読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

ショスタコーヴィチ

いざというときのために『クマ』『熊』『くま』の音の違いを熟知せよ

  私の低価買い取られ体験
 最近頻度は落ち着いたが、半年くらい前まで私のパソコンではオーディオ高価買取というウェブ広告が執拗に表示されていた。
 いまどき、オーディオを高価で買い取って、それで商売が成り立つのだろうか?なんだか不思議である。

 大阪に住んでいたときにエッジがボロボロになっていたスピーカー(インフィニティの KAPPA80)の査定を、ネットで調べた「オーディオ高価買取」と謳っている会社に依頼したが、2本で1万円だった(購入時定価は2本で27万円)。
 ずいぶんと安いなと思ったが-せめて3万円以上になるともくろんでいた-出張査定無料とはいっても、来てもらって「その値段なら、ボク、やめます」と言う勇気はなく、1万円で引き取ってもらった。

 このところは、オーディオ高価買取の広告が北海道新聞にもときどき載っている。
 これは先週見かけた道新の広告。

20240712DoshinAudioAd (2)

 『例』で書かれている買取価格は確かに高額だ。なかなかなものである。
 でも、これだけ広告費をかけて成り立つ商売なのだろうか?いや、成り立つから広告を打つのだろう。
 そして私は、あのとき大阪の買取業者(名前は忘れた)に騙された(買いたたかれた)のだろうか?と、いまさらながらにちょっと悶々とした気持ちになった。

  大学時代にお世話になったイシオ西28丁目店
 同じく道新にときおり載る、「カメラのイシオ」の広告。
 「カメラのイシオ」はかつては札幌にかなりの店舗数があった店。
 私が大学1年のときに一眼レフカメラ-PENTAX ME スーパーーを買ったのは「カメラのイシオ」の(はっきりと覚えていないが)狸小路近くにあった店だったし、大学のサークル(植物研究会)で撮った写真を4つ切りなどにプリントするのに利用したのは、まさにこの広告にある「西28丁目店」だった。

20140613DoshinIshio

 「カメラのイシオ」の店舗網が急速に縮小していった経緯は知らないし、かつての「イシオ」と現在残っている「イシオ」が同じ経営体のものなのかもよくわからないが、西28丁目のカメラのイシオが存続しているのはうれしい。

  猛犬はカタカナ?漢字?ひらがな?
 こちらは日本農業新聞に載っていた広告。
 熊が人里周辺にも当たり前のように出没していることは怖いことだが、この広告はその熊よけのもの。
 で、私は思う。
 ボタンが『クマ』『熊』『くま』と名づけられているのはどういう意図があるのだろう。
 とっさのときに、どれがどの音だかわからなくならないのだろうか?と。

 『ライフル』『猛犬』『爆竹』じゃ、だめなんだろうか?
 そしてまた、熊は『猛鳥』なるものを恐れるのだろうか?

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 そしてこれも、日本農業新聞に載っていた広告。
 いやぁ、私が子どものころにあこがれた「ウルトラ警備隊」の腕時計型電話(ビデオシ―バー)に近いものが実現化された感じだ。
 って、「ウルトラ警備隊」のことを知っている人もいまや少数派になりつつあるのだろうけど。

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♪ 今日の一曲 ♪
 『ウルトラ対位法』なるものを用いた、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第2番ロ長調Op.14「十月革命に捧げる(To October)」。

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ハンコをもらえるチャンスは今日しかない!DSch/Sym3

20200429rose1  えっ、GW明けまで来なくていいの?
 ここに書いたように、先週の金曜日の夕方に私の出向先であるB社の本社で、《新型コロナの感染拡大が治まらない中、出勤頻度が下がらない勤務シフトはやめるように。また、出勤しない在宅勤務の態勢を強化すること》、という指示が出された。

 私がそのことを知ったのは帰宅後で、私が勤務している札幌支社の支社長から支社のメンバー宛てに「明日、週明けの勤務予定表を作り直してメールする」というメールが送られてきた。

