブドウ」の狐かっ!

 にしても、ここまで来たガソリン代にもなるかならないかだ。
 こんなことなら歩いてくりゃよかった。

 考えてみれば、CDのプラケースが3個セットで100均で売っている今日。
 いくら古いとはいえ、CD付にもかかわらず、私が持ち込んだCDケースは1個5円の価値しかなかったのだ。3個セットで15円だ。

 いやいや、落ち着け。違う!私が売ったのはCDケースじゃなくCDだった。
 だったら、カラス除けにあちこちにぶら下げた方が、まだ有意義な活用法だったのだろうか?

 で、あれはいったいいくらで売られるのだろうか?
 買取価格の10倍で売るとして50円。そんな価格設定はしないか……

 じゃあ、頼むからせいぜい200円ぐらいにしてくれ。
 750円とかは勘弁してほしい。
 そりゃ御社としてもいろいろな経費がかかるのはわかる。査定してくれた店員の人件費、20枚のCDを入れて行った紙袋の処分、新たな値付け作業……

 でも、そうしてくれなきゃ、私があまりにかわいそうだと思いません?

 今回、処分したこういったたぐいのCD。実はすべて処分したわけではない。何枚かは手元に残した。ケースが破損してたものとか……

 狸に騙された気分に追い打ちをかけるべく、あえて残しておいたものの中から自虐的に1枚を選んで聴いた。

 クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック(Die Romantische)」。1878-80年のノヴァーク第2稿を用いているという。
 実に久しぶりに聴いた。もうこういったリプリント盤は聴くことがなくなっていたのだ(だからこそ売ったのだ)。

 あまり考えさせない演奏。力はあるが淡々と進む。ブルックナーの“しつこさ”がないので、これを好む人も少なくないだろう。第4楽章はかなり速いテンポ。じっくり吟味するんじゃなくて、高速査定タイプ。
 なんか、気持ちがすっきりしたような……

 1963録音。

 かつてこの演奏について、音楽評論家の根岸さんという方が、「(第1楽章)第2主題に入り、第2ヴァイオリンが右側からにょろにょろと聞こえてくるのは一種の快感」と書いていた。

 が、私は特に気持良くならなかった。
 もうにょろにょろくらいじゃダメなんです。アタシ……

よくも私を疑ったな!♪ブルックナー/レクイエム

e7097f78.jpg  ネット通販を利用する場合、私は、CDならタワレコの、バラ苗ならサカタのタネに全幅の信頼を置いている。

 じゃあ店舗で買う場合はというと、CDはやはりタワレコ(の札幌Piivot店)である。
 が、最近は店頭でたまたま見っけものがあった場合に買うだけで、すっかりオンラインショップを利用するようになってしまった。店に並んでいるCDのボリュームはどんどん小さくなっていくし、オンラインだとちょっと手に入りずらいCD、出ているのかどうかも不明な作品のCDも、簡単に検索して見つけ出して注文できるもの。店頭で調べてもらう手もあるが、あったらお取り寄せっていうのは、札幌に住んでいない身に不便極まりない。

 バラ苗は、通販以外では音更の大野農園を利用する。実際に株を目の前にして選ぶのは楽しい。全部欲しくなっちゃうほどで、体に毒だ。

 が、ご存じのように最近私は1つ学習した。CDに関して。
 タワレコで検索すると廃盤、もしくは取扱終了、あるいは全然ヒットしない曲や録音でも、Amazonにあることがあるということを。

 そんなわけで、このあいだフェドセーエフ指揮によるボロディンの交響曲第2番を購入したわけだ。
 こういうのってお買い物の楽しみを十分に享受できた満足感と、苦労して手に入れたという達成感がある。

 この味をしめた私は、タワレコで何度検索してもヒットしなかったある曲のCDを、またもやAmazonで手にすることができた。この作品、かつてLPを持っていたがそれを処分したあとはずっと再会できていなかったものだ。

 それは、ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の「レクイエム(Requiem)」ニ短調WAB.39(1848-49/改訂'92)。

 学生のころレコ芸に広告を出していたレコードの通販ショップでこれを買った。
 LPを処分したあと、全然CDを見つけられず、今回は20数年ぶりの再会である。

 ほとんどすべてのメロディーを忘れていたが、第2楽章「ディエス・イレ」のメロディーはしっかりと記憶がよみがえった。不思議なものだ。ヒュ~リャリャリャリャリーラという下降音形のメロディーがむかしから下降傾向にあった私の記憶力と相性がよかったのだろう。

 大学生の時にブルックナー・ファンの教授がいて、あるときたまたま私がレクイエムのLPを持っていると言ったら、「ブルックナーはレクイエムを書いていませんよ。うん、書いてない。そんな曲はありません。だから君、それは間違いでしょう?」と、切って捨てられたことがある。そのときこの“君”を見る目線は、断定的疑念の鋭いビームを放射していた。

 が、数日後その教授は講義のあと私を見つけ言った。
 「調べてみると、レクイエムがあることがわかりました。そうやら私がデータの収拾時にミスを犯したようです。私の非を認めましょう。ところで、その曲のれこぉどを君は持っていると言ってましたね。貸していただけますよね?」
 私は傷つけられたはずなのに、しかも一方的な要求にもかかわらず、「よろこんでぇ~」と応じてしまった。まったくもってお人好しである。

 にしても、ネットなんてなかった時代(洗濯用のごみ取りネットはもう発明されていたが)、あの教授、よく調べたものだ。そして、私のおかげでブルックナーの超マイナー作品であるレクイエムを聴く喜びを享受できたわけだ。

 ウィキペディアによると、ブルックナーには3つのレクイエムがある(あの教授、三段重ねの間違いを犯していたことになる)。

 1つは1845年に書かれたが紛失したもの。WAB.番号は133.
 2つ目が今日取り上げている作品。
 そして3つ目は18小節のみ残っている断片で、1875年の作。WAB.141。

 「レクイエム ニ短調」はソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱と合唱、弦楽オーケストラに3本のトロンボーン、オルガンという編成。全10楽章。

 編成からも想像がつくだろうが、ブルックナーのシンフォニーのような重厚さはなく、むしろ軽やか目。
 私が最初に「ディエス・イレ」に強い印象を受けたのも、それが他の多くのレクイエム作品に比べ、おどろおどろしさ、切迫感が強くないためで、逆に記憶に残ったようだ。ぼんち・おさむの「あれぇ~?」って感じだったわけ(「古い!」と思うだろうが、私がこの曲を知ったころはザ・ぼんちは人気の盛りだった(ような気がする))。

 ベスト指揮イギリス室内管弦楽団、Rodgers(S),Denley(A),Davies(T),George(Bs),Corydon Singersの演奏。

 1987録音。ハイペリオン。

 なんか、GEORGIAが飲みたくなってきた。いや、ゲオルギアじゃなく……

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