 翌日にきたメールを見ると、当初は今週の月曜日と木曜日が半日勤務だった私の予定も在宅に変更になった。つまり、GW明けの7日まで在宅&休日になってしまったのだった。

 まだ(もしかするとこの先も?)特に何かの業務の担当を持っているわけではないし、万が一感染したら重篤になる恐れになる年齢なので(ほかの支社の社員よりは)、私の出勤頻度は究極まで抑えられたわけである。
20200429rose2
  とはいえ、私なりの用が……
 ただ、ここで大きな問題があることに気づいた。

 出向者の身分である私は、就業ルールは出向先のB社の規程に従うが、有給取得やら遅刻や早退の報告などの勤怠については出向元のA社の管理下にあるのである。
 ということで、当たり前のことだが、B社の人事システムに入力するなんてことができない(そもそもシステムに登録されていない。登録されるのは出向が終わり、B社に再雇用されたときだ)。

 そのため、エクセルで作成した勤務管理表に必要項目を入力して(この日は何時に来て何時に退社した、とか、この日は人間ドックに行った、とか)、プリントアウトし、こちらB社の支社長のハンコを頂戴し、出向元のA社の人事課に提出するという、給料をいただくためにはミスが許されないこの一連のプロセスを踏まなくてはならないのである。

 GW明けの7日か8日までにA社の人事課に持参するか、それまでに着くように郵送すればいいのだが、なんと支社長が土曜日に送ってきた新しい勤務予定表では、私は7日に出勤するものの、支社長は7日も8日も不在であることが判明した(そのあとの9日と10日は土日である)。

 となると、本日、5月1日に支社長の印鑑をもらうしかない。
 そうしなければ、A社の人事課が行なう5月支給分の給料の事務処理に間に合わないってことになる(はずだ)。

 土曜日にメールをもらった私は、支社長に「ハンコをいただくにはこの日しかありません。後生ですからこの日私が出社することを許可してくださいますことと、勤務管理表にハンコを快く押していただきますことを心よりお願い申し上げます」と返信した。

Shostako01Pet1 幸いにも「家でじっとしていなさい」ではなく、「承知しました。朝のラッシュをずらして来てください」という心温まる返事が来た。

 ということで、今日私は、必要至急に迫られ、周囲の気配に警戒しながら時差出勤する。

 ショスタコーヴィチ(Dmity Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第3番変ホ長調Op.20「メーデー(May Day/The First of May)」(1929)。

 今日はぺトちゃんの演奏で。

 えっ?写真。
 いまのMy Gardenのバラです。
 芽~出~です。
 なお、背景のバイオレットやイエローの花は、こぼれダネから咲いたビオラである。

夢は妥当に、汗抜きし、もらっちゃったと言う企画をしている話

PA240345  謙虚な子
 もはや記憶が曖昧だが、この前の土曜日か日曜日のこと。
 夕方のローカルニュース。
 JR名古屋駅の新幹線のホームで子どもたちを対象にした一日駅員体験のイベントがあったと、男性アナウンサーが微笑みながらしゃべっていた。これが大人たちを対象にしたイベントだったら、ちょっぴり関わりたくないようなオタクさんが殺到して、たぶんアナウンサーも微笑んでられないだろう。いや、ニュースにならないな。

 映像のなかで、将来何になりたいかとインタビューを受けていた1人の子ども。「通勤電車の車掌さんです」と答えていた。

 良い子だ。

PA220311 新幹線の駅員を体験をしているにもかかわらず、それに流されないで、自分の将来の夢を語ったのだ。新幹線関係者に媚を売らない姿勢が、若いくせして頑固だ。
 しかも通勤電車の車掌さんとは、その謙虚さに頭が下がる。小学校の卒業文集で将来の夢の寄せ書きページで“王様”と書いていた東君とはえらい違いだ。

 んっ?でも、もしかして、あの子は新幹線関係の仕事に就くためには、ローカル路線の車掌になるよりも難しいかもしれないと、すでにリスクを計算しているのだろうか?
 だとしたら、小さいうちからチャレンジ精神に欠けていると言えなくもない。逆に自分のことをきちんとわかっていて、その上で人生設計がしっかり作り上げているとも言える。

 んんっ?考えてみれば通勤電車は、JRに限らない。
 もしかして名鉄なんかを狙ってる?
 だとしても、あの場で「名鉄の車掌さん」と答えなかった彼は聡明と言わざるを得ない。

  言葉巧みなだけの男
 大きかろうが小さかろうが、子どもには夢があっていい。
 でも、子どもでない私にとっては、こんなことになってしまうとささやかな老後生活すらおくれなくなってしまうと心配極まりない。

IMGP1070 働き方改革?そんなカッコイイ言葉に騙されちゃいけない。国民総奴隷化改革だ。
 だって、一生働きアリで過ごせってことだもん。

 定年になって好きなときに庭いじりをしたり、音楽を聴いたり、お出かけしたり……。そんなことができなくなるってことだ。
 こうなると自営業の人がうらやましく思う。

 年金がもらえるのが75歳からってことになると-現時点では75歳から受給する選択もできるってことらしいが-、もらい始めてほどなくしてお陀仏って人が続出するだろう。

 年金制度がこの先やっていけないなら、いっそのことここいらで制度を廃止すればいい。
 もちろん、いきなりゼロにすると生活できなくなる人が多数いるだろう。そのために、調整のための経過措置は必要。
 ただ、このままダラダラと続けていくといまの子どもたちは将来、どえらい負担を強いられる上に、自分が受け取れる年齢になったときには何にも返ってこないことになる。踏み倒しに遭うってこと。ひどい……

 年金の掛け金は自分たちがもらうための“貯金”ではなく、いま受給している人たちへの財源だという。
 お年寄りは大切にしなきゃならない。でも、自分たちが将来ボンビー生活をおくらなければ、もっと言えば餓死にしなければならないっていうのが現実味を帯びるなか、善人よろしく掛け金を払っているなんてまったくもっておかしな話だ。

 小泉進次郎が、またまたすばらしいことを考えましたとばかり、自信をもってしゃべっていた。
 年金が必要のないお金持ちは年金を返上して、その分をこども保険回しましょうだって。
 お金を持っているとか持っていないの話じゃないでしょうに。小泉進次郎って、バカなの?

P9170075 ちょっと前、彼は規制改革だか何だかで、儲けることしか考えていない経済サイドの話だけを鵜呑みにして、農協いじめをしていた。
 当然、頓挫。結局よくわかってないのに、カッコイイ御託を並べ、結論ありきで強引に進めようとしてボロが出た。よかった、彼の背後にいる独裁者に仕切られなくて。なんとか国民の良心が反映されたってことだ。

 国民が生きていくための食料。その国内生産をおろそかにする国は愚かだ。食料自給率を上げましょうと言っていたのは何だったんだろう?
 TPPだのなんだのって言ったって、ほらごらんなさい。オーストラリアは干ばつ。
 TPP協定が発効され日本の農業が弱体化してしまったあとに、たとえばオーストラリアは干ばつ、ニュージーランドは不作なんてことになれば、協定を結んでるなんて吠えたところで相手国は日本に食べるものなんか輸出してくれない。自国の食糧確保が最優先だから。「輸出できるものがないんです、以上」で終わり。。
 年金がもらえなくて食べるものが買えないための餓死か、そもそも食料がなくての餓死か、どっちにしろ豊かさなんて言葉とは無縁。

 L.Bromfieldは“pleasant Valley”でこう書いている。

 ――わが国の物狂おしい産業の発達のために、われわれは、農業がわが国のすべての経済の基盤であり、また、国家の経済機構のなかでは、常に礎石であることを忘れがちである。――われわれは、土地を所有し、これを愛育し、これを十分に利用する人が、経済的な意味においてだけではなく、社会的な意味においても、国家としてのわれわれの安定の源であることを忘れがちである。
                           (原仙作「英文標準問題精講」:旺文社)

 いまの政治によって日本は世界でも有数の暮らしにくい国になりかねない。
 そもそも庶民の暮らしをわかっている、いや、庶民の暮らしをしている人が政治をやらなきゃダメ。お坊ちゃま軍団にはお金のことも、食べ物のことも他人事。
 そもそもペコペコ頭を下げときながら、当選した瞬間に有権者に対し威厳を誇示するような人種が政治家にふさわしい人材であるワケがない。

  元気に働く女性 
 たまに利用するクリーニング店“あわあわランド(仮名)”。

 そこのおばさん-といっても、私より若いかもしれない-が、なかなかチャキチャキしていて、仕事もスピーディー。
 接客の感じは全然悪くないのだが、残念なことに、職務に徹しているのかほとんど愛想っ気がない。事務仕事をしていないのに事務的。頭の中は洗濯物のことでいっぱいって感じなのだ。

 先日、朝いちばんにスーツのズボンを2本持って行ったときのこと。

 「これ、お願いします」
 「ズボン2本ですね?」
 「はい」

 そのあと、彼女はじっと立ったまま。
 はっ!カードを出さなければ。私はあわててカードを渡す。
 彼女はレジに会員番号を打ったあと、言う。
 
 「汗抜きはどうします?」
 「お願いします」
 「ありがとうござぁいまぁす」※
 「では2割引きで、〇〇円です」
 「いつ仕上がりますか?」
 「急ぎます?」

 「はい」と言える雰囲気ではないし、実際急いでいないので私は「いえ」と答える。
 「では、明日の午後にはできてます」
 「よろしくお願いします」

 ※印のところ、つまり私がオプションを追加したときには、ちょっとだけ声のトーンが変わった。心から私は感謝されていると感じた。でも、そのフレーズ以外は終始ぶれない。

 ところで、この店、いつ行っても他の店員さんを見たことがない。店にはこのお姉さましかいない。
 1日中ずっと洗濯物のつららに囲まれながら孤独に過ごしているのだろうか?
 あるいは、奥は自宅になっているのだろうか?

 “あわあわランド”で汗抜き加工というテクニックを知ったが、これはいい。
 何度かクリーニングに出しているうちに、生地がゴワゴワな感じに硬くなるが、それが元に戻る。

 もはや汗抜きをせずにはいられなくなった私だ。

UFJposter  喜ぶ女性
 セブンイレブンの、6~7月ごろに流れていたコマーシャル。
 最後に「もらっちゃった」と喜んでいる女性に、なんとなく好感をもっていた。

 世にあふれかえっているコマーシャルにはいろいろな女優さんやモデルさん-たいていは美人と称される-が起用されている。でも最近の私は、セブンイレブンのお姉さんのような素人的な人の方がなんとなく好きだ。好きだというかほっとする。歳をとると、こういう些細なことで喜んでいる女性に尊い人間性を感じるのだ。

 それは洗剤や保険などのCMでも同じ。
 主役の脇に出ていたり、銀行のポスターに載っているような匿名的な-いや、もちろん名前はあるがあまり有名になっていない-人の方に目が行く。
 たとえば、この三菱東京UFJ銀行のポスターなら、左側の列の上から3番目の女性。少なくとも私はこの人が誰だか知らないが、こういうふつーっぽいところがいい。でも、ごっそり貯金してたりして。

 あと、近ごろではAmazonのCMでバイクの後ろに乗っているおばあちゃんの、死んだ夫と一緒に写っている若いころのおばあさんの姿が-すごく小さくて一瞬なのでよくわからないものの-気に入っている。

 で、私ももらっちゃったのである。
 nanacoを使ってお弁当を買ったときに、ドリンクの無料引換券を。

 今度引き換えに行こう。
 引き換えたあと、あの無愛想で怠惰な動きのレジのおばちゃんに向かって「もらっちゃった!」と言ってやろう(かな)。

 いや、答えはわかってる。無反応だ、彼女は。

20161214Moon  起こされた女と撃ちたがる男
 近ごろはすっかり日が沈むのが早くなってきた。
 ということは、日の出も遅い。
 5時だとまだ暗い。

 妻に「日が昇るのが遅くなったね」と言うと、「全然知らない」と言われた。

 ごもっともである。
 妻の場合、起きるのは早いときで6時だ。
 しかも北海道の日の出は早い。
 彼女にとって起きたときには日は昇っているのだ。

 8月29日の早朝、北朝鮮がミサイルを発射した。
 北海道と東北や北陸の上空を通過する恐れがあるとアナウンサーが連呼していた。

 まだ6時だから早すぎるかなと思ったが、日本を通り越したと報道された6:15ころに電話してみた。
 起きていた。
 こちらは警戒エリア外だったのでそんなことを考えていなかったが、あちらではスマホに警戒情報が入ったらしい。それで起こされたのだった。

 それにしても、「安全な場所に避難してください」って言われたって、どこに避難しろというのだろう?
 しかも、5:57に発射され、6:15ころには行っちゃってしまっているのだ。狙いが日本なら、とっくに火の海と化している。
 〇〇湾に上陸し、山越えし、東京へやって来るかもしれないというゴジラの歩行速度とは全然違う(なのに、なぜゴジラの姿が見えてから、ある者は走り、ある者はリヤカーをひきながら逃げていたのだろう。←映画だから)。ラドンが来る以上に逃げられない。

 この記事によると、なんと北海道上空を通過したのは6:06。
 まったくもって、気づいたら、いや気づかないうち笑顔で爆死だ。
 同記事には、当初からJアラートはミサイルが撃たれても間に合わないと指摘されてた。なのに、政府は強引に100億円もかけて導入。どこかに儲けさせるためにこんな無駄遣いをしたんじゃないかと思ってしまう。

 ところで、北朝鮮のTVニュースのおばさんアナウンサーや完璧整髪アナウンサーが読んでいる笑っちゃうぐらい過激で陳腐な表現。

 「断固たる正義の行動で応える」「米穀の制裁策動は完全に破綻した」「危険千万な軍事挑発」「無慈悲な報復と容赦ない懲罰を免れない」……

 これって誰が作ってるんですかね?

 そういえば、首相は「ミサイルの動きを完全に把握していた」ってキッパリ言ってたけど、じゃあいたずらに国民の不安を煽るんじゃないよって言いたくなる。

  そんなことから今日の1曲は、 
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の歌曲集「ユダヤの民族詩より(From Jewish Folk Poetry)」Op.79(1948)。


 ソプラノ、アルト、テノールの独唱とピアノのための作品だが、ショスタコーヴィチは1964年に管弦楽版も作った。
Shostako15Haitink 全部で以下の11曲からなる。

 1.  死んだ幼な子を嘆く
 2. 心配性の母と叔母
 3. 子守歌
 4. 長い別れの前
 5. 警告
 6. 捨てられた父親
 7. 貧乏の歌
 8. 冬
 9. よい暮らし
 10. 娘の歌
 11. しあわせ

 各曲のタイトルを見るだけで涙があふれてきそうになる、希望などなんにもない暗く悲しい歌。
 ときに音楽はユーモラスな表情を見せるが、それはウソくさい上っ面だけのもの。だって、歌詞にはユーモアのかけらもないんだもん。
 唯一、第11曲「しあわせ」だけが、あぁ、なんだか救われた。良い話を聞かせてもらったってものだ。

 私が持っているCDは、ゼーダーシュトレーム(S)、ヴァンケル(A)、カルチコフスキ(T)の独唱、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団による演奏のもの。

 1983年録音。デッカ。

  元気な中国人?
 “週刊現代”の新聞広告。
 大きな文字で、中国人がタフマンを爆売り、と書いてあった。

 えっ?どーゆーことだ?

 もう一度見返すと、タワマン爆売りだった。

 メガネも合わなくなってきているようだ。


 

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